6

「あれ…?」

「どしたん」

「昨日花宮さん達自主練しなかったのかな」

「や、してたはずだけど。なんで?」

「いや、あの人らモップがけしないで帰るからいつも俺たちが朝やり直してんじゃん。でも…」

「ホントだ、今日は床キレイだな。他の奴がやっといてくれたんじゃね?」

「そうなのかなー…あ、おはようございます蒼井さん」

「おはよう」

洗濯済みのタオルを抱えながら立ち話をしている一年部員の横をあくびをしつつ通りすぎる。朝練とかいう低血圧の人間皆殺しの慣習、頼むからなくなってくんないかな。
最早私の指定席になっているパイプ椅子に座り、朝練の準備をしている部員の声を子守唄にしばしうつらうつらとする。
いい感じに夢の世界へと誘われていた時、座っていた椅子に大きな衝撃が走った。深く背をもたれていたので椅子から尻が半分ほどずり落ち、なんともみっともない姿を何人かの部員に晒してしまっただろう。
浅い睡眠に陥っているとよくなる、身体がガクッとなってしまうあの現象かと一人納得していると、椅子に座っている私に人影がさした。シルエットの正体は、先ほどの納得を覆す人物だった。

「…集合」

いつもより高い位置から部員を束ねるその声に殺意が芽生える。お前か、私の睡眠を妨害したのは。
椅子の足を引っ掛けるために動かしたのだろう、普通に直立するには不自然な場所に位置している花宮真の左足。その短い足を蹴り上げてやりたい衝動をぐっと堪え、抑えた衝動を一言に表した。

「死ね」

感じているはずの自分に向けられた憎悪を無視して、花宮真は部員が集まるのを静かに腕を組みながら待っている。私も、花宮真の後ろにいるという構図が嫌だったので椅子から立ち上がり部員たちから少し離れた場所に移動する。

「冬に開催されるウィンターカップの、都予選のトーナメントが発表された。まずは予選に出場する8校を発表する」

プリントを見ながらすらすらと話す花宮真の声をぼんやりと聞きながら、私は改めて自分が直面している現実の非現実さを実感する。
ここまで確定的証拠をつきつけられていても、未だに夢心地だった。次目が覚めた時には元の世界に戻っているのかも。今目を閉じたら二度とこの世界に戻ってくることはないのかも。そんな、期待か焦燥かわからない感情を寝る前に何度となく抱いていた。
でも、私が今生きているここは紛れもなくもうひとつの世界で。

「霧崎第一高校、秀徳高校、丞成高校、─…」

ここじゃない世界で幾度となく目にした高校名を、ここじゃない世界で何度も破り捨てた男が読み上げていく。

「…誠凛高校、ー…」

私の大好きな高校名を読み上げる前、アイツが誰も気付かないほど一瞬、私に視線をやった気がした。
花宮真が存在しているということは、誠凛の木吉鉄平という人物も存在しているということだ。つまり、本当にアイツに足をツブされて苦しんだ人物がいるということ。

「死ね」

彼が未だ痛みと戦っているということに理不尽さを感じ、もう一度花宮真に怨念を送っていると近くに居たフーセン・ガム男がビクッと肩を上下させた。

「え、何…?超顔怖いんですけど」

お前もだよ、原一哉。誠凛が一ヶ月後、霧崎に苦しめられるというシナリオは決まっている。私がその運命を変えるなんて神様じみたことはできないし、そもそもコイツらの更正役を買って出るなんてまっぴらゴメンだ。
原一哉が一ヶ月後にしでかす所業を思い出し(未来の出来事を思い出すというのも変な話だが)、前髪で隠れている目を睨みつけたら、ミーティング中にもかかわらず膨らませていたガムがパァンと割れた。嘘みたいなタイミングに不覚にも緩みそうになる口を手でおさえ、笑いを逃がそうと花宮真の声に耳を傾ける。

「対策として対戦校のビデオを視聴するので、今日の放課後は部活はないがレギュラーのメンバーは視聴覚室に集合すること。以上、ミーティング終わり。二人組になってストレッチ開始」

一丁前に対策とか練るのかよ。勝ちに興味はないとか抜かしてたくせに。
ホント何がしたいんだよあいつら。

適当な場所にバラけてストレッチを開始した汚いプレイをする霧崎部員と、今朝低血圧な身体にムチを打って早めに登校してモップを掛けた綺麗な床を見比べる。

…私、何がしたいんだろ。



[ 7/12 ]

[*prev] [next#]
[back]



×
- ナノ -