愛しているからだ


いっそ同じようになれたら幸せなのかもしれない、と考えない日はなかった。

▲▼

「なまえ」
「えっ」

黒野さんは最近よく、こういうことをする。
ぐっと肩を抱いて顔を近付けてじっと私と目を合わせた後に肩の当たりをぱっと払う。「ゴミがついていたぞ」とのことらしいが、本当だろうか。「あ、ありがとうございます」とお礼を言うと「ああ」と黒野さんは誰もいない方を見ながらにやりと笑う。

「? 黒野さん?」
「俺のなまえの周りをうろちょろして、鬱陶しいな」
「なんです?」
「ああ、なまえは何も気にする事はない。昼食を奢ってやる」
「いや、もう三日連続ですよ。自分で買って食べます」
「遠慮するな。そのうち昼飯どころじゃなくなる」
「怖い! どういうことですかそれ」

前々からこんな調子ではあったのだが、52、いや、ジョーカーが私の前に現れて、黒野さんが私に告白というやつをした時から行動はエスカレートしている。
黒野さんはまた、ぼうっと遠くを睨んでいる。

「黒野さん、やっぱり調子が悪いんじゃないですか?」
「心配してくれるのか。優しいな」
「心配とか優しいとかじゃなく」
「ああ、純粋な好意だったか。ありがとう」
「そうでもなく!」

もう、この人は。
黒野さんの金色の瞳が私の体を焼くように見つめる。胸の辺りがざわざわして落ち着かないから逃げるようにその場を離れた。黒野さんは追いかけてこない、振り返るとひらひらと手を振っていた。「嫌がることはしない」と頑なに言っていた。あれを守ろうとしてくれているのだろう。それはいいが、私は、どうにも、どうしても、その目を向けられると落ち着かなかった。

▲▼

変わったことはもうひとつある。家に帰ると、52、ジョーカーがソファにふんぞり返って座っているのである。

「……ジョーカー」
「あ?」

座っているだけならばいい。しかし、彼はいつもとんでもなく不機嫌で、今にも火を吐きそうな顔をして帰ってきた私を睨みつける。
そして、煙草を仕舞ってこちらに言う。

「なまえ」
「な、なに」
「こっち来い」
「え」

「こっちに来い」とジョーカーは繰り返した。彼は不機嫌を隠しもしないせいで部屋全体が重苦しい空気に包まれている。部屋全体でそれなので、近くになど行けるはずもない。私は壁の方に後退しながら首を左右に振る。

「や、やだよ」

チッ、とジョーカーは舌打ちをして私を睨みつける。

「なんで。あいつには許してたじゃねェか」
「あいつ?」
「しらばっくれてんじゃねェよ。いいから来い」

なんでこんな態度を取られなければならないのだろう。ここは私の家なのに。つい溜息が出てしまい、それを聞かれてまた睨まれる。
私は仕方なくジョーカーの隣に座るのだけれど「もっと寄れ」と言われてほんの少しずつ寄っていく。

「昼間、あいつとなにしてた?」
「あいつ?」
「灰島の死神に決まってんだろ」
「? なにもしてない」
「してたろ」
「してないよ」
「してた」
「してない」
「……いつからそんな嘘ばっかつくようになったんだ。お前は」

昼間なんて、仕事くらいしかしていない。それ以外は特にいつも通りで、なにかした、という程の事はひとつも無い。それが真実のはずなのに、彼にとっては望んでいない答えだったらしい。また苛立ちを隠しもせずに眉間に皺を寄せていた。

「なんで、わざわざここに怒りに来るの?」
「怒ってねェよ」
「怒ってるよ」
「怒ってねェ」

絶対に嘘だ。怒っていない人は舌打ちしたり眉間に皺を寄せていたりしないものである。私はふう、と息を吐いて立ち上がった。「! オイ」晩御飯の用意をしないと生野菜と生肉しか無いのだけれど。ジョーカーは「どこ行くんだ」と私の腕を掴んだ。

「どこにも行かないよ」
「嘘つけ」
「嘘じゃない」
「なら隣にいろ」
「嫌だよ」
「どうして」
「だって怒ってるんだもん」

ぎり、と私を握る腕に思い切り圧がかかった。痛い。

「怒ってねェって言ってんだろうが!!」

痛い。

「……怒ってない人は、そんなふうに怒鳴らない」
「……」

疲れて帰ってきたら理由もなく睨まれて、舌打ちされて、嘘つき呼ばわりされて、自由を奪われて、大きい声で怒られて、おまけに腕に掴まれた跡がくっきりついた。ほんとうに、痛い。

「離して。痛いよ」
「離したくねェ」
「痛いから、離して」
「ならお前が捕まえててくれ」

私はゆっくり首を振った。いつかみたいに、掴まれた腕を振り払う。

「私は、誰も、捕まえない」

だから、誰も私に囚われないで欲しい。ジョーカーは泣きそうな顔で「帰る」と言って出て行った。「また来る」もちろん、来るな、なんて言えるほど、私はジョーカーのことが嫌いじゃない。

▲▼

くっきりと跡が残った腕をさすりながら歩いていると、黒野さんに見つかった。隠したのだがもう遅くって「かわいそうに」とゆっくり手首を撫でられる。一人で悩ませて欲しいのだけれど、隙を見つけては隣に来るので、無視する訳にもいかず「平気ですよ」と答える。実際平気ではあるのだ。この程度の怪我くらい、何ほどのことも無い。

「だが、痛むだろう」
「それはまあ」

けど、その怪我よりも胸が痛い、とは言わなかった。この手の言葉を都合の良いように解釈するのが黒野さんという人である。

「なまえのきれいな肌に傷をつけた不届き者はどこのどいつだ?」
「……これは、転んだんです。強いて言うなら私ですね」
「……」
「転んだんです」

くっきりと手形である。嘘であるのは明白だ。つまり私は、触れないでくれ、と言っている。黒野さんはもう一度「かわいそうに」と言って私の体を自分の方に引き寄せ、ぎゅうぎゅう抱きしめた。他の社員がまたやってる、という目でちらりとこちらを見る。

「黒野さん、苦しいです」
「そうか。病院に行くか?」
「黒野さんが離してくれたら治ります」
「そうだ。おまじないをしてやろう」
「おまじない」

黒野さんはそっと、ガラス細工でも扱うみたいに私の体を離して、お姫様にするみたいに腕を持ち上げた。そして、手首に、ちゅ、とキスをした。そして「このままにしておくのも痛々しいだろう」と包帯を分けてくれた。灰病患者の専用品なのだろうか、ひんやりしていて気持ちいい。

「次は転ばないといいな」
「そうですね、気を付けます」
「なまえ」
「はい?」

黒野さんはようやく自分の仕事に戻るらしい、立ち上がって私の頭を撫でた。金色の目がゆらりと歪む。誘うような鈍い輝きを惜しげも無く私に注ぎ、そして言う。

「愛しているからな」

「それは」違う。愛ではない。こんな一方的なものが、愛であってたまるものか。これが愛だと言うのなら「違いますよ」誰か、私の胸がこんなに苦しい理由を説明して。

▲▼

今日も、家に帰るとジョーカーがソファにふんぞり返って居た。イラついていて不機嫌で、さらに厄介なことに、今日は、ここ最近で一番ひどい。「なまえ」返事をしたくない。「なまえ」通り過ぎようとした時もう一度呼ばれて「なに」と答えた。

「今日の午後、また随分あいつと仲良くしてたな?」
「あいつ?」
「そろそろ、このやり取りにも飽きてこねェか」
「飽きるも何も、こんなやり取りに意味なんか」
「意味なんかねェ、お前本気でそんなこと思ってるわけじゃねェよな?」

意味なんかない。黒野さんはいつもああだし、それをジョーカーが気にする必要はひとつもない。

「話しにくいだろ。もっとこっちに来い」
「い、」
「いいから」

返事は、聞きたくない、と言う風であった。昨日とは反対の手を掴まれて、ソファに押し付けられる。檻のようにジョーカーの腕と足が私を捕まえて、髪は頬に落ちてきている。

「52?」
「違う」
「何が違うの」
「何もかも違う。俺はもう、あの時の俺じゃねェ」
「……」

そうだろうか。私には、姿形以外に変わったところが見つけられない。相変わらず、彼は私を崇めるような目で見ているし、私なんかを仰いでいるせいで、足元がふわふわしている。その不安感を、私に尽くすことでどうにかしようとしている。何年経っても、そんなことを私が望むはずないのだと気付かないまま。

「俺のどこが駄目なんだ」
「……駄目じゃないよ、君は駄目なんかじゃない」
「なら、どうしてお前は」

あの時、俺と一緒に来てくれなかったんだ。

縋るように肩の上に額を乗せて、慟哭はお互いをより孤独にしていく。私はぼんやり天井を眺めていた。暫くそうしていると、ジョーカーがもぞりと動いて、歯で私のシャツのボタンをぷつりと外した。

「へ、な、なに、なんで」
「なに、ってこともねェだろ。相手してくれ」
「何言ってんの!? 馬鹿なの!?」
「ああそうだ。俺は馬鹿だ。お前がいちばんよく知ってんだろ」
「君は馬鹿じゃない! だからやめよう。私たちはこういうのじゃなかった!」
「俺はずっとこうしたかった」
「私はこんなことしたくない!」
「気持ちよくする。暴れんな。こんなもん、大したことじゃねェ」
「っ」

なんで。どうして。私はいつも。「君、みたいに、」私はいつも間違える。「こういうことに慣れてる訳じゃない」私は、

「私は、好きな人としかしたくない!!」

52は、あの日、長いお別れをしたあの日と同じ顔をしていた。私はまた、君にそんな顔をさせてしまったのに。どうしてまだ、私をそんな風に見るの。
52は私の上からどいて、体を引きずるように部屋を出ていった。出ていく間際、こちらを見ずに、彼はぽつりと言うのである。

「……悪かった」

どうして君が謝るの。
私は、どうしたらいいの。

▲▼

気分は最悪である。こんな日に黒野さんとは会いたくない、と思って逃げ回っていると、本当に会わずに済んだ。まだ彼の方が言うことを聞いてくれる分マシかもしれない、などと考ながら、私は自分の家の前でかれこれ二時間立ち尽くしていた。
ばたばたと雨が傘を叩くし、地面からはね返ってきた水滴で足元はぐしゃぐしゃだ。普通ならば一刻も早く家に帰りたい。けれど。

「……はあ」

電気が、ついている。
これはつまり、今日もジョーカーが家に来ているという事だ。どんな顔して会えばいいんだ。と言うか、ジョーカーは、どんな顔して私の部屋に居るのだろう。
何を期待して、あの部屋で待っているのだろうか。
いくら考えても分からない。また、大きなため息が出る。

「帰りたくないな」

どこかで一晩やりすごしてしまおうか。宿泊施設でも、カラオケでもどこでもいい。はあ。雨音に隠れるように呟いたはずなのに、ひょい、と後ろから声がかかった。

「帰りたくないのか」
「うわあ!? 黒野さん!? び、ビックリするじゃないですか」
「ああ。ビックリした顔もかわいいな。ところで、帰りたくないんだな?」
「え、あの、っていうかいつから居ました?」
「二時間前だな」
「ええ? 声かけてくださいよ」
「かけて良かったのか?」

黒野さんは、何故、私が嫌がること、はわかるのにこの目だけはやめてくれないのだろう。黒野さんはカバンからタオルを取り出して私の首にかけた。黒野さんの匂いがする。

「それはともかく、帰りたくないなら俺の家に来るといい」
「え、いや、それはご迷惑なので」
「なら、一緒にカラオケにでも行くか」
「い、行きません、ホテルとか行くので、大丈夫」
「ホテルか。……今日は随分積極的だな。手持ちがないからその辺で買っていいか? 二箱程」
「何の話ですか!?」

タオルの匂いにやや和んでいる場合ではない。この人もこの人で大変な人だ。突然怒りださない分まともな気がしているが、それでもやりずらいし困った人であることには変わりない。

「とにかく、こんな所にいたら風邪をひく。俺と、」
「えっ、」

黒野さんは私の方をぐっと引き寄せてその場から大きく後退した。私たちがいた場所はえぐれている。原因は上から降ってきた52だ。

「え、あの、近所迷惑……」
「帰って来ねえと思ったらなにやってんだ」
「なんだ? なまえがどこで誰といようと、お前に責める資格があるのか?」
「ああ?!」

これは大変なことになったんじゃないか? 私は包帯を緩めようとする黒野さんの腕を掴んで止めようとする。「黒野さん待ってください」「大丈夫だ。すぐに済む」やんわりと手のひらで制されて体を引きそうになるが、腕を掴んで止まってもらう。

「や、やめてください、こんなところで喧嘩なんてよくないですよ、あとから始末書書かされますし、部長にも怒られちゃいますから、ね?」
「気にするな。お前は何一つ、心配することは無い」
「だから、っ」

先に動いたのは52だった。トランプのカードのようになった炎が三発、こちらに飛んでくる。黒野さんは黒煙を出して中から武器を取り出している。本気でぶつかり合いになったら私に止めることは出来ない。止めるなら、今、このタイミングしかない。

「52!」

言いながら、二人の間に躍り出た。攻撃を相殺する余裕はない。カードを受けて体が宙に浮き、何回転かして近くの塀にぶつかった。
私はどうにか起き上がって「駄目、」と二人の間に入ろうとする。駄目だ。絶対に。こんな意味の無いことしてる場合じゃない。52は。君は。真実を。この世界の。本当を。いつか。

「なまえ!」

ばしゃり、と自分の体が地面に沈む音だけ聞こえた。

▲▼

いっそ私も、そんな目で君を見られたら良かったのに。そうしたら。きっと。賢い君は気付いてくれる。きっと。だから。神様お願い。

――君の鏡に、今だけなりたい。

その願いは。

その願いは聞き届けられた。私の目の前には、私の唯一の、神様みたいな男の子がいた。

そんな願いは、聞き届けられるはずがない。ずっと言えなかった、本当は一生言いたくなかった言葉を口にした。


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20200717
台詞を選ぶとそれぞれのルートにぶっとびます。

 

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