愛しているからだver.ジョーカー


その願いは聞き届けられた。私の目の前には、私の唯一の、神様みたいな男の子がいた。

▲▼

「52!」

俺がなまえを抱き起すと、なまえはそう言って、満面の笑顔で俺の首に抱き付いた。服が少し燃えて、焦げた臭いがするのに、そんなものは意にも介さずなまえはにこにこと笑っている。

「よかった。52が無事で。こんなところに居たら風邪引くよ。ほら、帰ろう。お風呂入ろうよ」
「は、お前、どうし……」
「なまえ?」

灰島の死神も目を丸くしている。

「ああ、黒野さん。すいません。また明日、灰島で会いましょう!」

何が起こっているのかわからない。なまえは文字通り何事もなかったみたいに俺の腕を引いて部屋に戻ろうとしている。黒野は、そんななまえの様子をじっと見た後「なるほど。そうなったか」とぽつりと呟き帰って行った。
俺もなまえもその背中を数秒見送り、目を合わせる。
目が合うと、なまえは眩しいくらいに綺麗に笑う。
懐かしい、と一瞬思った。
一瞬だった。
あの時と同じだと思ったのは、本当に一瞬。

「52に何かあったら大変だから、はやく」

綺麗だ。
綺麗で綺麗で綺麗で、――――とても、怖い。

▲▼

本当に一緒に風呂に入って、髪を乾かし合って、ゆっくり二人で晩飯も食った。ずっと、やりたかったことだ。ここ最近。見たいと思い続けていた笑顔も目の前にある。だと言うのに、俺はずっと冷や汗が止まらないし、目の前にいるこいつが怖くて堪らない。
こいつは本当に。

「ああ、そうだ、52」

ひとしきりリビングでゆっくりして「今日は泊まっていけばいい」と言われて、ベッドまで引っ張って来られた。ここは、なまえの匂いが特に強くてくらくらする。そうじゃなくても、ずっと、蕩けるような笑顔で見つめられておかしくなりそうなのに。
俺は俺に問いかける。
これでいいのか。

「昨日は、ごめんね」

ゆったりとしたシャツを着たなまえがきゅう、と俺の首に抱き付いて、そして俺の右手をそっと持ち上げ、自分の胸の辺りに当てる。

「びっくりして、拒否、しちゃった。たぶん、どうかしてたんだと思う。本当にごめんね」

いいや違う。昨日どうかしていたのは俺の方だ。灰島の死神が毎日俺を煽っているのは知っていた。俺はまんまと乗せられて、熱くなって、焦って、お前を適当に扱った。普通じゃなかったのは俺の方。だと言うのに。
なまえは、ぴくりとも動けない俺の唇に自分の唇を押し当てて言う。

「しよう。52の好きにしていいから」

とんでもない殺し文句だ。「52?」こてんと首を傾げて、濁って艶々と輝く目がこちらを見ている。「今日は、いい」「そうなの?」「いい」どうにかそれだけ言うと、なまえは「じゃあ他にして欲しいことは?」と聞いた。
俺は思わずびくりと肩を震わせる。

「膝枕でも、明日の朝食べたいものとかでも。私、52の為ならなんでもやるよ。私は52の為ならなんにだってなれるんだから。ね?」

きっとこれは、悪い夢だ。
俺は目の前にいるなまえの形をした何かに問う。

「なんで」
「なんでって、52は私の光だよ。私は52が笑っていられるなら、なんだってする」

なまえが言った通り、やっぱり俺は馬鹿なのだ。
なまえの言葉は、全て、全て、いつだか俺がなまえに言った言葉だった。よかれと思って、かけた言葉だ。少しでも笑って欲しくて言った言葉。これは。こんなにも無責任な言葉だったのか。

「どうしたの?」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ、だって」

触れているのに、とても遠い。
今、俺は俺が生きていた時間の中で、一番孤独だった。

「52、泣いてるじゃない」

次に、なまえが言う言葉を知っている。

「ね、泣かないで」

機嫌の取り方を間違える。俺にはわかる。

「もしかして、黒野さん? 私、黒野さんを殺してこようか? とても強いから無傷ってわけにはいかないかもだけど、あの人私を気に入ってくれてるし、上手くすれば差し違えるくらいはなんとかなるかも。ね、そうしたら笑ってくれる?」

呪いのように繰り返してきた。これは罰だ。
「笑っててくれ」「笑ってほしい」「その笑顔があれば」俺は、なまえの何を見ていた? なまえはどんな俺だって、ありのまま受け入れてくれていたはずだ。その優しさを、俺も返したいと思ったはずだ。それが一体いつから。
いつから、こうなった?

「52? ごめんね? 私が、なにか間違えた? ああ、ひょっとして、私が、私が死んだらいいのかな」
「っ」

今のなまえは俺よりもひどい。どうしてこうなってしまったのかはわからないが、俺はもうこれ以上聞きたくなくてなまえを抱きしめた。「52」となまえが言う。そっと背中に手が回る。細くて小さい、あたたかい手。

「俺が、悪かった」
「ううん、52は悪くない」
「俺が悪かった」

どう言葉を尽くして謝るべきか。
どうやったら取り戻せるのか。

「なあ、なまえ」
「なあに」

なまえは俺の顔にそっと手のひらをくっつけた。俺はどうにか、できるだけ自然な気持ちで笑ってみる。おかしくなる前まで戻って、いや、違う。そうじゃない。俺は、俺達は。

「泣いてもいいんだ」
「えっ」
「泣きたい時は、泣いてもいい。もう、無理に笑う必要はねェよ」

ムカついたら怒ればいいし、八つ当たりだってしていい。もちろん笑ってるのが一番だが、泣きたい時は泣いたっていい。今、俺はとても、なまえに会いたい。今のなまえに会いたいのだ。

「なまえ」
「うん」
「なまえ、俺は」
「うん」

この世界の真実が知りたい。

「うん」
「その為に、お前の力も借りたい」

なんでもする、なんてもう言わない。光になってくれ、なんて言い出したら殴ってくれていい。

「俺と一緒に戦ってくれ」

一緒に傷付いて、一緒に苦しんで、一緒に悲しくなって、そして最後に、一緒に笑いたい。俺の夢を、俺と一緒に見て欲しい。嫌ならそれはそれでいい。俺たちはただのジョーカーとそしてなまえとして、また新しく始められたら、そんなに素晴らしいことはない。
なまえの両目から零れた涙が、俺の指を伝って落ちていく。
ああ。
そうだ俺は。

「いいよ」

ずっと昔からなまえはなまえでしかなかった。勝手にこいつを弱いものだと決めつけて、52ではなくなりかけていた俺が、なまえの笑顔に届くはずなどなかったのだ。えらく遠回りしてしまったけれど、どうだろう、これで、対等だろうか。

「悪かった。ずっと、一人にして」
「それも、いいよ」

もう一人じゃないから、となまえは泣きながら笑った。
ああ、そうだった。
これが、なまえの笑顔だ。

▲▼

「ま、そうと決まれば基礎体力付け直すところからだね」
「……」
「ランニングしてくるから、その後組手の相手してね」
「………」
「ん? その前に筋トレ……? 能力向上の為になんかする……? どう思う? ジョーカー」
「…………なあ」
「え、なに?」
「俺は、お前のなんだ?」
「? 友達……、いや、一緒に戦うんだからややランクアップして仲間……、もうちょっと強くなれたら相棒とかにもなり得るかも……? うん、頑張るね」
「……………………」
「その顔、どうしたの? 口に虫でも入った?」
「いや、こっからか、と思ってるだけだ」
「うんうん。頑張りましょう。大分長いこと社畜してたから勘が鈍ってて申し訳ないけど」

これは罰なのだろう。いや、俺の評価なんて元々こんなもんだったのだ。俺はなまえにとってはどこまでも良き友人なのだろう。もちろん、そんなところで止まっているつもりはないが、現状はどうも動かしようがない。
もうちょっとこの関係性に甘味が出ると思っていた俺は盛大に肩透かしを食らい、しかし、なまえがなまえのままで隣にいるので充足している。足りているような全く足らないような、これが正しく恋なのだろう。
それはいい。
それはいいのだが。

「なまえ」
「あれ、黒野さん」

俺となまえが恋人になったわけではないと知ったこの男は、相変わらず虎視眈々となまえを狙っている。

「差し入れだ。受け取ってくれ」
「いらねェ、帰れ」
「わあ、ありがとうございます!」
「貰うな、返せ!」
「俺は世界の真実とやらに興味はないが、なまえのことをいつでも応援しているぞ」
「もう灰島社員じゃないのに、持つべきものは良い先輩ですね」
「気付け、お前の前にいるのはとんでもなく悪い先輩だ」

と言うか、こいつはこの男に求愛されていたのではなかったか? この男も俺と同種の気持ちをこいつに向けていたのではなかったか? それが何故こんなにサラリと普通の奴みたいな顔をしているのか。はあ、とため息を吐くと、走り去って行ったなまえの背を見送るこいつがぼそりと言った。

「俺はお前より数倍器用というだけの話だ。夢なんて縛りがない分俺はなまえに好かれるためならなんだってやるぞ」

主義主張を捨てて拾って、宗旨替えすらなんのその。全力でなまえを落としに行く。そういうスタイルであるらしい。

「はあ」

俺の相棒はどうしてこうも変な奴にばかり好かれるんだか。
「面倒か? なまえのことならいつでも俺が引き受けるぞ」「言ってろ」俺達はもう間違えねェよ。


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20200717

 

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