14


「サッチ! サッチ!!」

どこかもわからない島に辿り着いたヤヒロは、意識の無いサッチに何度も呼び掛けた。

「兎に角、まずは出血を止めないと……」

サッチの背中に突き刺さるナイフをどうしたものかと逡巡したヤヒロだったが、どのみち出血が酷いのだからとナイフの柄を握った。同時にサラシを脱いで止血の準備をする。そうしてナイフを慎重に引き抜くと即座にサッチの背中から肩に掛けてサラシを巻いて傷口に圧迫を掛けるように強く結んだ。

「死ぬな! 死ぬなよサッチ!!」

サッチの腕を肩に回して担ぎ上げたヤヒロは、この島が無人島で無いことを切に願った。しかし、願い虚しくここはとても小さな島で、運の悪いことに人が住んでいない無人島であることがわかった。

「くそ! ふざけんなよ!!」

苦渋の表情を浮かべて悪態を吐いたヤヒロは、落ち着けと声を掛けて深呼吸を繰り返した。そして、これからどうすべきかを考えようとしたその時だ。

――ッ!
――!
――〜!

「誰かいる」

小さな無人島に広がる森の奥から人の声が聞こえてくる。その声を頼りにヤヒロはサッチを抱えながら必死になって向かった。
森の中心地に来ると開けた場所があった。そこに一人の男を中心に強面で厳つい身体をした男達が集団で輪となって楽し気に騒いでいる姿があった。

「ハデに騒げお前らァァ!!」

―― あいつは!!

男達の中心に立つ男の顔を見たヤヒロはそれが誰なのか直ぐにわかった。

「おい! 助けてくれ!!」
「何だァ? 誰だてめェは?」
「船医ぐらいいるだろ!? この人の怪我を治療して欲しいんだ!!」

ギョッとして固まった男達は、途端に目尻を下げて頬を赤く染めながら鼻の下を伸ばした。彼らの視線の先はサッチではなくヤヒロにあった。サラシを巻いていない胸元に女の象徴が晒されているのだから当然だ。
突如として現れた女の出で立ちは不思議なものではあったが、彼らにとって女の乳房が堂々と拝めることに大層興奮して下卑た声を上げて喜んだ。そして、ゲヘヘッと鼻の下を伸ばした男が立ち上がってヤヒロの元に歩み寄ると「良い乳してんじゃねェか」と無遠慮に触れようとした。しかし――

バキッ!!

「ぎゃん!?」

ヤヒロは容赦無く男を蹴り飛ばした。悲鳴と共に勢い良く吹き飛ばされた男は暗闇へと消えると暫くしてドボーンと海に突っ込んだような音が聞こえてきた。対岸まで吹き飛んだのだろう。

「なっ!? 何しやがんだてめェ!!」

当然のように男の仲間達が一斉に怒鳴り声を上げる。だがヤヒロは顔色一つ変えない。

「船医を呼べ。この人を治療しろ」

そんなヤヒロの態度が気に入らなかったのか、中心に立つ派手な衣服を身に纏う男は眉間に皺を寄せた。

「ふふん、ハデに不愉快だ。舐められてもらっちゃ困るぜ姉ちゃん。おれ様が誰かわかって言ってんだろうなァ?」
「おれ達は知る人ぞ知る『バギー海賊団』だぜ!! そんな生意気な口を聞く女の命令を何でおれ達が聞かなきゃなんねェんだ!?」

男達が一斉に声を上げるとヤヒロは叫んだ。

「そんなことは百も承知だ! さっさとしやがれって言ってんだよ!! この鼻でかァァァ!!!」
「「「えェェェッ!!?」」」
「はっ…鼻でか……だとぉぉ?」

ヒクリと頬を引き攣らせた鼻のでかい男は、愈々怒りでグシャグシャにひん曲げた表情を浮かべた。「言ってはいけないことを言いやがったな?」とか何とか口走りながら、男はヤヒロに向かって攻撃をしようとした。だが――

「ッ!?」

男は一瞬に躊躇して踏み止まった。

―― は!? な、何だァこの女の放つ空気はァ!?

ヤヒロから放たれるそれは殺気なのか敵意なのかはわからないが、その空気に圧倒されて動けなかった。
こいつは手を出しちゃいけねェ女じゃねェのか!?と警鐘が響く。

「バギー頼む! 助けてくれ!! それとできればどこか人のいる島まで私達を運んで欲しいんだ!!」
「た、対価は何だ!? そ、それ次第で助けるか助けないか決めてやる!!」
「「「バギー船長!?」」」

バギーの言葉に部下達は驚いた。だが、自分達の船長の顔色がどこか優れないことに気付くと、ヤヒロへと視線を移した彼らはその理由がわかった。

―― こ、この女!! 何て目をしてやがんだ!?

ヤヒロにとっては普通なのだが、彼らからすれば初めて対峙するヤヒロのそれは野獣のような目で、彼らはすっかり怯えてしまった。最早ヤヒロの胸元を舐める様に鑑賞して楽しむ輩はそこにはいない。

「乗せて貰っている間だけになっちまうけど、働く! 何でもやる! 修理から料理から何でもだ!」
「そ、その身体を売る気はねェのか?」
「欲しけりゃ力付くで来い! その変わりてめェの玉がどうなっても知らねェからな。私の身体を欲しいと言うならそれこそそれなりの対価ってのを頂く!」
「は、ハデにムカつく女だぜ! で、その男はてめェの何だ? これか?」

バギーが小指を立たせて問い掛けるとヤヒロは少しだけ眉をピクリと動かした。

「仲間……いや、家族だ」
「家族だァ? にしても似てやがらねェが……」
「白ひげ海賊団だ」
「し、白ひげだァ〜!?」
「「「えェェェッ!!??」」」

バギーとその部下は盛大に叫んだ。本日一番の驚愕事件だ。驚き過ぎて顎が外れる輩もいた。それもそのはず白ひげ海賊団は四皇の一角に属する世界最強の海賊団として名高い。彼らとは天と地程にレベルが違うのだ。

ふ、ふふふざけんじゃねェぞ〜!? 白ひげってなァ世界最強の海賊団じゃねェか!! その海賊団の二人が何でこんな名も無い小さな島にいやがんだ!?――と、頬を引き攣らせたバギーはヤヒロから背を向けて考えた。その顔は冷や汗だらけで顔色も一層悪くて呼吸が荒い。

「バギー!」
「ん? いや、待てよ?」
「バギー!!」
「ここで恩を売っておけば後々何か役立てることができるかもしれねェ……」
「おい! てめェ聞いてんのか! この鼻でか男!!」
「はなっ!? カッチーン!! は、ハデにマジでムカつくぞてめェ!!」

またしても言いやがったな!?とヤヒロへと振り向いたバギーだったが、途端に目を丸くした。
先程まで異様な空気を放ちながら野獣のような目をしていた女が、今では泣きそうな表情を浮かべていたからだ。

「急いでくれ! なァ頼むよ!! バギー助けて!!」
「ッ…!」

―― は、ハデに……かっ、可愛いじゃねェか。

懇願するヤヒロの顔にバギーは思わずドッキュンと心を射抜かれて『トキメキ』を覚えた。本人はそれに全く気付いていないのだが、何となく胸がドキドキしていて普通じゃ無い事だけは確かだった。

「お、おぉ、わかった。おい野郎共! 船へ引き上げだ!」

サッチを抱えたヤヒロを連れて船に乗り込んだバギーは船医室へと案内した。そして、船医室にいた人相の悪い船医が何事かと不思議な表情を浮かべている。

「おい、こいつの怪我を見てやれ」

バギーの指示に従った船医はサッチの容体を見始めた。そして、サッチの側にいる女へ視線を向けると、おっぱい!?と目を見張った途端にボンッという音を立てる勢いで顔を真っ赤にして狼狽した。

「なァ! 助かるよな!?」
「あばばばばっ!?」

船医の腕を掴んで必死の形相迫るヤヒロだったが、船医にとってはそれどころでは無かった。傍で見ていたバギーは眉間に皺を寄せながら呆れていた。

―― 船医め、ハデに狼狽し過ぎだ。いや、しかし、まァ、確かに……良い乳してやがる。

全く隠そうともしないのだから、それこそ呆れる。ただ、それを忘れるぐらいに必死なのだということでもある。

「とりあえずお前はそれを何とかしやがれ。ハデに襲ってくれって言ってるようなもんだ」
「ん? あ、そっか! わ、悪い! 忘れてた!」

バギーに指摘されたヤヒロは、自身の胸元を見て納得したように笑って頭を掻いた。
普通なら「キャッ!」とか、黄色い悲鳴をハデに上げるかして恥ずかしがるだろうが?と、全く掛け離れたヤヒロの反応にバギーと船医は唖然とした。
目の前の女は自分達の価値観に全く当て嵌まらない女であることを理解したバギーは、ヤヒロから目を外すことなく隣に立つ船医の肩を叩いた。

「サラシを用意してやれ」

どうあっても視線が胸に行ってしまうのは仕方が無い。だっておれ様だって男だもの。お願いですから早く隠してくれ――ハデに困る!とバギーは胸の内で頭を抱えた。

「と、とりあえずサラシだ。巻いておけ。それからこの怪我人だがかなり危険な状態だ」
「!!」
「おれ一人では手が足りん。手伝え」
「わ、わかった」

受け取ったサラシを巻くことも無く未だに胸を晒したままでヤヒロは「何をすれば良い?」と切羽詰まったように問い掛けた。

「ッ!」

直ぐ目の前に晒された柔らかそうな双丘をガン見した船医は、顔を真っ赤にして悲鳴に近い声を上げて懇願する。

「と、とりあえず先にサラシを巻いてくれ!! おれが辛い!!」
「わ、悪い!!」

思わずヤヒロが謝罪の声を上げる一方で、バギーもムラムラしていた。股間がハデに辛ェ。あんな乳を前にして普通でいられる男なんてまずいねェだろ――と。

バギーと船医に「ごめん」と言いながらヤヒロは背を向けた。その時、衣服の背中に施された刺繍に初めて気付いたバギーは、ムラムラが吹き飛んで忘れてしまう程に驚いて、これでもかと目を見開き固まった。

んなななな!? 何だァァ!? なんつーどハデな服だ!? じゃねェ!! 赤い龍に青い不死鳥だァ!? それに何だあの金色で描かれた禍々しい『あれ』は!?

驚いたのはバギーだけでなく船医も同じだった。足のつま先から頭の天辺に向けてブルブルと波立たつ悪寒を感じて身体を震わせた。

「せ、船長……。この女は何者なんですか……?」

船医がバギーにコソッと耳打ちするとバギーは青褪めた顔のまま口をハクハクと開閉を繰り返すだけで返事は無かった。
普通じゃないとは思っていたが、まさか赤髪とも接点があるのか?とバギーは思った。しかし、白ひげ海賊団とも言っていた。ならば、あれは不死鳥マルコじゃないのかと思った。とりあえず、結局それが何であれ堂々とそんなものを背中に掲げるなんて――この女はハデにやべェ!!と心の底からハデに危機感を抱いた。

背後にいるバギーと船長が驚き恐れ慄いているとは露知らずに、ヤヒロは羽織っていた特攻服をパサリと脱ぎ捨てた。
海賊と言う割には似つかわしく無い程に透ける様な白く艶のある素肌が曝け出される。曲線美も相俟って魅惑的な背筋が非常に綺麗で色っぽい。
今度は恐れが吹き飛んで忘れてしまう程に思わず見惚れたバギーと船医は顔を紅潮させた。そして、まるで不死鳥のようにムラムラ感が蘇る。

―― ……ハッ!?

そうじゃねェだろ畜生!と、バギーは頭をブンブンと左右に振って我を取り戻すと、隣でポッと頬を染めて突っ立っている船医を足蹴にした。何となくの八つ当たりである。

「と、とっとと治療しやがれ!! お、おれは甲板にいる!! 荷物を詰め込み次第出港するからな!! 次の島は比較的にでかい島だ!! そこでお前らを降ろしてやる!!」

焦りにも似た気持ちで一気に捲し立てたバギーだが、サラシを巻き終えて特攻服に袖を通したヤヒロがバギーに向かって深く頭を下げて「ありがとう」と礼を口にした。その行動に目を丸くしたバギーは、ちょっぴり鼻水を垂らした。

「本当に助かったよ。バギー、この恩は絶対に忘れねェから」
「お、おう……。わ、わかってんなら良い……」

戸惑いながら答えるバギーに頭を上げたヤヒロは、徐にバギーの元に歩み寄るとバギーの手を両手でギュッと握り絞めた。

「!?」

何をするのかと脳裏に恐怖が過ったバギーだったが、ヤヒロの満面の笑顔に恐怖は一瞬で霧散した。

「バギー! 私は結構お前が好きだ!!」
「ほえェェェ!?!!??」

素直な気持ちを述べたヤヒロの『好意』は、あくまでも ”キャラとして” なのだが、そんなことを知る由も無いバギーは顔を真っ赤にしながら冷や汗をダラダラ流して狼狽した。

「は、ハデに……、う、嬉しいことを、言って…くれるじゃねェ…か……」

ポツリと呟いたバギーは、半ば心ここにあらずのままヨタヨタとした足取りで船医室から出て行った。そんなバギーの背中を見送ったヤヒロは、直ぐに真顔になって船医に顔を向けた。その一瞬の変わりように船医は「あ、悪女だ」と思った。ヤヒロは決してそんな気は無いのだが、船医はそう思った。何せ自分達の船長を手玉に取っているのだから――。

あの『道化のバギー』を。
小賢しさNo.1の道化のバギーを。

力無いサッチの手を握り締めたヤヒロは、悲痛な面持ちを浮かべた。そして、そっと手を伸ばしてサッチの額に触れる。

「サッチ……」

どう見てもこの子はこの男の方に好意を抱いているように見えるのだが……。さっきのは一体何だったのだろうか――と、腑に落ちない思いを抱えながら船医はサッチの治療を始めた。
暫くすると出港したのだろう、船が動く振動を感じた。
その中で、船医の指示を受けながらヤヒロはテキパキと働いた。手際が大変良く、言ったことを直ぐに理解して事に当たるその様に船医は思った。

―― じょ、助手に欲しいな。

それを願った所で次の島に着けば彼らはこの船から降りてしまう。船医はちょっぴり寂しい気持ちになった。

道化に乞う

〆栞
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