【第7話:丸く馴れ合い真円】

「隊長。起きてください」
「……乱暴な副官だな」
「頼まれてた書類、出来上がりました」

確認お願いします。ぶっきらぼうに告げて、バサッと頭の上に乗せられた紙束を受け取ると、わざとらしく深々と溜息を吐く。

天界が暴風雨に見舞われることなんて、断じてないけれど。こんな天気の良い日に、何故書類と向き合わねばならないのか。

観世音菩薩の持ち家だった屋敷を情報部の隊舎として使い始めて、早数年。好きに使っていいぞと告げられた言葉通り、隊員も居ないうちから部屋の壁をぶち抜いてつくった大きな執務室は、隊員が増えた今、無事に有効活用されていた。

南向きの窓際。大きな部屋の上座でもなんでもない場所が、情報部の隊長の席だった。座った背中をぽかぽかと暖める、柔らかな陽射し。開け放した窓から聞こえる、小鳥の囀り。眠くなる要素は、見事に揃っていた。

「……真面目だね?もっと緩く生きようよ」
「その前に仕事してください」

唯一、その場所に席を置くことに難色を示した副官の読み通り。心地好い眠りを誘うには最適な場所で、今日も今日とて居眠りを交えながら、マイペースに仕事を進める上官を据わった眼で見遣る部下は、なかなか辛辣な言葉を投げてくる。

「今日の私の仕事はキミたちの書いた書類の内容を確認して、ぺたぺた判子押すだけでしょーが。現場監督なんて、近所の猫でもできるよ」
「猫は判子を持てません」
「じゃあ、副官殿にこの判子あげる」
「何度も言ってますが。隊長印を誰でも押せる、スタンプラリーにしないでください」
「うちの隊員は優秀だから。大丈夫だよ」

ああ言えば、こう言う。手渡された書類を流し見だけすると、執務机の上に置かれた判子を朱肉に付けて、上官確認欄にポンッと押す。花丸、満点。文句なし。

あっという間に処理済みの箱に放り込まれたそれに「ちゃんと見てください」と、すかさず言葉が飛んでくるが、入隊した頃から不備のある書類を出してきたことが無いのは、隊長の私がよくよく知っているから心配しなくとも良い。

「こんな天気の良い日は、のんびりするに限るよ。ほら。みんな、今日は休みにしよう」

やるべき時はしっかりと、手を抜く時はちゃっかりと。ロクでもない目標を掲げるなと、ものの数時間で降ろされた情報部の隊規は、実際のところ裏の隊規の位置に収まっている。

「その理論だと、毎日休日になるんですよ」
「適度な休みも必要だと思う」
「はあ……入隊した頃の隊長は何処に行ったのやら」
「副隊長が甘やかすからでは?」
「お前……此処の全隊員に。そのブーメラン突き刺さるって、判って言ってるか?」

いよいよやる気が底をついた。椅子にひっくり返って、口から魂を飛ばしている私をいいことに。隊員の間で交わされる、悪口じみた本音の飛び交う執務室は、至って平和そのものだ。

ホワイトな職場、此処に極まれり。いっそ空中分解しても、このメンツなら何とかなる。いつも仕事を真っ先に投げ出し、脱走を図るのは隊長である私だった。上に立つ人間が多少なりとも抜けていると、自ずと下の人間はしっかりしてくる。

「……お茶にしましょうか」

一気に締まりのなくなった空気に、とうとう夏野が先に折れた。机の上のマグカップを回収して席を立った呆れ顔の副官は、背後の窓を凝視して、不意に動きを止めた。

「え、こわ……なに?」
「多分、お客さんかな?」
「ん?」

くるりと背後を振り返るが、誰も居ない。幽霊がこんな真っ昼間から活動するなど、馬鹿げた話だ。そもそも論、この天上界に幽霊なるものが存在するのか。

と、なれば。椅子から立ち上がって、ガラリと窓を開けて納得した。鉢植えの並べられたコンクリートブロックを足台にして、窓越しに覗いていたらしい。開けられた窓の下では、気まずそうな顔をしている悟空が鉢植えに紛れて、大地色の髪をした小さな頭を抱えていた。

「なーにしてるの、悟空?」
「あ、あのな!俺、采霞と遊ぼうと思って来たんだけど!仕事してるみたいだったから、邪魔しちゃ悪いかなって思って。金蝉にも邪魔だけはするな!って、言われてるし。そしたら……」

そこで悟空は拗ねたように口を尖らせる。悟空の背には、少しばかり高い位置にある窓。背伸びをして、そこから覗くのは随分と苦労しただろう。

声を掛けるか掛けまいか迷っていたところ、うちの副官とバッチリ目が合ってしまった。後ろを振り返れば、偶然とはいえ、顔半分だけ覗かせていた人物を見つけてしまった張本人も、困ったように眉を下げていた。

だが、今この状況で。悟空が遊びに来てくれたのは、大変な好都合だ。正々堂々、仕事から逃げる口実ができたのだから。

「えー……只今より情報部隊長采霞は別任務に赴くため、夕方まで留守にしまーす。各々、判らないことがあれば、副官の夏野に都度指示を仰ぐように。じゃ、また」
「ストップ」
「ぐえっ!?」

よいしょと窓枠に足を掛けて、いざ外へと飛び降りようとしたタイミングで上着の襟首が掴まれる。容赦なく首が絞まり、窓枠からズルっと滑った足に床へと落ちた。それはもう、真っ逆さまに。

「〜〜バカ夏野!何すんのさ!」
「もう昼前です。仮にも "任務" なら、きちんと腹拵えをしてから外出してください。悟空、玄関から回って来なさい。鍵空いてるから」
「……夏野母さん!」
「誰が母さんだ」

ポカっと丸めた書類で頭が叩かれる。その一部始終を見ていた隊員たちが、堪えきれなかったように一斉に吹き出した。どっと空気を揺らした笑い声に、心外だとばかりの表情で夏野が肩を落とした。



「うおー!?采霞めっちゃ綺麗だな!?」
「恥ずかしいから」

頭の固い副官から、仕事放棄の許可も出た。いっそ仕事のことを忘れようと、少し迷った後、軍服から私服へと久しぶりに袖を通した。ただひたすら、緊急召集がかけられないことを願うばかりだ。

散々迷った末、クローゼットから取り出した柔らかな素材をした薄い翠色の服は、例に漏れず金蝉が選んだものだ。彼が私のために買ったものなら、どれを着ても絶対にハズレはない。装飾品の類いは必要ないから、乱れ気味の髪だけ結びなおして部屋を出る。

廊下から聞こえた足音を聞き付けて、ひょっこりと台所から悟空が顔を覗かせる。普段と違う格好をしている私に真っ先に駆け寄り、精一杯の賛辞を口にしながら、ぴょんぴょんと周りで飛び跳ねる彼に恥ずかしくなって、慌てて逃げ場を求めて台所へ駆け込む。

「そこで跳ね回ってる二人。お昼ご飯食べちゃいな」
「悟空、デザートもあるよ」
「マジで!?」

涼しげなガラス製の器に盛られた、野菜たっぷりの彩り鮮やかな冷麺。そして、デザートのレアチーズプリン。味を選べるようにと思い、食器棚から取り出した色とりどりな瓶詰めの手作りジャムを前にして、たちまち悟空は興味津々の顔になっている。

「これも食べれんの!?」
「うん。食べれるよ」
「スッゲー!」

今度来た時に、食パンと一緒にジャムの瓶でも土産に持たせてあげよう。流石に料理の不得手な金蝉も、トースターで食パンを焼くくらいできるはずだ。宝石箱でも覗いたかのような反応をする悟空に、くすりと自然に笑みが漏れる。

「食べ終わった食器は漬けといてくれたら、それで良いから」
「悪いね。そして、ひとつ伝言。冷蔵庫に入ってるデザートは、みんなで食べること。余りは争奪戦で」
「了解、伝えとく。二人とも、出かけるのは構わないけど、怪我しないようにね」

仕事に戻って行った真面目な副官の背中を見送ると、ヨダレを垂らす勢いでジャムを眺めている悟空をなだめて、椅子に座らせる。

両手を合わせて、いただきます。煮る・焼く・炒める、どれをとっても合格点に届かない金蝉のことだ。料理の得意な輩の作るものとは、食べるものがまた違う。現に、ガラスの器に盛られた冷麺を物珍しそうな顔で見ている悟空は、もしかすると初めて食べるのかもしれない。

「変なもんじゃないから。食べてごらん」
「うん」
「どう?」
「スッゲー美味い!」

恐る恐るという風に、たどたどしい手つきで箸を口へと運んだ悟空は、ぱあっと表情を輝かせる。どうやら、味はお気に召したようだ。モグモグと小さな口を動かす悟空は、見ているこっちが幸せになるくらい美味しそうに食べる。

話を聞いてみれば、冷麺もレアチーズプリンも初めて食べたそうだ。そりゃそうか。あの金蝉が手の込んだものを食卓に並べたのならば、それは私が泊まりに行った時に作った料理を解凍したものだ。電子レンジでチンだけはマトモに金蝉もできるから、次に行った時に大量の作り置きをしておいた方が悟空のためになるかもしれない。

あっという間に冷麺を胃に収めると、デザートへと手を伸ばす。迷いに迷った末、悟空はブルーベリーのジャムをかけて食べることを選ぶ。

デザート皿を空っぽにしてもなお、瓶詰めジャムに齧り付いて、全身で気になるオーラを出す彼に、あっけなく私は折れた。結局すべてのジャムの蓋をあけて、試食会よろしく少しずつスプーンにすくって味見をさせてしまう私は、ジャムに入っている砂糖と同じくらい悟空に甘かった。

丸く馴れ合い真円

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