扉の向こうは薄暗い部屋だった。
あたしをソファーへ置いてから真白は大きな机に歩み寄り、何かを持って少しごそごそと動き、戻ってくる。
脚の低いテーブルの上にあったランプらしきものの脇を開けて手元を素早く滑らせた。
シュボッと小さな火が点き、すぐにそれをランプの中へ入れ、火が灯ると真白は手元の火を吹き消す。
テーブルの端の石で出来た小さな入れ物に燃えカスを捨てた。
黙って一連の動作を見ていたら、あたしの正面に真白が腰掛ける。
「どこから話しましょうか。色々あり過ぎて、何から説明すれば良いのか迷いますです。」
柔らかなオレンジ色の光りに照らされた顔は困った様子だった。
「改めて確認するけど、ホントに真白だよね?あたしのお姉ちゃんだよね?」
「はい、私は確かに真雪ちゃんのお姉さんで、真白ですよ。証拠もあるのです。」
言って真白は立ち上がり、大きな机の引き出しを開けて中にある物を取り出した。
渡されたのは、あたしがあげたはずのブローチで、最後に見た時と全く変わらない。
これを持っているという事は本物の姉なのだ。
返せば大事そうにまた机の引き出しにブローチは仕舞われる。
「じゃあ次に、ここは…この世界はどこなの?あたし達の生まれた世界とか時代じゃないよね?」
さっきの甲板で船員が全員帯刀しているのを見てしまった。
日本には銃刀法があり、例え海外だったとしても、ああまで露骨に刃物を持っていられる場所なんて多分ないと思う。
少なくとも、あたしはそんな場所知らない。
「そうです、ここは別の世界です。」
「真白はいつ頃この世界に来たの?」
「……事故に遭ったあの日なのです。」
「っ?!」
あの日って…でも、あれから一度姉は目を覚ました時があった。
まさかあれは姉じゃなかったの?
ヌイグルミの体なのに手足が冷えていく気がして、体が震える。
喉で詰まったように声が出ない。
震えるあたしに気付いた真白が慌てて手を振った。
「あ、真雪ちゃんのせいじゃないのですよっ?最期の時はきちんと元の世界に戻れましたし、ここに残ったのは私の意思なのです。」
「…それは、あたしが…」
「いいえ違います。むしろ私は真雪ちゃんに感謝しなければなりません。それがどんな形であっても、ヴェルノさんと出会うことが出来たのは、他でもない真雪ちゃんのお陰なのですから。」
「…止めてよ…殺した相手に感謝なんて。」
耐え切れずに両手で顔を覆うとボロボロ涙が溢れ落ち、真っ白な体に染み込んでいく。
…そう、あたしは姉を、真白を死に追いやった人間なんだ。
怨まれこそすれ感謝なんてありえない。
本当は真白のために泣くことすら許されない身なのに。
泣き止もうと腕で目を擦るあたしの体を、こちらに来た真白が抱き締める。
「向こうの世界で死ぬことを選んだのは私なのです。真雪ちゃんには、とてもツラい思いをさせてしまっていたのですね。ごめんなさいです。」
「違っ…!」
「真雪ちゃんは何も悪くないのですよ。…もし真雪ちゃん自身が自分を許せないのなら、私が許します。だって真雪ちゃんは私の可愛い妹なのです、許さないことなんてありません。」
――――…許す。
たったその一言はストンと胸の中へ入ってきた。
許してくれるの?
ちっぽけな意地を張った馬鹿なあたしを、まだ妹と呼んでくれるの?
顔を上げれば真白があたしの頬に自分の頬をくっつけた。
小さい頃は喧嘩をして仲直りした後に、こうしてよく頬を合わた。
あたしとお姉ちゃんだけの仲直りの証。
「あ、あたし…やっぱり、自分を、許せな…よ。」
「それでも私は許すのです。いつか真雪ちゃんが自分を許せる日が来るまで…その日が来ても、許し続けます。」
「…ごめんなさっ、お姉ちゃ…。ほんと、に…ごめん…なさいっ。」
どんなに姉が許してくれても、あたしはあたしを許せない。
思えば喧嘩でも何でも許してもらえなかった事はなかった。
それを分かっていて謝るあたしを、あたし自身はきっとは許せないんだ。
真白は泣くあたしの頭を撫でては何度も謝る言葉に返事をくれる。
酷い妹でごめんなさい。
それでも、お姉ちゃんのことをこれからも大好きでいさせて…。
静かな室内で暫くそうしていると、唐突にノック音が響き渡った。
思わず体が跳ねて扉を振り返る。
「二人共、まだ入っちゃ駄目かしら?」
扉の向こうから聞こえたのは副船長さんの声。
その後に内容は聞き取れなかったが船長だという、あの男の声もした。
「すみません、後少しお願いしますです。」と真白がやや声を張り上げれば足音が遠ざかっていく。
「さあ、真雪ちゃん。まだまだ聞きたいことがあるのではないですか?」
ビックリして泣き止んだあたしを膝に乗せて姉が微笑む。
何度か深呼吸をしてから一つ頷いた。
「なんで、真白はこの世界に残ったの?」
「えっ?それは…ええっとですね、」
「?」
何故か驚き、瞬時に顔を赤く染めて珍しく言葉を濁す姿に首を傾げてしまう。
口元に手を添えて真白は顔を寄せてくる。
「ヴェルノさんに恋をしてしまったのですよ…。」そう、ハッキリ言った。
言葉を頭の中で繰り返し、噛み砕いて、その意味を理解した途端あたしは叫んでしまった。
「ぇえええぇえっ?!!」
コイって、恋?!真白が?!!
こういってはなんだが姉は恋愛のイロハどころか、友情と恋情の違いすら分からなさそうな人だったのだ。
その姉が恋!しかも、よりによって傍若無人男に!
「じゃあ、真白って今、あの船長に片思い中…?」
「あ、それは違うのです。ヴェルノさんとはお付き合いしているので、片思いではありません。」
「…………あ、ありえん。」
両手で赤い頬を押さえる姉が嘘を言っているようには見えない。
だが、想像がつかなかった。
やけにあの男は真白を構うなとは思ったけれど、二人が付き合ってるなんて――…
姉が騙されてると言われた方がまだ納得出来る。
身内贔屓かもしれないが、真白は小柄で細くて色白で、ちょっと天然なところが可愛いふわふわした女の子だと思う。
……あの男、真白みたいな子が好みなのか?
色気のある艶っぽい女性とか侍らせてそうなんだが。
「…そんなにあの人が好きなんだ。」