【第3話:瞳に星降る人】

今回ばかりは、溜まりに溜まった仕事に参った。

「眠い…眠すぎるぞ……」

山となった報告書を提出した帰り、追加で新たに渡された書類束を片手に、閉じかけた目を擦る。正直、半分頭が寝た状態で報告していたようなものだから、変なことを口走ってないか心配だ。

書類滞納常習犯から書類を回収するために寄った天蓬の部屋で、眠い眠いと連呼していれば「目が覚めますから」と、おもむろに渡されたプチシュークリームの中には、辛子がしこたま入っていた。この恨みはしばらく忘れないし、絶対に仕返ししてやる。

(というか。書類出しに行ったのに、書類もらって帰ってくるって何事かな……?)

軽く束になった紙をパラパラと流し読みして、笑顔のまま固まる。それほど前に見たわけではない、目新しくもない内容が並んでいる。これは一体どういうことか。人目も憚らず、盛大な舌打ちを漏らす。

「……こないだ資料返したばっかりだってのに絞め上げたろか」

徹夜明けの思考は、すこぶる物騒になる。経理に言って、働かない奴らの給金を減らしてやりたい。そして働いている私たちの方に、その分浮いたお金を回してくれ。絶対そっちの方が天界社会のためになる。

大した案件でもないクセして、一週間以上の遅れで手元に回ってきた書類を見つめ、しばらく立ち止まってから自宅兼隊舎とは反対方向に足を進める。

「仕方ない。書庫行くか」

たとえ苦情を入れたとて、始めから仕事をするつもりのない彼らに文句を言っても改善は見込めない。もっといえば。資料ファイルの角でお偉方の頭を殴っても、旧体制とやらに縛られた考えはきっと死んでも変わらない。言うだけ無駄なら、始めから余計な労力は使わない方がマシだ。



あれもこれもと重ねていくうちに、背の高い資料の山ができあがってしまった。仕事で使う書物、資料の綴じられたファイル、私的に読みたいと思った書物、新しくもらった書類。気がつけば、目の前に山ができている現象には、そろそろ名前がついていてもおかしくない。

出かける間際に「ついていきましょうか?」と声をかけてきた、良くできた部下の申し出を断ったことが悔まれる。

「あー……またやっちゃったよ…」

机の上に重ねた本たちをパシパシと叩きながら、頭を捻る。せめて人手があれば良かった。下界の歴史を記した書物は、意外に多い。膨大な数を有する資料のうち新しいものは天帝城敷地内の図書館へ、古いものは地下書庫へと分けられて詰め込まれる。

仕事ではそのどちらともが必要となる場合がある。状況によって二つの場所を使い分けるのが常だが、これがまた面倒臭い。あれが足りない、これが足りないとゴチャゴチャとやっているうちに、結局両方を行き来するハメになるのだ。

「重っ!?腕折れる!!ダメだこれ!!」

よいしょと積んだ書物を抱えれば、かなりの重量に腕と腰が逝きかけた。一人騒ぐ声が書庫に響くのは、随分と虚しい。

ウチの隊風を一言で表すならば、仕事を選ばない。悪く言えば、何でも引き受ける。それほどまでに我々、情報部の仕事は多岐にわたっている。

一つは、情報収集。これは言わずもがな、情報部を構成する欠けてはならない一柱となっている。地道で根気のいる作業だが、隊長を筆頭として集まっている変わり種の隊員たちは、文句こそ言うが仕事はできる。

二つめは、先発隊としての役割。天界軍は、東方・西方軍を二大長として、それぞれ補佐役の南方・北方軍の東西南北四つの軍隊で成り立っている。

軍が下界へと出陣する際、事前の情報収集は必須となる。それなら、情報収集に長けた奴らに任せた方が任務の成功率と生存率は上がるはずだ。一理あるが、後発隊との関係性が良くなければ、いくら連携しても意味がない。

現状では、西方軍の総責任者である敖潤が直属上司となり、情報部の統括も兼ねている。実質、西方軍専任の先発隊補佐の位置づけというのが正しい。

三つめは、天界側が管理する下界についての情報収集。時の流れが早い下界の情報を管理する人物がいなくなれば、下界史の編纂が出来なくなる。定期的な情報収集の必要性があるから、これに関しても少しだけ情報部が責務を担っている。

「……ああッ〜〜!?超過労働ついでに、休みの交渉してくれば良かった!!」

この天界で一番働いているのは、情報部だと自負している。これは胸を張って言える。武術にも長けていなければやっていけないし、器用さも求められる。だから、情報部入隊のハードルはかなり高い。基本は四方軍の総責任者いずれかによる推薦か、各隊大将と元帥の紹介が必須となる。あとは隊長である、私による引き抜き。これは今のところ一名しか前例がないから、かなり例外だ。

しかしながら。情報部の役割自体が地味なため、天界では存在があまり周知されていないのが、目下の問題だった。「まさに器用貧乏の巣窟だな」といった、金蝉の言葉が耳に痛い。ごもっともである。

「あわわわ……さすがに無理して、持ち出しすぎた」

歩く度にずっしりと両手に掛かる重さに、思わず唸る。これでも冊数は減らした方だ。フラフラとする足元に、抱えた本が崩れ落ちやしないかヒヤヒヤする。

(帰ったら書類やって、それから……定期活動報告あげて…あー、お菓子買わなきゃ)

百科事典並みの厚さの本とファイルと書類を重ねるのは、自殺行為であったと書庫を出て数秒で確信した。かといって、たかが運搬作業のためだけに、書庫と自宅を往復する選択肢など初めから無い。

「……ん?」

考え事をしながら、もたりもたりと廊下を進んでいれば、廊下に軽快な足音が響く。曲がり角に差し掛かった瞬間、反射的に足を止める。止まるのが遅ければ、陰から飛び出してきた気配に撥ね飛ばされるところだった。双方が衝突を回避して、ホッと一息吐いたのも束の間。

「うげ」

人間は簡単に止まれても、固定していない荷物はそう簡単には止まってくれない。ただでさえ不安定な、手に持った本の山が眼前でぐらりと傾き、目の前で滑っていく。

「うわーっ!?逃げてっ!!」
「あ、ヤベ」

天帝城内で崩れた本の類によって引き起こされた事故なんて、前代未聞だ。下手すれば傷害沙汰、加害者にはなりたくない。その一心で、とっさに抱えた本の重さを利用して、身体の重心を後ろに移す。

「ん?」
「あれ」

悲鳴混じりの警告を受けて、ぶつかりかけた人物は崩れかけた本へと手を伸ばし、もとの形に押し戻そうとしたらしい。

……が。如何せん、重ねた本により狭まった視野では、相手の親切心が見えなかった。本の重みに、案外強かった押された力も加わって、そのまま床へと本諸共崩れることとなったのは言うまでもない。

「ギャー!!」
「うわー!?!?」

バサバサと本が散らばる派手な音が収まり、ゆっくりと目蓋を開ける。頭上には廊下に施された、彩色鮮やかな天井が広がっていた。

床にしたたかに頭をぶつけたせいか、衝撃で視界が揺れる。直後、そんなことが気にならなくなるくらいの異常な重さに、顔を顰める。あまりの重さに、胸が押し潰されて呼吸が詰まる。

「あでっ!」

早く退けてくれ、と意味合いを含めて、頭を鷲掴めば高い声がした。そういえば、聞いた声も高かったような。なんなら、心做しか大人にしては頭のサイズが小さすぎる気がする。眉を寄せながら視線を天井から身体の上へと向けて、ぴたりと固まった。

「いてて……ゴメンな!!」
「は?」

とんだ気の抜けた面を晒した自信がある。廊下に大の字に寝転がっておきながら間抜けもクソも無いだろうが、いわゆる間抜け面だ。

確かに聞こえていた声は、大人のものとは程遠かった。せいぜい若い青年だと思っていたが、今自分の身体の上に跨っているのは年端もいかぬ子供である。

こぼれ落ちんばかりの大きな黄金の瞳から向けられる視線を受けて、斜め45度の延長線上で交錯したまま視線を動かすことを忘れた。混乱によって、頭が思考を停止した。「退けて」と真っ先に言うはずだった一言は、あっという間に頭から吹き飛ぶ。

「んあ、悟空?お前そんなとこで……その尻尾頭……どわー!?悟空!!退け!!采霞が!!潰れる!!」
「あ、わり」

明確な実況を感謝したい。たまたま通りかかった、恐らくサボり途中の捲簾が子供の脇下を掴んで避けてくれたお陰で、身体に掛かっていた重みが消える。

捲簾が来なかったら、圧死コースによりあと数分で別の場所に旅立っていたかもしれない。新鮮な空気を取り込み、深呼吸する。ああ、なんて空気が美味しいんだろう。

「オーイ。生きてっか?」
「ご、ゴメンな!!大丈夫か?!」
「……失礼だな」

世話が焼けるとばかりに上から覗き込んだ捲簾が、苦笑しながら未だ廊下にひっくり返っている自分に手を差し出す。その手を取って、ゆっくりと上半身を起こしながらも、横目で圧死させる原因となっていた人物の観察は忘れない。

「いや。考え事しながら、大量の書物運んでた私にも非があるから。うん」

ぱんぱんと服を叩いて軽い汚れを落としていれば、先に散らばった本を集めていた捲簾が「あ」と、気の抜けた声をあげる。

「血出てんぞ。手んとこ」

ここ、とトントンと指で示された場所を見れば。右手に血が滲んでいる。さては、ひっくり返った時に床で擦ったか。はたまた落下途中の本の角で引っ掛けたか。

「別に、これくらい。擦り傷だし」
「〜〜ほんっとにゴメンな!!」

この純度100%で構成されている生き物はなんだ。驚いたかと思えば、おろおろとしはじめた。甘そうな蜂蜜色の瞳の持つ破壊力に、思わずたじろぐ。

「わわわわ!金蝉に怒られる!」

呆けている隙に、子供のポケットから取り出された某アンパンのキャラ物の絆創膏が、ペタリと貼られた右手がアンバランスだ。

初対面で頭を鷲掴んだ非礼を内心詫びながら、柔らかな髪を撫でる。どこかで聞いたような名前が聞こえた気がしたが、気の所為だろう。

「大丈夫。えっと…名前、悟空っていうの?」
「うん!悟空ってんだ!お姉さんは?」
「采霞」
「采霞姉ちゃん?」
「呼び捨てでいい」
「じゃあ、采霞な!」

ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねる悟空に、自然にフッと笑いが漏れる。この抱きしめたくなるほど可愛い生き物は、一体なんだ。

「よっ、と。オッマエ……これ一人で運ぼうとしてたワケ?」
「うん」
「悪いこと言わねぇ。今度から荷台使え?この前、天蓬の部屋で発掘して片付けた記憶があるから、それ出しといてやるわ。どうせ使わねぇし」
「わー、ありがたい」

本の三分の二を捲簾が抱えたとはいえ、床にはまだ残りが塔をなしている。それに手を伸ばそうとしゃがめば、静止の声が降ってきた。

「おい、悟空。迷惑かけついでに手貸せ」
「これ運べば良いんだな!」
「いや、重いって」
「だーいじょうぶ。コイツ、驚くほど力持ちだから」

それなりの重さがある本を、右手に二冊左手に一冊抱えて、ケロッとしている悟空に瞬きを繰り返す。

「……どうなってるの?」

仮にも大人であるはずの自分が、泣き言を言いながら持っていた本を軽々と持っている。夢でも見ているというなら、しっかりと存在感を主張する後頭部のタンコブは出来すぎている。

「采霞ー!どこに運ぶんだー?」

タタタッと小動物のように、自分の周りを駆け回っている悟空に額を押さえる。ああ、驚きの連続に目が回りそうだ。

瞳に星降る人

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