この天上界には、心踊るような変化は何も存在しない。
退屈な日常。永遠に変わらない季節。
気の遠くなるような年月にわたって続く、平穏と安寧に身を委ねるだけの人々。彼らはその平穏がいつか消え去る虚構の上に、成り立っていることを知りもしない。
変化のない日常のどこが楽しいというのか。その問いを投げかけられた二人の友人が揃って苦笑したのは、さて何時だったか。
「あの人たちは、変化を知らないんですよ。興味が無いんです」と、甘い煙草の匂いを漂わせながら一方は呟いた。「変化が無いなら作ればいいじゃん?」と、もう一方の友人は、口に飴玉を押し込んできて、時たまトリッキーなことを仕掛けてくるようになった。
偶然、この場に不在だった保護者役は「お前が居る現状に俺は満足しているが、何か問題があるのか」と、予想の斜め上の返答をしてきたから、あえて除外する。
──時間の死んだ場所、それが天上界。
「……暇だなぁ」
据えられたまま存在を忘れられたベンチは、私以外使う人間もいない。ろくすっぽ手入れがされておらず、ボロボロのそれを友人に直してもらって、勝手気ままに暇つぶしの場として使用している。
すぐ近くに立つ桜の大木が上手い具合にベンチの存在を隠してくれるから、一人の時間を他人に侵害されることも無い。まさにサボりには打って付けの場所だ。
「……あれ」
刻限を知らせる鐘の音が鳴ったのは、もうだいぶ前のこと。こんな処でいつまでもサボっていても仕方ないのは分かっている。よし、あと一つお菓子を食べたら帰ろう。
「わあ、最悪だ」
上着のポケットに突っ込んだ手は、お目当てのものを探り出すことは出来なかった。ここに来る前に方々から、掠め取ってきた菓子がこのタイミングで尽きた。いよいよ最悪である。
降りそそぐ眩しい陽射しに、すっと目を細める。空から都合よく菓子が降ってこないだろうか。菓子を貰いに行っても良いが、仕事をサボっているのを見つかれば面倒だ。
天にかざして白く光る手のひらを意味もなく見つめていれば、窓が盛大な音をたてて開いた。壊れんばかりのけたたましい音をたてて開かれた窓に、弾かれるようにして身を起こす。
「お!やっぱり此処に居たか!」
「うわぁ!?」
反射的に手に固めかけた気と、抱いた警戒心を解く。サボりを働いている時に奇襲攻撃をしてくるヤツは、一人しか心当たりがない。
「お帰りくださーい」
「……オレの扱いひどくねぇか?」
「お菓子くれたら考えてあげる」
「お前さん、毎日ハロウィンだな」
天界西方軍大将・捲簾。まだ火をつけたばかりらしい煙草の煙を吐き出しながら、豪快に笑う。相変わらず喧しい。
そろそろ戻ろうかという、さっきまでの前向きな気持ちは跡形も無く、真面目という言葉とは最も縁遠い捲簾の登場によって吹き飛ばされた。こうなれば、捲簾も暇つぶしの巻き添えにするしかない。
「まーた軍議すっぽかしてサボりですか?僕も仲間に入れてくださいよ」
「あっ、コラ!押すな天蓬!窓枠にめり込む!」
「……軍議、今日だっけ?」
「相変わらず軍議に関しては存在すら認める気ありませんよね、貴女」
窓の真ん中を陣取っていた捲簾が脇へと雑に押しやられて見えなくなったかと思えば、すぐに見知った顔が横から覗く。同じく天界西方軍元帥・天蓬。頭上から降ってくる呆れきったその声に、ベッと舌を出して、ささやかな反抗をする。
なるほど、なるほど。通りで普段より清潔感のある格好をしているわけだ。甘い煙草の匂いに混じる、石鹸の匂いに捲簾の奮闘が目に浮かぶ。
「だって。軍議面倒なんだもん」
「出席する僕はもっと面倒です」
全身でとても面倒臭かった、と訴える天蓬に苦笑した。完全に目が死んでいる。いつも以上に、声に力も入っていない。
毎度、泥沼に陥る軍議は、できることなら出席は避けたいと思っている。何の進展もない会議は、貴重な時間が奪われるだけだ。天蓬の様子から、今回は特に酷かったことは想像に難くない。
「ほーれ見ろ。コイツのことだから、絶対忘れてるって言ったろ?」
「僕の部屋に連絡板の設置でもします?本日軍議あり。必ず参加されたし……って」
「小学生か。てか、オレらが捕まえといた方が確実だろ」
「あれ?まんまと逃げられたのは何処の誰でしたっけ?」
「しょうがねぇだろ!逃げ足早ぇんだよ!文句言うなら、テメェも手伝いやがれ!」
当人そっちのけで話す二人の声を聞きながら、再び頭上の桜へと視線を移す。ふわり、と舞い落ちた花弁が鼻先を掠めて、くしゃみがでそうになった。暖かさを含んだ頬を撫でる風が随分と心地好く、思わず欠伸が漏れる。
「ほら。そんなところで何時までもサボってないで。行きますよ、采霞」
不毛な話し合いはひと段落ついたらしい。どのみち軍議があると分かっていても同席することは、多分一切無い。間延びした天蓬の声がちょいちょいと意識の端を引いて、眠りへと飛びかけていた思考を引き戻す。
「おら、戻んぞ。チビ」
「チビっていうな、捲簾のばーか」
窓から差し出された捲簾の手を握れば、グンっと存外勢いよく引き寄せられる。その勢いに体勢を崩すこともなく、タイミング良くベンチを蹴ると身体は一瞬で窓を抜け、廊下へと足がついた。
「軍議サボった代わりに、天蓬の部屋の掃除を手伝え。情報部の隊長の代わりに発言してやった親切な捲簾様に敬意を表せ」
「絶対にいーやーだー!」
ちょうどいい奴が居た、と言わんばかりに肩に回された腕が逃走することを許さない。頑張れば振り切れるだろうが、そうこうしているうちに反対側にいる天蓬に捕まる。
「采霞、采霞。お菓子ありますよ」
「……オイ、待て。それ…いつのだ?」
「失礼ですね。昨日貰ったばかりなんで大丈夫ですよ」
仕方ない、今回は諦めるとしよう。
一気に増した騒がしさ。
瞬く間に世界が鮮やかに色付いていく。