「夜、何故か突然目を覚ましました。すると微かな光が見え、見ているとそれは益々(ますます)大きな光となります。目を凝らしてみると何かが光の中で動いているのが見えます。物体は段々大きくなり、こちらへ近付いてきます。その物体とは、首もない両腕・両足のない血塗れの胴体が肩を左右に動かしながら這(は)ってくる肉片でした。どんどん近付いてくるので怖くて目を閉じました」
次からも、その肉片を見た者は必ず死んでいったという。
そこで次はきっと自分だと予想した人が、恐怖のあまり加古川市と隣県の高砂市の間にある、地元では受験前など多くの人が参拝する鹿島神社でお祓いをしてもらった。すると。
「暗闇の向こうに怖ろしい恨みが貴方(あなた)を狙っているのが見えます。お祓いで拭いきれない恨みです。どうしようもありません。唯一、貴方を守る手段があるとするならば、夜、肉片が這ってきても絶対目を閉じずに口で鹿島さん、鹿島さん、鹿島さんと三回叫んでこの神社の神を呼びなさい」
と言われたのだった。
その夜、その人の所へやはり肉片が這ってきた。
恐怖に耐えて必死に目を開いて「鹿島さん」と三回唱えた。
すると肉片はその人の周りをぐるぐると這った後、消えてしまったとか。
普通ならこれで話しが終わるところだが、やはり恨みは非常に強く、その人が旅へ出てもその先にて現れるらしい。その後、その人がどうなったかは不明である。
ただ非常に厄介なことに、この話は知ってしまうとその肉片が何時かその話を知ってしまった人のところにも現れるということだ。
兵庫県のある高校ではこの話は人に恐怖を与えるせいか、迷信を恐れるせいか、口に出すことが校則で禁止されたという。
この話を知った皆さんが、この「肉片の幽霊」を見ないことを期待したい。
もしも貴方の元に現れたら必ず目を閉じずに、落ち着いて「鹿島さん」と三回唱えて欲しい。
信じるか信じないかは貴方次第。
* * * * *
そこで、いつき先輩は語るのを止めて顔を上げた。
これでこの話は終わりなのだろう。
ほう、と感嘆の吐息を洩(も)らして篠田先輩が言った。
「話自体はそんなに怖くないけど、いっちゃんが語ると何か聞き入っちゃいますよねえ」
他の先輩達も僕も同意するように頷いた。
変に感情的な読み方でも、こちらの恐怖を煽る読み方でもなく、落ち着いた聞き取りやすい声が淡々と語るだけなのに、いつき先輩の語りはするりと頭の中に入ってくるので話に惹(ひ)き込まれる。それに間の取り方が上手い。言葉を発する時に置く一瞬の沈黙が絶妙で、つい耳を傾けてしまう。
「という訳で、次もよろしく! ページ捲れば続いてるから」
羽柴先輩は右手の親指を立ててサムズアップをして見せた。
横から「こら、調子乗らない」と安坂先輩が羽柴先輩の頭を小気味よく叩(はた)く。
いつき先輩はまた軽く息を吐いたものの、一つ頷いてタブレットの画面を指でスライドさせる。
「――……失くし物」
語りが始まると、部室は静かになった。
* * * * *
これは私が学生の頃、部活の合宿で先輩のSさんに聞いたものです。
「あたしさ、すごい怖い夢見たんだあ」
そう前置きをして、彼女は話し始めました。
Sさんがどこかの川辺を歩いていると、一人のおばあさんが蹲(うずく)まっていました。
話しかけると、おばあさんはゆっくりと振り向きました。
その顔を見て、Sさんは驚きました。
何とおばあさんの目には眼球がないのです。
おばあさんは「私の目玉がないんだよ……」と呟きました。
Sさんは驚いて上手く言葉が発せられませんでした。
するとおばあさんはまたゆっくりと言いました。
「一緒に探してくれるかい?」
Sさんは懸命に探しました。
見つけられなかったら、と考えると怖くなったからです。
すると、おばあさんはこんなことを言いました。
「もし、私の目玉が見つからなかったら、お前さんの両足を売ってもいいかい?」
Sさんは怖くて怖くて仕方なかったそうです。
震える手が何かに触れました。
二つの、眼球でした。
「そこで目が覚めてさあ」
私は背筋がぞくりとするのが分かりました。
私達はその話を聞き終わると、ホッと息をつきました。
するとS先輩は言いました。
「この話ね、覚えてない方がいいよ……」
そう言われると余計頭にこびりついてしまうようで、私は眠れませんでした。
何とか頭からあの話を消し、眠りました。
ところが、私もあの夢を見てしまったのです。
夢から抜け出したいと思っても無駄でした。
ですが何とか同じように眼球を見つけ、目が覚めました。
話はこれで終わりじゃなかったんです。
私の友人のD君が、足を引き千切られたようになって眠っているのが発見されたんです。
D君は五体不満足になってしまいましたが、元気です。
そのD君からはこう聞きました。
「あの夢を見たんだけど、眼球を探してる途中で友達のRに起こされたんだ。……だから足を千切られたのかな」
この話は当時新聞にも載りました。地方の方は知ってるかも知れませんね。
この話は、早く忘れてくださいね。
* * * * *
「これで話は終わりです」
いつき先輩が言って、タブレット端末を机に置いた。
先ほど聞いた‘鹿島さん’もこの‘失くし物’もどことなく話が似ている。
前橋先輩が小さく手を挙げて「あの……」と口を開く。
「‘失くし物’は聞いた人に伝染するっていうのは分かります。でも‘鹿島さん’の方は女性が自殺した加古川市を中心に事件が起こっていたはずですよね? その付近で住民が死んでいったっていう部分は百歩譲ったとしても、最後の方で急に話を聞いただけの人の下にもやって来るっていうのは私的に納得がいかないです」
言われて、そういえばそうだなと僕は‘鹿島さん’の話を思い出した。
そもそもこういう話では、まず最初に女性に暴行を加えた人々が呪い殺されるのが普通だろう。
例えば暴行される現場を見ていたのに誰も助けてくれなかったとか、助けを求めたのに無視されたとか、憎む理由があって住民を次々と呪い殺していくのならまだ分かるが。
僕が考えていると塚本先輩が「確かに」と頷いた。
「呪われる対象が舞台の加古川市から、いきなり不特定多数に変わる理由も出てないし、聞き手を怖がらせようと意図して付け加えた感じで話の筋としても一貫性がないんだよ。自殺した加古川線沿いの家からどんどん広がっていくっていうなら分からなくもないけど」
塚本先輩は呆れた様子でパイプ椅子の背もたれに身体を預けた。
ギイ、と錆びた金属の擦れ合う音が小さく鳴る。
「と言うか、話を聞いたら呪い殺されるんだったらさ、加古川市の地図の線上の家って一家全滅してないと辻褄(つじつま)が合わないよな?」
「ああ、それ私も思った。‘失くし物’は助かる方法があるのに、‘鹿島さん’は結局のところ逃げられないっぽく話してるわりには呪い殺された人の数もそんな多くなさそうだよね」
羽柴先輩と安坂先輩も意見を述べて頷き合う。
タブレット端末を取った羽柴先輩が僕を見た。
「八木っちは聞いててどう思う?」
問われて、僕は根本的に疑問を感じた点を口にしてみた。
「目や頭がないのに、その幽霊はどうやって話を聞いた人を見つけるんでしょうか?」
相手が見えないんだから、本当にその人が話を聞いた人かどうか分からないはずだ。
しかも夢の中とは言ってもその人のところまで来るにしたって、ピンポイントで居場所が分からなければ来れないんじゃあないか。幽霊って首とか目とかがなくても見えているのかどうかも疑問なのだ。
僕が言うと先輩達はキョトンとした顔をして、何故か笑い出した。
「そりゃそうだ! 目も頭もないのにな!」
「あはは、そんなこと考えたことなかったかも」
「死後も幽霊は目に頼ってるかどうかって興味深いですよね」
「目眩(めくら)ましが効くなら、霊から逃げる時に役立つかもしれませんよ?」
あんまり可笑しそうに笑うから僕は少しだけムッとしてしまった。
馬鹿にされている訳ではないと分かっていても、良い気分ではない。
残っていたケーキにフォークを突き刺して半ば自棄(やけ)になって食べていれば、笑いの治まった先輩達が謝ってくる。このまま楽しい雰囲気を壊すのも嫌なので、まあいいかと気持ちを切り替えることにした。
先輩達も落ち着いたところで、唯一笑っていなかったいつき先輩へ聞いてみる。
「目や頭のない幽霊でも目は見えるんですか?」
いつき先輩は「見えている」とチョコチップクッキーを齧(かじ)りつつ言った。
「だが、どういう原理かまでは知らん。第一、考えてもみろ。学校の怪談では‘廊下を足だけが歩いている’なんてのがあるんだぞ? 頭や目のない霊が何も見えないとしたら、あれは壁にぶつかったり階段で転がり落ちたりと一人で動き回るのは到底無理だ」
足だけの幽霊が壁にぶつかったり、階段を踏み外して転がり落ちたりする場面を想像してみた。
怖くない。もしもそんな場面を見たら逆に笑ってしまうだろう。
先輩達も想像してしまったのか噴き出している。
「まあ、そういうドジな幽霊もいるかもよ?」
羽柴先輩が立ち上がって部屋の電気を点ける。
暗闇に慣れていた目が眩んでしまい、咄嗟(とっさ)に瞼(まぶた)を閉じた。
そろそろと目を開ければ、先輩達も同様だったのか眩しそうに目を細めていた。
壁の時計は午後の六時半を示すところである。
最初の‘裏返しの話’を終えたのが十七時十五分だったので、後四十五分ほどで結果が出る。
二時間以内に話を知らない他の人へ‘裏返し’と言わないと自分が裏返しになって死ぬという、分かるような、分からないような、ちょっと変な話だった。裏返しの基準自体が曖昧なんだ。靴下みたいに裏返しになって死ぬというのは全身の皮膚が捲(めく)れ上がってそう見えるのか、それとも体勢がひっくり返るのか。裸だったというのだから、恐らくは前者だろうけれど、そんな変死体が何度もあったら流石に騒ぎになるんじゃあないだろうか。
いつき先輩からもらったケーキを皿ごと引き寄せつつ、そんな考えが頭を過ぎった。
「ねえねえ、いっちゃんはどっちの夢を見ると思う?」
右斜め前で篠田先輩がいつき先輩に問う。
僕はそれへ何とはなしに耳を傾ける。
「さあ、私は夢は滅多に見ないからな。そういえば、優乃(ゆの)はよく見るんだったか?」
「そうそう、毎日ってくらい見るよ。大体は忘れちゃうけど、凄く印象の強い夢とか、何度か見たことのある夢とかは起きた後も結構覚えていたりするんだよねえ」
「毎日だと脳が休まらないだろう」
「あー、うん、寝足りないって思う日はあるなあ」
二人の会話を聞きながら、ふと気付いた。
どうも、いつき先輩と篠田先輩は仲が良いらしい。どこがどう違うのかと問われたら説明出来ないけれど、他の先輩達への態度と比べて篠田先輩に対するいつき先輩の接し方はかなり気安い感じがする。同学年で同性同士だからかもしれないが、二人の様子はただの部活仲間というより、気の置けない友人同士といった風だ。
それが僕にはとても意外だったのだ。
いつき先輩は同好会の活動には一応参加するけれど自主的にあれこれする訳でもなく、部室では大抵一人で読書に耽(ふけ)っていて、兄である尊先輩以外の特定の誰かと親しくしているのは初めて見た。多分、僕が知らなかっただけで二人は当初から仲が良かったのだろう。
「中学の頃は夢日記も書いてたんだけど、他の子に話したら‘夢日記をつけてると気が狂う’って言われて止めちゃったっけ。会ったこともない人が夢に出て来て怖かったし」
「ああ、いや、人間は実は普段生活している中で擦れ違った人々を無意識に覚えていると何かで読んだことがある。確か、その無意識に記憶した大勢をベースに夢の中の登場人物が出来上がるため、結果として目が覚めた時に見知らぬ人間を夢に見たと思うそうだ」
ぱくり。最後の一口になってしまったケーキを食べる。
空の紙皿を使い捨てのフォークと共に重ねて脇へ除けておく。
仕方がないので、手を伸ばして本棚にある本を適当に引き抜いて開く。
表紙も水に適当に開いたページには断頭台(ギロチン)みたいなものと、その下に落ちた生首、それからその生首へ向かって話し掛けているような人の絵が描かれていた。説明文もついている。
読み進めていくと、ここには‘切断された人間の頭部は意識を有するのか’という題の通り、それに関する実験の話も載せられていた。実験方法と様子、考察だ。実験は単純。首を切り落とされた人間の反応が何時まで続くかで、その人間の意識の有無を確認するだけ。でもあまり想像したくない実験だ。
そもそもこんな疑問を実験で調べたところで何かの役に立つとも思えないが。
何年か前にもオカルト系の番組でこの実験の話が出ていた気がする。
実は有名は話なのかもしれない。
全く興味のない内容だったので本を閉じて本棚の元あった場所へ戻した。
顔を戻して時計を見れば、午後の七時を数分過ぎていた。
丁度先輩達の話が途切れたので僕は時計を指し示した。
「もうすぐ七時十五分になりますね」
先輩達は壁に掛けられた時計で時刻を確認して顔を見合わせる。
その顔には‘やっぱり何も起きないか’と書かれている。
「死ぬとまではいかなくとも、転んでひっくり返るくらいはあったら面白かったんだけど」
この怖い話もガセだったみたいですね、と塚本先輩が羽柴先輩を見遣った。
羽柴先輩は軽く肩を竦めて立ち上がってホワイトボードの‘裏返しの話’に、上から赤ペンで大きくバツを重ねて書いた。横に‘ウソ’と書き、丸で囲んでバツで潰された‘裏返しの話’へ矢印を引く。
「とりあえず今日の検証はここまで! 夢を見たかどうかは明日また集まって確かめるってことで、後片付けして解散しようぜ」
元々あまり期待していなかったのだろう。
残念がる様子もなくあっさりと活動の終了を告げる羽柴先輩に全員で頷いて、それぞれに皿やフォークなどのゴミを片付けたり、机を拭いてパイプ椅子を畳んで纏まとめたり、簡単に掃除を済ませて僕達は解散することになった。