(嵐の夜5話)
ミスラの部屋に着き、ベッドに寝かされたミスラを見つめる。魔法のおかげか、胸の傷だけでなく、焼け焦げていたはずの顔も、もうすっかり綺麗になっていた。
「よし、これで大丈夫。レノ、悪かったね」
「いえ。お役に立ててよかったです。では、俺はこれで失礼します。こんなに大人数では、ミスラも落ち着かないでしょうから」
「そうだね。……ミチル。ルチルと一緒に、ミスラの傷薬を調合してきてくれる? ミスラの胸の傷はだいぶ深かったから、傷薬があった方がいいんだ。ミチルの薬はよく効くから」
「! ……はい! まかせてください! 兄様、行きますよ!」
「えっ! ちょっと待ってミチル……っ!」
ミチルが嬉しそうな顔でルチルを引っ張って部屋を出ていく。部屋は急に静かになった。
「あの……さっきはすみませんでした。取り乱してしまって……」
「無理もないよ。大丈夫?」
「はい。……ダメですね、うろたえちゃって。あんな酷い怪我、人間だったら致命傷なので……。でもすごいですね。魔法使いならあのくらいの傷、平気なものなんですね」
「いや? あんなのミスラじゃなかったらとっくに石になってるよ」
「えっ!?」
改めてベッドで眠るミスラをマジマジと見つめる。ミスラは、いつも私の隣で寝ている時と同じ穏やかな顔で眠っていた。
「ハハハ、頑丈だよね。ミスラは昔からオズに挑んではこっぴどくやられてるんだけど、あんなエグいの食らってよく死なないなって思うよ。……だから厄介なんだけどね」
最後の響きがどこか冷たく感じて、思わずフィガロを振り返る。
「ミスラは叩いても叩いても起き上がってくるからさ。昔はそれでも勝ててたんだけど、今は手加減なんかしたらこっちがやられるんだろうな……」
どこか遠い目をしながら、フィガロが呟く。長く生きているフィガロの口から語られる『昔』という言葉には、長く生きる魔法使いならではの重みがあった。
「……以前、初めてオズのお城を襲撃した時に、頭を半分吹き飛ばされたと言っていました。きっと、今日みたいな怪我をミスラはたくさんしてきたんでしょうね」
私が知らないだけで……。
「オズも……そうだったんでしょうか」
「オズ? オズは怪我なんかしないよ」
「そうじゃなくて……手を抜いたら、危ないと思ったのかなって……」
「んー……どうかな。オズは規格外だからね。ミスラも強いけど、まだまだ敵わないと思うよ。ただ、今日のオズはいつものオズらしくはなかったよね。アーサーが居なかったってのもあるかもしれないけど、普段なら魔法舎ではあそこまではやらないからさ」
「そういえばホワイトもそんなことを……」
『ミスラちゃんはともかくとして、オズちゃんの方も少し気が立っておるようじゃからのう』
ミスラがオズに戦いを仕掛けるのはいつものことだ。日常茶飯と言ってもいい。だが普段なら、オズとミスラがやり合った後は、オズは大抵無傷で、ミスラも少し香ばしく焦げるくらいだ。今日はオズこそ無傷だったが、ミスラの怪我がいつもの比じゃなかった。
「……理由もなくオズがあそこまでするなんて、たしかに変です。ひょっとして、何かあったんでしょうか」
「さあ? それはオズにしか分からないんじゃない?」
どうして考えなかったんだろう。オズがかつて世界を恐怖の底に陥れる魔王だったとしても、魔法舎に来てからのオズはそうじゃなかった。人間である私にも、魔法舎の他の魔法使いにも、理由なく危害を加えることなど一度も無かった。それどころか、オズはいつだって優しく見守ってくれていたのに。
「どうしよう……オズに酷い言い方をしてしまいました」
「あんな怪我を目の当たりにしたら無理もないよ。それに、あいつは気にしないと思うよ」
「……それでも、あんな言い方をするべきではありませんでした。……ちゃんとオズに謝りたいです」
オズほどの魔法使いが、たかが人間の言うことにいちいち傷ついたりはしないかもしれない。それでも、このまま無かったことにしてしまうのは嫌だ。
「君らしいね。君のそういうところは嫌いじゃないけどね。……行っておいで。ミスラなら大丈夫。じきに目を覚ますし、それまではフィガロ先生が診ててあげるよ」
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」
***
一階の談話室や食堂へ行くも、オズの姿はどこにも見えなかった。それならばと五階のオズの部屋へ向かう。部屋からは人の居る気配がした。
「オズ、居ますか?」
扉をノックして問いかけると、カチャリという音を立てて扉がひとりでに開いた。
そっと中を覗くと、オズは暖炉の前の椅子に腰掛けて、静かに暖炉の炎を眺めていた。
「失礼します」
一言断りを入れてから、オズの部屋へと足を踏み入れた。オズの部屋を訪ねるのは初めてではないが、初めて来た時よりも緊張している気がした。
「……なんだ」
部屋を訪ねておきながら何も話さない私に痺れを切らしたのか、オズはため息混じりに問いかけた。
「……さっきのことを謝りたくて……。あの、さっきは――」
「必要ない」
拒絶の言葉に、思わず言葉を呑み込む。
「でも……」
「おまえが謝る必要は無いだろう」
「そうかも……しれませんけど……」
「ならなぜ謝る」
たしかにこの謝罪は、オズのためというよりは、ただ自分が楽になりたいがためのような気がした。オズが気にしていないのなら、こんな謝罪はオズにとってただ煩わしいだけなのかもしれない。でも……。
「……私の態度が、オズを傷つけたかと……」
オズは一瞬目を丸くして、少し戸惑ったような顔でため息を一つついた。
「……私を傷つけたかと気に病むのはお前くらいのものだ。私を傷つけることに成功したと期待する者は居ても、私自身を案じる者など居ない」
「そんなこと……」
そんなわけがないのに、なぜそんなことを言うのかと悲しくなった。アーサーはもちろんのこと、中央の魔法使いたちだって、オズのことが大好きだ。他の国の、特に若い魔法使いの中にはオズを慕う者も多いのに。だが、私の気持ちなどつゆほども知らないのであろうオズは、そのままなんでもないことのように続ける。
「私の機嫌を損ねたのではないかと心配するものは昔から多かった。私の怒りを買えば、自分の命が危ぶまれる。それ故、助かりたいがために機嫌取りの謝罪や命乞いをする者ばかりだ」
「私はそんなつもりじゃ……!」
「……おまえのことだとは言っていない」
「あ……すみません……」
オズはそのまま難しい顔をして黙り込んでしまった。私とのやり取りで気分を害したのかとも思ったが、オズの顔に浮かんでいるのは『怒り』というよりはどちらかと言うと『困惑』といった方が近いように見えた。
少しの間沈黙した後、オズは再びゆっくりと口を開いた。
「おまえはもう少し自分のことを考えるべきだ」
「私のこと……ですか?」
オズの意図するところが分からず、オウム返しのように繰り返す。普段から口数の少ないオズの言わんとしていることを、一度で全て汲み取るのは難しかった。
続きを促すようにオズの紅い瞳を見つめていると、オズは再び困惑の色を浮かべながら続けた。
「……おまえはいつも自分以外の者のことにばかり心を砕いている」
「そんなことは……」
言いかけて、言葉を呑み込んだ。『ない』と言い切れるだろうか。
言われてみれば、他の世界から来た私は、どこか自分のことをおざなりにしがちだったかもしれない。この世界で自分の身に何かあっても、ひょっとしたら物語の中みたいに都合よく元の世界に戻れるのではないかと、心のどこかで思っている気がする。オズは私のそういうところを見抜いたんだろうか。
「そのようなことでは、いずれ命を落とす。……ミスラのこともそうだ」
「ミスラ?」
「……ミスラはおまえの手に負える男ではない」
オズはそれだけ言うと、再び口を継ぐんでしまった。
オズが何を言わんとしていたのか、ようやく分かった。
……というか、本当に年長者の魔法使いにはミスラとのことが分かるものなんだなと改めて実感して、顔が熱くなった。言われなかったけれど、双子やフィガロなんかにもきっとバレているんだろう。次に会った時にどんな顔をすればいいんだろう。
まあその辺りは置いといて。オズの心配はもっともだった。ブラッドリーもネロも、ミスラとのことを知るなりものすごく心配していた。北で生きてきた彼らにとって、ミスラという存在は脅威であり、たかが人間の私が彼の近くに居るなど考えられないことなのだろう。でも――
「……分かっています。この先ミスラと一緒に居たら、ミスラの気まぐれで私は命を落とすのかもしれません。でも……」
顔を上げ、オズを見つめる。オズはまだ心配そうな顔をしながら、見守ってくれていた。
魔法使いたちはみんな優しい。いつだって気持ちに寄り添うように一緒に居てくれる。そんな彼らだからこそ、私の気持ちを知っていてもらいたい。優しい彼らを心配させずに済むように。
「……信じたいんです。そんなことにはならないって。……私が、ミスラと一緒に居たいから」
ミスラと一緒に居るのなら、綺麗事ばかり言っていられない。たとえ命を落とすとしても、それもまた運命だなんて、そんな格好つけたことは言えないけれど。それでも、なんの覚悟もなくミスラと一緒に居て無事でいられると思うほど、世間知らずでもないつもりだ。
明日殺されるとしても、私はミスラと一緒に居るだろう。そのくらい、ミスラの存在は私の中で大きくなっていた。
「……そうか」
オズは小さく笑うと納得したように頷く。言い聞かせに失敗して諦めたようにも見えた。困ったものだと言いたげに笑うと、温かな紅い瞳をこちらに向けた。
「覚悟をしていても難しいこともあるだろう。……何か困ったことがあったら言うがいい。できる限り、おまえの力になろう」
そう言って、オズは柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
かつての魔王は、出会った頃と変わらず、厳しくも温かった。
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