11


鷹に会いたい。

ヤヒロは涙を拭って立ち上がるとベッドに身体を沈めて天井を仰ぎ見てそんなことを思った。

―― 元気にしてるのかな。どこにいるんだろ?

多分、きっとミホークがそこにいたら今の心情を思いっきり吐き出していただろうとヤヒロは思った。そして一言二言何かしら言われて「あァそうか」とあっさり納得して事が進む。短かったけど、ミホークといたあの時、あの感覚、会話、調子は不思議と心地が良かったなと今になって気付く。

「ダメだ。何を甘えてんだ。この場にいない鷹に頼るとか……。そんなことを今に考えてる場合じゃねェだろ?」

身体を起こして両頬をバチンと叩いて気を入れ替える。
そして、今夜すべきことはただ一つに絞る。

『サッチを殺させない』

悪魔の実を奪われなければ尚良いだろう。だが『二兎を追う者一兎も得ず』という言葉がある。二つを同時に守ることなどまず考えちゃいけない。どちらを天秤に掛けるかなんて答えは明白だ。

命に代わるものなんて何も無いのだから。

白ひげやマルコに話しをしていたが、それが今日だということはきっと気付いていない。何が原因でティーチが裏切ったのかまで詳細に覚えていなかった自分が悪いのだ。切っ掛けが何だったのか、説明時に鮮明に覚えていなくて話せなかった。

宴の理由を知り、ティーチの話を聞いて、ヤヒロは漸く思い出した。
そして運命の時が今夜であることを確信した。

サッチが悪魔の実――『ヤミヤミの実』を持ち帰って来たこと。それが全ての元凶で始まりだったことを思い出したのだ。

それを今更になってマルコに話せるだろうか?
白ひげに……オヤジに話せるだろうか?
甲板で仲間と盛大に笑って酒を飲むティーチの姿を見て誰が思うのだろう?

今夜、彼が裏切ることを、仲間を、家族を裏切ることを――。

「私がやるしかない。それを望んで来たんだ。どうなろうが絶対に……サッチは死なせない」

サッチを知れば知るほど大事だと思った。
初めて会った時の『モブ認定』の意識は欠片も無い。そしてマルコと旧知の仲であることも知った。
あのマルコが悪態を吐きながらも最も心から信用している相手がサッチであることも知った。本人は口にはしないが見ていてわかるのだ。そしてサッチは悪ふざけをしながらも誰よりも人の心情を敏感に察知し、誰よりもそれとなく気配りをしてみせるこの船にとっても大事な存在であることを知った。

少なくともヤヒロにとってもサッチは大事な『家族』で『仲間』で『兄貴』で『友達』で、とても心が近しい間柄の人であったのだ。そんな人を決して死なせるわけにはいかなかった。

〜〜〜〜〜

「サッチん!」
「んーヤヒロちゃん、その呼び方さ、マジで止めね?」
「何で? 可愛いじゃん ”サッチん”」
「ヤヒロちゃんって可愛いって思う感覚を持ってたんだな。そっちの方が意外だ」

サッチは目を見開きながらオーバーに驚いてみせた。

「一応これでも女だからな」
「悪ぃ、弟だと思ってたぜ」
「散々マルコとヤッたって言いふらした癖に、今更じゃね?」
「あー、あれにはマジでビビったぜ。初っ端からヤるなんてってな? まァ見た感じ、どっちかって言うとヤヒロちゃんがマルコを襲ってる感じだったけどな」
「は?」
「まさかの「マルコが女に犯されてる!!」って感じでショックを受けて笑っちまったって話」
「それ、マルコが聞いたら半殺し確定だな」
「ヤヒロちゃん、言っとくけどマルコよりヤヒロちゃんの方が素で怖いから。顔は笑ってるけど目が笑ってねェって……いや、マジで、その、ゴメンナサイ」

大根の皮をシュルシュルと桂剥きをしながら顔だけをサッチに向けて笑みを見せるヤヒロにサッチは頬を引き攣らせながら謝罪した。
厨房ではくだらない話をしながら調理の手伝いをした。サッチの作る料理はどれも美味しくて、傍から見てて勉強になるなと思うほど腕が良かった。

「サッチんは私の料理の師匠だな」
「ははは、光栄の至りってやつだ」
「あ、これってどういう味付けしてんだ?」
「これはな〜」

こんな風に手伝いをするようになってからサッチと打ち解けていった。そして何の拘りも隔たりも無く自分自身を曝け出して思ったことを素直に話せる相手であることを知った。内面のナイーブな話を少し零した時も軽く受け止めて笑って頭を撫でたサッチの行動にヤヒロは驚いたものだ。その仕草や行動、為人は五代目とどこか似ていた気がする。だから余計にサッチには素直に接することができたのかもしれない。時折、サッチと二人だけで仲良さ気にバカ笑いしていることも多かった。偶々マルコがそれを目撃して何故か不機嫌になることもあるほど、サッチとは仲が良かったのだ。

「サッチんを独り占めしたからか? 何かマルコには悪かったな」
「違ェって。あれはヤヒロちゃんに妬いてんじゃなくておれに妬いてんだ」
「は? ……何で?」
「何でって……ヤヒロちゃんってこういう系はとんと鈍いんだな」
「こういう系?」
「恋愛」
「ぶほっ!!」

顔を真っ赤にしたヤヒロを満足気に笑いながら頭を撫でるサッチに、どこからか飛んで来た灰皿がサッチの後頭部に直撃して悶絶するサッチにヤヒロが腹を抱えて笑っていたのはつい最近の話。

〜〜〜〜〜

―― 深夜……宴が終わって寝静まった頃を狙うのか。

ヤヒロは時が来るまで静かに部屋で待ちながら、サッチと過ごした日々を思い出していた。ドキドキと緊張して早くなる鼓動を落ち着かせるように深呼吸をしながら集中力を高めていく。





深夜――。

あれだけ騒がしかった甲板は静かになり、忙しなかった行き交う人の足音もぱたりと無くなった。ヤヒロは静かに扉を開けると気配を探りながら歩き出した。

―― サッチの部屋に行くべきか……。いや、無いか。んー……厨房? あァ、そうだ厨房だ。

厨房なら裏口から抜けて船尾へ出ることが出来る。甲板では多くの隊員達が酒に酔って眠っているだろう。それにサッチはそうそう自分の部屋に戻ることは無い。サッチの定位置は食堂で厨房。部屋は夜に眠る時だけしか戻らないということを以前にサッチが話していたことを思い出す。

ヤヒロは食堂の扉を極力音を出さないように開けようとした時だ。

「おう、何だティーチ? こんな時間にここに来るなんて珍しいな?」
「ゼハハハハッ! 喉が渇いちまってなァ、水をくれサッチ」
「ん、ちょっと待ってろ」
「悪いなァ」

二人の会話を聞いたヤヒロの心臓がドクンと大きく跳ねた。扉を開けて中を覗くと他に誰もいない。いるのは二人だけ。

「なァサッチ、例の……悪魔の実をちょっとおれに見せてくれねェか?」
「あん? あァ、あれか」
「てっきり食べるかと思っていたが食べねェのか?」
「うーん……迷ったんだけどな。おれが食べちまったらよ、エースやマルコが海に落ちた時に助けに飛び込めなくなるだろ? あれ、おれの役目みてェになってっからな〜」
「ゼハハハハッ! そんだけ信頼されているって証拠じゃねェか」
「だな。ちょっと待ってろよ、えっと、どこに置いたか……あァこれだ」

ティーチは緊張からかサッチから貰った水を一気に飲み干して渇いた喉を潤した。悪魔の実を取り出そうと自身に対して背を向けたサッチにティーチはニヤリと笑みを浮かべるとナイフを取り出した。

「サッチ!!」
「ん? ヤヒロちゃん? ッ――!?」

ざしゅっ!!

「チッ! ヤヒロか!!」

ティーチがサッチに襲い掛かろうとした瞬間にヤヒロが二人の間に入り込んだ。ティーチの振り下ろしたナイフはヤヒロの肩口を掠めるに止まったが、ティーチは構わずにヤヒロを狙って攻撃した。

「な、何だ!? おい! ティーチ! 何してんだ!?」

サッチが悪魔の実を持ったまま二人の間に入って止めようとした。その瞬間、ティーチはしめたとばかりに矛先をサッチに変えた。

ざしゅっ!!

「ぐあっ!!」
「サッチ!!」
「ゼハハハハッ! 悪ぃなサッチ!!」

ヤヒロを庇うようにして割り込んだサッチの背中にティーチはナイフを突き刺した。ぐらりと倒れるサッチの身体をヤヒロは慌てて抱き留めて支えたが、サッチの背中に回した手にはべったりと血の感触を感じてヤヒロは顔を青くした。

―― なっ、何やってんだ!? 助けに入って助けられるってバカか!!

覚悟が足りなかったのか、それとも抗えない運命なのか、床に転げ落ちたヤミヤミの実は自分から望むようにティーチの足元へと転がり、ティーチはそれを拾い上げた。

「ゼハハハッ! これでおれは最強になれる! ヤヒロ!! 今からでも遅くはねェ!! おれと共に来い!!」

ガリッ!

ムシャムシャムシャ……。

ごっくん……。

ティーチは勝ち誇ったように笑うとヤミヤミの実を頬張った。そして手を掲げるとそこから黒い影が発生してティーチの眼光は鋭さを増した。そしてヤヒロへと視線を落とせばヤヒロは青い顔をしたままサッチを抱えて茫然としている。

―― 鬼神と言っても女か。ショックを受ければそんな顔もできんじゃねェか。良い顔するじゃねェか、なァヤヒロ。

ティーチは僅かにごくりと喉を鳴らした。ティーチの目は明らかにヤヒロを『女』として見る目へと変わっていた。その目にヤヒロはゾクリと悪寒を感じてハッと我に返った。

「サッチ、サッチ! しっかりしろ!!」
「そいつはもう死ぬ。捨て置けヤヒロ。おれと来い!!」

ティーチはヤヒロの腕を掴んでサッチから引き剥すように強引に引っ張り船尾へと向かった。サッチがどさりと力無く床に倒れるのを見たヤヒロの視界がジワリと歪み出した。

「ゼハハハッ! 鬼の目にも涙とはよく言ったもんだ!」
「ッ……れ」
「あ?」
「黙れ」
「ッ!?」

ぶあっ!!

―― な、何だ!?

ヤヒロは涙を流しながらもティーチをギロリと睨んだ。その目はとてつもなく冷血なもので、眼光はとてつもなく鋭く、何もされていないというのにティーチの身体に力が入って金縛りのように固まった。思わずヤヒロの腕を離して距離を取ろうとするが、ヤヒロの底知れぬ ”何か” に触れたティーチは思うように身体が動かない。

―― 覇気か!? いや違う、ただの覇気じゃねェ……なら何だ!? オヤジの覇王色の覇気でさえ耐えれるおれがこんな小娘の放つ気に気圧されるだと!?

ティーチは咄嗟にナイフを構えてヤヒロに攻撃しようとした。ヤヒロは構えてその攻撃に備えようとした。

だが――。

「危ねェ!!」
「サッチ!?」
「チッ! まだ動けたのかサッチ!!」
「ティーチ! てめェ!!」
「くっ…くくっ! ゼハハハハッ!! まだ運はおれにあるみてェだぜヤヒロ!!」

背中にナイフが刺さったままだがサッチは呼吸を荒げながらヤヒロを後ろ手に庇い、ティーチと対峙した。最初は驚いたティーチだったが、直ぐにニヤリと笑みを浮かべたティーチはヤヒロに一瞥して手負いで動きの鈍いサッチの胸倉を掴むと容赦無く腹部に拳を放った。

「なっ! ティーチ!?」
「くはっ!!」
「ゼハハハッ! ほらよ!!」
「サッチ!!」

ざっぱーん!!

力無く倒れかけるサッチの身体を抱えたティーチはサッチを暗い海へと放り投げ落としたのだった。ヤヒロは焦ってサッチの名前を叫びながら海に飛び込もうとするがティーチに腕を掴まれた。

「ゼハハハッ! 嵐が近付いて来て海が荒れ出した中だ。手負いの奴が生きていられるわけがねェ!! ヤヒロ!! おれと来るか、それとも――」
「決まってんだろ!? 私はお前と共に行動はしねェ!! 私が今することは――」
「!?」
「サッチを”生かす”ことだ!!」

ヤヒロはそう言うが早いかティーチに蹴りを放った。ティーチは咄嗟にヤヒロの腕を掴む手を離してその攻撃を躱した。

ダンッ!

ざっぱーん!!

「ゼハハハッ! 一石二鳥たァこのことだ。この海のど真ん中で荒れた海に飛び込んで助かるわけがねェ。残念だが仕方が無ェなァヤヒロ。サッチと共にあの世に行くんだな」

ヤヒロはティーチから離れた瞬間に甲板を蹴って自ら荒れ始める暗い海へと飛び込んだのだった。

モビー・ディック号は大きな船だ。海面までは随分の高さがある。上手く飛び込めたとしても着水時の衝撃は並のそれとは比べ物にならないだろう。ましてや女が手負いの男を抱えて泳げるか――ティーチは海面に視線を向けたがサッチの姿は勿論のことヤヒロの姿もそこには無く、「ゼハハハハッ!」と満足げな声を上げて笑うのだった。





くそっ!
思ったより高かった!
海面に打ち付けた右肩が痛ェ! 
けど!
サッチ!
サッチ!!
死なせない!
絶対に!!

ざぱっ!

「ぷはっ! はァはァ……潮の流れが早い、船がもうあんなところに……クソッ」
「……い……ちゃん……」
「サッチ!? おい、気を確かにしろ! 死ぬな! 絶対に死ぬな!!」
「ヤヒロ」
「……サッチ?」

サッチの右腕を肩に回して左腕一本で支える。痛む右肩に耐えながら必死に海を掻くが船に近付くどころかどんどん引き離されて行く。
次第にポツリポツリと雨が降り出した。空を見ると本当にこれから嵐が来るようで海が徐々に荒れ始めて波が高くなる。
サッチはいつもと違いヤヒロの名を呼び捨てにした。ヤヒロはサッチに視線を向けると血の気の引いたサッチの顔が少しだけ笑みを浮かべていることに気付いた。

「縁起でもないこと考えるなよサッチ」
「……なァ、……何で助けに入ったんだ?」
「危険な目に遭ってりゃ助けるに決まってる! サッチだって私を庇っただろ!? 同じ気持ちじゃねェか!!」
「……ヤヒロ……ありがとな」
「や、やめろよ……礼とか言うな。当然のことっ…したまでだ。なァ、サッチ、っ、大丈夫、大丈夫だから、本当に、助けるから」
「おれを置いて、行けってんだ。っ、一人で泳げば、何とか、モビーまで辿りつく……ヤヒロなら」
「ば、バカ言うな!!」
「ヤヒロ、頼む」
「ッ!!」

サッチは眉尻を下げながら必死な表情を浮かべていた。ヤヒロは目を丸くして思わず言葉を飲み込んだ。

―― 置いて行け? 出来るわけない……出来ない、何の為に、何の為に!!

「出来ねェ!!」

ヤヒロは目を瞑って思いっきり声を荒げて叫んだ。

「ッ……ヤヒロ?」
「私は! サッチを助けるために来たんだ!! それなのにここでサッチを見捨てたりしたら元も子無いだろ!? 私を舐めるのも大概にしろ!! 私が助けるって言ったら絶対に助けんだかんな!!」
「っ…な、…んだよ……それ? お、おれを助ける……為?」

サッチは掠れた声で小さく漏らすように言った。驚きながらヤヒロの横顔を見つめればヤヒロは懸命になって泳ぎ続け、何度も小さな声で「助けんだ、絶対に死なせない、絶対に」と呟いているのが聞こえてくる。

―― ヤヒロ……何でお前……。

「……泣くなってんだ……」
「ッ……」

―― マルコが惚れるのもわかる気がするな。不器用で、けど何事にも真っ直ぐで、決して自分を曲げねェ。それを他人に強要することはねェし割と寛大……はは、何を冷静にヤヒロを分析してんだおれ。

サッチは僅かに笑みを浮かべると力無くガクリと頭を落して意識を失った。ヤヒロは重くなるサッチの身体を必死に離すまいと抱えながら荒れ狂い始めた海の中を必死に泳いだ。
モビー・ディック号を目指すのを止めて、とにかく泳いで泳いで泳ぎ続ける。いずれどこかの島に流れ着くことを望みとして、ただただ必死に泳いだのだった。

「死なせない! 抗ってやる! 決められた運命なんざクソ喰らえだ!!」

親の顔も名も知らない。
養子縁組で初めて親ができた。
愛情を知った。
けど裏切られて愛情を失った。
縁を切って天涯孤独の身になった。
そんな私を拾ってくれた人がいた。
居場所をくれた兄弟は不器用だけども確かな愛情がそこにあった。
そんな大切な人が目の前で死んだ。

―― もう、もう! 無くさない! 無くしたくない!!

『八尋、本当に引き受けてくれるのか?』
『うん』
『女の身で頭を張るのは生半可な覚悟じゃできねェぞ? わかってんだろな?』
『わかってる』
『七代目か……しかし本当、あれだけ渋ってたのに何でだ?』
『少しでも近付きたいと思った……からかな?』
『そっか、……兄貴は反対だろうけどな。あの人、何だかんだと八尋を大事にしてたから。妬けるぐれェにな。はは、兄貴にマジで怒られるだろうなおれ』
『怒られるなら私も一緒に怒られてやるよ六代目』
『じゃあそん時は五代目も巻き込んで三代共に初代の説教を受けるとするか!』
『あァ、それいいな! そうしよう!!』
『はははははっ!』
『あははははっ!』

墓前の前で笑って話していたけど、あの事件以来、六代目は二度と単車に乗らなかった。
兄の後を継ぐように工場で単車を弄りはするが決して乗ろうとしなかった。そんな六代目に五代目は何度か励まそうと声を掛けたが最後は喧嘩別れをしてしまった。
初代頭が死んだ切っ掛けは五代目にあった。その負い目もあったからこそだったのに、仲が良かった彼らの心は擦れ違い仲違いをしてそれっきりだ。

一人の死で仲間だった彼らが、家族とも言える程に仲が良かった彼らが、こんなにもあっさりとバラバラになってしまう現実を、どこまでも重たく暗くて悲しく寂しい思いを、ヤヒロは身を持って知っている。

―― 無くさない! もう、二度と、絶対に私が守るんだ!!

サッチ

〆栞
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