その日の夜。薫が終電間際に帰ってくると、勇人が玄関で腕組みをして待ち構えていた。

「ただいま……仕事は?」
「今日は休み。お店の改装があるから、明日出勤したら三日間休み」

 ふふん、と勝ち誇った顔をしていた。薫は不思議に思いつつも、洗面所とお風呂を借りる。身支度を整えて部屋に入ると、勇人が布団を敷いてもぐりこんでいた。そして得意げな顔で選手宣誓を行う。

「ポリネシアンセックスチャレンジ・二日目〜! 絶対に負けられない戦いがここにある。五日間耐え抜けば俺の勝ち選手権ー!」
「……昨日とは違ってノリノリだね」
「あれからちゃんと調べた。今度こそ、絶対に絶対に勝つ! ポリネシアンセックス王に俺はなる!」

 なんだろう、ポリネシアンセックス王。布団の中で一番自由なやつかな。さがせぇ! この世の全てをそこに置いてきた……薫はどうでもいいことを考えながら、とりあえず寝ようとして、掛け布団をめくって驚いた。小さな布地の下着だけしかつけていない。おふろあがりでほかほかしている、桃色の肌を冷たい布団にくっつけて温めている。勇人は少し恥ずかしそうにしながら、もじもじと小さな声で言った。

「肌をくっつけあうといいってネットに書いてあったから……絶対、俺はあんたをイカせて勝つ!」
「……いいよ。その勝負、乗った」
「じゃあ、ルールを説明する!」

・五日間で先に性器を触った方が負け
・薫は性器を挿入したらその場で負け確定
・勇人は性器を触ったら負け
・五日目に挿入するまでの判定

 ルールを確認しながら、薫もシャツを脱いで下着一枚で布団に入る。今、ここに男たちの熱い戦いが始まろうとしていた……!

「あ……くっつくとあったかい」

 ぴた、とくっついた所からお互いの体温が伝わってくる。勇人は考えた。どうすれば勝てるのかと。
 薫のちんちんをひたすらイライラさせて、我慢できない状況にしてしまえばいいのだ。そのためにはまず薫を誘惑しなくてはならない。絶対に入れたくなるように誘うのだ! 
 素肌がくっつくのが気持ちいいのもあって、甘えるようにして髪の毛を胸にこすりつける。足をからめて、指先でさわさわと薫の太ももを撫でる。密着しているから、性器同士が触れ合う。と、薫は何だか勇人の性器がいつもより固いような気がして、おそるおそる確認した。勇人がいたずらっこのように笑い、勝ち誇った顔で下着を脱いだ。
 そこには、ステンレスで出来た性器を象った器具……貞操帯がはめられていた。先端は少しだけ出るようになっているので排尿には支障がない。側面に南京錠がかけられていて、外れないようにしてある。

「道具の使用は制限なかったから……これなら絶対触れないから負けることはない! どうだ!」

 勇人はふん、と得意げに鼻を鳴らした。飼い主にかまってほしい犬みたいな慣らし方だった。薫は頭を抱える。それはね、射精管理って言うんだよ……!
 実の所、薫も辛い。どこもかしこも敏感で、触るたびに身体をくねらせる勇人。どこもかしこも妙にむっちりしていて、えっちな身体をしている勇人。
 でもあと三日は絶対に入れられない。今すぐハメたい、そんな気持ちでいっぱいだ。それなのに、勇人が謎の勝負をしかけてきて、勝つために全力で誘いに来る。

「ねぇ〜、ちんぽ欲しいな……パコパコって出し入れしてぇ」

 勇人が体勢を変えた。とろんととろけた顔で四つん這いになって、人差し指と薬指でお尻の肉を広げる。中指でちゅくちゅく、と粘膜を弄って見せつける。

「俺、男だからナカ出しし放題だよ? いつでも安全日だし、いっぱいドピュドピュして……」

 ピースサインを作って、くぱ、とひくつく穴を大きく広げる。とろりとローションが垂れた。言っててちょっと恥ずかしいのか、顔は見えないけれど耳が真っ赤……いつもだったらここで腰をがっしり掴んでかき回す。
 でも、薫もまた我慢した。負けたくないからだ。それに、この状態であと三日頑張ったら、どれだけ気持ちいいのか。そう思ったら何とか耐えられた。

「だめ。あと三日、我慢しようね」
「やだやだぁ〜、エッチしよ……?」
「……だめ」

 断腸の思い。薫は前から勇人をだっこした。耳元に、ふうと息を吹きかけるとそれだけで身体を震わせる勇人。おずおずと背中に手が回される。おでこにキスして顔を見ると、ピンク色のほっぺで微笑みながら勇人が顔をそらした。

「おおきくなった」

 そうやって煽るように言って、腰をゆるやかに動かす。これは本人はおそらく無自覚。しかしとんでもない甘え上手である。薫はぐっとこらえた。何かの修行に思えてくる。ちょっとこれは限界かな……そう思って薫が腰に手を回した時。

「……ちぇ、やっぱり強いな……」

 するりと腕の中から勇人が抜け出した。シャンプーと、香水と、煙草の匂いがふわりと漂う。
 心臓が痛いぐらいに鼓動を打つ。危ない、負ける所だった。あとちょっと遅かったら、たぶん無理矢理……だめだ。そういうのは良くない。女の子と間違って襲ってくるような身の程知らずをメスにするのが楽しいのだ。
 薫はうつむいて、ぎゅっと手を握りしめた。勇人は困ったみたいな顔で微笑んで「おやすみ」と声をかけて部屋に戻っていく。ぱたんと部屋のドアが閉まった。
 ……ほんの少しだけ寂しかった。ここで寝ればいいのにと思うけれど、言えるはずもない。
 残りあと二日。ボクは我慢できるんだろうか?
 薫はそう思いながら布団にもぐりこんだ。まだ温かい。ほんのりと煙草の香りがした。無性に人恋しい。枕を代わりに抱きしめた。少し息を吸うと、勇人の家の匂いがした。そっと唇を押し当てる。包み込むような、柔らかな羽毛が布越しに薫の唇に触れる。
 初めてそういうことをした次の日の朝。友達として会えないか聞いてみた時のことを思い出した。ちょっと楽しみかな、と言ってにっこり笑った勇人。ふと、その時のことが頭によぎった。むりやり目を閉じて身体を丸める。
 そのまま何とか寝ようとして……よく眠れないまま。でも身体は疲れていたので、いつしか寝てしまった。


 三日目の朝。今日は薫が休みだが勇人は出勤の日。夜に備えて勇人はゆっくりと起きた。夜七時から出勤なので、六時には家を出る。それまでにしてみようかということになった。
 でも勇人が昼寝をして寝過ごしてしまったので、二人で寝具に潜り込んだのは四時半ごろ。あんまり時間がないので、お互いに肌を撫で合うぐらいしかできない。
 少しだけ触り合いっこをしたら、もう時間。慌てて支度をして勇人は出かけてしまった。それを見送って……後に残された薫は、シャツを羽織った格好のままベッドに座って窓の外を見た。
 車の走る音。犬の鳴き声。オリーブ色の空。薄紅の淡い夕焼け。ぼかし模様のような色の雲を見て、その形から薫は勇人の太もものトライバルタトゥーのことを連想した。
 あれが何なのか、気にならないわけじゃない。でも、初めてその事を話した時の寂しげな目。今の空の色みたいな暗く深い緑色。それがいつまでも忘れられない。薫の心の中にいつまでも残り続けているシーン。
 二十三歳で、ホストで、太ももに大きなタトゥーが入っていて、ギャンブルと女の子が好き。何があったんだろう。薫は気休めに窓を開けた。ふわりと風が入ってきて、ミルクティーベージュの髪の毛を揺らした。

 一方、勇人は普通にスーツに着替えて出勤していた。ホストは「楽しい」が一としたら「眠い・きつい・だるい・疲れた・お客さんの相手するのつらい」が九の仕事。今日も常連の太客さまのお相手をしながら、心の中では「煙草吸いたいなぁ」と思っていた。

「なんか、今日のユウくん……色気がすごい!」
「……なんだろ〜? 心当たりないよ?」

 ある。心当たりありまくる。その辺の女の子より可愛いのに意外としたたかな年上に、寸止めさせられまくってオナ禁してて、ちんちんにガッツリ金属はめてます……とは言えない。曖昧にごまかした。
 でも伏せられたまつ毛が、ふわりと揺れるバーガンディの髪の毛が、首筋につけられた香水が、物憂げな色気をふりまく。
 太客のお姉さまがいたく感激してくれてボトルを入れてくれた。よく来るけど他のホストを指名しがちなキャバ嬢さんが、乗り換えてくれた。他のお客様にも指名され、気が付けば本日の売上一位を記録していた。
 勇人は驚きながらも業務を済ませて、ロッカールームで着替える。ポリネシアンセックスってすごいなぁ……定期的に薫に頼もうかな。そこまで考えて、気づいた。
 なぜわざわざ薫に頼まなければならないのか。以前使っていた、ゲイバーやハッテン場で探せばいいんじゃないか?
 なぜか抵抗があった。なぜなのか、勇人自身にも分からない。考え込みながら店を後にして家に着いたらもう二時。薫は寝ているようだった。
 歯磨きをして、シャワーを浴びながら考える。明日が四日目、そして明後日が最終日だ。ここまで来たら絶対に負けられない。勇人は貞操帯を乱暴にタオルで拭いて、脱衣所の棚を開けて下着を出した。タオルの奥に、二日目の昼に宅配で届いたものを隠していたのを思い出して、にやりと笑った。



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