【第12話:いつかどこかで会えないまま】

言動や行動とは正反対に、寝顔が幼い。寺院で怪我だらけの紫雨を引き取って数日目、純粋に抱いた感想だ。

背を向けていたはずがいつの間にか、肩を寄せ合う格好で互いに寝入っていた。未だ寝息をたてて、枕を抱いてうつ伏せになった紫雨の背中にそっと回した自身の腕に、静かに瞬きを繰り返す。

しばらくの間考え込んで、熟睡した紫雨に唯一の掛布団である法衣まで、引っ張られた末の行動であることを思い出した。

「起きるか」

のそりと身体を起こしてベッドサイドに腰掛けていれば、程なくして背後で気配が動く。人の気配に敏感過ぎるのも困りものだ。

「………………起きた」
「そうだな」

仮眠を除く寝起きには、全くと言っていいほど会話が成立しない。起き抜けから頭が覚醒するまでの間、記憶すら存在していないから相当だ。

第一声目がそれかと言いたくなる言葉にも、律儀に返事を返してやって、欠伸をしながら、ふにゃふにゃとした顔で洗面所に歩いていく紫雨の手の中から、掛布団を回収をする。

「おはよー……」

身支度を済ませて部屋に帰ってくる頃には少しは覚醒しているらしく、まともな挨拶が戻ってくる。こっちが顔洗い諸々を済ます前に、ドン引きするほど砂糖をぶち込んだ甘ったるい紅茶を渡しておけば、次に部屋へと帰ってきた時には会話がきちんと成り立つ。この旅路で学んだことは、それだけだ。



「ねえ。聞いていい?」
「……ああ?」

泥だらけになったら嫌だから、三蔵がくれた服と靴はお留守番。普段通りの変わり映えしない服装をした紫雨は、疲れた様子もなく足場の悪い山道を慣れた様子で歩いていく。

山に入ってから、彼女のポケットに押し込まれた地図は一度も開かれていない。頭の中に地図が入っていると言わんばかりに、分かれ道に来ても迷う様子の無い紫雨の潔さには、逆に心配になってくる。

「昼くらいにはテッペン登るし、夕方には下山するけど。三蔵、間に合う?山で野宿だけは嫌だからね。そもそも山で泊まるための荷物、何も持って来てないから頑張って」

短い助走をつけて高い段差をものともせず、先に登った紫雨が振り返る。どこにそんな力が潜んでいるやら、顔色一つ変えず細い腕によって、引っ張り上げられながら閉口する。

普通は逆だろうし、スカートで山登りなんて頭のおかしい所業をやらかすのは、何処の世界を探しても目の前にしか居ない。

「……ざっけんな。昨日の夜、明日の支度するとか言ってたのは、何処の何奴だ」
「経路の確認しかしてないし。というか、迷ったら勘だもん。山登り、得意じゃない」
「オッマエ!?それを今言うか…!?」

ケラケラと笑う、一つに結われた尻尾を捕まえる。初めて出会った雪の日。逃げ回るうちに攻撃が当たって所々長さの違った薄茶色の柔らかい髪は、定期的に鎖骨下で丁寧に切り揃えてやっているおかげで綺麗なものだ。

「んぎゃっ……!?ホントすぐ手が出るなぁ。嘘だよ。クマとかイノシシに追いかけられて、道外れたら別だけど」
「出てきたら、晩飯確定だな」
「えっ……鍋持ってないよ…?」

据わった目で振り返った紫雨がぶつくさと呟く。本人曰く、ガンホルダーが素足にしか着けられない。ズボンだと丸見えだから、折角拾った拳銃が持ち歩けない。

ただでさえ、手に刀を一本持っている紫雨が腰に拳銃まで引っ提げていれば、流石に何処の戦闘部族だと言いたくなるし、一緒に歩いている俺の立場が危うくなると考えてのことであろう。

「……こっちも一つ聞くぞ」
「なに?」
「ほんっとに居るんだろうな!?」

これだけ足場の悪い山道を歩いて、いざ頂上に着いてみたら何もありませんでした。これでもかと言わんばかりに体力を削らせて、山道を登らせておいて、それだけは絶対に許さない。

「私に言われても困るし、前に博打だって言ったじゃんか。何も居なくても、美味しい果物の木でも生えてるかもよ」

急勾配の山道を初めと同じスピードで登って行く紫雨の背中を捉えながら、燃料切れになりやしないかと気を揉む。

行動が早い割に、あまり紫雨は燃費が良くない。むしろ、悪い。当たり前だが、休息をまともに取っていないせいだ。今日はたまたま強制的に寝かせたから良いものの、普段の日であれば確実に途中で落ちている。

寺院に滞在していた期間は、俺が部屋に居る時は暇さえあれば、紫雨はとにかく寝ていた。初めからフルスロットルで動き回っている彼女が、遅かれ早かれガス欠を起こすことは容易に想像がつく。

「でも。多分、平気。空振りにはならないよ」
「お得意の勘ってやつか」
「うん。まあ、そんなとこ」

断言する紫雨の真意は分からないが、ここはその言葉を信じるしかあるまい。もっとも、喧しく頭の中で呼ぶ声が次第に強くなっているというのも、根拠の無い行動に拍車を掛ける一因となっているだけの話だ。

「紫雨」
「なーにー?また休憩する?」

名前を呼べば、振り返って後ろ向きに様子を伺いながら歩く彼女の危なっかしさに、またもや怒声を飛ばす。木の根っこに引っかかって、転けて後頭部を打ちでもしたらどうするのだ。疲労困憊の状態では、絶対に抱えては行けない。いくら軽くとも、それだけは無理だ。

「というか、三蔵が荷物全部持ってくれるから疲れるんじゃない?」

水筒、お弁当。救急セット。何故か弁当だけで花見弁当並みの量を持参している紫雨は、山登りをピクニック気分でしているのか。

「死ぬ気か」

持つよ、と手を伸ばしてきた紫雨の手のひらを軽くいなす。こんな荷物を無理に持たせてみろ。半登山道、半獣道から転がり落ちでもされたら手に負えない。怪我の危険を顧みない紫雨の行動に、次から次へと懸念が湧いて出てくる。

「三蔵さ。一見、厳しいようで、すごく甘やかしてくるよね。なんかほら、砂糖漬けの果物になった気分。なんだっけ、コンポートだっけ。あれ好き」
「例えがクソほど分かりにくいんだよ」
「ほら、そういうとこだよ」

生い茂った茂みから飛び出した枝に手を伸ばした紫雨の手のひらを捕まえて、片手で先にへし折る。いくら治るのが早いと言っても、後先考えずにやらかして回れば、たちまち細かい傷だらけになる。

少しくらいは取る行動を考えろと言いたいが、一度言って聞くような奴ならば現在進行形で大人しくしている。ぴょんぴょんと好き勝手して跳ね回るウサギには、いっそ首輪でも付けてやりたくなるが噛み切って逃げ出すことは分かりきっていた。



「おい、さっきと言ってることが違うじゃねえか」
「嫌。行かない」
「ふざけんな」

頂上へと繋がるはずの道の前で、急にへそを曲げたように足を止めて顔を背けた紫雨が座り込む。

「具合悪いのか」
「ちがう」
「疲れたのか」
「それは、三合目から」

疲れたのか、それとも別の理由があるのか。拗ねた顔をした紫雨の両手を掴んでズリズリと地面を引きずれば、軽い体重のおかげで薄い足幅の轍が残った。頑として動く気がないらしい。

「……なんでだよ」
「気が向かない。なんでだろうね?」

とにかく。三蔵だけ、どうぞ。そう言って、身体の低い位置を細い両手で押してくる紫雨の頭上で溜息を零すと、目線を合わせるようにして膝を折る。

「こっちが聞いてんだよ」
「怒られる気がする」
「俺は怒んねえよ」
「三蔵に、じゃなくて」

意味が分からん。口を尖らせている柔い頬を掴めば、理解不能な答えが返ってきた。駄々を捏ねる紫雨が叱られた子どものような顔をするせいで、適当にもあしらえない。

「ねえ、三蔵。ほんとに此処なの?」
「……お前が言い出したんだろうが…」

頬を引っ張られているせいで、ふにゃふにゃと喋る紫雨が今更そんなことを言い出す。あれほど『此処だ』と断言しておいて、手のひらを返したような態度はなんだ。

「だって鉛筆がこっちにばっかり倒れるから」
「目的地の設定が双六と一緒じゃねえか。そして今、それを言うな」
「人生ゲームの方がいい」
「二人でやっても、面白くもなんともねえから止めとけ」

膝頭に顔を半分埋めた紫雨がおもむろに法衣の端を掴む。先に行けと言ってみたり。かと思えば、此処に居ろと言わんばかりの行動で困ったものだ。

「知り合いじゃねえだろ」
「……知り合いな気がしてきた」
「お前が五行山出身じゃねえことは俺が証明してやる。知り合いとかマジで有り得ねえから安心しろ」
「……そうかなぁ…?」

細い腕を引いて、強制的に立ち上がらせる。素直に立ち上がったのは、存外強く引かれた力に下手に抵抗すれば腕が抜けると思ったのだろう。

「ほら、行くぞ」

十歩も歩かぬうちに、力を弛めたせいで繋いだ手は離れていく。あっさりと離された手は、繋ぎ止めておかなければ簡単に居なくなることを意味していた。紫雨自身、よすがにする場所を別段求めていたり、元より求める方法すら知らないのだろう。

「えー……」
「文句言わずにチャキチャキ歩きやがれッ!」

ぽてぽてと歩く紫雨を、最後の最後で追い越すとは思いもよらなかった。前を見ているうちに足を止められて、気付けば後ろに居ないなんて、笑えないことがあっては堪らない。

「……歩いてるってば。道中、死にかけてたのは誰だっけ?」
「知らねーな」
「アンタだよ!玄奘三蔵!」
「よし。元気だな」

一般的な頂上へと向かう道ではなく、ほとんど獣道と化している消えかけた道へと足を進める。隣を歩く紫雨が止めなかったということは、進む道はこっちで合っていると確信していい。

「…………!?」

鬱蒼とした草木に遮られていた視界が開ける。目が痛いほどの青空の下、現れた岩楼に目を見張った。

「おい、俺の事をずっと呼んでたのはお前か?
「……え?」
「うるせぇんだよ。いい加減にしろ」
「俺……誰も呼んでねーけど…」

化け物が怨念を飛ばしている。害を与えるどころか間抜け面で見上げるガキは、或る意味で期待外れも良いところであった。

いつかどこかで会えないまま

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