- ナノ -


(3話)


 魔法舎に着くと、ミスラは真っ直ぐ四階へと向かった。

「ミスラ……? あの、どこに……?」
「行けばわかります」

 四階の一番奥の部屋へと向かうと、素早くノックをした。

「誰だ?」
「ミスラです。入ります」

 言うなり、ミスラは返事を聞かずに扉を開けた。部屋に居たのはファウストだった。あからさまに嫌そうな顔をしてこちらを睨んでいる。

「ノックをしたのなら入室許可まで得てから入ってくれないか」
「緊急だったので。ノックはしたんだからいいじゃないですか。それより、視てください」

 ずいっとファウストに向かって押しやられ、怪訝な顔をしたファウストと目が合った。

「なんだ。賢者がどうかしたのか」
「呪いをかけられたようです。俺には分かりませんでした。あなたなら分かるでしょう? どんな呪いか視てください」
「えっ!?」
「なんだと!?」

 ファウストは素早く顔を寄せると、私の顔を覗き込んだ。その真剣な表情に、思わずゴクリと喉が鳴った。

 え、呪い? 全然分からなかった。そんなことってあるの? でも相手は魔女だったし、私の知らない間に呪われたんだろうか。もし本当に呪われていたらどうしたらいいんだろう。でもファウストは呪い屋をやっているくらいだし、きっと呪いを解く方法にだって詳しいはず。彼に任せよう。

 ファウストはしばらくの間注意深く私を観察するようにしてから、深く息を吐き出した。

「いや、見たところ呪いの類はかかっていない」
「よ、よかった……」

 ファウストの言葉に、つられて私も大きく息を吐き出した。よかった。呪いなんかかけられたらたまったもんじゃない。だが、ミスラは納得いかないような顔をして眉間にシワを寄せた。

「はあ? そんなはずありませんよ。よく視てください。明らかに様子が変だったんです。呪いじゃなかったら何だっていうんです? 呪い屋やってるくせに節穴なんですか?」
「……なんだと?」

 ミスラの棘のある言い方に、ファウストの眉間にもシワが寄った。

「ミスラ、そんな言い方……」

 諌めるように声をかけると、ミスラは諦めたように息を吐き出した。

「はあ……。もういいです」

 そう言うなり、ミスラは踵を返し扉へと向かった。

「ミスラ? どこに行くんですか?」
「あの魔女を探し出して、かけた呪いを解かせてから殺します」
「ダメですよ!」
「なぜですか?」
「だって……殺すなんてダメです。そんなこと、ミスラにしてほしくありません」
「あなたに関係ないでしょう。俺がそうしたいからそうするだけですよ」
「そんな……ファウスト、止めてください」

 縋るようにファウストを見やると、ファウストはお手上げだというように肩をすくめた。

「無理だな。ミスラがそうすると決めたなら、止められるのはオズくらいなものだ」
「そんな……」

 部屋を出て行こうとしていたミスラが、不意に足を止める。

「あ、そうだ。呪いをかけた魔女が呪いを解かずに死んだらどうなるんです?」
「場合によるな。呪いそのものが消え失せる場合もあるが、かけた者の魔力や怨みの深さによっては生涯呪いだけが残る場合もある」
「わかりました」
「待って、ミスラ……」


《アルシム》


「ミスラ!」

 ファウストの部屋に私の声が虚しく響く。私の声はミスラには届かなかった。

「行ってしまったな」
「ファウスト……どうしたら……」
「仕方ないだろう。ミスラのことだ、飽きたら戻ってくるさ」
「でも……ミスラに何かあったら……」
「ははっ、それはないだろう。相手がどんな魔女かは知らないが、ミスラに敵うわけがない」
「そうでしょうか……」

 たしかに、短い付き合いとはいえ、ミスラが今まで他の魔法使いに圧されているところは見たことがない。他の魔法使いたちもミスラのことは恐れているようにもみえる。オズだって、以前アーサーがオズを庇おうとしたとき、アーサーの敵う相手ではないと止めていた。……とはいえ、やっぱり心配だった。

 それに、なんだか心細い。たった一人で知らない場所に居たときのような、心許なさを感じる。私の止める声を無視してミスラが行ってしまったから? 話を聞いてくれなかったから? どれも違う気がした。なんだか胸の中にモヤがかかったような、そんな居心地の悪さを感じる。

「……そんな顔をするな。ほら、座りなさい」
「え……?」

 着席を促され、ファウストを見つめると、ファウストは面倒くさそうな顔をしながらため息をついて言った。

「……何があったのか、話くらいは聞いてやる。そんな顔をされたまま追い出しては夢見が悪いからな」
「ファウスト……」

 普段から人と関わりたくないと公言している割に、ファウストは面倒見がよく、律儀だった。東の若い魔法使いたちの面倒もよく見ている。きっと私のことも放っておけなかったのだろう。なら、自分の考えを整理する意味でも、誰かに話しを聞いてもらったほうがいいかもしれない。

「ありがとうございます。じゃあ少しだけ話しを……」

 言いかけた時、私のお腹から『きゅうぅー』と音が鳴った。

「……」
「……えっと……お腹が空いてしまいました……」

 恥ずかしさのあまり顔の辺りがものすごく熱くなった。一方ファウストはやれやれといったように肩をすくめる。

「ここには何もないぞ。……食堂へ行くか。ネロが居るはずだ」
「……はい……すみません」


***


 食堂に行くと、ネロとシャイロックが何やら話をしていた。

「あれ、ファウストと賢者さん?」
「珍しい組み合わせですね。どうされました?」
「腹が減っているらしい。ネロ、すまないが何か作ってやってくれないか」
「すみません……」
「ああ、ならちょうどよかった。今シャイロックに頼まれて新しいドリンクの試飲をしてたんだ。ちょうどそれに合うつまみも作ってみようってことになったから、賢者さんも味見してくれよ」

 そう言うとネロはキッチンの方へと入っていった。


「……で? 何があった」
「おや、何かあったのですか? 先ほどから浮かない顔をしていらっしゃるとは思っていましたが……」
「え、ここで話すんですか?」
「別に構わないだろう。彼は職業柄、この手のことには慣れている」

 ファウストがチラリとシャイロックへ視線を向ける。すると、シャイロックは全てを理解したような顔でゆったりと頷いた。

「はい。お客様のプライバシーに関わることは他言いたしませんよ」
「それに、アドバイスが必要なら僕よりも適任だろうからな」

 シャイロックは西の国で酒場を営んでいる。客から相談を持ちかけられることも多いのだろう。
 たしかにここに居るファウストとシャイロックは、どちらも口は堅い方だし、きちんと話を聞いてくれそうだ。彼らになら話してもいいかもしれない。

「ではお言葉に甘えて……」

 私は、今日あったことを順番に話した。ファウストは終始黙ったまま、シャイロックは時折相槌を打ちながら聞いてくれた。上手く話せたかは分からないが、最後まで話すと、二人とも神妙な面持ちで顔を見合わせた。

「おや、それは……」
「なるほどな……」

 口々にそう言われ、私は思わず二人の顔を交互に見やった。

「……なるほどって……?」

 二人の反応がよく分からず、私は表情を窺うようにしながら問いかけた。

「その状況なら、ミスラが怒るのも無理はない」
「でも……なにも殺さなくても……」
「先に手を出したのは向こうだろう? それも北の魔法使い相手だ。牙を剥いておいて無事でいられるわけがない。その魔女だって覚悟の上でのことだろう」
「……そういうものなんですか?」

 今度はシャイロックに向かって問いかけると、彼は困ったように笑いながらも小さく頷いた。

「ええ。魔法使いの世界はいわば弱肉強食。相手から奪われないためには、先に奪うしかないのです。……特に北の国はその傾向が強い。そうやって、生きてきた彼にとって、あなたを掠め獲ったその魔女は正真正銘、彼の『敵』とみなされたのでしょう。それに……そのような無礼を働かれては、我々西の魔法使いだったとしても黙ってはいませんよ。きっと、彼と同じことをしますね」
「……殺してしまうんですか?」
「必要とあらば、致し方ないことです。自分の命を狙うものを生かしておいては、いずれまた命を脅かされます。わざわざ生かしておく理由はありませんね」
「そう……ですか……」

 普段、魔法使いの彼らと暮らしていて、感覚の違いに少し戸惑ったことはあるが、こればっかりはあまりにも違いすぎて、私はただ沈黙することしかできなかった。


「……賢者」
「はい」
「きみはたしか平和な世界で生きてきたんだったな」
「そうですね、比較的……」
「では、道すがらに見知らぬ者から命を狙われたことはあるか?」

 そんな物騒なことをいきなり問いかけられ、思わず首をブンブンと振った。

「な、ないです!」
「首筋に刃物を突きつけられたことは?」
「ない……です」
「目の前で人が殺されるところも見たことはないだろう?」
「……ないです」

 なんとなく、ファウストが言わんとしていることが分かった。

「そういうことだよ。生きてきた世界が違うのだから、ピンとこなくても無理はない。だが、僕たち魔法使い……特に魔力の高い北の魔法使いは、その石欲しさに常に命を狙われている。ミスラほどの実力者とあらば尚更だ。戦いを好む者もいるが、身を守るために仕方なく応戦する者もいるだろう。その結果、相手が石になることもある。……まぁ、ミスラは前者だろうが……」

 ふう、とため息をつきながら、ファウストはこちらを見た。眼鏡の奥の蒼い瞳が、優しく細められた。

「そのあたりの感覚は、きみの生きてきた世界とは違うかもしれない。だが、自分の感覚を基準に相手の生き方を頭ごなしに否定してはいけないよ」

 言われて、ふと思い出した。

『俺は、傷つく覚悟をしてます。俺の周りの誰かが、傷つく覚悟も』

 いつだったか、ミスラはそう言った。自由に生きるために、満身創痍になる覚悟をして生きている、と。
 きっと、その覚悟の中に、見知らぬ誰かから命を狙われ、またその者の命を自分が奪うといったことも含まれているのだろうと思った。それほどの覚悟を、私は今までしたことがあっただろうか。

 薄っぺらな自分が、なんだか恥ずかしかった。

「……ごめんなさい」
「謝ることはないさ。違う環境で生きてきた者同士なのだから、価値観が違って当然だ。自分を責めることはない。……だが、それを知ろうとするのとしないのとでは大きく違う。自分が知らなかったことを知ることもまた、大切なことだ」
「……はい」

 ファウストは、本当に先生のようだった。厳しいはずの言葉が、すんなりと胸の真ん中に落ちてきて、すっぽりと収まった。


「さすがは東の国の魔法使いたちの指導をしてらっしゃるだけのことはありますね。お見事です」
「……やめてくれ。きみだって西の魔法使いの指南役だろう? ……僕はただ、知って欲しかっただけだ」

 そう言って、ファウストはそっと目を伏せた。

「……賢者であるきみの言葉は、他の者よりも重い。若い魔法使いたちの中には、きみを慕っている者も多いだろう。きみの言葉や行動が誰かを傷つけることがあるということは、忘れないでほしい」
「……はい、肝に銘じます。ありがとうございます、ファウスト。おかげで、少し目が覚めました。シャイロックも、ありがとうございます」
「いいえ、私は何もしていませんよ」

 話を聞いてもらってよかった。ミスラを見送ってからの胸の中のモヤモヤの正体が分からなかった。でも、二人に話を聞いてもらううちに、なんとなくその全容が見えてきた気がした。

 私には『覚悟』が無かったんだ。

 この世界に来て、魔法使いの彼らと接するうちに、魔法使いのことを知ったような気になっていた。彼らの生きてきた環境がどれほど過酷で厳しいものなのか、知りもせず。誰かから命を狙われるということも、自分が誰かの命を奪ってしまうということも。どれほどの覚悟が必要なのか、知る機会はいくらでもあったのに、私は本当の意味で知ろうとしなかった。いつか帰るのだからと、どこか他人事だったからなのかもしれない。

 魔法使いの彼らの友達になりたい、という前の賢者様の言葉に共感しておきながら、私にはなんの覚悟もなかった。

 あの居心地の悪さは、そんな自分に気付かされたからだ。それが恥ずかしくて、情けなかった。


「さて、僕はそろそろ部屋に戻るが……賢者、きみはどうする?」
「私は……もう少しブラブラします。部屋に戻ったら……」

 ……泣いてしまいそうだから。

「……戻ったら、寝ちゃいそうなので。ミスラを寝かしつけてあげなきゃいけないから、起きていないと」

 できるだけ笑顔でそう言うと、ファウストは少しだけ困ったように笑いながらため息をついた。

「……そうか。では、あまり考えすぎないように。きみはその嫌いがあるからな。まぁでもミスラも……」

 ファウストは言いかけて、そのまま小さく笑って「いや、何でもない」と呟いた。

「あれ、なんだ。もう帰るのかよ、先生?」
「ああ。ネロ、シャイロック。賢者を頼むよ」

 料理を持ってキッチンから出てきたネロにそう言うと、ファウストはヒラヒラと手を振って自室へと戻っていった。


「何かあったのか?」
「……ちょっと、ファウストに人生相談を……」
「? なんだかよく分かんねーけど……あんたも大変だな、賢者さん。ほら、とりあえず食べな」

 そう言って、ネロは温かいシチューとパンの載ったトレイを持ってきてくれた。先ほど話していたつまみであろう幾つかの品も一つのプレートに綺麗に並んでいる。

「ありがとうございます。わー! 美味しそう!」
「ゆっくり食べなよ」


 ネロの作ってくれた食事を食べ終わると、シャイロックは相変わらず優雅な仕草で小首を傾げた。

「さて、どうしましょうか。……もしお時間があるようでしたら、賢者様にも新作の試飲をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「私もいいんですか?」
「もちろんです。……そのほうが気も紛れるでしょうから」

 小さな声でそう言うと、シャイロックはそっと私に目配せをした。
 彼の細やかな気遣いに、胸の奥がホッと温かくなるのを感じた。なるほど、シャイロックの店が魔法使いたちから長く愛されている理由がよく分かる。

「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
「じゃあバーの方に移動するか。ここでもいいけど、なんとなくもうすぐうるせえのが来そうだからさ。腹が減ったーって」
「ふふ、そうですね。賢者様もよろしいですか?」
「はい」

 そういえば、同じ魔法舎の中にあるのに、シャイロックのバーにはあまり行ったことがなかった。

「では参りましょうか」

 そう言うと、シャイロックは私に向かって手を差し出した。男性のというには綺麗すぎる手をゆっくりと取ると、シャイロックはそっと私の手を引いてくれた。

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