「ありがとう、協力に感謝する。」
「いいえ、また何時でも起こし下さい!」
若い女性店員に見送られながら、クロードは花屋を後にした。
外見など特に頓着していないものの何かと目立つらしい己の容姿に若干うんざりしながら肌寒い空気にコートの前を合わせ直す。
ついでとばかりに時間を確認すれば落ち合うと決めた時間の十分ほど前だった。
少し早足で行けば丁度ピッタリだろうと歩調を気持ち速めて大通りへ繋がる路地へ足を踏み入れる。
昼間だというのに酒に酔う男、客を引き込む娼婦、ナイフなどを弄りながら通行人を品定めするように見つめる男達。
セナを大通りの方へ回して正解だったと頭の片隅で己の行動を思い起こす。
きっとこちらを調べろと言っても彼女は欠片も嫌がることなく、最近ようやく板についてきたあの慇懃無礼な態度で従っただろう。
どれほど男性の格好をしていても女性なのだから気を付けるようにと再三忠告しても、全く意に介した様子もなく、むしろどこか面倒臭そうにすらするのだから困ったものだ。
クロード自身あまりしつこく言うつもりもないのだが、如何せんセナは彼からすると危なっかしくて仕方が無く見える。
男性なら多少の怪我はまだしも、嫁入り前の女性が体に残るような傷を負ったら笑い事ではない。
本人は「結婚しませんからお構いなく。」などとのたまっていたが、クロードには理解出来なかった。
女性は男性と結婚し、子を産み、育てることが幸せ。
それがこの世界、そしてこの時代の価値観であり、だからこそセナの‘結婚しなくてもいい’という考えは分からなかった。
段々男勝りになりつつあるセナの姿を瞼の裏に思い出してクロードは知らず溜め息を吐く。
足早に路地を抜けて大通りで出て、最初に馬車を降りた場所へと向かう。
アルマン家の紋章を掲げた馬車を目にして歩調を緩める。
時間に正確なセナが既に待っているものだと思っていたクロードだったが、馬車の周囲に人影がないことに眉を顰めた。
「セナはどうした?」
言い付け通り待っていた御者に声をかける。
「まだお戻りではありません。」
「…戻っていない?」
「はい。」
「………。」
おかしい。セナはクロードよりも回る店の数が少なく、大通りでは誰かに絡まれたりすることもないはずだ。
何かと時間を気にして行動する彼女に限って遅れるというのも考えずらい。
むしろ今の状況からすれば何かに巻き込まれて戻って来れない可能性の方が高かった。
すぐさま御者に警察を呼ぶよう命じ、クロードは大通りを足早に歩く。
遠ざかって行く馬車の音を聞きながら頭の中で地図を思い出した。
一軒目の花屋は近い。
「すまない、人を探しているんだが。」
クロードの言葉に花を弄っていた女性が振り返り、少し目を見開き、それから「人探しですか?」と首を傾げる。
「黒髪に黒い瞳で、黄色味のある肌の十五〜六の端整な顔立ちの少年が来なかったか?」
「黒髪…えぇ、いらっしゃいましたよ。何か事件を調べているようでしたけれど。」
「どちらの方面へ行ったか教えてもらいたい。」
もしセナの身になにかあったのならば、恐らく連続殺人犯の下で、そうであれば彼女は命の危機に晒されているはずだ。
落ち着いていながらも、どこか焦った様子のクロードに女性も何かを感じ取った様子で大通りの先を指差した。
「あちらの方へ。」
「すまない、ありがとう。」
数枚の金貨を女性の手に握らせると、クロードは歩き出した。
後ろから女性の引き止めるような声がしたが構っている暇など無かった。
思ったよりも離れた位置にあった花屋に辿り着き、店内に入ろうとして、硝子扉にかけられた「Close」の文字に眉を顰める。
平日の、それも客が来るであろう昼間の時間帯に店を閉じている事などあるだろうか?
どうするべきか考えあぐねていたクロードの後ろを通りかかった初老の男性が不思議そうに「おかしいなぁ。」と呟く。
それに振り返った。
「何か変な事でも?」
突然話しかけてきた貴族の格好をしたクロードにやや驚きながらも、初老の男性は言葉を続けた。
「家を出た時にはお店は開いてて、帰りに寄って行こうと思っていたんですがね。もう閉まってて驚きましたよ。」
「失礼ですが、この店の店主の名前は?」
「確かイースという名前で、一年中店を開けてる働き者ですよ。」
初老の男性の言葉にクロードの中でカチリとピースが合わさった気がした。
イース・バレンシア。ユスリウストリートの装飾を扱う店で、サファイアを主にした同じ種類の指輪を複数買った人物の中に、その名はあった。
セナの感じた甘い香りが本当に花ならば、第五の被害者を検分した際に手袋についた何かの花の花弁も納得がいく。
とは言え花屋の店主であれだけの指輪を買ってしまえば娼婦を抱く金など残ってはいなかっただろう。
恐らく店主は店に花を届けた際に被害者を知り、何らかの経緯を挟んだ後に殺害に至ったに違いない。
躊躇うことなく扉の硝子部分へ杖を振り落とす。
少々耳障りな騒音を立てながら硝子が砕け散って出来た隙間から腕を入れて鍵を開ける。
初老の男性が慌てて警察を呼ぼうとしていたが好都合だった。
すぐに扉を開けて中へ入る。室内はシンと静まり返り、人がいるようには思えない。
やや薄暗い室内を奥へ進もうとして不意に足元に滑るような感触がしてクロードは床を見下ろした。
清潔感を感じさせる白っぽい床の、その一部分だけ、何か黒っぽい液体が付着している。
嗅がんで手袋をした手で液体に触れて鼻を近付けると嗅ぎ慣れた独特な鉄臭い匂いがした。
この展開からすれば十中八九セナの血だろう。
深追いするなとあれ程言い聞かせておいたのにと頭の片隅でぼやきながらも立ち上がり、店の奥へ入り込む。
いくつかある部屋を調べてみたものの、どこにも店主とセナはいない。
一体どこに行ったのだと裏手にある倉庫へ続く扉を開けた瞬間、クロードはブルーグレーの瞳を細めて、狭い倉庫の床へ視線を落とす。
そこには分厚い木の板で出来た地下へ続く扉が、少しだけズレた状態で口を開けていた。