(4話)
太刀川と一線を越えてから、ひと月ほど経った。
あれから何度か太刀川に抱かれた。ナマエの部屋だったり、太刀川の部屋だったり。だが、付き合おうなどという明確なことは何一つ言われていないし、当然こちらからもそんなことは聞けない。
好きだとは言われた。太刀川は、ナマエを抱く時必ずといっていいほど「好きだ」と言う。……が、所詮はピロートークだ。ただの睦言を本気にして彼女面するほど、滑稽なことはない。そのくらいはわきまえてるつもりだった。
このままズルズルと身体だけの関係を続けていいのか。頭の片隅で冷静な自分は警鐘を鳴らしているが、太刀川を好きでいる以上、拒むのは難しかった。
一緒に居られるだけでいい。多くなんか望まない。それにあの瞬間だけは私のことを見てくれる。それだけでも十分幸せだ。
……幸せなはずなのに。何度言い聞かせても罪悪感や後ろめたさは増していく。自分が酷く薄汚いもののように思える。その証拠に、太刀川との事は誰にも話していない。仲の良い出水にだって、こんなこと当然話せない。
いっそのこと、ちゃんと告白して、それで振られた方がいいのだろうと思う。たとえ今の関係が崩れたとしても、キチンとした方がいいに決まってる。頭では分かってる。でも、その道を選ぶのには覚悟がいる。
考えたくない事を見つめながら校内を歩いていると、不意にグイと首元を掴まれた。慌てて振り返ると、出水が怖い顔をして立っていた。
「出水? どうし……」
「ちょっと話がある。来い」
そのままグイッと引かれ、喉元に衣服が食い込んだ。
「ちょっ! 痛い! 苦しいんですけど!」
「いいから!」
空き教室に入ると、出水は扉をそっと閉めた。そして教室の奥へと移動すると、声を落として問いかけた。
「お前、太刀川さんと付き合ってんの?」
心臓がドキッと音を立てた。
「……付き合ってない」
「でも最近しょっちゅう二人で居るだろ」
「……ランク戦とかの合間に、少し手合わせしてくれてる。……終わった後、一緒にご飯食べに行くこともある……」
上から睨みつけられ、ボソボソと話す。まるで言い訳でもしているようでなんだか居た堪れない。
「そんだけ?」
「……それだけだよ。他に……何があるの……?」
はは、と笑いながら答えると。出水は自分の首のやや後ろ辺りをトントンと指差した。意図が見えず、内心首を傾げていると、昨夜のワンシーンが頭に浮かんだ。
バッと自分の手で首元を覆う。しまった。跡がついてたんだ。気づかなかった。見られた? 出水が見たなら、他の人にも見られたかもしれない。どうしよう。
しばらくの間沈黙が続き、やがて出水が大きくため息をついた。
「やっぱりそうかよ」
「……」
「……太刀川さん?」
「……」
「答えろよ。太刀川さんと、ヤったのかよ」
「…………ごめんなさい」
再び聞こえてきた出水のため息に、なんだか泣きたくなってきた。自分がどれだけ愚かで薄っぺらか、改めて思い知る。
「マジかよ……お前、しっかりしろよ……。お前が太刀川さん大好きなのは知ってるけどさ、そうじゃねぇだろ……お前はそういうところはちゃんとしてるって思ってたよ。太刀川さんと、そういうのがしたかったのかよ」
「違うよ! 私は純粋に……」
「じゃあなんでそんなことになってんだよ!」
ピシャリと言われ、再びナマエの両肩が跳ねる。とうとう堪えていた涙がポトリと落ち、床に跡を作った。
「仕方ないじゃん……好きなんだもん。こんなのダメだって、間違ってるって分かってるよ。でも! それでも好きなんだもん! 一緒にいられるなら、それでもいいって、思っちゃったんだもん!」
「だからってさぁ……」
「出水には分かんないよ。……分かんない」
ぐしぐしと涙を拭い、鼻を啜る。
「あー……もう。泣くなよ」
「泣いてない!」
困ったように何度目かのため息をつきながら、出水はナマエの頭をガシガシと撫でた。
「分かったよ。……分かった。そんなに好きならさ、頑張ってみれば? 太刀川さんだって、お前のこと気に入ってるからそうやってそばに置くんだろうし。……今のままズルズルいくってのはおれは賛成できねぇけど……お前が頑張んなら、応援はする。おれにできることがあったら、協力してやるからさ」
だからもう泣くなよ。出水はまるで、駄々をこねる子供をあやすような口調で言った。
その顔を見て、彼の言葉を聞いて、冷水を浴びせられた様に頭が冷えた。こんなふうに心配してくれる友達が居るのに、自分はなんて馬鹿なんだろう。
やっぱりダメだ。このままズルズルとこの関係を続けていくことは、出来ない。しちゃいけないんだ。……終わりにしなきゃならない。ちゃんと話して、その結果が例え望まぬものになったとしても。
「……ちゃんとする。ちゃんと、太刀川さんに好きだって、言う。このままは、嫌だって。……振られるかも……しれないけど」
「ほら、また泣く……」
「……もし、振られたら……焼肉奢ってくれる?」
「……図々しいなお前」
「うるさいな。……奢ってよ」
「まぁいいけど? ……ってか、振られるかは分かんねーだろ」
「……A級一位が私なんかと付き合うわけ無いじゃん」
「……お前ってホント卑屈だよな」
そんな言葉と共に、出水は心底呆れた様な顔でナマエを見る。暫し見つめ合って、二人同時に吹き出した。
「……で? 次、いつ会うの」
「分かんない。でも太刀川さん大抵本部に居るから……行けば会えると思う」
「……居るな。あの人絶対ぇ大学行ってねぇよ。単位ヤバイだろ」
「この間忍田本部長に怒られたって言ってた」
出水はうわぁ……と言いながら顔を顰めた。
「明日、防衛任務で本部行くから、もし会ったら……その時に話す」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、出水は「そっか」と一言だけ呟いた。
「……本当は、出水に話せないのが嫌だった。……軽蔑した? 私がこんな……馬鹿な女で……」
「してねぇよ」
呆れたように、そして困った様に笑いながら、出水が言う。
「お前が馬鹿なのは元からだしな」
「おい。……米屋よりマシなんですけど」
「ここに居ない奴を巻き込むなよ」
「っていうか、出水だって私とそんな変わらないくせに」
「その言い方やめろよ。おれが馬鹿みたいだろ」
「だから私は馬鹿じゃないって言ってんじゃん」
いつものように軽口を叩きながら、再び二人して笑い合う。
「じゃあ戻るか」
「うん。…………出水」
教室を出ようと扉に向かう出水に、後ろから声をかけると、出水は顔だけで振り返った。
「……ありがとう」
「じゃあ今度焼肉奢れよ」
そう言って、出水はニッと笑った。
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