泣いて泣いて、泣き続けたあたしは現在進行形で副船長さんの部屋にこもっていた。
……我ながらかなり子供っぽいことをしてるのは分かってる。
あんなに泣いたのにヌイグルミの目は腫れないし、泣くというより癇癪を起こしたような気もする。
ちょっと恥ずかしい。
しかも真白に会うのが気まずくて、会いたいけど会いづらくて、食堂にもあれから行ってない。
副船長さんは何故かそんなあたしに付き合って二人分の食事を毎回持って来て自室で食べている。
姉と仲直りさせようとする風もなく、もっぱらの会話は船員達の面白おかしい失敗談や天候の話なんかだ。
何を考えてるのかよく分からない。
「その時のヴェルノったら、そりゃもうカンカンに怒っちゃって!」
楽しげに笑う副船長さん。
あたしは甘くしたお茶を片手にジンジャークッキーをつつく。
女の子同士でお茶するあの雰囲気に似た、少し華やかで穏やかな空気が流れている。
「大丈夫だったんですか。」
「何とかね。宥めるアタシの身にもなって欲しいわ。キレたヴェルノなんか相手にしたくないもの。」
ふぅ…と悩ましげな溜め息を吐いて副船長さんもお茶を飲む。
確かに船長の座に居座っているだけあって、あの男の威圧感と言うか、存在感は物凄い。
相対すると猛獣の前に放り出された気分になる。
あれがキレたら凄まじそうだ。
そんな男を宥めるなんて想像もつかない。
「…長い付き合いなんですか?」
何とは無しに疑問を投げかけた。
副船長さんは船長であるあの男のことをよく理解しているようだったし、あの男も副船長さんに全幅の信頼を寄せているみたいだった。
まだ数日、数回程度しか二人のやり取りは見かけていないが、それでもお互い信じ合っているのはよく分かる。
あたしの質問に副船長さんは意味深な笑みを口元に浮かべた。
「ふふっ、そうねぇ。もう十年ちょっとくらいは一緒にいるわよ〜。」
「え…、そんなに?」
驚いた。十年ちょっとって、かなり長い。
副船長さんとあの男の見た目から逆算したら、多分十年ちょっと前って十代半ばか前半くらいだろう。
そんな前から知り合いだったなら、お互いを理解しているのも当たり前だ。
副船長さんは懐かしそうにサングラスの向こうで目を細め、持っていたカップをテーブルに置く。
「つまらないかもしれないけど、昔話でもしようかしら?」
数ある島々や大陸の中でも特に広い国土と多くの国民。
夏は唸るように暑く、冬は凍えてしまうほど寒く、寒暖の差が激しい、けれど様々な特産物と年間に幾度もある国儀に恵まれた豊かな国。
そんな国の王都に住む下級貴族の次男坊としてアイヴィー=クウォークは生を受けた。
幼い頃から剣を学び、勉学に励み、上流階級の貴族御用達の学習院に何とか通いながら騎士となるべく日々自分の腕を磨き続け、一握りの者にしか許されない王族の近衛騎士を目指していた。
しかし貴族という枠組みは地位や家柄による意識格差が存在し、血筋を重視する社会故に下級貴族生まれのアイヴィーはいつだって上流階級の貴族達に蔑まれ、馬鹿にされていた。
「おい、下級貴族!」
学習院の門前で不意に肩を掴まれる。
その呼ばれ方を不愉快に思いながらアイヴィーが顔だけで振り向けば、上流階級の貴族の子息が三人ばかり立っていた。
そのどれもが華美過ぎる服に身を包み、年齢に不相応な質の良い長剣を腰に下げている。
自らの血筋に驕っているだろうことは聞くまでもない。
無言で顔だけ向けるアイヴィーの態度に、子息達は不機嫌さを露(あら)わに眉を顰めた。
「僕達が話しかけてやってるのに、返事もないの?」
「これだから下級貴族は!」
子女の如く騒ぐ彼らに内心でウンザリするも、アイヴィーは仕方なく体ごと振り返り、口を開いた。
「私に何か御用でも?」
明日から久しぶりの連休だというのに、会いたくもない者達に声をかけられてせっかくの気分も台無しである。
やや刺々しい声音と、つっけんどんな口調になるのも当然だ。
「厚かましくも高貴な僕達と同じ学習院に通おうなんて思う下級貴族がどんな奴か見極めに来たんだよ!弱くて礼儀作法もできない下級貴族と一緒にいるなんて我慢ならないからね!」
「何をおっしゃりたいのか分かりかねますが。」
「っ、だから、俺達と勝負しろ!負けたらお前は学習院から出ていけ!!」
紅潮した顔で指差され、アイヴィーは微かに眉を寄せる。
眼前にある色白の手は少女のものかと見紛うほど滑らかで、暇さえあれば剣ばかり振っている自身のマメだらけの手とは大違いだ。
こんな人間が近衛騎士になったら王族を護るどころか足手まといにしかならないだろう。
問い掛けておきながら、三人組はこちらの返事も待たずに各々の剣を鞘から引き出す。
そんな彼らに憐(あわ)れみと侮蔑の視線を一瞬やった後、アイヴィーも自らの剣を引き抜いた。
片手を鞘に沿え、もう片手で剣の柄を持ち、切っ先を三人組へ向ける。
何百何千回と振ってきた剣はアイヴィーの手によく馴染み、その刃の先端までが自身の体の一部の如く感じられ、自然と笑みが浮かぶ。
それを馬鹿にされたと勘違いした三人組の一人が眦(まなじり)を吊り上げて突進してきた。
「笑うなぁあぁっ!!!」
真上からの直情的な攻撃を、剣の表面同士を滑らせることで受け流す。
直ぐさま体勢を立て直そうと踏み出された相手の足を素早く払えば、受け身を取る暇もなく地面へ転がった。
体術もロクに出来ていないのが丸分かりな倒れ方だった。
「っ、まだだ!」
「そうだ、僕達もいるんだぞ!」
僅かに怯んだ風を見せたものの、残りの二人もアイヴィーに刃を振るった。
横殴りの第一撃を後退することで避け、連続して襲いくる上からの第二撃は剣で受け止める。
甲高い音を響かせつつ足に力を込めて勢いよく相手の剣を弾き、がら空きになった脇腹へ柄の背を深く突き沈めると、相手は苦しげに嘔吐(えず)いて蹲(うずくま)ろうとする。
第一撃をアイヴィーへ見舞おうとした子息が間髪入れずに下から振り上げる動きで利き腕を狙ってきた。
咄嗟に目の前で蹲りかけている子息から剣を奪い取り、それを防ぐ。