▼ 第五幕
「――どんなに好きでも、食べちゃダメだよ」
ハリー達の後ろから、そう声をかけた。
ああ……もう少し急げば良かった。
無駄に怖い思いをさせてしまった、と後悔しながらアリスに視線を向け、思わず泣きそうになるのを我慢した。
逢いたかった、アリス。
ずっと待っていたんだよ。
「ああ……おかえりなさい、アリス」
小さなアリスと同じ大きさ、同じ服を着ていた影アリスは、喜びに顔をほころばせた。
*亜莉子視点*
何度も聞いたアリスという名前。おかえりという言葉。
人違いだと思いながらも、誰も聞いてくれないからそのままにしていたその言葉が突然現れた少女から紡がれた瞬間、一瞬、とても嬉しいような、泣きたいような気分になった。
「か、影アリスじゃないですかあ! ど、どうしてここに!?」
「あー、影アリス、これはだなァ……」
あの少女は影アリスと呼ばれているらしい。
同じデザインの服を着ているし、あっちがアリスなんじゃないだろうか?と思いながら、力が弱まった親方を殴って突き飛ばした。
二つの悲鳴が響く。
一方は当然親方のものだ。
なら、もう一方は……?
「う」
奇妙な静寂のなか、ハリーが小さく呻いた。
その頭上には親方が持っていたまち針の花が咲いていた。つまり、刺さったようだ。
「うううう……」
「ああっ!泣くなっ!泣くんじゃねェぞ!お前は強い子だろっ?それくらい我慢できるよな?な!?」
じりじりと後退しながら親方が慌てたようにいい募った。
何が起きているのか理解できない視界の先で、柔らかそうだったハリーの背中の毛が鋭く逆立った。
「よせ、やめろ!落ち着けッ!!」
これ以上の説得は無駄だと悟ったのか脱兎のごとく逃げ出す親方を横目に、嫌な予感に苛まれた。
逃げなくてはいけない。だけど、既に亜莉子の腰は抜けていた。
張り裂けるような鳴き声の直前、亜莉子の体を温もりが包んだ。
覆われた視界に瑠璃色の布と、垂れ下がった青いリボンを認識したときには――針が一斉に発車された後だった。
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