06 朝のHRが始まる時間になって自然と目が覚めて、いつも通り学校指定の白いブラウスが目に入ってほっとする。昨日臨也の野郎に抱えられてた奴は若葉じゃ無さそうだ。 そもそも実際に俺の投げたモンが誰かに当たるところは見てねぇし、臨也の野郎が嫌がらせのためにその辺にいた奴を捕まえただけかもしんねぇし。誰も傷つけずに済んだ可能性だってある。そう考えたら、かなり気が楽になった。 「始めるぞー」 いつものように授業が始まる。けど最近は俺の時間の使い方が前とは少し変わった。シンプルに言えば、授業中起きていることが増えた。 席替えしてから知ったが授業中の若葉は結構見てて飽きない。黒板が見えにくいのか、小さく動いてたり、担当教員が豆知識を披露する度手が動いてたり、そうやって真面目に授業を受けていたかと思えば、頭を揺らして、頬杖をついてた肘が机から滑り落ちることもある。どれも新鮮で面白ェけど今ンとこ一番はプリント渡されたときの驚いたような顔だ。あれは珍しかった。あれ以来見てねぇくらいだし。 そんなことを考えてたら無意識にニヤけちまってたことに気づいて、急いで口を手で隠した。授業でも聞いて落ち着こう。そう考えてはいるものの視線は段々下がっちまう。何やってんだ俺、と反省しかけて、気づいた。 今日の若葉は様子がおかしい。 体の動きが遅ェ、というかぎこちなくて、何かを恐れているみてぇだ。一体何を?とまで考えて、さっき消し去ろうとした可能性が、頭をよぎった。心臓の音が煩くなる。まさか。俺は、俺の都合の良いように考えてたのか。 確認しようにも今じゃ無理だ。どうにか若葉と話せる時間を見つけねぇと。 「野々村ー」 「なんですか先生!成績上げてくれるんですか!」 「これ運んどけ」 「また雑用ですか!?」 「飴やるから」 「ケチ!」 「今日あっちでご飯食べよーよ」 「おっけ!椅子持ってくわ」 「若葉ー!次の答え確認させて!」 「合ってるかわかんないよ?」 「道連れになる覚悟は出来ている」 「失礼しちゃうなあ!」 声をかけようとはしたんだ。したんだが、びっくりするほど捕まらない。あいつ、あんなに人気だったか。 気づけばもう帰りのHRの時間になってた。もう明日にしちまうか、なんて訳にはいかねぇ。出来るだけ早く話をしねぇと、溝が埋まらなくなっちまう。そんなのは御免だ。 「さよならー」 挨拶を済ませて席を離れようとする若葉が目に入る。まずい。引き留めないと。 「なに、びっくりした」 俺の手は反射的に伸びて若葉の腕をしっかり掴んでいた。どう切り出すかも考えてねぇってのに。 「若葉ー帰ろー」 「ごめん!先帰ってて」 「…りょ!また明日ね」 若葉の友人らしい生徒は帰っていくのが見える。ああいう付き合いは大事なもんじゃねぇのか。 「いいのか」 「腕、捕まれちゃってるし」 「あッ…」 「掃除の邪魔になるし、場所変えよっか」 静まり返った空き教室に若葉と二人きり。いつもと違って気まずい。勉強を教えてもらってたときの居心地の良さはどこへいっちまったんだか。 「何か相談事でもあった?」 先に口を開いたのは若葉だった。俺も覚悟を決めて聞かなきゃなんねぇ。心臓の音がうるせぇ。震えそうになる声を、深呼吸をして押さえ込んで、口を開いた。 「怪我したのか、足」 俺の言葉で若葉の表情が固まった。返事なんか聞かなくったってわかっちまう。ああ、当たりだ。 他のヤツだったら良いって訳じゃねぇ。けど、よりにもよって、若葉か。 「階段踏み外しちゃって」 目を逸らしたまま、震えた声で若葉は言う。そんなにわかりやすい嘘をつくんじゃねぇよ。 若葉は無かったことにしたいのかもしれない。でも俺は誤魔化されたくない。 「悪かった」 「いや、静雄関係ないじゃん」 「悪かった」 最終的に、折れて、事実を認めて、若葉は俺のことを許すんじゃねぇかと思う。でもそれじゃダメだ。それで楽になるのはのは俺だけだから。だから、俺は── 「殴っても、縁を切るってんでも──」 「頭上げて」 被せるように言われてその通りにする。が、若葉は足元を見ていて、目が合わなかった。顔も、髪に隠れてよく見えない。若葉は今、何を考えているんだ。 沈黙が続いて居心地の悪さが増す。 若葉のため息が、静かな教室に響いた。 「もー!本当に怖かったんだから!!死ぬかと思った!」 顔を上げた若葉の表情は鬼の形相と呼ぶにふさわしいモンだった。こんな顔、初めて見た。 驚きで返事を忘れてたことに気づく。 「悪…」 「鈍かった私も悪かった!」 「いやそれは、」 「でも次からはちゃんと関係ない人周りにいないか確認して!」 「うっす…」 「…そもそも喧嘩とかしちゃダメじゃん!!!」 「………そうだな…」 「でも折原くんが悪いのか…ふっかけられたんだろうし……」 弾丸みてぇに言葉をぶつけてきたかと思えば、今度は難しい顔をしながら何やらぶつぶつ言っている。俺からも何か言わねぇと。 「…本当に悪かった。何て詫びたらいいか…治療費とかも…」 「それは折原くんに頼んであるからいいよ。それに静雄だって被害者でしょ。」 被害者?俺が?何を言ってんだ?口に出そうとした言葉は若葉の気迫に負けて、出ずに終わっちまう。 「これはわがままだけど、私は静雄が傷ついてるところ見たくない」 「怪我は滅多にしねぇけど…」 「わからず屋!怪我も制服がぼろぼろになるのも勿論だけど静雄の心が傷つくのが嫌なの!!」 言いきった若葉の姿を見て、俺の中の何かが少し崩れた。 ああ、なんだ、こいつは、自分だって大変な思いしたってのに、俺の気持ちなんか気にして、こんな風に怒ってくれるのか。 「…恥ずかしいこと言っちゃった…。」 怒りで赤くなってた若葉の顔が、恥ずかしさで赤くなっていくのを見て、なんだかやけに面白くて、思わず吹き出した。 「笑わないでよ……」 きっと今の俺の顔も、赤い。 「静雄の視界高ッ!」 「そうか?」 「30センチくらい縮めばわかるよ」 制服にジャージを履いた若葉を背負って歩き出そうとすると、少し不満そうな声が背中から聞こえた。 「別に低いワケじゃねぇだろ?」 「それはそうなんだけどさあ…静雄、ちゃんと私の顔覚えてる?」 「あ?…覚えてっけど」 「ならいいや。」 声が少しだけ明るくなった。俺がつむじで若葉を判別してるとでも思ってたのか?ンな器用な真似出来るわけねぇだろ。脳内でツッコミを入れてると、俺の首に回ってた若葉の腕に力が入った。少し間があってから「静雄さあ」と若葉は切り出した。 「寂しいから、簡単に縁切るとか言わないでよ。」 縁を切る。謝ってる時に、半分勢いで言ったことだ。 どう返せばいいのか悩んでると今度はグ、と首を絞められた。 「う゛ッ」 「私のことなめすぎ!」 「くるしい」 「私も体痛かったし。あ、そこ左曲がって」 腕を緩められて大きく息を吸った。急に何をしやがるんだコイツは。 「向かって左手にあるが私の自宅でございます!」 「じゃあ下ろすぞ」 「配達ご苦労さん!」 しょげたかと思えば急に元気になったり、若葉を見てるのは面白いが、こんな時ばっかりは調子を狂わされちまう。たまったもんじゃない。が、こいつなりの気遣いなのもわかってむずがゆい。 「帰り道わかる?」 「流石にわかる。じゃあな」 「うん。またね!」 [mokuji] [しおりを挟む] ×
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