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翌日、講義後に僕が部室へ行くと、まだ誰も来ていなかった。
昨日と同じメンバーが来ると分かっているので、人数分のパイプ椅子を出して机の周りに並べて置く。ホ
ワイトボードは昨日のままだから特に何かする必要もないだろう。
僕はまたお誕生日席に座って携帯電話を弄りながら先輩達を待った。
暫(しば)らくして、羽柴先輩と安坂先輩がやって来た。
「八木っち、おっはー」
「いや、もう夕方じゃん。そこは‘こんにちは’じゃないの?」
「今日初めて会ったから‘おはよう’だろー?」
羽柴先輩と安坂先輩の二人が居ると場が明るくなる。
「八木っちは舞と俺とどっちが正しいと思う?」
僕は少し考えて答えた。
「時間的には‘こんにちは’だと思います」
「ほらね」
「ええ? 俺のバイト先は時間に関係なく行ったら‘おはよう’なんだけど」
そのまま、また議論をし始める先輩達を横目に鞄を漁る。
飲み物を出そうとしたのだが、講義の合間に飲み干して、部室に来る途中で買おうと思っていたことを思い出す。自動販売機の傍を通ったのにすっかり忘れてしまっていたのだ。
「ちょっと飲み物買って来ます」
そう声を掛けて、財布と携帯電話をズボンのポケットに押し込んで部室を出る。
自動販売機は部室棟の階段横なので、廊下を通って一階へ降りればすぐに着いてしまう。
冬場だからか飲み物は大半がホットになっている。小銭を投入し、小さいペットボトルの温かいお茶を買う。ガタンと音がして取り出し口にペットボトルが落ちる。それを取り出すために屈むと、不意に名前を呼ばれた。
「あ、八木君だ」
取り出し口に手を突っ込んだ状態で首だけで振り向くと篠田先輩といつき先輩がいた。
僕はペットボトルを引っ張り出して立ち上がる。
「先輩方も部室へ行くところですか?」
冷えてしまった指先をペットボトルのお茶で温めながら聞くと、二人は揃って頷いた。
「そうだよ。あ、私も飲み物買って行こうっと」
横に退いて自動販売機の前を篠田先輩へ譲る。
篠田先輩が財布から数枚の小銭を出して硬貨投入口へじゃらじゃら流し込む。
ピッとボタンを押してココアが落ち、立て続けにミルクティーのボタンも押して買い、両方を取り出すと最初からそう決めていたみたいにミルクティーをいつき先輩へ渡した。いつき先輩も「ありがとう」と慣れた風に受け取る。どちらも温かいやつだ。お釣りはない。
「いつき先輩と篠田先輩は仲が良いですよね」
丁度良い機会なので聞いてみると、二人は何故かちらりと視線を交し合う。
「うーん。他の人よりかは仲良いと思うけど、これって友達なのかな?」
「彼にそう見えるのなら、そうなんだろう。まあ、中高と同じ学校だったしな」
「それもそうだねえ。という訳で後輩君、私達は友達ってことにしておいてね」
まるで遊ぶ予定でも決めるような気軽さで話をする二人に僕は唖然(あぜん)とした。
今までこの二人はお互いをどう思って接していたのだろうか。
早速ココアの缶のプルタブを指先で引っ掛けて開封し、歩きながら飲み始める篠田先輩と、ミルクティーの缶の熱さを持て余して左右の手を往ったり来たりさせているいつき先輩が部室の方へ歩き出す。篠田先輩が缶に口を付けたまま「戻るなら一緒に行こうよ」と空いた片手で僕を促すように手招いた。
これといった会話もなく部室へ戻ると羽柴先輩と安坂先輩は携帯電話を弄(いじ)っていた。
篠田先輩といつき先輩が二人へ挨拶をして、昨日と同じ位置の椅子に座る。
腰を下してから、漸(ようや)くいつき先輩がミルクティーの缶を開封した。
それから五分と経たずに前橋先輩と塚本先輩も部室へ来たため、今日の活動が始まった。
「はいはーい、昨日の夜、夢で‘鹿島さん’か‘失くし物’を見た奴は挙手!」
そう言いながらも羽柴先輩自身は手を挙げなかった。
つまり、どちらの夢も見なかったということだ。
僕も昨日の夜は怖い夢などは見ていない。
いつき先輩も篠田先輩も動かなかったが、塚本先輩と前橋先輩は静かに手を挙げた。
「俺は‘失くし物’を見ました」
「私は多分‘鹿島さん’を」
二人の言葉にズイと羽柴先輩が身を乗り出した。
「それで、どうだった? 話の通りだった?」
塚本先輩が首を傾げる。
「それなんですけど、おばあさんが出て来るって言うよりも、昨日聞いた話をそのまま夢に見たって感じでした。だから俺がおばあさんの目を探すことはなかったです」
軽く肩を竦める塚本先輩に、羽柴先輩は残念そうに机に両腕を伸ばして倒れ込んだ。
「マジかよ〜。じゃあ前橋ちゃんは?」
「私の方も‘鹿島さん’らしき夢は見ました。でも光だとか胴体だけとかの霊じゃなくて、血だらけの女性が仰向けになって手足を地面に付けて這って近寄ってくる夢で。……そっちは夜に見たホラー映画の影響だと思います」
「んん? その映画ってもしかして悪魔憑きの女の子がブリッジで階段下りてくるアレ?」
羽柴先輩の問いに前橋先輩が頷いた。
よく分からないが、ブリッジで階段を下りてくる女の子ってだけで不気味である。
完全に興が削がれたらしい羽柴先輩は机にぐだっと伏せてしまう。
「なあなあ、いっちゃん、夢に幽霊が出て来て人間を取り殺すってやっぱりありえない?」
不満げに眉を寄せた羽柴先輩が静観していたいつき先輩に質問を投げ掛けた。
いつき先輩は考えた様子で机へ視線を落とし、ややあって答えた。
「いえ、ありえないこともないです。霊が生者(しょうじゃ)の夢に干渉すれば、多少なりとも体への負担はかかります。ですが、その負担で死ぬよりも精神的な面から弱って死ぬ可能性の方が高いと思いますよ」
どういう意味かと思い「精神的な面って?」と問えば、羽柴先輩と僕の言葉が見事に重なった。
羽柴先輩と顔を見合わせ、いつき先輩へ視線を向ける。
「夢に霊が出て来て‘自分は死ぬかもしれない’‘何か良くないことが起こるかもしれない’と思い込んだり塞ぎ込んだりすることで、体へも影響が出てしまうことです。不安や恐怖で腹痛や頭痛が起きることがあるでしょう?」
「ああ、病は気からって言うし、ないとは言い切れないよな」
怖い話を聞いた後にその夢を見て、もしかしたら自分は怖い話の通りになるかもしれない。
その恐怖心や不安が体に悪い影響を引き起こすのだとしたら。
「じゃあ思い込みの激しい人はそうなりやすいってことですよね?」
僕が聞き返すといつき先輩は「そうなるな」と言った。
「怖い話の夢を見るのも、そのせいとか?」
「どうだか。人間は睡眠中に記憶の整理をしているんだ。脳がその日の出来事を思い出して整理している間に、強く印象に残った部分を夢で見ることもあるだろうさ。それで身の周(まわ)りで起こる些細な不幸でも夢を見たせいではないかと疑心暗鬼になり、精神状態が不安定になって体調を崩し、本当は何もないのに自分は呪われているのだと更に勘違いする。こういう事例は多いぞ」
どこか実感の篭った言葉に僕は首を傾げていつき先輩を見遣る。
溜め息を吐きたそうな、うんざりした風に眉を顰(しか)めていた。
「そういう人からの依頼ってあります?」
「むしろ大半の依頼はそんなものだ」
「その場合、特に何もする必要はない訳でしょう? いつき先輩はどう対応してるんですか?」
「仕方がないから盛り塩や清め塩を教えたり、御守りや護符を渡したり、どうしてもと言う者には神社を紹介して祓いをしてもらう。本人の気持ちの問題だから、目に見える形で行えることをしてやれば殆(ほとん)どは安心して帰って行く」
それはそれで面倒臭そうだなと思う。
いつき先輩には依頼人に何も問題ないことが分かっているのに、依頼人自身の心の問題で行う必要のないことをわざわざするのだ。あまり無駄を好まなさそうないつき先輩にとってはやる気も出ないだろう。
それでもそうやって対応するのは仕事と割り切っているからだろうか。
「まあ、どっちにしても自己責任系は嘘ってことだよね。ちょっと残念だったけど」
安坂先輩の言葉に羽柴先輩が机から身体を起こす。
「だな。次はもっと面白い題材を探すとするか!」
その言葉に全員が同意して、活動は終わった。
数日後、夢で‘失くし物’を見た僕は内容を思い出して溜め息を零す。
おばあさんに頼まれた探し物は目玉じゃなくて、入れ歯だった。
そんな夢を先輩達に話したら腹を抱えて笑われたのは言うまでもない。