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「これは……!」
それは黒曜石のような黒い石のついたペンダント型のトリガーだった。
見覚えのあるこれは義父が現在所有権を持つこの家の家宝であり、ブラックトリガーの『変幻自在(エレフセリア)』である。
なぜ、こんな大切なものを今私に渡すのか。理解できない出来事に説明を求めて義父を見ると一瞬息が止まった。私を見つめる目には優しさと深い愛情がこもっていて、私を逃がすためだけに家宝を差し出すことなど全く気にしてないようにすら思える。その眼差しに胸がぎゅっと締め付けられ、何故、どうして、という言葉は喉に詰まってしまった。
「これはとても強力なトリガーだ。きっと役に立つ」
「でも、この家の家宝なのに…」
「お前は私の娘だよ。だからこれの次の所有者はお前だ。予定よりは少し早いけれどね」
「私を逃がして、ブラックトリガーまで渡したなんて知られたら本当に殺されてしまいます…!それにまだ行くなんて一言もっ」
叫ぶような私の言葉に義父はゆるやかに首を横に振った。宥めるように私の頭を撫でて、優しく微笑む。こんなに優しい人を自分のせいで危険に晒したまま置いていくくらいなら死んだ方がマシなのに、どうして。
「いいや、行くんだ。私はね、お前に自由に生きて欲しいんだよ。」
「たとえ神としてマザートリガーと同化しても、それは私の意思です!」
「ならば私のわがままでもいい。本当なら恋のひとつでもする所を、兵士として戦場にゆかねばならん。それだけでも私はお前から自由を取り上げているのだ」
「っ……確かに、始めは戦うことは嫌でした。でも今は、自分で戦場にたっています!」
「だから、私のわがままなんだよ」
「そんなっそんな優しいワガママがあるわけないでしょう……!」
悲しくて、寂しくて、辛くて、優しさが痛くて、耐えきれずに私の瞳から涙がこぼれ落ちた。1粒落ちればあとはもう、次から次に流れ出て止まらない。
憎かった。この優しい人にこんなことをさせるこの国のあり方と、無駄にトリオンなどを多く持って生まれてしまった自分自身が。
悲しかった。きっとこの人は私が何を言っても考えをかえることは無いだろう。どうにかして私を玄界に送り出すはずだ。その後どうなるだろう、きっと沢山責められて、大変なことになってしまう。
寂しかった。こんな私を大切に思ってくれた人とお別れしなければいけないことが、すっかり実家と呼べるこの心地よい場所がきっとあちらへ行ってしまえばもうもう戻れない場所になってしまうことが。頭撫でるこの優しい手に、二度と触れられないことが。
けれど、不謹慎だけど、本当に嬉しかった。血も繋がらないのに、こんなにも愛してもらえることが。自分の身を危険に晒してまで、生きて欲しいと願ってくれる人がいることが。
「覚悟を決めなさい。向こうへ行ってもきっと苦労するだろうから」
「義父(とう)様だってそうでしょう…私なんかよりきっと、ずっと……」
「いいや私は大丈夫だ。なに、私の腕がたつのは知っているだろう?ハイレインの小僧くらいなら、軽く負かしてやるさ」
カラカラと笑うその声に、私も思わず笑顔になる。本当にそうだと思わせてくれる空気がそこにはあった。
しかしこのままいけば確実に義父は裏切り者扱いされることだろう。かつては戦場で活躍していたとはいえさすがに今は歳も歳だし、ブラックトリガーが相手になるなら分が悪い。
どうにかして義父の責任にならないように出来ないかと考えるが、思いついたのは一つだけだった。
「義父(とう)様、一つだけお願いを聞いてください」
「ああ、私に出来ることなら」
「私が、義父(とう)様を裏切ったことにしてください」
「どういうことだ……?」
「玄界からさらわれてきた私は13年間ずっと玄界に帰るタイミングを見計らっていて、義父(とう)様に信用されるように振舞っていた。そして信用されたと確信した時に、まんまとブラックトリガーを奪って逃げた、と。」
「……それではもし見つかった時、殺されるかもしれんぞ」
「構いません。エレフセリアを使って負けるような相手なら、どうせ逃げ切ることも難しいでしょう」
「だがな……」
「こうでもしなければ、殺されるのはあなたの方です!この条件を飲んで貰えなければ私は自分でハイレインの元へ行きます。」
私の提案に義父は考え込むように黙る。この提案が私にとってのベストだった。私は玄界に行くことが出来るし、父の責任もきっと軽くなる。追っ手が来るかもしれないが、そこは意地でも逃げ切るしかない。
もう、私も覚悟決めよう。玄界に帰ったところで歓迎されるとは到底思えないけれど。
頭の片隅に、エネドラの姿が浮かんで胸が痛んだ。
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