――それはまだ、世界が創られたばかりの頃の物語。
この広大な海に数多の島を抱く地と、天上へと広がる果てしない空を繋げて生み出された世界はたった一人の神が創り出したものだった。
神の名はククルンカ。蛇と竜の相の姿をした非常に美しい白銀の鱗を持つ男神。
世界を創り、豊かな自然を育み、しかしククルンカは孤独な神でもあった。
古の竜と天上の神の間に生まれた男神を他の神は堕神(マガイモノ)と呼んで蔑んでいたのである。
けれどもこの男神は非常に情が厚く心優しい穏やかな性質であったため、神と竜、双方の力を掌握していながら決してその力を己がために使う事はしなかった。
ゆっくりと呼吸する植物達を愛でながら己の生み出した世界の片隅でひっそりと暮らしていたという。
最初のうちは仕方の無い事だと諦めていた男神であったが、段々孤独の寂しさに心が苛まれ、ある時己の血から幾つもの動物を生み出した。
今はもう現存しない幻の獣達は自身を創造した男神にとても懐き、彼を敬い、愛したという。
彼同様に気性の優しい獣達に囲まれながら男神は何百という時を過ごす。
だがある時、男神が世界から僅かに目を離した隙に他の神々が獣達を残らず奪い去ってしまった。
美しく優しい獣達は神々の恐ろしい意図に気付かず連れて行かれ、ある者は剥製にされ、ある者は身を飾る毛皮にされ、ある者は力があるが故に真心を削り取られて魂が欠けてしまう。
男神が気付いた頃には獣達はほとんど残ってはいなかった。
大地に出来た大きな裂け目の隙間に隠れていた一匹の狼が男神の姿を見て飛び出した。
「嗚呼…我が君、よく来てくださいました…!」
震える狼を優しく受け止めながら男神は問いました。皆は一体どこへ行ってしまったのか、と。
狼は鋭い眼から大粒の涙を零して自身の見た全ての事を男神へ話します。
男神が戻るまでの束の間、皆で遊んでいたところに突然見知らぬ大勢の神々が現れ、あっと言う間に周りにいた者達を捕まえてしまったこと。
自分はたまたま大地の裂け目に隠れていたので見つからなかったこと。
話を聞いた男神は狼を己の神殿に連れて行き、安全なその場所で待つように告げた。
そうして例え様のない怒りを抱えて大勢の神々がいる天上へと向かい、そこで楽しげに談笑していた神々に声を荒げて問いました。
「私の大切な友人達は何処か!」
神々は顔を見合わせると酷く可笑しげに笑い合って手の平に仕舞っていた者を男神に見せた。
それらは彼が友として慈しんできた獣達の哀しい成れの果て。
もう彼に擦り寄ることも、彼の名を呼ぶ事も出来なくなった冷たい獣達を見た男神は、その琥珀色の瞳から血の涙を流して嘆き悲しんだ。
声を上げて涙を流す男神を他の神々は指差して笑う。神の癖に己の創り出したソレに情を抱くなど馬鹿げた事だと言った。
男神は神々の所業に怒り、それまで一度たりとも使う事の無かった己の力を解放する。
あまりに強過ぎる力に太刀打ち出来る神々はおらず男神によって悉く討ち滅ぼされた。
最後に残された最高神は男神に謝罪を述べた。
けれども彼が愛した獣達はもう二度と彼の下へと還ってくる事はない。
悲しみに打ちひしがれながらも男神は最高神を滅する事無く己の生み出した世界に戻った。
彼の手によって討たれた神々は最高神がその後復活させたものの二度と男神の激昂に触れさせぬよう神々のいる天上と男神の世界を分けてしまった。
神殿に残っていたはずの狼は己の弱さに恥て自ら命を絶ってしまい、男神はまた孤独に戻る。
そこで男神は神々とよく似た姿の生き物を創る事を考えついたのだ。
一対の男女を生み出し、その男女から産み落とされた子に番(つがい)を与え、更に子を成させて――それを繰り返すうちに数多くの同じ生き物が増えていった。…それが今の人と呼ばれる生き物だ。
男神は人間に火を与え、知を与え、獣の本能を律する理を与えた。
しかしながら男神は人間に関与する事無く神殿から彼らの生活を眺め、そこに己の居場所を見出すことはしない。
男神の心は疲れ切り他者と触れ合いを諦める。
だがある日、男神は深い森の中で今まさに獣に襲われて食い殺されそうな一人の少女を見つけた。
普段であれば詮無い事とと見過ごしていたが、病に伏せる兄のために薬草を探しに一人森の中に立ち入らなければならなかった少女の境遇を哀れに感じて男神は己の身を人の姿へと創り変えて地に降り立つ。
神を前にした獣は森の中へと引き返していき、男神は少女に薬草を渡してやると森の外まで送り届けてやった。
――それが彼と少女の出会い。
少女はそれから毎日のように森に訪れては男神を探した。それを見ていた男神は時折少女と触れ合う事を己に許し、彼らはひっそりと深い森の奥で逢瀬を重ね合わせた。
少女が男神の子を身篭るのにそう時間は関わらなかった。
男神は少女を神殿に招こうとしたけれど、少女は人間である事を捨てたくないと地に残る決意をする。
そのために男神は少女への贈り物として美しい石造りの小さな城を築き上げた。
そこで生まれた少女と男神の子はそれはそれは美しい男児で、少女は子を慈しむ。男神も年に数度訪れては少女と男児を愛し、尊んだ。
けれども神と人では必ず別れが訪れる時がくる。
老いて死に行く少女の傍らで男神は愛する少女と男児に誓いを立てた。
「どれ程輪廻転生が繰り返されようとも、其方(そなた)の魂と、我等の絆を紡ぐ幼き魂を慈しもう。何時か魂が戻りし時まで其方の肉体と共に我が想いを此処に残しておこう。」
少女は男神の言葉に頷き、笑みを零して逝った。
魂の無くなった少女の肉体を城に残し、男神は己が子を少女の兄に託すと城の時を留め、神殿へと去りぬ。
世界の果て、決して人には遠く及ばぬ地に佇む神殿の内で男神は今でも愛しい少女の魂が戻るのを待ち続けている。
――…そんな切ない幸福の物語は、子供達の枕元で親が聞かせる御伽噺として今でも語り継がれている。