少しの沈黙の後に「いやに素直だな…。」訝しげに眉を寄せながら言った。
まるでいつものわたしが素直ではないような言い草である。否定はしないが。
とりあえず地図を伯爵に突き返しながら「わたしはいつでも素直ですよ。」と反論してみたが、「お前が素直だったら、私は正直者だ。」と更に突っ込まれる。
…はいはい、そうですね。
「ではわたしはあちらの通りの花屋に話を伺ってきます。」
「分かった。私は残りの花屋を回ろう。」
「お願いします。そうですね…二時間後にここで落ち合いましょう。」
「あぁ。」
懐中時計で時刻を確認し、伯爵も時計を取り出して確認してから互いにズレがないか確かめて頷き合う。
時間を決めておけばもしもどちらかに何かが起きた場合すぐに分かる。
カツカツとブーツの音を立てて路地へ入っていく伯爵を見送ってから、わたしは大通りある二軒の花屋へ向かった。
足を一歩踏み出してふと互いの調べる場所が逆なのではと思い当たって振り返る。もちろん伯爵の姿はもう影も形もない。
どうせ彼のことだから女性を裏通りに行かせるなんて、とでも考えたに違いない。
全く、普段は異性に興味どころか関心の欠片も見せないクセに変なところで妙に気遣うから困る。
今のわたしは一応男として周囲には通しているし、何も出来ないか弱い女の子ではないと何度も言っているのに。
「お忙しい中、申し訳ありません。」
店先に出された花の手入れをしていただろう女性に声をかける。
人の好さそうな女性が振り返りながら「はい?」と返事をした。
柔らかな金とも茶ともつかない長髪を後ろで束ねた女性は、わたしを見て笑みを浮べた。
「あら、お花をお買い求めでしょうか?」
耳に馴染む穏やかな声音は落ち着いており、年若い見た目とは裏腹に随分大人びた雰囲気が感じられる。
「いえ、今日伺ったのは花を買いに来た訳ではないのですが…。」
「それは残念ですね。では一体どういったご用事ですか?」
「最近娼婦が連続で殺害されている事件をご存知かと思いますが、実は今、その事件の関係でお話を伺っております。……こちらの店から注文を受けて花を届けたりはしていらっしゃいませんか?」
羊皮紙に描かれた地図の赤い印と、娼館の名前を言うが、女性は困ったように眉を下げる。
そんな名前の店に届けてはいないと思う。そう述べてからわざわざ配達のリストまで見せてくれたが、それらしい名前はなかった。
店は女性が一人で切り盛りしているらしく小さくも花々が綺麗な店であった。
「ご協力ありがとうございます。」
「いいえ。頑張ってくださいね。」
「お気遣い感謝します。」
胸に手を当てて礼をとると、女性は「どこかの執事さんみたね。」と朗らかに笑った。
…みたい、ではなくそうなのだけれど、恐らく女性はわたしを警察と勘違いしているのだろう。
その花屋を離れてもう一つの店へと向かう。
地図では近く見えるが思ったよりも離れていたようで、大通りを歩いてみてもそれらしい店はない。
もしかしなくても通り過ぎてしまったのだろうか?
思わず振り返りそうになっていたとき、鼻先を甘い香りが掠めていった。
風に乗って香ってきた匂いに道の先へ視線を向ければだいぶ先を行った所で道路に花が出ていた。
どうやらまだ先にあったらしい。
止まっていた足を動かして大通りを歩いて店先へ行けば色取り取りの花が綺麗に咲いている。
しかし人影はない。店の奥に引っ込んでしまっているのだろうか?
「すみません、どなたかいらっしゃいませんかっ?」
少し声のトーンを上げて大きめに店内へ声をかけてみれば、奥から声がして、男性が姿を現した。
全体的に線が細く優しげな顔立ちのその男性は第四の被害者の店の近くで出会った人物だった。
わたし同様に彼もおや、という表情をしながら前掛けで濡れた手を拭う。
「あなたは…確か先日お会いした方ですよね?」
「えぇ、覚えていてくださって嬉しいです。」
たった一言二言しか話していないのに、ね。
そんな意味合いも込めて言葉を紡ぐと男性は穏やかな笑みを浮べたまま、あなたは随分綺麗な顔立ちをしているので記憶に残っていただけですよ、と言う。
男性が近付くとより一層花の甘い匂いが強くなった。
片手に真っ白い薔薇の花の束を持ちながらわたしを見る。
「ところで、今日はどのような花をお探しで?今朝咲いたばかりのこの白い薔薇はいかがですか?」
恋人へのプレゼントとしても、家族への日頃の感謝を込めた贈り物にも最適ですよ。
そう続けた男性に小さく首を振りながら断る。
「申し訳ありませんが、わたしがこちらへ伺ったのは花のためではありません。」
「それは残念ですね。」
「こちらへ来る前に立ち寄った店の方にも言われました。」
「そうでしょう。花屋に来て花は関係ないだなんて、悲しい言葉です。」
どこか物悲しげに、切なげに苦笑する男性は一見すると極普通の男性だ。
優しげで、紳士的で、落ち着いた雰囲気だが、その瞳は一ミリも笑ってなどいない。
「…そうですね、では一輪花をいただいてもよろしいですか?」
「勿論構いませんよ。どのような花が良いですか?」
「青い…サファイアのような花をお願いします。」
「…少々お待ちください。」
わたしの言葉に顔色一つ変えずに男性は店の奥へ引っ込んでしまう。
揺さぶりをかけたつもりだったが、あの程度では動じないらしい。
店内に飾られた花を眺めながら考えてみる。どうすれば男性を上手く誘導できるかと考えて、ふと店内に青い花が一つもないことに気が付いた。
先ほど訪れた店に比べて大きいこの店に‘青色’の花だけがないだなんて、どう考えてもおかしい。
ワザと仕入れていないのか、それとも青が嫌いなのか。
考え込んでいたせいか背後に人の気配が近付いたことにわたしは気付けなかった。
カタリと小さな物音に振り返った瞬間、左の額の上辺りに衝撃が走り、カッと燃えるような熱さが広がった。
勢いに耐え切れず床へ倒れ込むと男性の足が目の前にあった。
続いて鋭い痛みが襲ってきて、鼓動に合わせて熱くなった部位がドクリドクリと脈打つのを無視して霞む視界を動かせば、無感情にわたしを見下ろしてくる瞳と視線が絡み合う。
「……言い忘れていましたが、当店では青い花は扱っていないんですよ。」
柔らかな声音のまま、事務的な口調で言う男の言葉を最後にわたしの意識はブラックアウトした。