【第13話:瓦礫の下でずっと運命を信じてた】

一陣の風に攫われて青空へと舞い上がっていく、魔天経文の文字が書かれた札を目を細めながら見送る。三蔵の手に引かれて隙間から抜け出てきた幼い姿に、無意識のうちに半歩後ろに下がる。太陽か、向日葵か。

三蔵といい、子供といい。どちらにせよ、何故こうも光を連想させる人間ばかりが傍に集まってくるのかと、苦い顔になる。

「…………?」
「………えと…なに」

黄金色の丸っこい瞳でじっと顔を見上げてくる子供に、更に身体が固まる。純粋な曇りなき眼の視線に見つめられて、視線まで縫い止められる。すぐ目を逸らそうとするが、どうにもしてはならない気がするせいだ。

「うっわぁ!?」

何か言いたいことでもあるのか。そう思って待っていれば、想像していたのとは違う行動へと移される。

情けない声が響き渡った。半ば飛びつく格好で腰にまとわりついたかと思うと、手のひらが自分より小さな手に握られた。あたたかい手のひらだ。

いや、そんなことを考えている場合ではなくて。満足した顔をしている子供に、頭はパンク寸前である。

突き飛ばすわけにもいかず、助けを求めるように三蔵の姿を探す。すぐ側に立っていた彼は、子供の行動一つひとつに振り回されている私を見て、身体を折って声を殺して笑っていた。許せない、なんて奴だ。

「くくっ……なんつー顔してんだ」
「三蔵……笑わないで助けてよ」
「絶対断る」

言葉の端々に滲み出る怒気を察してか、そろりと片手が離れる。怖がらせてしまったか、そんなつもりは無かったのだが。

結んでいた髪を片手でぱさりと解くと、乱れていた髪が風に揺られる。どう接していいか分からないのに、それでも大人しく傍に居るものだから更に困る。

どうにかしろと隣から故意に殺気を混ぜた圧を掛けて、右手に持った刀で脇腹を突けば、ようやく助け舟が出される。遅すぎることこの上ないが、まあ助けてくれただけ良しとするしかない。

「あそこから出してやったんだから、もう俺と紫雨に用はねえだろうが。どこへなりとも好きな処に行きやがれ」

本当に居るとは思わなかった。噂通りの化け物であるかどうかは定かでは無いが、ド突かれた脇腹を擦る三蔵が何を思っているかくらいは分かる。

「……出してくれたのはサンキュだけどさ。俺、ここがドコなのかも知らないし…てゆーかドコ行けばいいかもわかんねーんだもん。気がついた時にはあの中にいた。ずーっと、ずっと昔から」

手首と足首についた枷が、何故ついているかも分からない。口振りからするとそんな感じだ。こんなモノ着いていても、邪魔でしかないだろう。

「……見せて」
「ん?」
「……別に痛いことしないから。大丈夫」

子供特有の細い手首を観察して、今すぐにはどうにもできなさそうな構造に諦めて手を離す。ピッキングで簡単に外せるかと思いきや、専用の切断工具でも用意しなければ取れない。

それどころか。ぴっちりと隙間無く手首についているせいで、無理に外せば却って怪我の危険性が増す。いっそ、このまま付けっぱなしの方が良いかもしれない。

「あ。でも、名前だけはちゃんと憶えてる!!俺はね、ご……」
「……いいか。お前が何者かなんざ興味ねぇんだよ。さっさと失せろ…さもねぇとぶん殴るぞチビ」

どこか得意気に口を開こうとした子供の言葉を遮った三蔵に、ここに来てから何度目かの溜息を吐く。

なんてことだ。これでは直接、子供に名前を聞かなければならない。名前さえ分かれば、どうにでもなる。調べれば少しくらい何か掴めると思ったのに、自分が興味が無いからと一蹴した三蔵が機会を叩き潰してくれた。

「な……何っっだよその言い方!ちょーームカツクッ!!このタレ目!!おたんこなす!!」
「……いい度胸じゃねぇか…」
「このクソチビ猿ッ!!」
「だっ!!」

言っておくが、しょうもない二人の喧嘩を仲裁するつもりはない。煽れ煽れとよく口の回る子供を心中で応援しながら、どうにか外せないものかと自身の過去へと記憶を巡らせる。

研究所を出た後、何が一番大変だったか。あの時はとにかく時間が無かったから邪魔な鎖だけを取って、そのまま研究所を飛び出した。

あーでもないこーでもないと、連れ出した研究員が腕を掴んで朝から晩まで首を捻っていたのを覚えている。火で溶かすとなれば、腕ごと丸焦げになる。硫酸でもかければ、丸焦げ同様酷い有様になる。ご丁寧に継ぎ目を溶接されていたせいで、たいそう悩む羽目になった。

運が悪いのか、良いのか。両方ともに手枷に微妙な隙間があったから、最終的には金属用のノコギリで切り離した。もっとも、常に手首と手枷の間に隙間があったせいで生傷が絶えず、どう頑張っても消えない傷が残ることになった要因にもなってしまったわけだが。

見たところ隙間なんて無かったから、子供の手枷を取るには表裏両方切断しなければならないのではないか。冗談じゃない。少しくらい傷が増えたって、どうせすぐ治る。そんなスタイルで生きてきた私がノコギリを握れば、確実に勢い余って腕ごと切り落とす。

「うるせえッ!もっぺん岩牢にブチ込むぞ!」
「アンタが自分で俺を連れ出したんじゃんかよ!」
「あー……騒がしい」

クソほど真面目に考えている前で、ギャアギャア喚かれる此方の気持ちにもなって欲しい。いっそのこと、一生言い争いをしてそうな二人を置き去りにして、一人で勝手に山を降りてやろうか。

だが、しかし。相も変わらず、子供に手を握られていることを思い出す。なら、三蔵を置いていくか。けれども、帰る場所はほとんど同じだから意味が無い。

「てめーが煩く呼ぶから仕方なく来てやったんだろーーが!!」
「だからッ!俺、呼んでねーって……」

そこで意識に引っ掛かった気配に、チッと舌打ちをする。諦めてくれはしないかと一縷の望みに掛けるも、面倒臭いを倍増しにしてくれそうな原因は姿を現す。

「ガキと坊主と女だぁ?こりゃあ珍しいモンに出くわしたな。こんなトコに来るたあ物好きだ。おかげで身ぐるみ剥がされるってワケだ」

握られていた手を振りほどいて背後に押し退けると、左手に握っていた刀を鞘から抜く。まさか振りほどかれると思わず、ぽてんっと尻もちをついて目を丸くした子供が視界の端に映る。

悪いことをしたと思うのも束の間、それほどタイミングも違わず三蔵も短銃を取り出して構えていた。

「……これだから山は嫌。余計な手間が増える」
「ほざいてろ下衆が」



抜き身の刃を鞘へと納め直すと、ぱんぱんっと軽く土埃で汚れた手を払う。要らぬ手間暇をかけられたことに、苛立ちが止まない。

「えげつねえ」
「…………なにが?」
「慈悲の欠片もねえ攻撃が、だよ。殺す一歩手前だろ、アレ」
「下手に手加減して、下山途中に後方から襲って来られる方が面倒臭い」

鳩尾を肘打ちする、鞘で殴り飛ばす。容赦無い峰打ちに混じる、食らえば一発で意識の飛ぶ攻撃に、数秒で傍観者を決め込んだ三蔵は手を出さなかった。下手に手を出せば、巻き込まれる。その判断は正しい。

苦戦するわけもなく平然とした顔で、的確に人間の急所へと打ち込んだものだから、据わった目から注がれる視線が冷たすぎる。そういえば何のダメージも無い状態で、私が戦っている姿を三蔵が見るのはこれが初めてだ。

「手を出したのは、この子が最初だし。やいやい言わないでよ」

刀と銃を構える真ん中をすり抜けて行った時には、肝が冷えた。男に蹴りをかまし、斧を真っ二つに折る。此方の心配を完膚無きまでに打ち砕いて、なかなかの攻撃力を見せつけてくれた子供に安堵して、調子に乗った事実は認める。

「んー……とりあえずさ。お昼ご飯食べようか」

大音量で鳴り響く空腹を訴える音に苦笑いしながら、道中一度も放り投げられなかった袋を指差す。訝しげな顔で中を開けた三蔵が驚いたような声を上げる。

「なんっだこりゃ!?荷物の大半が弁当箱が占めてんじゃねえか!!」
「ぶえっ」
「あ。ごめん、痛かった?」
「おいコラ、紫雨!!」

土埃で汚れた子供の頬をシャツの袖でさっさと拭って、汚れを落としてやる。クセになりそうな柔らかい頬の感触が心地よくて、ついついモチモチと触っている自分の行動に真顔になった。

「宿の人が作ってくれたんだよ。朝イチで宿出て、山のテッペンに住んでる人を連れ戻してくるって言ったら」
「完ッッ全に連れ戻してくる相手、俺の同業者だと思われてんぞ」
「……うん。それ思った」

レジャーシートを引っ張り出して広げ、重箱並みの大きさの弁当をトンっと置く。物珍しそうな顔で見ている子供に座るよう促して箸を握らせたものの、今にも落っことしそうな慣れぬ手付きに、代わりにデザート用のスプーンを握らせた。

「食っていいの?」
「私、食べないから。好きなだけどうぞ」
「え。なんで?」
「食べなくても生きられる、すごーい人間だから」

嘘八百を並べ立てて、弁当箱のフタを皿代わりに適当に中身を取り分ける。嘘付けと言葉とともに正面から飛んでくる拳を受け流しながら、手を引く途中におにぎりを摘む。

「で……どうするの?」
「連れて帰るしか、選択肢ねぇだろうが」

主語は無くとも、話は通じる。順調に消えていく、多すぎるのでは無いかと危惧した弁当の中身を横目に、スカート丈を気にしながら膝を抱える。言わずもがな、岩牢に閉じ込められていた子供の処遇である。

「私は預かれないからね。監視対象が監視対象予備軍の面倒見てたら、本末転倒でしょ。三仏神に呼び出されて怒られるよ」
「…………チッ」
「逆になんで私に頼もうと思ったの?どう考えても、頼み先が違うよね。私、子育てしたことないよ」

ウチは託児所じゃねえんだぞ。そんな言葉を漏らす三蔵は、私を引き取っていることを忘れているのだろうか。傍から見れば、立派な保護者だ。

「なー?これ、美味いぜ?」
「良かったね。遠慮せずに食べて」
「お前、自分が食べなくても良い理由に使うな」

しれっと『おかわり』コールが来る度に、盛る量を増やしていることがバレたらしいが、残るよりいい。袖を引いて、食べないの?という瞳で見上げてくる子供には悪いが、おにぎり一つ突っ込むだけでも限界に等しいのだ。

「……元の話題に戻るけど。私のところに常時置くのは良くない」
「怪我人のお前ならともかく。コイツは俺の部屋にいきなり置く訳にはいかんぞ」
「知ってる。どうしても三蔵が面倒見れないって事情がある時には、事前に話して。そしたら家に連れて来ても良いから」
「言ったな。約束しろよ」

妙に念押しをした三蔵の言葉に、はたと気付く。これはもしかしなくても、やらかしたのだろうか。出立前のやり取りを思い出して、ますます首を捻る。

「もしかして。同じ間違いした、私?」
「したな。お前ホントに情報屋やっていけてんのか?」
「失礼だな。本業だって言ったじゃん」

一向に食べるのが進まぬ手の中のおにぎりを攫っていった三蔵に、完全に逃げ道は塞がれた。食べろ食べろと言うクセして、ここで譲歩を見せてくる三蔵は狡い。

「……せいぜい育児に苦労しなよ」
「……ざっけんな。お前も頭数に入ってんだからな」

ああ、これはある意味事案では無かろうか。出掛けると言った三蔵に、護衛として私が着くと知った時の僧侶の反応を思い出せば、その反応は簡単に推し量れる。

そのうえ、旅の土産と言わんばかりに、子連れで帰ってくれば大混乱どころか大惨事だ。

瓦礫の下でずっと運命を信じてた

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