(嵐の夜4話)
※注意
流血表現あり。苦手な方はご注意ください。
『極光祈る犬使いのバラッド』ネタバレあり。
慌ててキッチンを出て音のした方へ向かうと、窓の向こう側の中庭で、もくもくと白い煙が上がっているのが見えた。外に出ようとしたところを、見えない何かに阻まれた。ぶつかったはずなのに不思議と痛くはない。柔らかい透明な膜のようなものがあって、これ以上進めなくなっている、という感じだった。
「賢者よ。今は外に出ん方が良いぞ」
「スノウ! ホワイト! 大きな音がして……あの、これは一体……?」
「結界じゃ」
「結界? お二人が張ったんですか?」
「さよう。争いに巻き込まれるでな。収まるまではこの中におるのがよかろう」
「争いって……誰と誰が……」
スノウとホワイトは顔を見合わせると、にっこりといつものあどけない子供の顔をして笑った。
「ほほほ。決まっておろう。このようなことをするのは一人しかおらん」
「そやつに対抗できるのもまた、一人しかおらんのう」
双子たちが視線だけで上空を示した。
「オズ……?」
オズは遥か頭上から表情無く地上を見下ろしていた。視線の先にいるのはミスラだ。バチバチと静電気のようなものを帯びながら、半分以上焼け焦げた顔でオズを睨みつけている。
「止めないと……」
「えー? 無理じゃない?」
「でも、このままじゃ……」
「大丈夫大丈夫! いくらオズちゃんだって、魔法舎を破壊したりはせんじゃろ」
「でも…………ミスラが……」
『いつものこと』として片付けてしまうにはミスラの損傷は激しく、相当なダメージを負っていることが窺える。普段ならここまでにはならない。顔や身体だけでなく服もボロボロだ。
「平気平気。ミスラちゃん強いから。そう簡単に死にはせんから放っておけば良い」
「そうじゃそうじゃ。自業自得じゃ。……とはいえ、これ以上は衝撃映像じゃな」
スノウが呪文を唱えると、結界の向こう側が磨りガラスのように見えなくなった。
「あっ……」
「そなたや若い魔法使いたちにはちと刺激が強すぎるのでな。……さてと。ネロちゃん、我らお腹すいちゃったな〜。ご飯作って〜」
「この流れでメシかよ……」
「賢者も来るがよい。やんちゃ小僧どもが落ち着くまで、我らはゆっくり朝食タイムじゃ」
***
半ば無理やりスノウたちに連れられて食堂へと戻ると、ネロはすぐにキッチンへと入っていった。ブラッドリーはといえば、いつの間にか姿が見えなくなっていた。こっそりとネロに尋ねると、おそらく双子と出くわした時点で消えたのだろうとのことだった。
双子たちに挟まれるようにテーブルに着く。中庭の方ではまだ激しい音がしている。建屋の中に影響がないのは、先ほどスノウとホワイトが張ってくれた結界のおかげなのだろう。……とはいえ、やはり外の様子が気になった。
「あの……やっぱり気になるので見てきちゃダメですか……?」
「ダメ〜。ミスラちゃんはともかくとして、オズちゃんの方も少し気が立っておるようじゃからのう。そっとしておくのが一番じゃ」
カラカラと笑いながら、ホワイトが言う。縋るような思いでスノウを見ると、スノウもホワイトと同じような顔で笑った。
「ホワイトの言うとおりじゃ。なあに、そろそろ終わるじゃろう」
「ああ。やっぱりお二人でしたか」
不意に声をかけられ振り返ると、フィガロが立っていた。その後ろには心配そうな顔をしたルチルたち南の魔法使いも居る。
「フィガロ……」
「やあ、賢者様。すごい音がしたから、確認がてら見に来たんだ。まあオズとミスラだろうなって思ってたんだけど、結界が張ってあって中庭に出られなかったからさ」
「ほほほ。そなたならあの程度の結界、どうとでもできるじゃろうに」
「やだなあ。北の双子大先生が張った結界ですよ? 南の魔法使いになんか破れるわけないじゃないですか」
ハハハ、と戯けたように肩をすくめると、フィガロはチラリと中庭の方へと視線をやった。
「それにしても、二人とも今日はいつもより激しいみたいだね。長引いてるみたいだし。……ミスラは大丈夫かな?」
「……あの、やっぱり私様子を見に行きます。何もできなくてもいいんです。なんだか心配で……」
ミスラとオズが揉めるのは初めてではないし、実際に何度か二人が争っているところを見たこともある。でも、さっき見たミスラの姿が頭から離れない。以前、オズの城で石になりかけたムルの姿を見たせいだろうか。なぜかその時のことがしきりに頭をよぎる。
魔法使いは力尽きる時、石になって砕ける。その事実を知っているのと実際に目の当たりにするのとでは、天と地ほどの差があった。パキパキと音を立てて無機質なものに変わっていくムルが恐ろしく、身のすくむ思いだった。もう二度とあんな思いはしたくない。
押し寄せる不安と戦っていると、手にひんやりとしたものが触れた。見ると、ホワイトの小さな手が、私の手をそっと握っていた。
「仕方がないのう。では、我が一緒に行ってやろう」
「ホワイト! ありがとうございます!」
「……賢者様、ちょっと待って」
「はい?」
《ポッシデオ》
声をかけられ振り返るのと同時に、フィガロの呪文が聞こえた。
「フィガロ?」
「ちょっとゴミがついてたからさ。もう取れたよ。ついでに守護の魔法もかけておいたから、行っておいで。あっちもそろそろ終わるだろうし、俺たちもすぐに行くから」
「ありがとうございます」
***
中庭へ着く頃には、先ほどまで激しかった音が止んでいた。殺し合いタイムが終わったのなら外に出ようと思ったが、先ほどと同様に結界に阻まれてしまい、外へは出られなかった。外の様子も相変わらず見えないままだ。
「どうやら終わったようじゃな」
《ノスコムニア》
ホワイトが呪文を唱えると、まるでシャボン玉が破れるように目の前の結界が消えてなくなった。同時に視界が開けて、中庭の様子がよく見えるようになった。ところどころ地面が抉れているようだが、意外にも目立った損傷はない。見ると、オズが壊れた噴水を魔法で修復しているところだった。おそらく他の所もオズが直した後なのだろう。
「ミスラはどこでしょうか……」
「あそこで伸びておる」
「えっ……?」
ホワイトの視線を辿ると、瓦礫の下にミスラの足らしきものが見えた。
「ミスラ!?」
慌てて駆け寄るが、幾重にも重なった瓦礫を人の手でどかすのは難しそうだ。
「ホワイト……っ!」
「コレ、急かすでない」
ホワイトが再び呪文を唱える。すると、ミスラの上に積み重なった瓦礫がゆっくりと浮き上がり、ひとりでに移動を始めた。瓦礫の下に埋もれていたミスラの姿が徐々にあらわになり、私は息を呑んだ。
ミスラはうつ伏せに倒れ込んだまま、ピクリとも動かなかった。
「ミスラ! 大丈夫ですか!? しっかりしてください! ミスラ! ミス……ラ……?」
抱き起こそうとミスラの身体を抱えた手が、ぬるりと滑った。恐る恐る手を差し抜くと、手のひらに真っ赤な血がベッタリとついた。
ミスラの身体を仰向けに寝かせて上着を開くと、胸元に切り裂かれたような大きな裂傷があった。まだ塞がっておらず、傷口からはどくどくと赤黒い血が流れ出ている。咄嗟に止血しようと傷口を上から押さえると、妙な感触がした。ゴツゴツとした硬い岩のようなものを触っているような感触だった。
恐る恐る中の衣服を開いてみると、傷口から首の下あたりまでが硬い結晶のように変容していた。
――あの時のムルと同じ……。
心臓がばくばくと音を立てている。もしミスラがこのまま石に――
「あちゃー……こりゃ酷いね」
ハッとして振り返ると、フィガロがすぐそばに立っていた。
「フィ……ガロ…………」
助けてください。ミスラを助けて。心の中でそう繰り返しながら、フィガロの名前を呼ぶだけで精一杯だった。このまま泣き出してしまいたい気持ちを抱えながらフィガロを見つめていると、フィガロはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、そっと私を抱き寄せた。
「怖かったね、賢者様。でももう大丈夫だよ。フィガロ先生に任せて」
《ポッシデオ》
抱き寄せられたまま、耳元でフィガロの声が聞こえる。フィガロが呪文を唱え終わると、後ろからくぐもったミスラのうめき声が聞こえた。
「ミスラ!?」
振り返ると、胸元の傷はすでに塞がっており、出血も止まっていた。結晶化していたところも、もうすっかり元通りだ。呼吸も安定しており、事情を知らない人が見れば、ただ眠っているだけに見えるだろう。
「よ……よかった……」
「もう大丈夫だよ。あとはゆっくり休ませよう。……ああ居た、レノこっち」
フィガロに手招きをされ、南の魔法使いたちが駆け寄ってくる。その後ろには、遅れてやってきたスノウが、オズの元へと向かっていくのが見えた。
「まあ、ミスラさんったら……またオズ様と喧嘩しちゃったんですか?」
「フィガロ先生、ミスラさんは大丈夫ですか……?」
「大きな傷は塞いだからもう大丈夫だよ。レノ、悪いんだけどミスラを運んでくれる?」
「分かりました。フィガロ先生のお部屋がいいですか?」
「いや、目が覚めた時に部屋で暴れられたら嫌だし、ミスラの部屋でいいんじゃない? 部屋にアミュレットもあるだろうし、マナエリアに似た場所の方が回復が早いだろうからね」
「分かりました」
背の高いレノックスに抱きかかえられるミスラをぼんやりと見上げながら、私は座り込んだまま動けなかった。
血の気の引いた真っ白い顔。ミスラのあんな顔は初めて見た。
普段のミスラは強くて、どんな大きな魔物と遭遇しても、涼しい顔をしてあっという間に倒してしまう。それなのに、あんな――
「賢者様? ……行かないんですか?」
ハッとして顔を上げると、ミチルが不安そうな顔でこちらを見つめていた。
「あ……ごめんなさい。ボーッとしちゃって」
咄嗟に誤魔化すように笑って立ちあがると、ミチルとのやりとりを見ていたのかルチルも心配そうな顔を向けた。
「大丈夫ですか? 顔色があまりよくありませんね……。ミスラさんなら私たちが見てますから、賢者様も少し休まれた方が……」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。ミスラに少しでも休んでほしいので。目が覚めたら、多分また眠れないでしょうから」
「ああ……そうですね。じゃあ賢者様もミスラさんのお部屋でゆっくり休んでくださいね」
そう言ってルチルはにっこりと笑った。ルチルはいつも、春の木漏れ日のような温かな笑顔を向けてくれる。普段なら、この優しい笑顔でホッと一息つけるはずなのに、先程の光景のせいだろうか、胸のざわつきは消えてくれなかった。
「オズよ。これはちとやりすぎではないかの」
すぐ後ろでスノウの声がする。チラリと見ると、ホワイトに連れられてオズがすぐ近くまで来ていた。
「そうじゃそうじゃ。魔法舎が壊れたらどうするんじゃ」
「お前たちが結界を張っていただろう」
「え、違くない?」
「そういうことじゃなくない?」
双子たちに嗜められ、オズはゆっくりとため息をつきながらこちらを見た。
オズの紅い瞳がこちらをじっと見据える。どこか居心地が悪そうに見えるのは気のせいだろうか。それとも、居心地が悪いと感じているのは自分の方なのか。どちらにしても、私とオズの間には、普段とは違う空気が流れていた。
オズとミスラの仲があまり良くないのは知っている。隙あらば命を狙われる生活が、オズにとってどれほど煩わしいものなのかも、以前聞いたことがある。でもだからってあそこまでする必要があったんだろうか。
一歩間違えば、ミスラは死んでいたかもしれないのに。
何か言いたげな様子を察したのか、オズは再び小さくため息をついた。
「構わない。言いたいことがあるのなら言えばいい」
静かな声でオズが言う。私は戸惑いながらもゆっくりと口を開いた。
「……あそこまで……しなきゃダメだったんでしょうか……?」
オズの瞳が僅かに揺れた気がして、胸がチクリと痛んだ。そっとオズから視線を外す。
魔法使い同士のやりとりに、人間の私が口を挟むべきじゃない。頭では分かっている。以前、ファウストにもやんわりと嗜められ、納得したはずだった。
それでも、言わずにはいられなかった。
「……あれはやりすぎです……オズ……」
言いながら、堪えていた涙が頬を伝うのを感じた。
「賢者様、行くよ」
見ると、少し離れたところからフィガロがこちらを見ていた。
「……はい。すぐに行きます」
オズの顔を見ることができず、私は逃げるようにその場を後にした。
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