20200220前夜/紅丸、パーン


一月も半ばに差し掛かった頃だった。
訓練校から頼まれた書類を第四特殊消防隊のパーン中隊長に手渡して、いつも通りに天気の話だとか今の訓練校の話なんかをして、その流れの中で彼は言った。
やや緊張した面持ちで、じっと私の目を見下ろしている。

「来月……、二月二十日を、空けておいて貰えないだろうか」
「何か仕事ですか」
「ピーピ、ピピーッ」
「それめちゃくちゃ面白くて大好きですけど、ええと、なんですか?」
「仕事じゃあない。個人的に食事でもどうかと」

来月か。特別な用事はなかったはずだ。それにこの人はつくづく面白い人だと思っていたから、仲良くなれるきっかけは単純に嬉しい。「どうだろう。二人で」と丁寧に聞いてくれる姿にきゅんとする。うん。行きたい。

「二十日ですね。わかりました」
「! いいのか」
「もちろんです、何を食べに行くんですか?」
「君が食べたいものがあればそれを。……と言いたいところなんだが、今回は俺が計画してもいいか?」
「なるほど。パーン中隊長のオススメが食べられるわけですね。楽しみです」
「ピピピーピッ」
「なんです?」
「任せてくれ」

わざわざひと月前に言ってくるなんて面白い人だな。ご飯くらい明日とか明後日とか今夜とか適当でいいのに。そんなことを考えながら手帳にしっかり『パーン中隊長とデート』と書き込んで、浅草にある実家へと帰った。



一月末から急激に忙しくなってきて、なかなか休みが取れない日々が続いていた。加えて、要請を受けて第四特殊消防隊の仕事も手伝っている。このくらいは全然平気だが、全く遊んであげられないものだから幼馴染の機嫌が悪くてしょうがない。

「じゃあ紅。いってきます」

わざわざ朝も早くから家に来るのはいいのだが、私は仕事があるので早々に出て行く。出せてもお茶一杯と適当なお茶菓子くらいだ。本当に何をしに来ているんだか。私が出る時間に一緒に出て来て、浅草の玄関口まで見送りに来る。最近はほぼ毎日だ。

「チッ……、次の休みは」
「休みねえ……、当分なさそうだけどね」
「一日くらいあるだろ」
「あんまり考えないようにしてるんだけど、そうだなあ」

そう言えば、二月は一つ決まっている予定があるからその日は休みだ。

「ああ、二十日は(用事があって)休み取ったかな」
「……二十日?」
「うん」

紅はぴたりと動きを止めて、不機嫌そうな目をいつもより大きく開いている。

「……休みなのか?」
「? うん」
「絶対に?」
「うん」
「そうか」

今のやりとりのどこに満足したのかわからないが、紅は一人、上機嫌になって第七特殊消防隊の詰所へと帰って行った。いつもならここで「行かなくていいだろ」「熱でも出たことにしとけ」などと駄々をこねるのに。
その無為なやりとりの為の時間分早く出ているので、今日は余裕をもって訓練校の事務室に到着した。優雅にコーヒーを飲む時間まであった。ううん。いつもこうならいいのに。



二月十九日、本日の業務を終えて訓練校を出ると「ピッ」と聞き慣れた笛の音で呼び止められた。振り返ると「なまえ」とパーン中隊長が軽く手をあげてこちらに来てくれている。私からも近付くと、「あー」と頭を掻いていた。

「その、明日、大丈夫そうか?」
「もちろん。大丈夫ですよ。楽しみにしてます」
「ピピーピーピ」

それならよかった。と言われた気がした。たぶん正解なので聞き返したりはしなかった。



浅草に入り、家までの道を歩いていると、銭湯からの帰りらしい紅に出くわした。「ただいま」と言うと「おう」とだけ言われる。詰所は反対方向のはずだが、家まで送ってくれるつもりらしい、私の隣を無言で歩いている。
そのまま家の前まで来ると、「ありがとう」と振り返った。紅はいつもどおりの何を考えているやらわからない顔で私を見て、その内誰かと同じように頭を掻く。

「明日」
「明日?」
「詰所来るだろ?」

……なんでだ? そんな約束をした覚えはない。

「えっ、行かないよ」
「は?」
「明日予定あるし」

確かに、二十日が休みだと言った記憶はあるが、詰所に行くとまで言った覚えはない。この男はまたなにか早合点して勘違いしているに違いない。あれほど毎回ちゃんと日本語で確認してくれと言っているのに。紺さん曰く、私の言葉も足りないらしいが、それにしたってだ。

「休みだって言ったじゃねえか」
「休みだけど、デートだから」
「はあ!?」

これ以上は面倒臭い、がら、と戸を開けて「じゃあ」と家に入ろうとすると、コートを掴まれて無理矢理紅の方を向かされる。

「なんだデートってのは」
「そのままの意味だけど……、いや、向こうがそう思ってるかどうかは知らないけど、特に男女が二人だけで出かけたらデートじゃない?」
「……意味がわからねェ」
「意味とかは別に……、とにかくそういう約束があるから」
「行くな。仮病使って断れ」
「いやいやいや。何言ってんの」

紅がコートを握っている手にぎゅ、と力を込める。やめてくれ皺になる。し、以前マフラーを燃やされたことがあるので離して欲しい。

「いいから今すぐ断れ」
「嫌だよ」
「じゃあ食ったら速攻で帰ってこい」
「明日じゃなくて別の日に遊んであげるから」
「うるせェ」
「ええ……?」

絶対に明日じゃないといけないのだろうか。そもそも明日遊びたいならそう言って貰わないと。休みだからと言って浅草にいるとは限らないのだから。私が悪いのか? いいや、悪くないはずだ。「絶対明日?」と聞くと、紅はようやくコートから手を離してぎゅ、と眉間の皺を増やしていた。

「……覚えてねえのか」

覚えてないのか? 覚えてないのか……。二月二十日は何か特別な日だっただろうか。えーっと。バレンタインはこの前終わったし、ホワイトデーはまだ先だし。……ん? 待てよ? 二十日? 二月二十日? ああ! ああ。あー……。そうか……。

「た、誕生日、だったね……?」
「……もういい」

誕生日プレゼントすら用意していない。たぶんだが、明日なんの予定もなかったとしても忘れていた自信がある。これは私の過失……、か? 過失でいいか。紅へのプレゼントはちゃんと後日用意するとして。今日のところは帰ってくれたので、全ては明日、パーン中隊長とのデートの後に考えることにしよう。



朝、約束の時間に間に合うようにと準備をしていると、家の電話が鳴った。
電話をしてくる人なんて限られている。紅はありえない。電話するくらいなら直接来るだろう。
このタイミングならばきっと。

『おはよう、寝坊してないか』
「おはようございます。してませんよ。て言うかしたことないですよね」

パーン中隊長だ。落ち着いた声が聞けてほっとする。昨日の夜はなにやらひと悶着あったが、それでも楽しみなものは楽しみだ。

『いや、悪い。なんだか嫌な予感がしてな……。体調も悪くないか? もし気分が優れないようなら遠慮なく言ってくれ』

ううん。いい人だ。こんな人にご飯を誘われていいのか私は。しかし紅にもこのくらいの余裕が生まれないものか。なんでいつも喧嘩腰なのだろう。相手が私だからいいものの、普通の女の子にやったら普通に怖がられるぞ。

「いえいえ、ひと月前から予約して貰ってましたし」
『ありがとう。何もないなら良かった』

ではまた。はい、また。と簡潔なやりとりを済ませて靴を選ぶ。何もなかった、わけではない。
選んだブーツを履いてがら、と戸を開けるとまず、幼馴染の不機嫌な顔が視界に飛び込んで来た。「もういい」と言った癖に全くよくなかったらしい紅は、わざわざ私の家の前で仁王立ちをして待っていた。一体いつから……。うっわ、と悲鳴を上げてしまいそうになったが必死に耐える。紅は私の姿を見るなり、上から下まで一通り視線を動かしてからじっとりと言った。

「……本当に行くのか。何処の馬の骨とも知れねえやつと飯食いに」
「パーン中隊長ね、知らなくはないでしょ……」
「知らねェ」

知らねェはずはない……。私が歩き出すと、いつも仕事に行く時と同じように隣に並んで歩き出す。雰囲気がややピリピリしているのは、私が誕生日を忘れていたからだろうか。

「用事済んだらすぐ帰ってこいよ」
「ええ……だってそれは失礼で……」
「俺の誕生日を忘れてたのは失礼じゃねェってか」
「……まあそれは、ごめんだけど……」
「町の連中が昼間から飲むって盛り上がってんだ。お前も来い」
「嫌だあ……」
「ああ?」
「すぐそうやって睨む……」
「お前が睨みたくなるような断り方するからだろうが。もっと俺に気を使った断り方ができねェのか」
「無茶苦茶言うし……」

そもそも、ならば紅は私に気を使ってくれているのだろうか。人に要求するのならまず自分ができていなければだめだと思う。
さておき「聞いてんのか」「なんなら今からでも断れ」「おい」と紅の圧に耐えながらいつもの場所までたどり着く。「じゃあ。行ってきます」と言うと、腕を掴まれた。これ、毎日避けようとしているのだけれど、どうしたって掴まってしまう。

「どうすんだ。来るのか。来ねェのか。ハッキリさせてから行け」

有耶無耶にしてしまう作戦は失敗した。紅に言われるのは大変に複雑だが、ハッキリ言葉にしなければ離して貰えないだろう。

「どうするって言ったって」

パーン中隊長はわざわざ一月前から私の予定を聞いてくれていた。紅の誕生日だということを忘れていたのは悪いが、紅は私の時間を押さえていたというわけではない。し、去年も一昨日もプレゼントは用意したが二人で遊んだり飲んだりはしていない。
考えれば考える程パーン中隊長との約束を破ることはできない。体調が悪ければ、なんて気使いまで貰っている。紅と遊ぶのは、できれば別日に回したい。……のだが、そんな、私の事情が通用する相手でもない。
ここで「いや、無理だって」なんて一言で断ろうものならとんでもなく拗ねるのだろう。紺さんに「なんとか機嫌とってやってくれ」と頼まれるのは嫌だ……。うーん……。

……。

……どうする?

「わかった。お昼食べたら帰ってくるから」
「やっぱり約束は約束だし、紅とは今度ね」

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20200219:明日リンク繋げます。

 

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