第1章 @〜Un altro mondoT〜
「……ここ、何処?」
そうポツリと呟いた少女の名前は苗字歌音。
「どう見ても合宿場所じゃなかね。何処にもホテルは見えんばい」
歌音の呟きに千歳が答える。
彼女達の身に一体何が起こっているのかというと、ことの始まりは一週間程前に遡る。
「強化合宿?」
「せや、レギュラーのみの強化合宿や。学校にも了承済みやで〜!」
テニス部監督である渡邊オサムが、無駄に大きな声で告げた。オサムの友達にホテルの経営をしている人がおり、テニスコート付きで設備も整っているうえに激安の宿泊費で泊まらせてもらえるため開催を決めたらしい。
「テニスし放題や〜」
と金太郎は初めての合宿に目を輝かせている。
「来週からって、えらい急な話やな。合宿するんはええけど、俺ら授業どないすんねん」
白石が疑問に感じて尋ねる。夏休みなどの休日中であれば然程支障はないが、合宿予定日は平日で通常の登校日だ。
オサムは笑みを浮かべると
「それは心配せんでええでぇ、みんな公欠扱いや!」
と答えた。
「そぎゃんこつ、学校もよう了承したばい」
「どないな手段使うたんですか?」
財前の言葉にオサムは手段なんて使ってへんわと苦笑いすると、近くにいたユウジに「再来週何があるか言うてみぃ?」と問うた。
「……テストか。嫌な事思い出させんといてや。んで、それが合宿と何の関係があるん?」
オサムによると、テスト前の授業の内容は今までの復習となり新しい範囲をやるわけではないし、元々テニス部のレギュラーは一部を除けば成績も良いので特別に許可がおりたとのこと。
「条件付きやけどな」
含み笑いをしながらオサムが出した条件は2つ。
@毎日夜に各教科担任から出された課題をサボらずやること
A一教科でも赤点取ったら追試&夏休みの補習強制参加
一部からブーイングが飛ぶ。
「ま、せいぜい頑張って下さい。謙也さん」
「ゔっ……ってなんで俺限定?」
「他に誰かおります?」
鼻で笑う財前に謙也が反論しかけたところで、オサムがニヤッと笑って言った。
「あぁ言い忘れとったけど、連帯責任やでぇ」
「は?」
固まっている一同を一瞥するとオサムは続けた。
「誰かが一教科でも赤点取ったら夏休み全員補習な。しかも教官はムアンギ・シッテンホージ校長や。授業中笑ったら尻バットの刑やでぇ〜」
某笑ってはいけないなんとかという番組のような地獄が待っているという。ユウジが数学どないしよと心配し始め、数学ならアタシが見てあげるからと宥められている。
「小春ぅ〜おおきにっ!」
「目の前でイチャつくんやめて下さい。キモいっすわ……」
ユウジが小春に抱き着き、そのままイチャつき始めた2人を目の前にし財前は心底嫌そうに眉をひそめた。
「なぁなぁ、赤点って何なん〜?」
1番の問題児をスッカリ忘れていたが、金太郎の苦手科目:国語・数学・理科・社会・英語(40.5巻参照)である。
「金ちゃんは俺が教えちゃるよ。一緒にテスト勉強するばい」
よしよしと金太郎の頭を撫でながら千歳が教師を名乗り出た。金太郎はおそらく何のことか理解していない様子であったが、千歳に可愛がられニコニコしている。傍から見るとまるで親子だ。
「合宿いいな〜、楽しそう……」
そんな様子をマネージャーの仕事をしながら眺めていた歌音が羨ましそうに呟いた。
「みんな頑張ってきてね!応援してるよ!」
「は?」
にこやかにそう言い放った歌音に全員が疑問符を浮かべる。
「何言うとるんや歌音。お前も行くに決まっとるやろ」
「え、私も?レギュラーだけって言ってたじゃん?」
オサムに言われきょとんとしている歌音。
「っちゅーか普通、合宿はマネージャも行くやろ。何が“え、私も?”やねん。仕事しろや」
白石はそんな歌音を見て溜め息を吐いた。
「……歌音って時々ボケた事言うな」
「でも、そこも可愛いのよねっ」
小春がそう答えると、ユウジは自分から話を振ったくせにギロリと小春を睨むので、ユウジはどっちに嫉妬しとるんや?と心の中で疑問に思う銀だった。
「もちろん、誰か赤点とったら歌音も夏休み補習やで?」
「え、赤点取る人いるの?」
何気にキツイ一言をサラリと言う歌音。彼女に悪気は全くない。
ちなみに彼女は教科により多少点数のバラつきはあるが、全ての教科においてそれないに上位の成績を収めている。
「平均点以下じゃなくて赤点でしょ?それならみんな大丈夫でしょ?」
「まぁ普通はとらへんな」
「そうっスね」
白石と財前も歌音に同意している。
「オドレらが出来すぎるだけで俺らは普通や!」
ユウジの言うことも一理あって、やけに頭が良い人も多すぎる気がしないでもない。
「いや、普通の生徒は赤点なんてとらへんで。平均点が普通や」
オサムが溜め息を吐いた。とはいっても、ユウジ達も基本的に頭は悪くないため赤点をとることは滅多にない。おそらく金太郎を除けば心配ないだろう。
「……あ、歌音先輩」
「ん?」
「テストの範囲でちょっと教えて欲しい所あるんで、夜、先輩の部屋に行ってもええっスか?」
「いいけど、わからない所なんてあるの?光頭いいじゃん」
“夜”をやたらと強調したのに歌音にスルーされ、財前は少しむすっとしながら答えた。
「……古典は苦手なんスわ」
嘘つけっ!と、他の全員が一斉に心の中でツッコむ。財前の苦手科目が古典なのは事実ではある。しかし、財前の目的は別にある。
「私より小春ちゃんに聞いた方がいいんじゃ……」
「死んでも嫌っスわ」
「ヒドいわっ!」
即答され小春がムンクのポーズをする。
「私でよければいつでもいいよ。ちゃんと教えてあげられるかはわからないけど」
「“いつでも”ええんですね?」
「ん?……うん。空いてる時間ならいいよ?」
夜這いする気満々の財前。そして全然わかっていない歌音。
「アカンわーっ!」
歌音と財前、そして面白がっている小春以外の全員が一致団結した瞬間であった──。
◇ ◇ ◇
──そして合宿当日
「さあ、みんな行くでぇー!」
声を張り上げるオサムとは対照的に歌音達は無言かつ白けた目をオサムへ向けた。
「なんやなんやー?みんな朝からテンション低いなあ」
「なぁ、もしかして、この車で行くん?」
白石が顔を引きつらせながら尋ねた。
目の前にあるのは何処から見てもバスではなく、ちょっと大きめのワゴンだ。定員10人ギリギリといったところだろう。しかも古い。
「もしかしなくてもこの車で行くでぇ〜。この人数や、これで楽々入るやろ?」
「いや、どう見ても定員ギリギリやん!!荷物載せる場所ないやん!バスにしろや!」
謙也がツッコミを入れると、オサムはハッハーっと笑って目を逸らした。
彼曰くバスなんかにしたら経費が嵩むやん』とのこと。ワゴン車は知り合いにタダで借りてきたらしい。部費から支出するのはガソリン代のみとはちゃっかりしている。
「そいで、運転ば誰がすっと?」
「俺や」
「はぁっ?」
「なんやねん、そのリアクションは。俺の運転やとなんか不満か?」
「私達まだ死にたくないんだけど……」
歌音の言葉に皆が賛同する。
「アホ、ちゃんと安全運転するわ。 失礼なやっちゃなぁ」
「自分の普段の行動や言動のせいとちゃいます?」
財前は相手が教師だろうと容赦はしない。
「……お前らなぁ、ホテルまで走らせたってもええんやで。それが嫌なら早よ乗りぃ」
走りたくはないためオサムの言葉に皆渋々従う。
席順だが、「歌音、俺の隣おいで」と白石がさりげなさを装って誘い歌音は彼の隣に座ることになった。そして彼女の反対側の隣はいつの間にかちゃっかりと千歳が陣取っていた。
席順が気に食わずにむすっとしている者もいたが歌音本人が目の前にいるのに表立って文句は言えず、仕方なく順番にバスに乗り込んだ。
「あれ、健二郎は?」
歌音が副部長である小石川健二郎の姿が見えないことに気付き、オサムに訪ねた。
「そーいや小石川おらんな」
他の者達は歌音に言われるまで彼がいないことに気付きもしなかったようだ。酷い。
「なんや急用が出来たとかで遅れるみたいやで。あいつのオカンから今朝連絡あったわ」
「そっか……」
歌音は、健二郎、早く来てね。君は数少ない頼れる常識人なんだから!と心の中で願った。
「……今、歌音の声が聞こえたような?」
遠くにいる健二郎はクシャミをしたとかしなかったとか。
意外にもオサムの運転は安全運転で、車内では安心したのかほとんどのメンバーが熟睡していた。
「こうして寝顔見るとみんな普段より可愛いよね。そういえば金ちゃんなんてちょっと前まで小学生だったんだもんね、隣にいる銀と並ぶと親子みたい。謙也、寝てる時は普通の中学生に見えるね。あ、ユウジと小春って寝てる時まで寄り添ってるよ、本当ラブラブだよね」
部員の寝顔を見ながら歌音がフフっと笑う。
「歌音、なんか子供の成長を見て喜んどるおかんみたいやで」
そんな歌音を見て隣に座っている白石が苦笑いしながら言った。
「お、おかん?」
「そうすっと“おとん”は誰ね?」
千歳も会話に入ってきた。この2人はどうやら眠っていなかったらしい。
歌音は首をかしげて、ん〜と考え込むと
「どっちかっていうと“おかん”は私じゃなくて蔵で、“おとん”は千歳っぽくない?んでもって金ちゃんは息子」
と答えた。
「……金ちゃんが息子なのはともかく、千歳と夫婦は俺嫌やで」
「同感たい。でも歌音とだったら大歓迎ばい」
「アハハ、何言ってるの。……あ、光ってばヘッドフォン付けたまま寝てる」
歌音は千歳の言葉をサラリと笑い流すと、後ろの席に座っている財前の方を見て言った。
「……なかなか手強かね〜」
「歌音にはストレートに言わな伝わらへんで」
そういう白石もいつも歌音にはぐらかされているのである。
「光って、黙ってると可愛いし綺麗な顔してるよねぇ」
そう言って歌音が財前の寝顔を覗き込むと
「……先輩。そないに覗き込んできて、キスでもされたいんスか?」
財前が突然目を開けたため、歌音は吃驚してギャッと声を上げた。
「光起きてたの?」
「寝とるなんて一言も言うてまへんけど?」
財前は普段の冷めた口調に、寝顔は可愛かったのになぁと心の中で嘆く歌音だった。
──ちょうどその時、
歌音達を乗せた車はカーブに差し掛かっていた。
その為に前方から居眠り運転でもしているのか蛇行しながら走ってくる大型トラックが見えなかった。
「おわっ?」
オサムが気付いて慌ててクラクションを鳴らした時には既に遅く、
キキィッと凄まじいブレーキ音と轟音が辺りに響いた。
そして、全員の意識は急激に遠ざかっていった……。
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