今までの全てを捨てられるくらい。
そこまで、あの船長に姉は心奪われたのか。
「傍若無人なのに?」
「うぅ…そこは否定出来ないのですが本当は優しい方ですよ。」
「優しい…?」
一番縁がなさそうな単語が出て来て、訝しむ口調になってしまった。
あたし会って一時間もしない間に二回も投げられたんだけど。
真白は困ったように苦笑する。
「ヴェルノさんはどんな時でも助けてくれて、いつでも振り向いて手を差し延べてくださいます。」
「…それ、本当にあの人?」
「はい。ヴェルノさんは私をとても大事にしてくださいます。そんなヴェルノさんだからこそ、私も大好きになれたのです。」
最後にはニコニコ顔になった姉を見上げる。
ここまで言い切る以上、本当に真白はあの男が好きなんだ。
なんだか悔しさに胸がムカムカする。
溜め息と一緒にそれを吐き出してから背筋を正す。
「とりあえず、次の質問。この船は何の船?乗ってる人の感じからして商船ではなさそうだけど。」
「この船は海賊船です。」
「………………………は?ごめん、今ありえない言葉が聞こえた気がした。」
「申し訳ないのですが、この船は本当に海賊船です。ヴェルノさんは海賊の船長さんなのです。」
一体いくつ驚かされなければいけないのだろう。
もう呆れて声も出ない。
真白が別の世界で生きてて、恋人がいて、しかもその人は海賊船長ときた。
二度あることは三度あると言うが、こんなドッキリは一度で十分だ。
……次は何があっても驚く勿(なか)れ。
ってか海賊なんて危ないじゃないか!
「大丈夫なのっ?怪我は?!」
「恥ずかしながら皆さんに守っていただいているので大丈夫です。」
「いや、それ普通だから。絶対戦うとか無理だからね?」
「いいえ!いつか拳銃が似合うグラマラスな大人の女性になって、ヴェルノさんをお守りするのです!」
拳を握って熱弁する姉には悪いが、何年かかってもそれが無理だろうことは予想出来てしまう。
そもそも真白だって成長期はある程度過ぎたのだから体型の変化は望み薄だ。
運動神経もお世辞でも良いとは言えない。
やる気があるみたいだから余計に止めろと言い出せないのが困る。
話を逸らすために、あたしはさっさと別の質問を投げかけた。
「この世界で暮らしてどのくらい経った?」
元の世界では三年が経過していた。
しかしながら真白はあまり変わっていないように見える。
少し考えるように視線を宙に漂わせて、指折り数え終わるのを待つ。
「一年くらい、でしょうか?」
「え?一年?」
「正確には分かりません。でも、多分それくらいだと思いますよ。」
「嘘……元の世界は、あれから三年も経ってるよ。」
「流れる時間の早さが違うのかもしれませんね。」
それなら姉の姿があまり変わっていないのも頷ける。
そう仮定して計算すると、あたしと真白は同い歳だ。
姉はそこに気付いていないのか、気にしていないのか特に指摘してこない。
部屋に沈黙が訪れ、そしていきなり扉が開いた。
………開い、た…?
足音もノックもなかったよね?
扉を開けた張本人の船長はズカズカと歩いて来て、真白の隣りに無遠慮に腰掛けた。
すぐに扉から副船長さんが顔を覗かせる。
「ヴェルノ、貴方待つって言ったじゃない。」
呆れた様子で副船長さんが腰に手を当てる。
が、言われた方は悪びれもなく姉の頭を引き寄せて旋毛に顔を近付けた。
「待っただろ。」
「あの、ヴェルノさん一体いつから外にいたのですか…?」
「アイヴィーがノックした時からだ。」
「むっ、盗み聞きしたのですか!」
体を離した真白が船長の頭を叩いた。
それなりに力が入ってたのか、まぁまぁ良い音がする。
あたしとしても盗み聞きされて良い気はしない。
二度、三度と姉が叩いても船長であり恋人であるらしい男は怒らない。
逆に愉快げに低く笑った。
「そいつがお前の妹だろうが俺には関係無ェ。」
「大有りなのです!真雪ちゃんは、将来ヴェルノさんの妹になるかもしれないのですよっ?」
「「「………。」」」
そ れ は 最 悪 だ 。
副船長さんまで微妙な顔で押し黙る。
将来――嫌だけど――兄になるかもしれない傍若無人男は思い切り眉を顰めていた。
出会った当初から感じていたけれど、あたしはこの船長とは絶対馬が合わない。
水と油ぐらい頑張っても仲良くなれないだろう。
男は無言で真白にキスをした。
人前でするか普通!
立ち上がりかければ脇に手を差し込まれてヒョイと真白の膝から引き離される。
見上げると副船長さん。
「邪魔しちゃ野暮よ?」
笑ってるのに威圧感が…。顔がいい人ってのは迫力がある。
「あっちでお茶でもしてましょ。」と抱きかかえられて部屋から連れ出された。
扉が閉まる直前まで真白と船長の攻防戦が聞こえていたが、十中八九姉が負けるだろう。
副船長さんはあたしを抱えたまま廊下を歩き、少し離れた場所にある扉を開けた。
中はアジアンテイストで統一され壁には幾何学模様のタペストリーが、床には細かい刺繍の施された絨毯が敷いてある。
毛皮がかけられたソファーに優しくあたしを下ろし「少し待っててね?」とサングラス越しにウインクして出て行った。
壁際に置かれた机は先程の部屋のものとは違い、綺麗に整頓されている。
チェストの上にはネックレスやピアスなどの貴金属系が飾ってあった。
一見すると女性の部屋のようにも見えるけれど、お洒落さがあるだけで女性らしさはない。
副船長さんらしい部屋と言えばそうだった。
「はーい、お待たせ〜。」
片手に木製のプレートを持ち、戻ってきた副船長さんがあたしの向かいに座る。
陶器のマグカップ、クッキーの乗った皿、ティーポットがテーブルに並ぶ。
あたしの分のマグカップは副船長さんの物より一回り近く小さい。
どうぞ、と勧められてカップに口を付ければ爽やか香りが鼻を通り抜ける。
ジャスミン茶に似ている味と匂いだ。
「どうかしら?」
「…とっても美味しいです。」
「そう、良かったわ。アタシもこれ大好きなのよ〜。」
嬉しそうに言って、副船長さんは丸いクッキーを摘んで食べる。
さくり、と軽い音がした。
あたしもクッキーを一枚食べるとサクサク音がして、控えめな甘さが舌に広がった。
それを飲み込むのを見計らったように副船長さんが離しかけてくる。
「さっきは盗み聞きしてごめんなさいね。ヴェルノもアタシも真白ちゃんが心配だっただけなのよ。」
謝罪の言葉とは裏腹に反省した様子はないが、だからといって悪気があるようにも感じられない。
そうする事が必要だったから行ったと言いたげだ。
「あの船長さんは、真白のこと、本気なんですか?」
「本気よ〜。ヴェルノとは長い付き合いだけど、アイツがあそこまで何かに執着するなんて初めてだもの。」
「そうですか…。」
認めた訳ではないが姉が好きだと言ってる以上、無理矢理引き離すのは出来ない。
あの男が遊びで真白に手を出しているのならば黙っていないつもりだったのに。
副船長さんの言葉が本当であるなら二人は相思相愛。
あたしが何をしても真白を悲しませるだけになってしまう。
そんなの、ただの馬鹿じゃないか。