(3話)
ランク戦が終わると、今日もいい時間になっていた。
「じゃあ飯行くか」
「はい!」
あの後も、太刀川はナマエを見るなり、訓練室へと誘った。実際にランク戦として手合わせをしてくれることもある。当然ながら全敗した。それ以来、こうしてランク戦終わりに太刀川と食事に行くのが恒例になっている、というわけだ。
ただの社交辞令だと思っていたのに、改めて太刀川の懐の深さに感動した。そして、初めて会話を交わした時よりもずっと、自分が太刀川に惹かれているのを感じていた。
嬉しい反面、なぜ太刀川がしがないB級隊員の自分なんぞと一緒に居てくれるのか、ナマエはいまいち理解できないでいた。少しは自分は太刀川にとって特別になれているんだろうか。それともただの気まぐれか。
とはいえ、憧れだった太刀川に手合わせをしてもらったり、一緒に食事が摂れるのは嬉しい。それもあって、なかなか本人に問いただす事が出来ずにいたのだ。もし聞いて、この幸せなひと時が泡のように消えて無くなってしまっては悔やんでも悔やみきれない。
「寒いから鍋がいいな」
しばしの間黙り込んでいた太刀川が、ふと思いついたように言った。どうやらメニューを考えていたらしい。
「なら、この前行ったお鍋のお店にしましょうか」
「だな。あー腹減った」
店に向かいながら、背の高い太刀川を見上げる。相変わらずカッコいい。こうやって思わず見惚れてしまうほどに。
「アレだな、ナマエはやっぱ女の子って感じだな」
太刀川が小さく笑いながら言った。
「どういう意味ですか? 力が無いから?」
太刀川を通して知り合った風間には、やはりスコーピオンの方が向いているのでは無いかと言われている。先日手合わせしたクラスメイトの米屋にも、同様のことを言われたばかりだ。しかし、ナマエは弧月が好きだった。太刀川が使っているからというのもあるが、やはり弧月はカッコいい。それに、もう既に戦闘スタイルは出来上がってしまっているし、今更方向転換するのも難しいだろう。
しかし、太刀川の意図するところは別のところにあるようだった。
「違う違う。まぁ力はさ、ある程度は仕方ねぇけど、トリオン体の方の調整が出来なくもないし。そうじゃなくて、俺が『夕飯、鍋がいい』って言っても文句言わないからさ。出水とかだったら絶対肉がいいとかうるせぇからな」
ああ、そういう意味か。確かに出水や米屋と食事に行くとなると、必ずと言っていいほど焼肉が候補に上がる。
「たしかに。そういえばこの間、二宮隊と玉狛第二も行ったみたいですよ、焼肉。私もくまちゃんとか小佐野誘ってみんなで行ったことあります」
「へぇ。そっか、その辺皆同じ学校か」
「はい。一個下に京介とか佐鳥とかも居ますよ」
「ボーダー提携だとみんな大体一緒だな。……その中では出水が一番仲良い感じ?」
「そう……ですね。出水とは一年の時から一緒のクラスで。出水が米屋と仲良いから、自然とその辺りと仲良くなった感じです」
「そっか。なぁ、出水とは…………あ!」
太刀川が何かを言いかけて、足を止めた。不思議に思い視線の先を追うと、店の入り口に貼り紙がしてあった。
「あら……臨時休業ですね」
「マジかぁー! 俺もうすっかり鍋食べる気分になっちゃってたのに!」
頭を抱えながらそんなことを言う太刀川を見て、ナマエはクスリと笑った。
「なら、スーパー寄って材料買って、家で鍋しませんか? 今、色んな鍋の素とかあるし。結構美味しいんですよ」
「マジ!?」
「はい。太刀川さんち土鍋ありますか?」
「……無い」
「ならうちに行きましょ。うち、ちょうどこの前くまちゃん達と鍋パーティーしようって言って土鍋買ったんです」
途中、太刀川が、ちょっと買うものがあると言うので、ナマエは先にスーパーへと向かった。季節柄、鍋のコーナーが出来ており、必要な食材はここで全て揃ってしまいそうだった。
あ、しまった。どんな鍋にするのか聞くの忘れちゃった。この間太刀川さんが食べてたのは塩ちゃんこ鍋系だったから、今日は違う方がいいかな。キムチ……嫌かなぁ。醤油系? ……モツ鍋は好きだけど家でやると匂いすごくなりそう。あ、それともトマト系とか。
鍋コーナーをじっと見つめながら色んなパターンをシミュレーションしてみるが、太刀川の今日の気分までは想像できそうに無い。すると、背後に人の気配を感じた。
「見っけ。ナマエちっこいな。遠くから見ると余計に小さく見える」
「あはは、太刀川さん大きいから私はいつもすぐに分かりますよ」
「そっか。ならナマエが俺を見つけてくれればいっか」
そう言って笑う太刀川の顔も好きだと思った。
「あ、お鍋何味がいいですか?」
「ナマエの好きなのでいいよ」
「太刀川さんがお鍋がいいって言ったのに?」
「ナマエの選んだの、大体いつも俺好みだからさ。多分好み似てるんだろ。だからナマエが決めていいよ」
「んー……あ、この鶏団子とキノコのお鍋美味しそう」
「おお、いいね」
「じゃあコレにしましょうか」
「ナマエ、団子作れんの?」
「挽肉を捏ねて丸めるだけですよ。太刀川さんもやってみますか?」
「いや、俺は食べるだけでいい」
難しそうな顔をしてそう言う太刀川に小さく笑うと、ナマエは材料をカゴへと放り込んだ。
***
部屋に着いてすぐ、ナマエは料理にとりかかった。太刀川も野菜を切ると言ってくれたのだが、手つきが危なくて見ていられず、三太刀目でナマエが止めた。したがって、太刀川は今、のんびりとテレビを見ている。
「なぁ、出水たちもここよく来んの?」
「え? んー……時々かな。試験勉強とかする時なんかは、よくうちに集まりますよ。学校からもボーダーからも近いし。ほら、うちは米屋が割とヤバめなんで」
「ハハハ……俺も人のこと言えねぇけど」
「……太刀川さんって大学ちゃんと行ってるんですか?」
「……ノーコメント」
そっとナマエから視線を外し、太刀川は再びテレビへと向き直った。
「……出水と付き合ってたりする?」
テレビを見たまま、太刀川がポツリと言う。
「誰がですか? 米屋?」
まるでコントのように、頬杖をついていた太刀川がガクリと落ちた。
「なんでだよ!」
「ハハハ、ですよねぇ。えっと……私が、出水と、ってことですか?」
「……ほら、仲良いみたいだからさ」
ほんの少しだけ言いづらそうに、太刀川が続けた。
太刀川には、自分の気持ちはとっくにバレているものと思っていた。でもひょっとしたら小さな子供が自分の周りをチョロチョロしているだけだとでも思われているのかもしれない。
なんて答えるのがいいんだろう。「出水とは付き合ってないです」「好きなのは太刀川さんです」いや、二番目は無いな。
「……もし、私が誰かと付き合ってたら、こうやって太刀川さんを部屋に上げないですよ」
出来るだけ平静を装って、ナマエは答えた。
チラリと太刀川を覗き見る。太刀川は相変わらずテレビに視線を合わせたままだ。何を考えているかは、表情からは読めない。この答えで合っていただろうか。
「……そっか」
小さな声でそう言って、太刀川は小さく笑った。
鍋は大満足な仕上がりだった。まぁある意味切って入れるだけで、スープもレトルトなので失敗しようがなかっただけなのだが。
「美味しかったですねー」
「ああ。ホント美味かった。ナマエ、料理上手いな」
「お野菜切っただけですけどね。あのスープが美味しかったから」
「いや、団子上手かったよ。なんか色々入ってた」
団子には、鍋コーナーに並んでいた軟骨が安かったので、それを刻んで混ぜた。しかもそれは先日の鍋パーティーの時に既に作ったので、軟骨が大きすぎてうまく団子の形にならなかったという失敗も、今回は改善されている。それに加えて、今回は椎茸の軸のところもなんとなく勿体無くて団子に混ぜた。
普段から手の込んだものは作らないので、もちろん今回も携帯でレシピを確認しながら作ったのだが、なんせ丸めるだけだしスープは市販なので失敗のしようもない。おうち鍋を提案してよかった。
「じゃあ今度またお鍋やりましょうね。……あ、締めのうどん入れる前にお腹いっぱいになっちゃったな……。太刀川さんまだ食べれます?」
「いや、俺も腹一杯」
それを聞きながら、台所へと土鍋を避難させる。触るとまだ温かいようだったので、片付けなどは後回しにして、ひとまず太刀川の元へと戻った。
「じゃあ明日の朝ごはんにします。ふふ、楽しみ。太刀川さんも食べますか?」
深く考えずにそう問いかけると、太刀川は一瞬驚いたような顔をして固まった。
「あ! ごめんなさい。変な意味があったわけじゃなくて……。ははは、そんなこと言われても答えに困っちゃいますよね」
ははは、という自分の渇いた笑い声だけが部屋の中に響く。
太刀川は何も言わずに、少し真剣な顔をして黙り込んだ。
あーサイアク。絶対引かれた。さっきのあの流れでこれじゃあ、まるで泊まっていってほしいと誘っているみたいではないか。
すると、太刀川はややあってから、ポツリと呟いた。
「……ナマエが嫌じゃないなら、食べる。食いたい」
聞こえてきた声に視線を向けると、太刀川が真剣な面持ちでナマエを見つめていた。
「……嫌なわけ……ないです……」
ようやく絞り出した声は、消えてしまいそうなくらい小さかった。小さすぎて、ひょっとしたら太刀川には聞こえなかったかもしれない。
太刀川は少し困ったような顔でナマエをしばし見つめてから、そっと指先でナマエの頬に触れた。間近で見つめられ、思わず小さくため息をついた。まるで吸い込まれてしまいそうな太刀川の瞳から目が離せない。
好きです。太刀川さん。
心の中でそう呟いた瞬間、太刀川の顔がゆっくりと近づいてきた。
唇に柔らかいものが触れるのと同時に目を閉じる。啄むようにされるたび、太刀川の髭が口元にチクチクと当たった。そのまますぐ後ろのベッドへそっと寝かされ、真上から太刀川が見下ろしている。まるで覆いかぶさるように身体全体を程よく拘束されている。だが、逃げようと思えば、簡単に逃げられるだろう。
これから何が起きるかは、流石に分かる。このまま進んでしまうことに、迷いが無いわけではない。でもきっと自分は拒めない。拒むつもりも、おそらく無い。分かっている。
たとえ、この人が自分と同じ気持ちじゃなかったとしても。軽い気持ちだったとしても構わない。こんなふうに軽々しく身体の関係を持つことが良くないことだということはもちろん分かっているけれど、それでも、太刀川が好きだ。ほんのひと時、そばに居られるだけでもいい。
それがほんの、一瞬だけだったとしても。
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