▼ 第六幕
強く目を瞑る。
痛みには慣れているけれど、この体は持つだろうかと冷静に思案していたが、予想に反して痛みが来ないことに首をかしげた。
「影アリス。無茶はいけないよ」
チェシャ猫だ。
どうやら親方を盾にして庇ってくれたらしい。
親方は……慣れているし、平気だろう。そういうものだし。
「……チェシャ猫……?」
腕の中のアリスも状況に気付いたようだ。
チェシャ猫を見て、ついで串刺しの親方を見る。
「アリス。彼なら大丈夫だから」
そう声をかけて、親方を見やればふるふると震えて立ち上がった。エプロンベルトのまち針をすらりと構える。
「こんの……粗忽モンがァ!!」
「きゃああ!」
「ね?」
「う、うん……えっと、影アリス……?」
おそらくこちらで初めてまともな格好(といっても、ややメルヘンだが)をした人に出会えて、若干警戒心は弱まっているのだろう。
それでも今の出来事で自分が食べ物になり得る可能性を知った。
すごくショックだっただろう。
「私は影アリスだけど、アリスにそう呼ばれるのは少し複雑だから、イリスと呼んで。アリス」
「イリス……?」
「そう。私のもう一つの名前」
アリスは影アリスのもう一つの名前と取るだろう。
影アリスはただの役割で、本当の……現実での名があることなど想像はしないだろう。
今はそれでいい。この先もその本当の名の存在を思い出す必要などない。
「チェシャ。手は痛む?」
震えているアリスを支えたまま、チェシャ猫の様子を伺えば、手に刺さった針を抜いて、三日月の口で文字通り猫のように傷口をなめていた。
「問題ないよ、影アリス」
つられてかチェシャ猫に視線を向けたアリスの体の震えが増したのを感じた。
「アリス……?」
「わ、私は、美味しくないよ……」
アリスの突然の言葉にチェシャ猫が僅かに首をかしげた。
「アリスは美味しいよ」
「はぁ……チェシャ猫ってば」
フォローくらいしようよ、と突っ込みたくなった。
「アリス。チェシャは、もちろん私も、貴女を食べたりはしないよ」
「……ほ、本当?」
「美味しそうだけどね」
「!」
例え、そう思ってたとしても言わないでよ、チェシャってば……。
まぁ、チェシャ猫はそういうものだし、仕方ないかと依莉子は諦めて、ため息をつくに留めた。
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