【第2話:果たされない独占欲の行方は】

汚部屋の掃除に終わりの兆しが見えた頃には、とっぷりと陽が暮れていた。とことん荒れた部屋の掃除に関しては、部屋の主である天蓬が居ない方が早く片付く。

発掘された昨日提出し損ねていた書類を彼に運ばせている隙に、下界で買ってきたと自慢げに見せられた謎の呪いのお面やら良く分からないガラクタを、容赦なく黙々とゴミ袋へと突っ込んでいた私たちは鬼である。

長時間の片付け作業にゲンナリとしながらも、捲簾手製の夕食が食べれたから良しとする。それに今回は手土産もある。正当なる任務報酬に、いつものような愚痴は出なかった。

「……あー、重労働だった」

戦利品のごとく手に入れた、甘い香りを漂わせるいくつもの菓子。菓子は菓子でも、軍人二人は酒のツマミになるようなものにしか興味が無い。よって、甘い菓子は腐海でホンモノの肥やしとなる運命を辿ることになる。これでは菓子も報われない。

だが、好都合なことに。彼らの知り合いには、無類の菓子好きが居た。ならば、そいつに押し付けてしまえば良い。言ってしまえば体のいい押し付けなのだが、タダで貰えるならもらっておいて損は無い。

しかも、丸々すべて自分の取り分にできるのだから、上機嫌にもなる。対価として掃除という労働があったと思えば、簡単に機嫌は上向きになる。

「どれから食べよっかな」

どら焼き、大福、クッキー、マドレーヌ。どれも滅多なことがない限り、手に入れることのできない天界における人気店の高級菓子だ。

箱で手に入れることができなかったのは残念だが、菓子の袋詰めは有難い。ご褒美と言わんばかりに手に入れた菓子を両手に抱えて、鼻歌交じりに廊下を歩いていたまでは良かった。

「あれー?菩薩だー!何してるの?」

その道すがら、観世音菩薩に出会した。捲簾といい天蓬といい、まったく今日はよく人と会う。

「ちょうどいいところに居たなぁ?采霞」

ニンマリと笑みを浮かべた顔を見た瞬間、脳内でピロンピロンと警戒アラートが鳴り響く。これは不味いタイミングで出くわした。この顔は間違いなく、面倒ごとをふっかける気だ。

「あっ?えっとねー…やる事あったから帰る……」
「ホント、嘘がド下手クソだな」

即座に背を向けたものの、相手の方が数秒早かった。いや、そもそもトラブルメーカー、天下の観世音菩薩に抗おうとするのが間違っている。どうにか切り抜けようとしてもごもご言っているうちに、スッと両手から存在を無くした菓子の袋に、情けない悲鳴が口から飛び出す。

「んぎゃー!?」
「コイツを返して欲しくば、ちょっと手伝え」

菓子を人質にとられては、為す術もない。ぴょんぴょんと飛び跳ねるが、到底取り上げられた菓子袋には届かない。

「采霞連れて帰りゃ二郎の機嫌も直るだろ」
「あーっ!連れ去りだーっ!」
「実家に帰るだけだ。帰省だ、帰省」

あれよあれよという間に小脇に抱えられ、人攫いに遭った。菩薩の執務室に投げ込まれ、怒りに任せてバンバンと判子を押していたのは覚えているが、書類の山二つを片付けた辺りを境にして、もはや記憶が無い。

最後の最後で、厄日に塗り替えられた。
やっぱりあの呪いのお面は、本物だったのかもしれない。



浮上した意識にぱちりと目を開けて、上半身を起こす。そして、くわぁと欠伸をする。力一杯身体を伸ばしながら、見上げた天井がいつもと違うことに首を傾げる。

しばらく布団の上に座ったまま思考を巡らせ、観世音菩薩宅に引きずり込まれたことを思い出す。懐かしい部屋は、かつて私が居た頃と何一つ変わっていなかった。

「あ。そっか」

如何せん、寝起きの頭は働くはずもなく。その結論を導き出すまで、鈍った頭では少なくとも三呼吸分の時間を要した。これが戦闘であったら、確実にスパッといかれて死んでいること間違いない。

何故かきっちりと畳まれている服に腕を通しながら、もう一度大きな欠伸を漏らす。かなりの時間寝ていたはずなのに、こうも欠伸が連発して出るのは、昨夜、頭も身体も使いすぎたからだろう。

「……なにごと?」

顔を冷水で洗っても、眠りを欲し続ける頭は覚醒しきっていない。あとで昼寝でもしようと何度も欠伸を漏らしながら居間へと足を踏み入れると、見知った金色頭と露出狂が顔を突き合わせて大喧嘩していた。

「朝っぱらから元気だね」
「「もう昼だ」」

ふわふわと欠伸混じりに言えば、二人のツッコミが重なる。腐っても叔母と甥、タイミングも内容も息ピッタリだ。

遅めの朝食兼昼食を運んできた二郎神に礼を言い、手を合わせて箸を取る。白ご飯、わかめと豆腐の味噌汁、それと卵焼きとおひたし。ありきたりなメニューだが、これが一番美味しい。

「……チッ!」

仏頂面で盛大に舌打ちをかました金蝉は、ちまちまと箸を進めている自分の隣へと腰を下ろす。俺様中心で世界が回っていると本気で思っている菩薩と口喧嘩しても、勝てないなんて分かりきったことだ。結局折れるのは自分なのだから、いい加減諦めれば良いのに。

「おはよう、金蝉」
「ああ、とっくに朝は過ぎてるけどな」
「珍しいね。こっち来るの」
「ババアが勝手に書類を押し付けやがったんだよ。夕方までにすべて終わらせたはずが、少し席を外した隙に増えてやがった」

甥っ子を巻き込もうとしたものの、残念なことに(金蝉にとっては幸いにも)本人は不在だった。だが、菩薩が何の成果もなく、そのまま帰るとも思えない。置き土産とばかりに、机上に書類を置いてきたのだろう。

「あ、だから昨日あんなところに居たのか」

一人で納得している私を怪訝そうな表情で見る金蝉に、慌てて「こっちの話だよ」と付け足す。何にせよ、変な場所で菩薩と鉢合わせた理由がこれで明らかになった。

視線を浮かせれば、机に散らばった書類が嫌でも目に入る。金蝉によって叩きつけられたと見える書類は、どれもこれも本人の認印がいるものばかり。ロクな選別もせず引っ掴んだものを置いてきたため、混じっていたらしい。なんだかんだ口では文句を言いながら手を貸すとは、金蝉も人が良すぎる。

「そろそろさ?観世音菩薩被害者の会でも作ろうよ。初期メンバーは、私と金蝉と二郎神」
「名案だな」
「……テメェら…黙って聞いてりゃあ好き放題言いやがって」

額に青筋を浮かせながら向かいに座った菩薩は集めていた書類を丸めると、パンッと手のひらに打ち付ける。すかさず離れた位置に侍していた二郎神から、書類で遊んではなりませんと叱責が飛ぶ。

「……ん?揉めてた理由、それだけ?」

しょうもない理由に、味噌汁を飲み込みながら唖然とする。いや、昔からこの二人はどうでもいいことで争っているか。

「金蝉がこっちに来るのなんて珍しいだろ?普段は寄り付かねぇクセに。そりゃ、弄るしか選択肢がねぇだろ」
「〜〜ッいい加減にしろよ!!クソババア!!」

からかう気満々の菩薩に簡単に乗せられた金蝉も、大概気が短い。バンッと叩かれた机から跳ねた茶碗を抑えつつ、白い服の裾を引っ張って留める。

「はいはい。落ち着いて」
「このババアがっ……むぐ!?」

再びヒートアップしかけた言い合いに、金蝉の口に卵焼きをひと切れ突っ込む。二郎の作る大根おろし付きのだし巻き玉子は、とても美味しい。

「最近、天蓬に取られ気味だからな。拗ねてんだよ」
「何が?高級店のお菓子?」
「オイ、ババア!黙れ!」
「お前が天蓬たちのとこに行ってばかりで、甥っ子は寂しいんだとさ」

気まずそうに視線を逸らした金蝉とは、久々に接した。といっても、三日前に会ったばかりだが。

確かに最近は、軍関係の話をすることが多いせいもあって、天蓬と捲簾のところばかり訪れていて、金蝉のところには遊びに行っていない。それこそ四六時中、一緒に居た時と比べれば、格段に共にいる時間は減った。

「采霞が心配なら心配って、素直に言えばいいだろ」
「はあっ?!別にそんなことは……!」
「うん?なに?」
「良いからお前は食ってろ!」

したり顔で金蝉をからかい続ける菩薩と、その度に表情を変える彼は見ていて飽きない。突然向けられた話の矛先に理解出来ず、きょとんとすれば後頭部が叩かれた。解せない。



小さな口を必死に動かしている采霞は、まるで小動物だ。よく跳ねる。よく駆け回る。そして、よくコケる。

困ったことに体力が切れれば、電源が落ちるように何処でもかしこでも寝落ちる。昨夜も何の前触れもなく、執務室の机に額を打ち付けて、あろう事かその状態で寝落ちた。

采霞は強い。しかし、それは戦闘だけに限った話であって、内面は恐ろしく脆い。あまり周りに関心を持たない甥の金蝉と違って、采霞は自ら非日常に飛び込んでいく。

周りがいくら止めようとも、お構いなしで危険に突っ込む。傍迷惑な話にも近頃は、危険行為を西方軍の大将が煽り、元帥も悪ノリするようになった。

常に誰かとの関わりを、求め続けている。生きていることを、確かめ続けている。そんな生き方をする采霞を、彼女と一番長い付き合いであるはずの金蝉は、ただ黙って見ている。

「……まるで仔ウサギだな」

その一言を聞き留めたであろう金蝉が、ぴたりと動きを止めた。紫暗の瞳から向けられる視線は、痛いほど真っ直ぐに突き刺さる。その視線に含まれた、わずかな嫉妬心。

「いつまでも采霞が傍に居るとは限らねぇだろ?金蝉」

天蓬と捲簾。そのどちらかに傾く可能性とてあるのに。その可能性を微塵も疑っていない金蝉と、同様に采霞もまた、隣に金蝉が居ると信じきっている。

「俺がいる限り、それはねぇよ」

こういう時に限って、確信めいた言葉を揺らぎもなく紡ぐ。こいつら二人の根底に存在する感情は、まったく名状しがたい。

「お前は。お前らの関係は、それでいいのか」

知らなければ、踏み込めない。だが、すべて知っているからこそ、踏み込めないこともある。采霞と金蝉の距離が、一向に縮まらないのはそのせいだ。

捕まえようとすれば、逃げられる。相手も傷つけるのを恐れて、下手に追うことはしない。ここに来て、変なところで遠慮を発揮する両者が、お互いにお互いの距離を測りかねている原因はそこにある。まだ采霞が小さい頃の方が距離は近かったが、あれは幼かった故ともいえる。

なにかきっかけとなることでもあれば、違うのかも知れない。だが、自分の考えに反して、天上界でそんな都合の良いことは起こらない。

「……別に、急ぐことはねぇだろ」
「ほお?」
「死ななきゃいい。生きてりゃ嫌でもそのうち変わる」

話の蚊帳の外へと追いやられたせいで、采霞は箸を持ちながら寝こけている。視線を向けてから何を言うか考えあぐねていた時間で、寝癖のついた髪には彼の指が通され、慣れた手つきで次第に編まれていく。

考えていた時間に対して、甥っ子の口から零れた言葉は短い。そうしているうちに、所々が寝癖で跳ねてはいるが見慣れた尻尾頭ができあがっていた。

「ったく……起きろッッ!」
「ぎゃっ!暴力反対!」
「箸持ったまま寝るヤツがあるか!」
「だって眠かった」
「その割に背が育ってないな」
「はあ〜〜!?喧嘩売ってんのか!?」

親ウサギに耳元で怒鳴られ、バチコーンっと振られた手のひらが小さな後頭部を引っぱたく。置かれた茶碗をひっくり返す勢いで、眠っていた仔ウサギは跳ねて飛び起きる。

キャンキャンと喧しく言い争う二人の様子に思わず吹き出す。まったく、微笑ましいの一言に尽きる。

「……ま、見守るのも一つの手か」

箸を放り出して金蝉の頬を引っ張る小さな手、かたや自分で結んでやったばかりの尻尾頭を引っ張る手。ギャーギャーと騒ぐ二人とひたすらゲラゲラと笑っている俺に、保護者的立ち位置の二郎神から雷が落ちたのは言うまでもない。



──その数日後。

下界より一人の幼児が天上界へと連れてこられた。花果山山頂より生まれた、大地が産んだ生き物。人でも妖怪でもない異端なる存在。

この物語は、ここから大きく動き出していく。

そして、その存在が長年待ち続けたきっかけであったと知るまで、そう時間は掛からなかった。

果たされない独占欲の行方は

prev | [ 目次 ] | next