かけられた声に振り返れば暖かそうなコートをしっかり着込んだ若い男性が立っている。
身なりからして一般人だろうが少々着ているモノは上等そうで、線が細いながらも眼鏡の奥の瞳は随分強い光りを宿していた。
少々神経質そうだなと心の片隅で思いながらも頷く。
「そうだけど、アンタ誰?」
街の少年を演じている間は堅苦しい口調はなし。
そのお陰で久しぶりに気楽に話せる。ただし、あくまで男口調でいなくてはならない。
ぶっきらぼうな言い方をするわたしに男性は嫌な顔一つせず、かと言って笑みを浮べるでもなく、見下ろしてくる。
「こんな時間にこんな場所にいては危ない。最近は物騒な事件が起きているのだから、早く家に帰りなさい。」
小さな子どもを諭すような口調で声を抑えながら男性がそう言った。
どうやら男性は男色とかの類いではないようだ。
マジマジと見つめたわたしに何か感じ取ったのか、男性がコートの襟を直す仕草をしながらそっと懐から警察のバッジを見せる。
なるほど、見回り中の警察だったらしい。
少年ばかりが誘拐される事件が起きているというのに夜遅い時間に花街をウロついているわたしを見て、注意するために声をかけたのだろう。
抑え気味の声も周囲に警察とバレないためにワザと声量を下げているのかもしれない。
しかしここで「はい、そうですか。」と帰るつもりもなかった。
視線を足元へ落としつつ横を向く。
「帰れるなら帰りたいけど、今家に母さんの男が来てんの。ソイツ、オレのこと殴るから嫌いなんだ。」
適当にそれらしい嘘を口にして、足元に落ちていた小石を軽く蹴り飛ばした。
後半はほとんど嘘だが調査しなければ‘帰れない’という真実を少しだけ織り交ぜる。
男性はそこで初めて眉を寄せて痛ましそうな顔をした。
「…母親には言わなかったのかい?」
「言ったよ。でも、それはオレが悪いからだって相手にもしてもらえなかった。」
母親に相手にしてもらえず、母親の男の暴力から逃げるために花街に逃げる孤独な少年。
きっと男性の目にはそんな風に映っているのだろう。
そう思うと何故だか少しだけ楽しい気分になってくる。
この世界の人はどうも他人の言葉を真に受け過ぎる節があるのだ。
「それとも、お兄さんがオレの相手してくれんの?」
スルリと懐に擦り寄って男性を見上げれば面白いくらいに動揺している。
その首に腕を回して首元に顔を寄せた。
どことなく緊張している様子が伝わってきて苦笑してしまった。
いつまでも騙して遊んでいるのは面白いが、男性には可哀想な気がして、周囲に聞かれないよう小声で話しかける。
「申し遅れました。アルマン家当主、クロード伯爵の近侍を勤めさせていただいております、セナと申します。」
「!」
「失礼は承知の上ですが周囲に聞かれては少々面倒な話ですので、どうぞこのままお聞きください。」
驚きに微かに体を震わせた男性に更に耳打ちを続ける。
この花街で他人の視線を気にする者もいないし、他人の動向を気にする者も少ないが、誰がどこで聞いているか分からない。
それは男性も理解しているようで、抑えた声のまま「分かった。」と小さく応えた。
「ここ数週間程の間に何十人もの少年が行方不明になっている事件をご存知でしょう。我々はリディングストン家のシャロン様より要請を受け、わたしは被害者の少年たちとの共通点があるため囮としてここにおります。」
「では伯爵も、どちらかに?」
「えぇ、恐らくどこかで見ているでしょう。」
「………。」
この状況を見られていると知り男性が閉口する。
花街の中で男同士で抱き合っているだなんて、あまり宜しくない状況なのだから当たり前だ。
それでも振り解(ほど)こうとしないのは先ほど言った‘周囲に聞かれたくない事’を話しているからである。
…真面目過ぎるくらい真面目な人だ。
首から顔と腕を離して、男性を大通りから薄暗く細い路地裏に引っ張り込む。
奥の暗闇に一度目を凝らし人影がない事を確認してから男性の腕を離す。
振り返って改めて男性を見上げてみると少々神経質そうな顔には困惑の色がありありと浮かんでいた。
「ここなら人もおりませんので普通に話せますね。改めて、先ほどは申し訳ありませんでした。」
言葉と共に頭を下げると男性は軽く手を振って、わたしの肩に触れる。
「止めてくれ。邪魔してしまったのは此方なのだから、君が謝る必要はない。」
「…そう言っていただけると助かります。」
「それにしても君のような子供を囮に使うとは…少々危険ではないか?」
眉を寄せて言う男性に思わず口の端が一瞬引きつった。
また間違えられている。何だってこの世界の人はいつもわたしの年齢を間違えるんだか。
「こう見えて十七歳ですよ。」と訂正すると男性は一度驚いたように瞠目して、謝罪してきた。
それに今度はわたしが軽く手を振って彼に気にしていないと笑って見せる。
その時、コツコツとブーツが地面を蹴る音が路地の奥から聞こえてきて、咄嗟に男性を背に庇う様な体勢でわたしは振り返った。
「セナ、何をしている?」
かけられた言葉と声に身体の力を抜く。暗闇から滑るように出てきたのは伯爵だった。
「伯爵でしたか。…こちらは警察の方で、花街にいたわたしを気にして声をかけてくださった方です。」
「初めまして、伯爵。アシッド=エドウィンです。」
「…クロード=ルベリウス=アルマンだ。」
どちらも必要最低限の自己紹介と軽い握手を交わす。
それから男性――エドウィンさんとの会話を話し、彼の協力も得ることとなった。