朝食を終えたわたしと伯爵は共に花屋を回ることになった。
わたし一人で十分だと言ったのに、警察に行く用事を済ませたので手伝うと言って聞かなかったのだ。
どうやら昨日の様子を見て気にしてくれているようだ。
そんなに心配されるほど子どもではないと思う反面、気にかけてくれるのが嬉しいという気持ちもあった。
もちろん、伯爵にはそんなことを言ったりはしないけれど。
「…私の顔に何か付いているのか?」
ガタガタと馬車に揺られながら考えている間に伯爵の顔をジッと見つめてしまっていたらしく、伯爵が少し眉を寄せてわたしに顔を向ける。
「目や鼻や口以外で、だぞ。」
「えぇ、眉が。」
「…それも抜きでだ。」
「なら何もないですね。」
わたしの言葉にやっぱり伯爵は眉を寄せたまま、全くお前は…と小さくぼやいた。
そんなやり取りさえ今のわたしには可笑しくて思わず笑ってしまう。
すると一瞬驚いたように伯爵は目を瞬かせ、それから少し不機嫌そうに窓の外へと視線を向けてしまった。
少々ヘソを曲げてしまったらしい。
笑いを押し隠して手帳へ視線を落とす。と、カサリと乾いた音を立てて羊皮紙が視界に紛れ込んでくる。
顔を上げてみれば伯爵がこちらを向いて馬車の椅子に座りなおすところだった。
羊皮紙を改めて見てみると、そこにはツェーダ街の簡単な地図が描かれ、そこかしこに黒い大き目の点がポツポツとある。
それとは別に赤いインクでもいくつか点があった。
「伯爵、これは?」
「この街にある花屋の場所と、今回の事件で殺害された娼婦達の働いていた娼館の場所だ。基本的に店に近い花屋から注文するものだろう?それを見れば街中を駆けずり回る必要もない。」
娼館から離れている店は除外しても構わないだろう。
そう続けて言い切った伯爵の顔を、またマジマジと見つめてしまう。
「何時の間に…。」
「お前が匂いの根源を探すと言い出した時に、香水ではないことは分かっていた。娼婦に関係する甘い匂いと言えば香水か髪油、花くらいもの…第四の被害者は整髪屋には行かないと聞いて、お前の事だから花の線で行くと思ってな。」
「だからご報告した際に驚かれなかったのですね。あなたも人が悪い。」
もし伯爵が何も言わなければわたしは本気で街中の花屋を回るつもりだったのだ。
ジトリと睨むと、愉しげに口角を上げる伯爵がわたしを見ていた。
先ほどとは逆の立場である。
それでもそこまで考えて、昨日警察に行った際に調べておいてきてくれたのだろう。
そこまで考えてふと伯爵の方はどうだったのだろうかという疑問が思い浮かぶ。
「そういえば、昨日は警察へ行かれたのですよね?何かお分かりになりましたか?」
「あぁ、あの指輪の件はすぐに調べがついた。ユスリウの通りにある店で扱っている品だったが、似た物は幾つも出回ってしまっているらしく店主も買った客の顔までは覚えていないようだった。」
車窓を眺めながら話していた伯爵の言葉が止まる。
確かにいちいち来る客全員の顔など覚えている訳がない。
「…続きがあるのでしょう?」
こんな中途半端な状態で諦めるような人ではないし、成果がなければないとハッキリ言うのが伯爵である。
案の定、振り向いたブルーグレーの瞳には強い光りが宿っていた。
「同じ物を複数、少なくとも五つから六つ以上購入した物の名前と住所だけは聞き出せた。一つならまだしも複数となればそれなりに金が動くからな。店の方で購入証紙の控えが保管してあったのを見てきた。」
「借りては来なかったのですか?」
「一通り目を通したから覚えている。」
「…羨ましい頭脳を御持ちですね、伯爵は。」
わたしの言葉に伯爵は特に自慢するでもなく、「そうか?」とむしろ小首を傾げるように言った。
誰もがあなたのように一度読めば覚えるなんて都合の良い頭を持っているわけではない。
それだけ頭が良くなければこんな仕事なんてやっていられないのかもしれないが、少々羨ましくもある。
ガタンと小さな揺れを伴って、ようやく馬車が停まった。
御者の声に返事を返すと馬車から降りる。伯爵も馬車から降りると御者に待っているよう指示を出していた。
今いる場所はアラウンドストリートの丁度中ほどで、第一の被害者が働いていた娼館と第二第三の双子の被害者の住所の中間でもある。
この辺りの花屋だけでも片手では足りないくらいの数だ。
さて、どこから当たろうかと地図を広げればヒョイと伯爵が横から覗き込んでくる。
全体を眺めているのかブルーグレーの瞳はやや忙しなく羊皮紙の上に視線を滑らせ、ふむ…と伯爵が納得した表情でいくつかの花屋を指差した。
「此処と此処…それからこの通りのこの三箇所の花屋、反対の通りにある花屋だな。」
それらは大通りではなく、裏のやや奥まった位置にある花屋ばかりである。
「? 他の場所は調べなくて良いのですか?」
「必要無い。ユスリウスとアラウンドに被害者が集中しており、その周辺の花屋と過程するとしよう。毎日大量の花を持っていては長距離の移動は難しい。特に大きな店でもない限り荷馬車も持ってはいないだろう。」
「確かに…。」
赤インクで印を付けられた点の周りをクルクルと伯爵の指で円が描かれる。
それらが重なり、かつ花を運ぶのに問題のない時間の花屋となると数は限られてしまう。
「なるほど、だからこの辺りの花屋だけを調べるということですか。」
「そうだ。」
伯爵の頭の回転の早さにはいつも感服してしまう。
思わず勉強になります、と呟けば何とも言えない表情で見下ろされた。