12


ドンドンドン!

強く叩かれるノック音に不機嫌な表情を浮かべたマルコは、深夜帯に五月蠅ェと叱り付けるつもりでドアを開けた。しかし、予想していた相手(エースかサッチ辺り)では無く、4番隊の隊員だったことに思わず気抜けした表情を浮かべた。

「何だよい?」
「厨房が大変なことに!」
「!」

厨房という言葉を耳にした瞬間にマルコは、隊員の話を最後まで聞かずに部屋を飛び出して食堂へと走った。食堂に集まる隊員達は厨房内に目を向けて困惑した表情を浮かべながらザワザワと騒いでいた。

「どうした?」
「あ、マルコ隊長」

マルコは直ぐ手前にいた隊員に声を掛けた。振り向いた隊員は「それが――」と、厨房に向けてチラチラと視線を動かしながら当惑した様子だった。
マルコの存在に気付いた他の隊員達は一斉に身を引いて道を作った。何があったのかわからないまま厨房の中心へと足を運んだマルコは、床に広がる血だまりを見た途端に表情を険しくした。
血だまりには船尾に向けて引き摺ったような痕跡があった。それを辿って裏手の船尾へと抜けるとティーチの姿があって――ドクンッ!と思わず心臓が大きく跳ねた。

まさか……、あの血だまりはサッチか?
マルコは一瞬にして理解した。起きて欲しく無い ” その時 " が来たのだ。信じたくない未来が現実となって目の当たりにしたマルコは、表情は変わらずとも奥歯をグッと強く噛み締め、両手を拳へと変えた。

ヤヒロ……、あいつはどこに……?
肝心のヤヒロの気配が無いことに気付いたマルコは、船内に向けて見聞色の覇気で探ろうとした。
だが、それに気付いたのかどうかわからないが、マルコを見るなりティーチは声高に叫んだ。

「ヤヒロだ! ヤヒロが裏切りやがったんだ!」

目に涙を浮かべて悔しそうに顔を歪ませたティーチは、ギリギリと歯軋りをして言った。――あの女がサッチ隊長を殺りやがった!と。

え、何を言って……。
ヤヒロが裏切った?
殺したって……、誰が誰を?
ヤヒロが、サッチ隊長を……?

―― 殺した ――

隊員達は動揺して騒めく。そんな彼らに向けてティーチは両手を地面に突いて土下座をしながら尚も続けた。

「すまねェ! 止めようとしたんだおれは! けどヤヒロは強ェ! おれじゃどうにもできなかったんだ!」
「な、何で姐さんがサッチ隊長を……」
「悪魔の実だ! ヤヒロが悪魔の実欲しさにサッチ隊長をナイフで刺して奪って逃げやがったんだ!!」
「「「えェ!?」」」
「サッチ隊長は最後まで抵抗したが海に突き落とされちまった。お、おれも手傷を負わされて……、サッチ隊長を何とか助けねェとって思ったのに、どうにも足が竦んじまってどうすることもできなかったんだ! すまねェ! 本当にすまねェ!!」

涙をボロボロと零しながらティーチは土下座を繰り返して何度も謝った。隊員達は俄かには信じられないと口にしていたが、必死に謝るティーチの様子から信じる者が出始めた。

白ひげ海賊団を裏切った!
『鉄の掟』を破った!
ヤヒロは、おれ達の敵だ!

食堂にいた隊員達から通路にいた隊員達に、そして、甲板にいた隊員達へと即座に伝言されて一気にモビー・ディック号内を駆け巡って行く。
土下座をしながらティーチが下卑た笑みを浮かべていたこと等、誰も気付かないまま――。

厨房の床に散った血痕や血だまりに気付いた隊員が騒ぎ始めるほんの数分前のこと。ヤヒロとサッチの姿が見えないことを確信したティーチは、自分のナイフで自身の腕を切り付けた。
あたかも自分はヤヒロに襲われるサッチを助けようとして返り討ちにあったのだとして、仲間殺しの罪を、仲間(サッチ)を殺した犯人を、全てヤヒロに被せる為にだ。

荒れた暗い海の中を生き残れるとは思わないが万が一ということもある。世界最強と称させる白ひげ海賊団を敵に回すのは時期尚早でもある。
白ひげ海賊団の矛先がヤヒロに向いてさえいれば、その間に強力な仲間をもっと集めて力を蓄えることができる。そして、機を見て最強最悪の『黒ひげ海賊団』として決起するのだ。
さァ、ヤヒロ。これでお前は白ひげ海賊団の敵になったぞ。
自分の計画に寸分の狂いも無ェと密かに笑うティーチは、マルコの存在に気付くと見計らって即座に土下座をした。

「すまねェ! マルコ!! すまねェ!!!」
「あれは誰の血だって?」
「サッチ隊長だ!」
「……」

周囲の隊員達と異なって何の反応も見せないマルコに引っ掛かりを覚えたティーチは顔を上げた。

―― ッ……!

眉間に皺を寄せたマルコが鋭い目付きで自分をじっと見据えていることに、思わずヒクリと頬が引き攣りそうになった。
何だ?おれの話を信じねェのか?と、ティーチは胸中に不安を抱いた。

思い返せばマルコはヤヒロと共にいることが多かった。それは誰しもが知っていることだった。初日からサッチが「二人が男と女の関係になった!」と囃し立て、当人達にボコボコにされていたのは有名だ。
それもあってか隊員達の中で二人は「デキている」と思う者達が殆どで、隊長同士からもマルコはヤヒロのことで揶揄われたりしていたこともティーチは知っている。

「ゼハハハハッ。ショックだろうけど真実だマルコ隊長。現におれはヤヒロにやられちまってこの通り怪我を負っている」

冷や汗のようなものを掻きながら平静を装って、ティーチは自分で傷付けた腕をマルコの前に差し出した。ヤミヤミの実を食べたのだから大したことは無いのだが、ここは敢えて力を使わずに負傷したままの腕をこれみよがしに見せる。

「惚れた女が鉄の掟を破り、あんだけ仲が良かったサッチ隊長に手を掛けちまって逃走したなんて……。マルコ隊長にゃあ信じられねェかもしれねェが本当の話だ。嘘じゃねェ」

おれを信じてくれとばかりに訴えるティーチに、マルコは静かに溜息を吐くと「なァ、ティーチ」と呟くように口を開いた。

「な、何だ?」

まるで腑抜けのように見えたティーチは胸中で笑った。はっ! こりゃ完全にヤヒロに骨抜きにされてやがる! 1番隊隊長ともあろう男が何て腑抜けた面ァして――

ガシッ!

――!?

突然、マルコに胸倉を掴まれたティーチは目を見開いた。

「嘘吐いてんのは、てめェだろうがよい! ティーチ!!」

ズガンッ!!

「がはっ!?」
「「「ま、マルコ隊長!?」」」

武装色の覇気を纏った足でマルコは容赦無くティーチの腹部を蹴り飛ばした。激しい衝撃で吹き飛んだティーチは、欄干に背中を強く打ち付けて甲板に倒れた。

「うう…ぐ…」

激痛が走る腹部を手で押さえながら突っ伏しているティーチから呻き声が漏れる。マルコは尚もティーチに殴り掛かろうとした。しかし、隊員達が慌てて止めようとマルコの腰や腕にしがみ付いた。

「離せよい!!」
「何でティーチを!? 悪いのは鉄の掟を破ったヤヒロじゃないっすか!!」
「そうですよ!! ティーチは手負いで怪我してんすよ!? サッチ隊長が……、サッチ隊長が殺られちまってショックなのは、おれ達も同じですよマルコ隊長!!」

必死になってマルコを止める隊員達に、マルコは「違う……」とポツリと呟いた。隊員達は少しだけ目を丸くしてマルコに顔を向けた。

「お前ら、ヤヒロの何を見てきたんだよい。あいつが鉄の掟を破るような奴に思ってるってんならおれは……」

マルコは言葉を途中で切って口を噤んだ。
ティーチは古株の一人で隊員達からの信頼も厚い。そんなティーチの言葉を誰もが疑わずに信じるのは当たり前だ。これは仕方が無いことなのだ。隊員達を責めるのは間違いだと思ったから、お前らを軽蔑しちまう――なんて言葉を口にはしなかった。

急に黙ったマルコに「マルコ…隊長……?」と不安気な表情を浮かべた隊員達だが、お互いに顔を見合せると「でも――」や「ティーチがああ言ってんだし――」等と口にして、納得できないと言った。

彼らの気持ちはわからないわけでは無い。最初はマルコ自身も信じられなかった。しかし、敬愛するオヤジが『信用する』と言った以上、信じざるを得なくなったというのが正直なところだった。
不信感や猜疑心が全く無かったわけでは無い。けれども、ヤヒロの背中にある青い不死鳥を見る度に、それらの気持ちが嘘のように消えてしまうのだ。

何故かと考えた。――が、答えは直ぐに出た。

ヤヒロと共に日々を過ごしていく内に不思議と日々が充実したものに変わったと、ある時にふと気付いた。

楽しい――。
そう、楽しかったのだ。

ヤヒロが相手だと遠慮無く何でも言い合えたし喧嘩もできる。他愛の無い会話やちょっとした言い合いですら楽しい。サッチとエースを加えて四人でバカな話をしている時は時間を忘れる程に笑えて、年甲斐も無く悪ガキの様につるんで遊んでいる感覚にすら味わえる程に――楽しかった。

確かにヤヒロと過ごした時間は古株のティーチと比べて短い。それでも、共にいる間のその一瞬一瞬がどれ程濃密で充実したものだったことか。最早ヤヒロの話を信じるに足るには十分過ぎる程だ。

「マルコ隊長はヤヒロが好きだから信じたくないって思われるのは仕方が無ェことですけど――」
「!」

何、言ってんだてめェは……!
側にいた隊員がポツリと呟いたのを耳にしたマルコは、途端に怒りと共に覇気を全方位に放った。そして、身体から青い焔がボボボボボッと迸る。

「ふざけんのも大概にしろよい!!」

完全にキレた。例えどんな状況でも理性を保つ男である1番隊隊長が、隊員の言葉によって堪らず怒鳴り声を上げた。
それに思わず口を滑らした隊員が慌てて手で口を塞ぎ、マルコの手足にしがみ付いて押し止めていた隊員達もマルコから離れて後退った。そして、苦悶の表情を浮かべながらも視界の端で見ていたティーチもマルコの様子に思わず固唾を飲み込んだ。

あのマルコが見境無しに完全にキレやがった。こりゃあ少し不味い状況だ。上手く脱出しねェとこっちがヤバい。
ティーチは隙を見て事前に用意してあった小船に移動する算段を計っていた。だが、マルコとは別のビリビリと感じる威圧にハッとした。

不味い!不味い不味い不味い!!この状況は本当に不味い!!
ゆらりと船内から姿を現した白ひげに、全身からサーッと血の気が引いていくのをティーチは感じた。

「マルコ、気持ちはわからねェでもねェが、少し落ち着きやがれ」
「ッ…、オヤジ……」

白ひげの諌める言葉に従ったマルコは漏れ出る覇気を抑える。すると、チリチリと迸らせていた青い焔も静かに消えた。

「ティーチ、その傷は誰にやられたって?」
「お、オヤジ……、ヤヒロだ。ヤヒロが裏切ってサッチを殺りやがったんだ。ナイフで背中を突き刺して抵抗するサッチを問答無用で海に突き落としやがったのをおれはしっかりと目撃したんだ! ヤヒロは悪魔の実を奪って逃走しちまった。おれは止めに入ろうとしてこの様でっ――」

先程と同じ説明を口にしたティーチだったが途中で押し黙った。目の前にいる白ひげの目が完全に怒りを模していて覇王色の覇気が漏れ出していることに気付いたからだ。
だが、畏怖を抱いて押し黙ったように見せながらティーチは――ゼハハハハッ!そうだ怒れ!ヤヒロに怒れ!矛先をヤヒロに向けろ!――と、胸中で囃し立てる言葉を並べていた。

「マルコ、お前はどう思う?」
「!?」

な、何でそこにマルコに……? こいつはヤヒロに惚れている以上、ヤヒロの肩を持つに決まってんじゃねェか――と、全く予想していなかった展開だ。

「嘘だよい、オヤジ」
「そうか、なら仕方が無ェなァ」
「な、何?」

何故か誤算が生じている。計画通りに事を進めていたはずなのにどこで狂ったのかティーチにはわからなかった。白ひげの怒りの矛先がティーチに向けられ、ティーチは苦悶の表情を浮かべた。又、白ひげの答えに隊員達も戸惑いを隠せずにいた。

何故?
どうして?

これらの言葉があちこちで飛び交う。そして、隊員達の視線が一斉にティーチへと向けられると、ティーチは思わずゴクリと喉を鳴らして固唾を飲んだ。

ヤヒロ、やっぱりお前の器は大したもんだ。オヤジすら飲み込んじまうとはな。ここまでか――と、ティーチは深く息を吐いた。

「クッ…クククッ……ゼハハハハハハッ!!」

身を小さくしていたティーチは一転して尊大に声を大にして笑うと悪い顔をしてギロリと睨み付けた。
ティーチの変わり様に隊員達は一様に驚いた。白ひげはティーチを睨み付け、マルコも同様にティーチを敵視して身構えた。
二対一のこの状況下、ティーチは腹を括るしかなかった。そして――両腕を広げて全身からヤミヤミの実の力を解放した。

「そりゃあヤミヤミの実の能力か」

眉を顰める白ひげにティーチはゼハハハハッと笑った。

「そうだ! おれが手に入れた! サッチもヤヒロも今頃は海の藻屑だろうぜ! これから嵐が来て海は大荒れになる! 暗闇の中を捜索すらできねェ状況だ! 最早二人は死んだも同然だ!」

楽し気に笑うティーチに「ティーチ! てめェ!!」とマルコは声を荒げた。それにティーチは「残念だったなァ、マルコ」と不敵な笑みを浮かべて続けた。「ヤヒロはイイ女だった。おれの女になれと何度も誘ったが、なかなか首を縦に振らねェんで殺すことにした」と。

「な…に……?」

まさかティーチがヤヒロに異性として好意を抱いているとは思ってもみなかったマルコは、驚きのあまりに言葉が出てこなかった。

「ゼハハハハッ! あの女に入れ込んだのはお前だけじゃねェってことだ! 鷹の目の野郎も同じかもしれねェがな! だがな、古株の好だ。マルコ、一つ忠告しておいてやる」

ティーチはそう言うと悪びれた笑みを消して真剣な顔して言った。「あの女は異常だ。あの女はこの世界において邪魔以外の何ものでもねェ」と。

「「!」」

マルコは絶句した。一方、白ひげは眉をピクリと動かした。二人から僅かに動揺を感じ取ったティーチは妙な反応だと少しだけ眉を顰めた。
何かを知ってやがるのか?
周囲の者達と違ってマルコと白ひげだけがヤヒロを決して疑わなかった。そのことに関係しているのだろうかと考えた――が、直ぐに答えは出そうにない。
まァ、良い。何れわかるかもしれねェしなァ。と、ティーチはヤミヤミの力を駆使して姿を晦まし逃亡した。

「オヤジ……」
「マルコ、隊長会議だ。隊長どもを集めろ」
「了解」
「てめェら、掃除しておけ! あと、くだらねェ詮索して妙な噂を流すんじゃあねェ!! わかったかハナッタレ共!!」
「オヤジ! う、裏切りはヤヒロじゃなくて、ティーチだったってことっすか!?」
「嘘だろ? 何でだ? 何でティーチが……」

隊員達の動揺は無理も無い。この船の古株で信頼も厚かった男が起こした裏切り行為は、隊員達の心に大きな穴を開けた。たった一人の裏切りで思いのほか大きなダメージを受けたのだと察した白ひげは、黙ったまま船長室へと戻って行った。
何も語らなかった白ひげから隊員達は残ったマルコへと視線を向けた。

「マルコ隊長……」
「まァ、そういうことだよい」

首筋に手を当てながらマルコが答えると隊員達は表情を暗くして肩を落とした。

「おれ達、その……」

ティーチに騙されたとは言え一瞬でもヤヒロを疑ってしまったこともショックだったのだろう。
顔を俯かせる隊員達に励ます言葉なんて思い浮かびそうにない。どうしたものかと考えたマルコは、ヤヒロが聞いたら何て言うか、それを考えてみろ。と、ポロッと口にした。

「……」

沈黙が流れる中、マルコは自分で言っておきながらそうだなと想像してみた。
恐らくあいつは「裏切り者だと思いたきゃ思えば良い。殴りたけりゃ殴りに来い。喜んで殴り返してやるから」と拳を鳴らしながら満面の笑顔で言ってそうな気がする――と。

「いや、本当にあり得る……」

頭をガシガシと掻いたマルコはポツリと独り言ちた。

「「「本当にそうっすね」」」
「……ょぃ」

まさかの同意の声を投げ掛けられたマルコは隊員達に視線を向けた。
想像したのは誰もが同じようなものだったのだろう。誰もが腕を組んで納得したような面持ちで頷いている。
呆れた表情を浮かべたマルコは、ふっと笑みを零した。

「なら問題無い。あいつは何だかんだ言って優しいからよい」

下手な言葉を投げ掛けるよりも効果があったなと、マルコはくつくつと笑いながら船長室へと向かった。
途中、これからすべきことを考えたマルコは、押さえることができるか……?と腕を組んで難しい表情を浮かべて考え込んだ。

「あいつは言い出したら聞かねェからなァ……」

エースがこの船から飛び出してティーチの後を追う。それを止めなければ最悪な事態へと向かう。それを止めに来たと言ったヤヒロの為にも何としても避けたい事象だ。

〜〜〜〜〜

「あんたの……、あんたのそういう顔が見たくないからだ」

〜〜〜〜〜

胸倉を掴んでヤヒロが言った言葉が頭の中で音として響き、ドクンッと思わず心臓が跳ねた。

「ヤヒロ……、サッチを頼む。けど――」

お前も死ぬな。死んでくれるなヤヒロ……。
マルコは胸の内で祈るように強く願った。そして、急いた気持ちを抑えながらマルコは船長室のドアを勢い良く開けた。
オレンジ色のテンガロンハットを目深に被って佇むエースが目に飛び込んだ。彼の表情は浮かない顔をしている。

「マルコ……」

力無くマルコの名を呼ぶエースの声を耳にしたマルコは、眉間に皺を寄せてエースを見つめた。

裏切り

〆栞
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