▼ 第十幕
レストラン・イナバに着いた。
アリスはその大きさにかなり驚いているようだった。
何がとは、一向に止める気配無く、ものすごくオブラートに包んで"豪快"な食事をしている公爵夫人である。
天井にまで届きそうなほど巨大なそれは、縦だけでなく、当然横にも広がっている。
なんというか、はち切れそうなドレスと体に食い込む高価なネックレスが少し憐れである。
留まることを知らない彼女の食欲を満たすためにせっせと忙しなく食事を運ぶ従業員のカエル達が今にも死にそうであった。
「…………とりあえず、公爵夫人に話を聞いてみようか。ね?」
ようやく本題に思考が到ったのか、そう言ったアリスに、しかしイリスとチェシャ猫は揃って沈黙を返す。
そんなことしたらどうなるか……。
「どうしたの、二人とも……? ……えっと、チェシャ猫。公爵夫人の近くに連れていって」
「アリス!」
今度ははっきりと目的を告げるアリスに思わず声をあげる。
しかし、焦りと動揺を示すその声は無視して、チェシャは渋々といった体で型通りの台詞を吐いた。
「……まあ、きみがそう望むのならそうしよう。僕らのアリス」
「駄目! そんなことしたらアリスが食べられちゃうじゃない!」
「えっ……!?」
「僕らのアリスが望んだのだから仕方ないよ」
仕方ないはずはない。
アリスが食べられる?
……いなくなってしまう?
"また"守れないまま?
――ミトメナイ。
一歩づつ歩き出したチェシャ猫を、低く静かな声が制する。
「チェシャ猫……――"影アリス(わたし)"が『止まれ』と言っているの」
自分のものとは思えないほど凍てついたものだ。
チェシャ猫は意思とは別のところでその動きをピタリと止める。
影アリスの持つ絶対の強制力を持つ言葉。或いは言霊と呼べるかもしれない。
影アリスだけがアリスの望みを覆すことができる存在。その所以である。
「チェシャ猫……?」
ピタリと
微動だにしないチェシャを、疑問に思ったのか、先ほど鋭く冷たい雰囲気を放ったイリスを気にかけながらも、アリスは乗っている肩から彼の様子を窺っていた。
その様子を見て、イリスはハッと我に返る。
一瞬、歪みに呑まれていたのだと、後から知覚する。
「"もういいわ"……ごめんなさい、チェシャ!」
「――……謝る必要はないよ、影アリス。それがきみの望みなら」
命令を解除する言葉をはいて直ぐに謝罪する。
チェシャは何を謝っているのかわからないと言うように首をかしげると、いつもと同じ抑揚の無い声でそう告げる。
けれど、変わらぬにんまり顔が、少しだけ柔らかくなったような気がした。優しく微笑んでいるような、そんな雰囲気。
「イリス、止めてくれてありがとう。チェシャ猫も。私は食べられるなら行きたくないから!」
「……そうかい?」
その言葉にチェシャ猫がUターンして、視界から公爵夫人の姿は消えた。
それを気にすること無く、イリスは内心で僅かに焦りを感じる。
思ったより歪みが酷い。
まだもうしばらく持つと思っていたけど、気を付けなくては。
この国の住人だってイリスは好きなのだから。
その好きな人たち相手に、本来この強制的命令権はどんな事態であっても行使する予定ではなかったのに。
感情に流された。
次にはアリスを傷つけるものの排除を厭わなくなるかもしれない。
それがこの国の住人であろうと、外の……現実世界の住人であろうと。
そう…………
――……シロウサギのように。
prev /
next []
11/14