【第10話:やさしいだけではない暮らし】

「……思ったんだけど」
「なんだ」
「もはや完全に観光目的の旅になってない?」

旅する三蔵法師にくっついて、早数日。刀を抜く機会が無いのは、幸いと言うべきか。それとも、物足りないと言うべきか。

祭り上げられるのが嫌だからと三蔵は、三蔵法師であることを基本的に明かさない。だいたい仮にも最高僧が従者も連れず、刀一本しか持たぬ眠そうな年端もいかぬ少女を護衛として連れ回しているという方が問題だ。

何事も無く旅路は過ぎて、今日も今日とて宿に入った。監視対象が別の部屋に寝てどうすると言い張るせいで、泊まる部屋は同室だ。出会った時の一件があったから襲撃に備えての提案であろうが、生憎と守られるだけのお荷物では無いし、今後自分の身を守るために三蔵の手を借りる予定も無い。それから、同室だからといって、何か特別なことがあるわけでないことは予め断っておく。

「……そうか?」
「今日もさ。服、買ったよね。この前、靴買ったよね」
「貰った金をどう使おうと関係ないだろ」
「三蔵が使うものを、三蔵が買うならいい。なんで私のものを買うの?勿体ないでしょ」

いつ、死ぬか分からないし。危うく付け足しかけた言葉を慌てて飲み込んだ。口にした日には、まだそんなことに拘っているのかと延々と説法が続く。

旅の初日で財布くらい持っておけと言った三蔵によって、落としたままだった財布が新しくなって、ついでに持ち物に小さな鞄が増えた。

二日目、日中も寝る時も同じような服だから三蔵が文句を言った。自分は同じ服を着ているクセにだ。

三日目の朝、今日から履けと知らぬ間に買っていたらしき靴が袋ごと投げられた。一日挟んだ五日目、宿に帰ってきた三蔵に無言で服が手渡された。

六日目、今日こそはと止めに入ったが、本人が居るのを良いことに間接的に三蔵の着せ替え人形にされた。三蔵が選んだ服を怒涛の勢いで店員に着せられて、服が出立した時の倍になった。きっと明日は、また靴か装飾品が増える。

「あのな……お前、足つくぞ。少しは出歩く時くらい服変えろ」

寝るにはまだ早いからとテーブルセットに座って、紅茶の入ったカップを傾ける。隣で完全に気の抜けた格好で、コーヒーカップを傾けている三蔵から呆れた視線が飛ぶ。

「…………ああ、何も考えてなかったな」

買ってきた方を普段着にして、向こうから持ってきた服は格下げをされて、黒のタンクトップの上に白のブラウスは羽織っただけだ。場合によってスカートの時もあるが、寝相の関係でズボンの方が多い。

言われて初めて気がついた。そんな反応をすれば、盛大な溜息が返ってくる。無論、身なりには気を使っているが、服装に頓着しない。金銭のかけどころが分からないというのも一因ではあるが、洒落た服装をしたところで利益が上がる訳でもない。

「いや、かと言って。それが服や靴買って、ご当地スイーツ巡りする理由にはならないでしょ」
「歩きやすい靴の方が良いし、偏食が死ぬほど激しい奴は誰だよ」
「……まあね」

初日なんて、ちょっとそこまでの感覚でスカート姿にブーツを突っかけてきたから、確かに失敗だったと思った。靴擦れのしにくい、しかも走っても支障のない靴が早い段階で渡されたのは助かった。

服も服でしっかりと手首が隠れるものを買ってきた三蔵の配慮には感謝をしているが、こちらは普段着ない色を渡されたから、どうにも慣れない。

「で。俺からも聞きたいんだが」
「はい?」
「紫雨。お前、日中何してんだ」

大きめの町に入ると、早々に宿を取る。夕食をする場所と時間だけを決めて、後は三蔵を部屋に置き去りにして、刀を片手に宿から出る。

夕食を終えれば宿に戻るか、また町に繰り出すかのどちらかだ。深夜を過ぎると三蔵が煩いから、なるべく一緒に帰るようにしている。

「別に遊んでないよ?」
「知ってるつーの。傷つくって帰ってきやがって」
「あいでっ。弾くな」
「それになんだ。武器、増えてんだろ」

ギャーギャーと喚く三蔵に、誤魔化し笑いをしつつ宥める。頬に貼られた大きめの絆創膏を人差し指で軽く弾き、ベットの上に放られた白い上着が睨まれる。隠しているつもりも無いからバレても構わないが、理由を考えておくべきだった。

「一応、研究所の件は探っときたいし。情報屋や町の人間と接触して、情報交換しといて損は無いからさ。これは、まあ別件で。この界隈にのさばってるチンピラから武器を借りてきた時に油断して、刃物が掠りまして」
「前半は良い。後半だよ、問題は。借りてきた武器、返すつもりは」
「え、無いよ」
「聞くだけ無駄だったな……」

頬に走った切り傷から滲む血を見て、ぎょっとした顔をした三蔵に危うく身ぐるみ剥がされそうになった。上着とともにベットの上に放った、夕食後までは無かったモノの存在を察して身を引いたが、怪我をするのは避けた方が良いらしいと、救急箱を手に押し倒す勢いで迫ってきた彼に悟った。

「良い拾い物したよ、こんなところでスプリングフィールド拾えると思わなかった」

怪我をしているのに(言っておくが、掠り傷だ)上機嫌で帰ってきた理由はこれである。コーヒーを飲み込みかけた三蔵がむせて、苦々しい顔で視線を投げる。なんつー拾い物をしているんだ、と言いたいことは聞かずとも分かる。

安全装置が着いているからという理由で、クルクルと手のひらで回しながら久々の感触を味わう。かれこれ一ヶ月は撃っていないから少し練習しなければ狙いがズレるだろうが、それでも腕は落ちていない自信はある。

「強奪したの間違いだろうがッ!怪我してきやがって!」
「町の治安が今日も守られたね」
「次に怪我して帰ってきたら覚えてろよ!」
「分かった、分かった。消毒液とか勿体無いし、気を付ける」
「……そういう問題じゃねえ」

頭のネジ、全部外して締め直してやろうか。罵倒と揃って飛んできた、頭を小突くべく伸びた拳を視線も遣らず華麗に避けつつ、思い出したように口を開く。

「あ。そういえば、五行山の妖怪の話なんだけど。聞いたところによると、五行山の頂上には天界から追放された、こわーい化け物が五百年前から封印されてるらしいよ」

本気で調べてたのかと言いたげな、呆れと感心が半分半分に入り交じった眼差しが横から向けられる。冗談で済ますような話を本当に調べているとは思いもよらなかったらしいが、元を辿れば調べさせたのはそっちの方だ。

「本当に都市伝説の類じゃねえか。五百年生きてる化け物だと?バカバカしい」
「もしそうなら、長寿だよね。『本当に五百年、山の上に住んでるんですか?』って聞いて、『はい、そうです』って返ってきたらどうしよう。流石に妖怪の類の知り合いは、周りに居ないんだよなぁ」
「そこじゃねえだろ」

町の長老衆のところに顔を出して聞き出した情報によると、地元の人間が五行山自体に近寄ることが無いらしい。俗世に馴染めず疎まれている人間がそこに住んでいるのか、それとも本当に天界から追放されてしまった妖怪が居るのか。

「妖怪の類に入る知り合いは居たがな。食えない狸ジジイだったが、ありゃ間違いなく妖怪だ」
「……ん?」

何があったかは預かり知らぬところであるが、三蔵が珍しく顔を引き攣らせた相手は、恐らく以前慶雲院を取り仕切っていた持覚のことを言っているのであろう。

三蔵曰く、会ったこともない私が遠い親戚であると、滅茶苦茶な理由をでっち上げられても、確実に向こうの岸で爆笑している。それ以前に、三蔵自身が面倒事に巻き込まれているのを見て、喜んで眺めている人間らしい。傍からすれば仲の良い祖父と孫の関係に聞こえるし、完全に遊ばれていると三蔵は気付いているのか。

「妖怪の類に入る知り合いか。私自身が特殊だから、何とも言えないんだけど。私にも居るかも、その知り合い」
「……俺以外の知り合いなんていたのか」
「三蔵って、時々だいぶ失礼だよね」

研究所から逃げ出し、自分を助けてしまった研究員と死に別れ、二年前から今日に至るまでの本格的な逃亡生活の糸を引いた人間が居る。

家宝のように大事に扱っていた刀が渡され、逃げろと血に塗れた手で背中を押され。その場から離れるように促した彼に逆らえず、ひとまず流れでその場を離れたものの、どうすればいいかなんて分からなかった。

逃げろと言われても、一生鎖を付けられて生きていくと思っていた人間には方法が分からない。今居る場所すら分からないから、当然進む方向も分からない。追い掛けてきた研究所の人間に諦めて足を止めかけた瞬間、何度か家を訪れていたアイツが現れたのだ。

ただし、神様でもなんでもない。あれは、死神だ。何食わぬ顔をして追手を一掃してみせた彼と、誰であろうと殺すことに何の躊躇いもしない私は、きっと根底は恐ろしいほどに似ている。

『殺さないと、生き残れないよ?』と、行く末をこの期に及んで決め損ねていた私に対して笑い混じりに告げられた言葉は、どういうわけか今でも耳にこびりついて離れない。

「名前どころか、素性も知らないんだよ。何考えてるか全く分からないし、妖怪っていうより道化って言った方が正しいね。呼んでもないのに急にフラッと目の前に現れたかと思うと、勝手に絡んできて。軒並み家にある菓子食い尽くして、茶しばいて帰る」

クソ迷惑なヤツじゃねぇか。三蔵の一言に、首を縦に振って同意を表す。振り回されるだけ振り回されて、投げ出される。あの男と話すのは良いが、頼まれ事だけは絶対に受けない。

一番関わりたくない部類の人間として、本能が警告を鳴らしていたこともあって、此方から近寄りはしなかった。保護者的立場にあった研究員も、その男に対しては一線を置くように仕向けていた。

いつも話し込んでいた二人とは正反対に、決まって男が来る時には話の輪から追い出されていた。いったいどんな話をしていたのか、気侭すぎる男に聞いてもはぐらかされるだけだから、何も分からない。

「でも、なんか三蔵に似てたかも」
「はあ?そんな意味の分からん奴と一緒にするな」
「気のせいだったかも」
「どっちだよ」

比べれば比べるほど、少しでも三蔵に似ていたと思った自分自身の頭を疑いたくなる。首を捻って、記憶の中の男と三蔵を比べて、きゅっと唇を引き結ぶ。

「三蔵も三蔵だけど。更にヤバイ相手だから」

きっと。少しでも歩み寄る素振りを見せれば最後。そちら側へと引きずり込まれる。深淵に足先が触れた瞬間、気付かぬうちに闇に飲まれている。そんな得体の知れない男だ。

「……俺からしてみれば、お前も大概おかしな奴だがな」
「え?どこが?」
「全体的に」
「ちょっと。それは酷すぎる」

頭の中を更地にして、イチから躾直してやりてぇくらいだ。暴論を吐く三蔵に、無言で近くにあった砂糖の瓶を振り上げたのは許されて然るべき行為だ。

やさしいだけではない暮らし

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