05


皆さんこんにちは。梅雨に入り憂鬱になりそうな日もありますが私は元気です。そしてその元気さが今脅かされそうになっております。ただ、校舎に戻ろうとしていただけなのに。私、死ぬのでしょうか。

「ちょっとごめんね」
 そう言いながら男子生徒が私の横を通りすぎたのは15秒前。知り合いだっけ?なんて思ってその子を目で追ったけど見覚えはあるようなないような。まあいいかと前を向いたのが10秒前。いつもお世話になってる大きめなゴミ箱が私に向かって飛んできていることに気づいたのは5秒前。人間、事故に遭いそうになると「ヤバイ」とだけ言い残して動けなくなるものなんだなあ。
 私の視界がどんどんゴミ箱で埋まっていく。まずい。逃げなきゃ。逃げられる?当たったら死ぬ?



 思考も虚しく、体には鈍痛が走り、私の体は数メートルふっ飛んだ。



「生きてる……」
 90度傾いた視界を認識できるからそう考えていいでしょう。
 運が良かった。けどなんで今私はこんな状態になってるんだ。寝っころがって呼吸しているだけなのに、身体中がミシミシと音を立てているような気がするし、あちこちが痛いし。誰のせいかって……鈍くさい私のせいだった。
 とりあえず立ち上がろうと思って足に力を入れる。が、ズキ、と激しく痛む。しまった。擦り傷だけじゃなくて捻挫もしちゃったか。体育どうしよう。この怪我の手当てって自分ですべきかな。保健室行っていいかな。一人であそこまで歩けるかな。
 考えていても仕方ないと、なんとか立ち上がってぐるっと周りを見渡すものの、何故か人が全然いない。この時間帯もう少し人がいるもんじゃないのか。こんな状態だし、いなくてラッキーかもなあ。そんなことを考えながら、ゴミ箱が飛んで来た方を向くと、見覚えのある金髪がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 あれ、これ私がここにいると、まずいんじゃないか。
 考えるが先か動くが先か、気づけば痛む足を無視して歩き出していた。


「大丈夫?」
 突然声をかけられて顔を上げると、そこにいたのはさっきの男子生徒だった。どこから現れたの。やっぱり知り合い?赤いシャツ着た子なんてクラスにはいないはずなんだけど。呼び起こせるだけの記憶を呼び起こしてみるけど、やっぱりぴんと来ない。それより何か、この子、純粋に心配してくれてる人の顔してないっていうか。いやたまたまかもしれないし、人を疑いたくはないけど、身代わりに…された…?

「恥ずかしい姿見られたこと以外は大丈夫ですよ!」
「でも怪我してるじゃないか」
「大したことないですって」
「保健室まで運ぶよ」
「え、ちょ」
 待ってください。押しが強すぎませんか。我々初対面じゃないですか。
 私の思考をすべて無視するように事態は進行していく。気づけば脚と背中に腕が回って、地面が遠くなって、つまりは全然知らない人に姫抱きされていた。人生初なんですけど!
「お、おろしてくださいませんか」
「無理はよくないから」
 いや無理もなにも、足は痛むけど歩けない訳じゃないし、結局のところ私が鈍くさくなければよかった話だし、あとなにより、これ恥ずかしい!

「待てやノミ蟲がァ!!!!」
 声が聞こえる。見つかりたくなかった人の声が。足音が近づく。私を抱える男子生徒の体が壁になって、声の主──静雄の姿は見えないけれど、すぐそこにいることはわかる。早くここから立ち去りたいのに。
「シズちゃんさあ、もっと周り見た方がいいんじゃない?」
 静雄のいる方に顔だけ向けて、男子生徒が喋る。
「テメェに説教される筋合いは──」
 静雄が言葉に詰まる。
 気づかれてしまった。ここに"誰か"がいることに。そのせいで、傷つけてしまったかもしれない。
「じゃあね」
 最後にそれだけ静雄に告げて、男子生徒は動き出きだした。
 あのとき私がちゃんと避けられていたら、少しでも早く起き上がって移動していれば。そんな今さらどうしようもないたらればばかり頭に浮かんで苦しくなる。静雄の記憶からさっきの出来事を消してしまいたい。誰かを傷つけてしまった記憶なんて、毒にしかならない。



「わざわざありがとうございました」
 保健室に運ばれ手当ても受けて、一段落ついたところで男子生徒にお礼を言う。養護教諭に聞くとやはり捻挫しているらしく、運んでもらって正解、くれぐれも無理するなとのことだった。
「いいよ大したことじゃないし。あと敬語じゃなくていいよ。野々村若葉さん、だよね?」
 フルネームを言われてドキッとする。いや、恋とかじゃなくて。私が覚えてないだけで知り合いだったんだ。焦る。どうしよう。
「そんなに焦らなくて大丈夫だよ。俺達ちゃんと話すのは今日が初めてなんだから。」
 顔に出てたかな。要らぬ気を使わせてしまった。申し訳ない。でも初めてならよかった。

「私が覚えてないだけかと思ったよ。えーっと…」
「折原臨也。クラスは違うけど同じ2年。」
「折原くん。」
 聞いたこと有るような無いような。これからはちゃんと意識して覚えていこう。と決心したところで疑問を持つ。初めてなのに、なんでフルネームを?いや、知る機会なんていくらでもあるだろうけど、1000人近くいる生徒のなかでも私というモブを認識していることに違和感があるというか。もしかしなくても生徒全員の顔と名前を覚えているのか?折原くんは。
「別に俺も全員の顔と名前を覚えているわけじゃないよ。」
「そんなに私顔に出てるかな…」
「どちらかと言えばね」
「失礼なことしてごめん」
「いいよ別に。それより、『なんで知ってるの』とか言われるかと思ってた。」
「…じゃあ『なんで知ってるの』?」
 そう言うと折原くんは愉快そうにハハハと笑った。良い笑い声だなあ。
「シズちゃんと仲が良いから」
 静江ちゃん。雫ちゃん。シズちゃんとあだ名されそうな名前を思い浮かべるが、私の歴代の知り合いにそんな名前の子はいなかった。……南キャン?

「あ。静雄。」
「そ。シズちゃん」
「折原くんは…」
 言いかけたところでさっきのことを思い出す。仲が良いのにあのやり取りをする可能性は低そう。あだ名で呼ぶのは嫌がらせ?一体過去に何があったんだろう。
 いやいやそんなことを考えている場合ではない。出してしまった言葉、どう続けよう。
「…親切だね」
「まあ俺のせいで怪我させちゃったみたいだし、ごめんね。」
 眉を下げてそう言った折原くんに罪悪感が増す。わざとじゃないのに疑ってしまってごめん。内心謝りながらどう返すか考える。

「俺に出来ることがあれば何でも言って」
「…じゃあ通院費は折原くんに請求しようかな!」
 折原くんが豆鉄砲を喰らったような顔をした。スベったか。自分のなかで恥ずかしさがじわじわ込み上げてくるのを感じていると、折原くんがぷっ、と吹き出した。
「………野々村さん、強かだね」
「初めて言われた…」
「照れるところ?そこ」
「あはは…」
 本当にこれからどうすれば良いんだろう。一人で歩いて帰るには少し距離があるし、かといってタクるのも金銭的に厳しい。
「帰り、送っていこうか?」
「え、いいの?」
「うん。お詫び。」
「お詫びかあ…」
「じゃあ荷物取ってくるね」
「え、あ、ありがとう」
 流されるがままになってしまったが折角の厚意も無下にできないし、まあいいでしょう。折原くん、バイクか何か乗れるのかな?


「野々村さんのこと宜しくね、折原くん」
「はい、もちろん。」
 養護教諭の言葉に応える折原くんを見て、私も頭を下げてから保健室を出た。荷物は断ろうとしたけれど「お詫び」と言われてしまってそれ以上口を出すこともできなくて、折原くんが持ち続けてくれている。そこまで親切にしてもらうとちょっと怖い。何か企んでるのかな、なんて思ってしまう自分に急いでストップをかける。疑うのはよくないってさっき思ったばかりでしょうが。

「そういえば、折原くんはバイクか何か乗れるの?」
「いや?免許は持ってないよ。」
「そうなんだ」
「だからお姫様抱っこで送ってくよ」
「…………一人で帰っても?」
「冗談だよ」
「折原くん面白いね」
「野々村さんこそ」

 下駄箱を出て向かった先は自転車置き場だった。二人乗りって捕まるんじゃないでしたっけ?と脳内で突っ込みを入れていると、折原くんがサドルをトントンと叩いた。そこに座れば良いんですか。
「……御輿…みたいな…」
「俺は二人乗りでも良いんだけど」
「危ないから止めておこうよ」
「言うと思った。道案内よろしくね。」
「運転よろしくお願いします。」


「やっぱりシュールだね、これ。」
「そこは我慢してもらうしかないなぁ」
 チチチチチ、と自転車の音が響くくらい、帰り道は静かだ。人通りが少ないこの道に、いつも不安を掻き立てられているけれど、今日ばかりは感謝の気持ちがわいてくる。ありがとう。

「若葉は……あ、若葉って呼んでいい?俺のことも臨也でいいから。」
「お好きにどうぞ。何か気になることでもあった?」
「ああ。ひとり暮らしなのかなって」
「そうだよ。上京してきちゃった。」
「珍しいね。寂しくならないの?」
 寂しい。寂しいか。皆メールも適度に送ってくれるし、家事やったり学校の準備したりで一日もすぐ終わるし、あんまり考えたこと無かったかも。あ、でもテストが終わってからは心にぽっかり穴が開いた感じがしていた。必死に勉強する必要がなくなったからかな。

「今は寂しい、かも?」
「じゃあこれ」
 自転車をひく動きを止めずに、片手でポケットから器用にも折り畳まれた紙切れを取り出した折原くんは、そのままそれを私に差し出した。受け取って開いてみると半角英数字が並んでいた。
「いつでも連絡してくれていいよ」
「ナンパと言うかホストと言うか」
「…要らないなら捨てればいいさ」
「嘘ですごめんってば!後で登録させていただきます」
 残念そうな顔を見せられては拒否するわけにもいかない。意図的にやってるならすごくやり手だぞ彼。モテるぞこりゃ。
「ならよかった」
 ふっと緩んだ笑顔も綺麗で感動せざるを得ない。来世はイケメンになりたいです、神様。



♀♂



「わざわざありがとう。あ、お茶でも飲んでく?」
「今日は遠慮させてもらうよ。怪我人に無理させられないからね。」
「お気遣いどうも!」
「じゃあ、またね」
「帰り、気を付けてね」

 夜道で一人、さっきまで会話をしていた女子生徒のことを考えながら、自転車を漕ぐ。
 野々村若葉。名前だけは聞いたことがあった。でもその名前を聞いた時の印象は薄かったし、今日顔を合わせたときもこれと言ってインパクトはなかった。よくいる高校生。慌てふためく姿は面白かったけど、正直保健室で話すまではなんでこの子が、という感じだった。まあ話してみて少し納得した訳だけど。俺の予想を少し外した思考回路をしているらしく、簡単には勘違いしてくれないし、責められるかと期待していたのにむしろ俺を気遣ったような返答をしてくるし。よっぽどのお人好しなのか、何か事情があってのことなのか。
 どんな人間なのかはこれから知っていくとして、今の段階から判断させてもらうと、彼女は、使える。こういうタイプの人間なら、確かにシズちゃんとでも上手くやっていく可能性は大いにある。じゃあその可能性にかけて、存分に利用させてもらおうじゃないか。
 彼女をこちらの駒にしてシズちゃんに差し向けたら、一体どんな顔するだろう。やっと出来た"友達"が実は俺の差し金でした、なんて、出来すぎたシナリオにも程があるかな。

「怪我のせいで今更シズちゃんのこと嫌いになるなんて、あの子なら無さそうだし」
「シズちゃんの方から避けてボッチに戻るなんてつまらない展開にならないよう、上手く動いてくれると良いけど。」
「そもそもシズちゃん、怪我に気づくかな」
「変に勘が鋭いところあるし、それは大丈夫か」
 誰に聞き届けられることもなく、俺の呟きは闇に消えていった。

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