- ナノ -





 目を開けると、すぐ目の前で色の違う双眸がこちらを見つめていた。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 相変わらずゆったりとした雰囲気を携えながら、彼は微笑んだ。

「……いつから起きてたんですか? っていうか起きたんなら起こしてくれればいいのに……」

 寝ている時ほど無防備なものはない。もし彼が見ている間にいびきをかいたり歯軋りなんぞしていたらと思うと、身の縮む思いだった。

「可愛らしい顔をして気持ち良さそうに寝てらしたので。起こすのは忍びなく……つい見入ってしまいました」

 冗談か本気かわからないような表情で笑いながら、ジェイド先輩が言った。

「またそんなことばかり言って……」

 相変わらずの人を揶揄うような口調に思わずムッと口を尖らせた瞬間、ふとあることに気付いた。

「あ、そういえば。聞きたいことがあったんですけど……」
「なんでしょう?」
「昨日は私も色んなことで頭がいっぱいだったので、聞くタイミングをすっかり逃しちゃってたんですけど……」
「……? はい」
「あの……あちらのベッドは……その……どなたのでしょうか……?」

 部屋の反対側に置かれたベッドを指差しながら恐る恐る問いかけると、ジェイド先輩からは思ったとおりの答えが返ってきた。

「ああ、フロイドのですよ」
「やっぱり……」

 なるほど。じゃあ何か。私はフロイド先輩と同室の部屋で監禁されてたのか。あーなるほどなるほど。
 ……いや、二人の関係を考えたら想定内っちゃ想定内だし、別に見られて困るようなことをしてたわけじゃないからこれといって問題は無いけど……。なんだろう。なんか……ものすごく違和感。
 ……っていうか、普通個室じゃないのに監禁なんかする? いくら兄弟だからって開けっぴろげすぎじゃない?

 どうもこういうところは自分の感覚と合わない気がする。これが『人間』と『人魚』の違いなんだろうか。

 脳内の処理が追いつかず、無意識に両手で顔を覆っていると、先輩が小さく笑う気配がした。

「心配しなくてもフロイドは明日の夕方まで帰ってきませんよ」
「そういう問題じゃ……っていうか、だからこんなこと強行したんですか?」
「せっかくの好機でしたので。フロイドが居ても邪魔はされないと思うのですが……貴女を独占することはできないでしょうから」

 ニッコリと笑いながら言い放つ先輩を見ていたら目眩がした。

 とりあえず今日は拘束される気配は無いし、昨日で監禁自体は終わったようだ。今日あのオンボロ寮に帰れば、フロイド先輩と鉢合わせして気まずい思いをすることもないだろう。


「ところでユウさん。足の具合はいかがですか?」
「え? あー……はい、もう動かさなければ痛みも無いし、昨日よりいい感じです」
「では学校はどうされますか? 生憎あの時間でしたので杖などの手配はできていないのですが……杖無しで歩けそうですか?」
「あ……そっか……んー、歩くのはまだちょっと無理かも……。松葉杖ってどこかで買えますかね?」
「サムさんのお店なら入手可能かと。ただ、本日中に手に入るかは……」
「そうですよね……」

 体重を乗せるとズキンと響くような痛みが走る。普通に歩くのは無理だ。かといって痛くない方の足でピョコピョコ跳びながら移動するのも大変そうだし、もしタイミング悪く素行の悪い者に絡まれでもしたら、それこそこの足では逃げられない。なら今日は休むべきだろうか……。

「杖もいいですけど……この程度なら医者に診て貰えばすぐに治療してもらえるのでは?」

 そう言って、ジェイド先輩は少し不思議そうな顔をして首を傾げた。その言葉に、私も首を傾げる。

「でも……薬塗ったりしても治るまでに数日はかかりますよね?」
「いいえ? 普通はその場で治りますよ」
「その場で……? そんな馬鹿なこと……」

 言いかけて、ハッとした。そうだ。ここは魔法が日常に根付いたツイステッドワンダーランド。何も無い空間に火や風を起こし、なんなら空から大釜だって降ってくる。そんな魔法があるのだから、怪我を治す魔法があってもなんら不思議じゃない。

「……そっか、ひょっとして……魔法で治るんですね?」
「はい。ひょっとしなくても魔法で治りますよ。……とはいえ、さすがになんでも治せる、というわけではないですけどね。魔法は万能ではありませんので。ただ、ユウさんの怪我は見たところあまり酷くなさそうなので、魔法で十分治療可能かと」
「そっか……すごいですね……」

 改めて『魔法』というものに触れた気がする。

「では、放課後に診てもらいましょう。……さて、問題は今日ですよね。どうしましょう、僕が背負って教室の移動をお手伝いしましょうか」

 ニッコリと笑いながらそんなことを言うジェイド先輩を見て、再び頭がクラッとした。

「……結構です」
「そんな遠慮なさらずに」
「遠慮してません。っていうか、わざと言ってるでしょう。ジェイド先輩におんぶされて移動教室なんて目立つに決まってるじゃないですか……」
「おや、名案だと思ったんですが……残念です」

 わざとらしく肩を落としながら、ジェイド先輩は再び楽しそうに笑った。

「今日は休みます。欠席届を出しておいていただけますか?」
「そのくらいお安い御用ですよ。では、僕の授業が終わり次第、お迎えにあがります」
「はい。よろしくお願いします」

 今日はたしか魔法薬学で実験の授業があったはずだ。座学ならともかく、実験は一日休むだけでも大きなハンデだ。できれば休みたくはなかったが仕方がない。せめて今日習う内容を勉強しておかないと厳しいだろう。

「ジェイド先輩」
「なんでしょう?」
「一年の時の魔法薬学のノートとかありますか? 来週小テストなんです。少し勉強したくて……」
「ええ、ありますよ。なんならアズールに言って試験対策用の――」
「いえっ! 大丈夫です! ジェイド先輩のノートがいいです!」

 アズール先輩のノートなんか借りたら対価に何を要求されるか分からない。

「おやおや、そんなに力強く否定されてはアズールが泣いてしまいますよ」
「たかが小テストで頭からイソギンチャク生やしたくはありませんので」
「貴女のイソギンチャク姿はさぞかし可愛らしいでしょうね」
「もう! ジェイド先輩!」
「冗談ですよ」

 クスクスと笑いながら、ジェイド先輩は数冊のノートとテキストを取り出した。

「ありがとうございます」

 受け取ろうと手を伸ばすが、先輩は一向に手を離そうとしなかった。

「……先輩?」
「貸して差し上げる代わりに、僕も少しばかり対価をいただいても?」
「え? ああ、はい。私にあげられるものなら。でも……私、先輩にあげられるものなんて持ってませんけど……」
「では、いただきますね」

 そう言ってニッコリと笑うと、先輩は私の頬にそっと手を添えた。ゆっくりと近づいてくる先輩の顔はやっぱり綺麗で、先輩の唇が私の唇に触れる瞬間まで、私は馬鹿みたいにぼんやりと先輩を眺めていた。



***



 一人になった部屋はとても静かだった。というか、寮の中全体がしんと静まりかえっている。ゴーストが住み着いていて常に賑やかなオンボロ寮とは大違いだ。

「ふふ、これだけ静かだと勉強も集中できるんだけどな……」

 小さく笑いながら一人ごちると、テキストとノートを開いた。

 ……わぁ……綺麗な字……。

 先輩の書く字は、止めハネがきちんとしていて、とても丁寧だった。普段ボタンやネクタイをキッチリと留める彼らしい。そんなことすら愛おしいと思うのだから、恋とは厄介で不思議なものだ。

 一年生の時の先輩たちはどんな感じだったんだろう。海から上がったばかりで、やっぱり大変だったんだろうか。今の私みたいに、戸惑ったり不安に思ったりしたんだろうか。
 ……いや、あの人たちはそれすら楽しんでいただろう。戸惑ってばかりの自分とは違い、きっと期間限定の珍しい感覚を楽しんだはずだ。

 ふと窓の外を見る。明るい日差しが差し込み、海水に反射してキラキラと輝いている。海の中の生活は、こんな感じなんだろうか。

 陸の生活に憧れた人魚姫の気持ちが、今ならよく分かる。たとえ今の生活が一変したとしても、愛する人と同じ世界で共に生きたい。海の中のことを何も知らないのにそう願うのは、やはり幼稚で浅はかだろうか。


 ……そうか。知らないなら調べればいいんだ。何もしないでグダグダと悩んでいるなんて自分の性に合わない。今度図書室に行ってみよう。そう考えるだけで少しスッキリした気がする。クリアになった頭で、私は再び机へと向かった。




 しばらく勉強していると、お腹が空いてきた。時計を見ると、もうお昼をちょっと過ぎたところだった。どれだけ集中していたんだろう。どおりでお腹も空くわけだ。

 お昼ご飯はジェイド先輩がお弁当を用意してくれたので、それを食べた。量が少し多くて食べきるのが大変だったが、美味しかったので残さず完食できた。

 満たされたお腹をさすっていると、ふと普段ひときわ賑やかな相棒の姿が頭に浮かんだ。

「グリム……ご飯食べてるかな……」

 とりあえず当面の分のツナ缶は買い置きがあるから、あの食いしん坊が全部食べてなければ二、三日くらいは余裕でもつはずだが……なんせあのグリムのことだ。監視の無いこの状況で一食につき一缶という約束を律儀に守るとは思えない。

「早く帰ってあげないと……」

 はぁ、とため息をつきながら、再びテキストを開くと、ふと背後で扉が開く気配がした。何も考えずに振り返ると、心臓が大きく音を立てた。
 ターコイズブルーの髪、金と深緑の瞳。一瞬ジェイド先輩が戻ってきたのかと思ったが、そうではない。

 フロイド先輩だ。……っていうか明日まで帰ってこないはずじゃ……。

 何を言うべきか分からず、無言でフロイド先輩を見つめていると、フロイド先輩の眉間にググッとシワが寄った。

「……小エビちゃん? ここで何してんの? ここ、俺の部屋なんだけど。返答によっては、絞める」
「……べ、勉強……してます……」
「……はぁ? ツマンネーこと言ってっとマジで絞めんぞ」

 地の底を這うような声に、喉の奥でヒュッと音が鳴った。フロイド先輩はいつもこうして急にキレる。もう何度か見たことはあるが、いつまで経っても慣れない。
 先輩はゆっくりとこちらに歩み寄り、私の頭を片手でグッと掴んだ。

「いたた! もう絞めてるじゃないですか! っていうか何でいきなりフルスロットルで不機嫌なんですか!」
「小エビちゃんがちゃんと質問に答えねーからじゃん。聞いてた? ここ、俺の部屋なんだけど?」
「そんなの、私に言われても困ります! 文句があるならジェイド先輩に言ってください!」
「ジェイド? なんでジェイド〜?」
「それは……」

 まさか拉致されて監禁されていました、とは言えない。いくらこの人たちがヤバイ部類の人だったとしても、実の兄弟が自分が不在の間に女を攫って監禁したなんて事実は知りたくはないだろう。そう思ったのだが……。

「……あぁ。な〜んだ。ジェイド小エビちゃんのことマジで拉致ってきたんだぁ〜。ウケる〜おもしれ〜」

 ギリギリと絞めつけていた手をパッと緩めると、フロイド先輩は楽しそうにケラケラと笑った。

「知ってたんですか?」
「しらね〜。でも、ジェイドがなんかワクワクした顔してたから、なんかあんのかな〜? って思ってただけ〜」

 どうやら先ほどまでの不機嫌はどこかへ行ったらしい。相変わらず機嫌のアップダウンが激しい。ジェットコースターのようだ。

「つーかそれジェイドの字じゃん。それ、ジェイドのノート?」
「そうです。来週小テストがあるから一年の時のノート借りたんです。それより、先輩は何してるんですか? 明日まで帰ってこないってジェイド先輩は言ってたのに……」

 フロイド先輩はジェイド先輩のベッドに腰掛けると、そのままゴロンとベッドに横になった。

「用事が早く終わっちゃったからさー。ツマンネーから帰ってきた。つーかマジ俺が行く必要無かったし」
「……なら授業に出た方がいいのでは?」
「はぁ? 何、小エビちゃん。俺に説教すんの? 俺、今授業って気分じゃねーんだけど。……あ、でも小エビちゃんが授業出んなら、俺も出よっかなー? つーか、小エビちゃんは一人で何やってんの? 学校サボり?」

 ベッドから起き上がり、コロコロと表情を変えながら、最終的に最後の質問へと行き着いたらしい。とりあえず向きを変えてフロイド先輩に向き直ると、包帯でぐるぐる巻きの痛めた足を指差して言った。

「生憎、コレなんで。歩けないんですよ。今日ジェイド先輩が授業終わったらお医者さんのところに連れて行ってくれるそうです」
「うえ〜、何したらこんなことになんの? 小エビちゃんって弱えだけじゃなくてドンクセーんだね」
「……うるさいな」
「……あぁ?」
「……なんでもないです」
「じゃあさ、俺がおんぶしてあげよっか〜? 小エビちゃんチビだから余裕だよ」
「いいえ。大丈夫です。やること無いなら予習したらどうですか? ついでに勉強教えてくださいよ」
「え〜気分じゃねぇから無理」
「じゃあ、邪魔しないでくださいね」

 ニッコリと笑って言うと、フロイド先輩は少し不機嫌そうに口を尖らせてから、再びベッドへと横になった。

「あ、そうだ! 俺、いいもん待ってんだよね〜」

 先輩はガバッと身体を起こすと立ち上がり、自分の部屋と思わしき半分より向こうのスペースへと向かった。

「じゃじゃーん! 小エビちゃん、トランプやろ」
「えっ!? 何急に……やらないですから。私、勉強してるって――」
「あ、小エビちゃん歩けねーんでしょ? 俺が小エビちゃんのこと、持ってあげんね?」
「ちょっ……先輩! 話聞い……きゃあっ!」

 有無を言わさずにまるで荷物でも担ぐように肩の上へと乗せられる。視界が一気に広くなった。190センチ超えに担がれるとこんな景色になるのか。

「ちょっ……高い! 怖いから普通に運んでください! っていうかどこ行くの!?」
「えー? ラウンジ」
「は!? トランプなら別にここでも……」
「小エビちゃん何やる? ポーカー?」
「話聞いてます!?」
「小エビちゃんこそ俺の話全然聞いてなくね? トランプ何やるかって聞いてんじゃん」

 ダメだ。話を聞く気も無ければ、降ろす気も無そうだ。流石に落とされはしないと思うが、機嫌を損ねられるよりは数回カードゲームに付き合った方がいいだろう。

「あいにく、トランプはババ抜きくらいしか知らないんです」
「ばばぬきって何? おもしれーの?」
「あれ、知りません? 一枚ジョーカーを混ぜたカードをそれぞれ配って、手札にある同じ数字を二枚ずつ場に捨てて、そのあとはお互いに一枚ずつ引き合うんです。最後までジョーカーを持ってた方の負けです」
「ああ、な〜んだ。オールドメイドじゃん。でもアレ二人でやってもツマンなくね? オールドメイドなら、ジェイドが強えーんだ。何持ってんのか全然分かんねーの」
「はは、想像つきます。アズール先輩は?」
「アズールも悪くはねーけど、ジェイドよりは表情に出るからまぁまぁ分かんだよね」
「そうなんですか? ポーカーフェイスとか得意そうなのに。なんか意外です」
「小エビちゃんは、馬鹿正直だから、全部顔に出そうだよね〜」
「……素直って言ってください」

 そうこうしているうちに、モストロ・ラウンジに到着した。当然今は営業時間外なので店は閉まっている。

「勝手に入っちゃっていいんですか? 私、アズール先輩に怒られたくないんですけど……」
「へーきへーき。汚したり物壊したりしなきゃ分かんねーって」
「ならいいですけど……。バレたらフロイド先輩に無理やり連れてこられたって言いますから」
「無理やり連れてきたのはジェイドじゃん」

 ハハハ、と笑いながら、フロイド先輩は私をふわりと降ろした。そのままソファ席へと座らせ、自分は向かい側に座る。やや乱暴な担ぎ方をした割には、丁寧に降ろしてくれたことに、少しだけ驚いた。

「はい。小エビちゃんの分」
「……ありがとうございます」

 手札を受け取りながら、フロイド先輩の様子を覗き見る。先輩は鼻歌なぞ歌いながら、上機嫌でペアになった手札を場に捨てている。どうやら機嫌は良さそうだ。本当にババ抜きをやるつもりらしい。さて、このご機嫌モードが何分続くことやら。




 ゲームを始めて数十分が過ぎたところで、フロイド先輩が能面のような顔をしながら呟いた。

「…………飽きた」

 ……でしょうね。心の中で呟く。

 ここに着いてからババ抜きしかやっていない。しかも二人だ。面白いわけがない。

「他のゲームやりますか? ルール教えてくれれば……」
「えー! めんどくせぇからヤダ。小エビちゃんホントに他のゲーム知んねーの?」
「えー……あ、ビッグオアスモールなら、この間友達に教えてもらいました」
「じゃあそれやろ。ルール教えて」


 それからまた数十分後、再びフロイド先輩はグダッと背もたれにのけ反りながら「……飽きた」と呟く。
 
「もうトランプやめません? そろそろ授業終わってジェイド先輩帰って来ちゃうし……。部屋に居なかったら心配すると思うので……」
「つーか腹減らね?」
「聞いてます? 人の話。私はジェイド先輩が作ってくれたお弁当食べたのでお腹は空いてません。それより! ジェイド先輩が帰って来ちゃう!」
「ジェイド? ……あ、ホントだ、授業終わってんじゃん。俺部活行こ」
「は!? ちょっと! その前に私を部屋に運んでくださいよ!」
「えー、俺もう部活行く気分になっちゃったんだけど」
「先輩が連れて来たんでしょ!? ならちゃんと……っ! ……もういいです。自分で戻ります……」

 言い合いをしているのも馬鹿らしくなった。別に片足で跳ねれば歩けるんだし、自分で戻ろう。

「ハハハ! 小エビちゃんピョコピョコしてホントエビみてぇ。仕方ねぇから、俺が運んであげるよ」
「……それはどうも。……きゃっ!」

 再び身体がふわりと宙に浮かぶ。所謂お姫様抱っこというやつだ。今度は間近にフロイド先輩の顔が見える。


 こうして見ると、似ているようで似ていない。ジェイド先輩の目はもう少し切れ長で、少し鋭くて。でもキノコの世話をしている時は、ものすごく優しい目をして、愛おしげにキノコ達を見つめている。
 ……そういえば、昨日熱を出した私の髪を撫でていた時も、今朝キスをした時も、先輩は同じ顔をしていた。
 ……なら、自分は先輩にとってキノコくらいの位置づけにはなれたんだろうか。

「……ん? 何見てんの?」
「……似てるけど似てないなって思って」
「俺とジェイド?」
「はい。先輩の方が少しだけガッシリして見えますね」
「俺の方がほんの少しだけ背高ぇからじゃね? つーか小エビちゃんホント軽いね〜。メシ、ちゃんと食ってる?」
「食べてますよ」
「ジェイドくらい食わないとさぁ。大きくなれないよ?」
「あんなに食べたらすぐ太っちゃいます。っていうかジェイド先輩ってあんなに食べるくせになんであんなにスタイルいいんですか?」
「さあ?」
「……ユウさん?」

 不意に声をかけられ、フロイド先輩の肩越しに振り返ると、ジェイド先輩が驚いたような顔でこちらを見つめていた。

 あ、マズイ。早速部屋から出たのがバレた。戻ってくる前に部屋に戻ろうと思ってたのに……。また怒られる。
 昨晩のことが蘇り、条件反射のように身を縮めると、ジェイド先輩は足早に駆け寄った。

「大丈夫ですか? 何かあったのですか?」
「いえ、あの……」
「モストロ・ラウンジで小エビちゃんとトランプやってたんだぁ〜。授業戻んのだりぃし」
「フロイド。どうせ貴方が無理やり連れ出したんでしょう。彼女は足を怪我しているんですよ?」
「えー、ちゃんと運んであげたじゃん」
「そのようですが……それにしてもずいぶん早く終わりましたね。もう少しかかるかと思ってましたが」
「まぁね〜。でも仕事はちゃんとやったし」
「さすがですね、フロイド」

 感心したように言ったジェイド先輩に、フロイド先輩は笑った。

「あ、俺部活行きたいんだった。だからジェイド、小エビちゃんあげる」
「おっと」
「うわぁ!」

 ハイ、と荷物でも渡すようにヒョイっとジェイド先輩へと託される。落ちそうになり、慌ててジェイド先輩へしがみつくと、後ろから楽しそうな笑い声が聞こえた。

「ハハハ、ギュッだって。か〜わい〜。じゃあね〜小エビちゃん」
「……さ、さようなら……」

 相変わらずご機嫌な様子でヒラヒラと手を振りながら鏡舎へと向かう先輩を見送ると、ホッと息を吐き出した。フロイド先輩のことはもちろん嫌いじゃない。でもあのジェットコースターのような感情の起伏にずっと付いていくとなると、少々骨が折れる、というのが本音だ。


 ……チラリとジェイド先輩を見上げる。

 怒っているだろうか。昨日のことを思い出す。冷たい目で見下ろされ、生きている心地がしなかった。もうあんな顔は見たくない。だが、相変わらず表情は読めないが、怒っているようにも見えなかった。

「そんなに見つめては穴が空きますよ」

 クスリと笑いながら、先輩がそう言った。声のトーンから、怒っていないことがようやく窺えた。思わずホッと息を吐き出す。

「勝手に部屋を出たから怒ったのかと思ってました。怒ってないですか?」
「怒っていませんよ。フロイドと一緒だったのでしょう?」
「はい。トランプをしました。フロイド先輩強くて、全部負けました」
「ハハハ。そうでしたか」
「ジェイド先輩もカードゲーム上手だってフロイド先輩が言ってました。ババ抜……えっと……オールド……メイド?」
「オールドメイドですか? ずいぶん可愛らしい遊びをしたんですね」
「……馬鹿にしてます?」
「まさか。褒めたんですよ。可愛らしい貴女にぴったりだと思いまして」

 そう言いながら、ジェイド先輩はクスクスと優雅な笑みを浮かべた。

「……怒らないのはフロイド先輩と一緒だったからですか?」
「まぁそれもありますが……そもそも怒る理由がありません。元々外に出ないように、などとは言っていないはずですよ?」
「……そうでしたっけ?」
「はい」

 ……たしかに、思い返してみると『部屋から出るな』とは言われなかった。ただ、授業が終わったら迎えに行く、と。

「なんだ……てっきり……」
「僕も貴女がまだこちらにいらっしゃると思いませんでした」
「……え? どうしてですか?」
「縛るものが無ければ、貴女は帰ってしまうかと……」

 そう言って、先輩は少し寂しげに笑った。

 ……どうしてだろう。私は逃げないと言ったのに。昨日、ちゃんと言ったのに。
 ……先輩は、いつもどこかで線を引く。私と先輩の間に、見えない線を。

「……帰りません。だって、ノートとテキスト、まだ借りてないもの。貸してくれるんでしょう? あと、ノート見ただけじゃ分からないところもあったんです。教えてくれないと困ります。今日休んだのは、先輩のせいなんだから、責任とって面倒みてください」

 引かれた線に負けないように一歩踏み出してそう言うと、先輩は一瞬キョトンとしたような顔で固まってから、ふっと吹き出した。

「……ええ、そうでしたね」

 そう言って、ジェイド先輩はキノコを見つめる時と同じように私を見つめた。

「……じゃあ、足を診てもらったら、少しだけここで勉強教えてくださいね? そのあと、私を寮まで送ってください」
「ええ、かしこまりました。お安い御用です。……さあ、そろそろ参りましょうか。聞いたところによると今日は校医の先生が学園にいらっしゃるそうです。外出するとなると色々と手続きが面倒ですし、ちょうど良いのでそちらで診ていただきましょう」

 そう言って、ジェイド先輩はいつもと同じように、ニッコリと笑った。
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