▼ 第三幕
どれ程の時をそうしていたのか、池に映るアリスの世界はもうすぐ放課後になろうとしていた。
そろそろ向かわなくては、と立ち上がって、背中で揺れる髪にリボンを丁寧に絡ませる。
アリスの服と色違いの瑠璃色のエプロンドレスを軽くはたいて、身を翻した。
**亜莉子視点**
――……何か夢を見ていたような気がする。
誰もいない、無音の自習室で、亜莉子は思い出せない夢を想起した。
ここは夢か現実か。
この夕日の差し込む教室が現実とするなら、なぜ目の前に三日月を横にしたような口があるのかと、首をかしげる。
薄く開かれた口からは黄ばんだ鋭い歯が覗いていた。
(まるで赤ずきんちゃんを食べる狼の口みたいだ)
狼ならば、耳の下まで口が裂けていてもまだ分かるから。そう生き物だし。
だから、やっぱりまだ夢を見ているのかもしれない。
ああ、だけど。たまに思う。
――夢と現実の違いは、いったい誰が決めるのだろう。
今度はさっきと逆の方向に首を傾げようとしたとき、
「おはよう、アリス」
目の前の三日月型の口が、そう言った。
*
アリス 僕らのアリス
あなたの腕を 足を 首を 声を 僕らにください
あなたを傷つけるだけの世界なら捨ててしまって
ちぎれた体は狂気に包まれて穏やかに眠る
さあ、覚めることのない悪夢をあなたに――――……
*
「つ、ついてこないでください……!」
三日月型の口で灰色のフードを目深に被った彼、チェシャ猫は、不気味だった。
人の事はアリスと呼び、ウサギを追えと言いだし、小さなドアを通る為だと、人の腕(パン)を食べさせられた。
そのせいで本当に小さくなって、裸になってしまったので今はスカーフを身体に巻き付けているが……。
こんなに可笑しな事が起き始めたのは確実にこの、後ろを向けと命令してから、ずっと後ろを向いたまま、逃げようとした亜莉子を追ってくる不気味としか言い様のないチェシャ猫に出会ってからだ。
「どうしてだい」
理由を訪ねるチェシャ猫に、失礼だとか考える余裕もなく叫んだ。
「あなたといると良くないことばっかり起きるから!」
「でもアリス――」
「いいからついてこないでっ!!」
その言葉に、チェシャ猫はピタリと歩みを止めた。
「……僕らのアリス、きみが望むなら」
相変わらず穏やかな口調のままそう言ったチェシャ猫を置いて、彼なら通れないはずの小さな扉へと駆け込んだ。
更なる恐怖が待ち受けているとも知らずに。
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