夕食を摂った後、食堂でのんびりと食後のワインを楽しんでいる伯爵の横で、わたしは林檎か何かの少し甘酸っぱい果実水を飲んでいた。
お酒を飲めないこともないけれど、好んで飲む方ではない。
そもそも未成年者は飲酒は禁止なのだから。
…異世界でそれが通用するとは思えないが、一応まだ身長も伸ばしたいので出来る限り控えている。
「少年ばかり行方不明とは、また面倒な仕事だな。」
ぽつりと呟いた伯爵の言葉にわたしはグラスから口を離す。
「男女問わずでしたら何かと考えられますが、‘少年’と限定されてしまうと難しいですね。」
「…性別云々は避けよう。何故子どもが狙われるか、という点にのみ着目してみるべきか。」
赤いワインで何かを透かし見るような仕草をする伯爵が、ふと思いついたかのように単語を並べていく。
身代金目的、売買目的、快楽殺人、少年趣味の者による誘拐――…
身代金目的であれば攫うのは貴族の子ども達だけで十分だし、売買目的ならばどこかで一人くらいは発見されても良いはずである。
快楽殺人か、若い少年に性的興奮を覚える者による悪質な誘拐か。
わたしは他にも思い浮かんだ単語を何気なく口にした。
「もしくは食用目的かもしれませんよ?」
「っ?!ごほっ!」
「大丈夫ですか?」
気道に入ってしまったのか、苦しげに咳き込み出した伯爵の背を慌てて擦った。
すぐにナプキンで口元を押さえたため服などにワインはかからなかったものの、いきなりだったのでわたしは驚いてしまった。
けれどそれ以上に驚いた表情で伯爵はわたしをジロリと見やる。
咳で声は出ないものの、その目は‘一体何を考えているんだ’と語っていた。
そこでわたしもおや?と思う。
「伯爵はご存知ありませんでしたか?人の肉は食べられるのだそうですよ。意見は分かれますが、それを美味だと思う人と不味くて食べられた物ではないと思う人の二種類がいるそうです。」
「………。」
「あ、ご安心を。わたしは一度も食べた経験はありませんので。」
「あ、当たり前だ…!」
ゲホゲホとまた咳が続く伯爵は不愉快そうに眉を顰める。
まぁ、人が人を食べるだなんて共食いな話を聞いて気分の良い人間はいないだろう。
それでも気になるようで好奇心が若干混ざった視線で先を促されたので、伯爵の様子を窺いつつ続けた。
人間は特に子どもの肉が美味しいとのこと。牛などと同じで小さい頃は肉が柔らかくて良いらしいこと。
殺してしまうよりも生きたままを好む方が多いことを伝えた。
咳が漸く治まった伯爵は何とも言えない顔でわたしを見る。
ちなみに食堂にいた給仕の侍女たちは話している最中に何人か退室してしまった。残っている数人の使用人たちもあまり顔色が良いとは言えない。
「……お前は、何故そんな気味の悪い事を知っている。」
「そう聞かれましても、知っているものは知っている。ただそれだけです。」
「考えたくもないが…可能性としては入れておこう。」
新しいワイングラスを給仕から受け取り、伯爵は仕切り直しとでもいいたげにワインを飲む。
わたしも席に戻って果実水を口に含んだ。爽やかな香りと甘酸っぱい味が口の中に広がった。
少しの間を置いてからわたしは事件の話を軌道に戻す。
「では、今回はどのように調査致しましょう?」
「……そうだな。」
「?」
ジッと見つめてくる伯爵は顎に手を添えて暫し逡巡した後に、少し目を細めて意地の悪そうな笑みを浮べる。
それに何となく嫌な感じを受けつつもわたしは首を傾げた。
暗い夜空に星々が輝く夜の花街は行き交う人々で華やいでいた。
店の前で客を呼び込む娼婦、美しい女を探すためにウロつく男、酒を酌み交わす男女。
それはもう騒がしいくらいそこら中から話し声が聞こえ、時には争う音も響く。
そんな街の真っ只中にポツンと佇みながら、わたしは空気の澄み切った美しい星空を一度だけ見上げた。
「……これって、イジメ?」
頭上から視線を自分の服へと落とす。何時もの白いワイシャツに黒のベストに上着という近侍らしいピシッとした格好ではなく、ちょっと黄色味を帯びたワイシャツに赤褐色のやや使い込まれた風合いのベスト、気持ち丈の長い上着は袖や裾が若干擦り切れているし七部丈のズボンから覗く足には少し色褪せた地味なブーツ。
どこからどう見てもごく一般的な街の少年の服装だ。
…寒くないだけマシか。
ふぅと吐き出した溜め息は白く色付いてから空気中に消えていく。
どうやって調査をするか伯爵に問いかけた後、説明される間もなくわたしは執事に押し付けられ、伯爵に何かを言われた執事の手によってあれよあれよという内に街の少年にビフォーアフターさせられていた。
「シャロンの言葉を聞いて思い付いた。」名案とばかりに伯爵が口にしたのは、いわゆる‘おとり捜査’だった。
わたしは今回の事件の被害者たちと外見年齢も容姿もピッタリだそうなので狙われやすい。
なので街の少年になりすまして街をウロついてみろ、という事である。
ちなみに近侍用のきっちりした服は事件解決まで着用禁止らしい。
今着ている服が嫌いという訳ではない。一般市民の服の中でもそれなりに良いモノだし、服装は普段着ているものよりも色合いが明るいだけで余り代わり映えはしていない。
だけどやはり着慣れないものを着るべきではないと思う。
ただでさえ童顔な日本人が子供用の服を着たらどうなるか……実年齢よりも年下に見られていたのに、余計幼く見えてしまうのである。
こんな事を言い出した伯爵は「十三、四でも偽れそうだな。」なんて笑っていたけれど、わたしは全然洒落にならない。
「――…君、一人かい?」
何故なら花街で話しかけてくるのが女性だけとは限らないからだ。