- ナノ -


(嵐の夜6話)


 ミスラの部屋に戻ると、すでにミスラは目を覚ましているようだった。

「ミスラ! 目が覚めたんですね! 気分はどう……」

 言いかけて、思わず息を呑んだ。ミスラの不機嫌は火を見るよりも明らかで、いつのまにか戻ってきていたルチルとミチルも、この短い時間なのに既にげんなりとしていた。

「ミスラ……? 大丈夫ですか? ひょっとして傷がまだ痛むんですか?」

 問いかけに答えることなく、ミスラはそっぽ向いてしまった。あれだけこっぴどくオズにやられたのだ。機嫌を良くしろという方が無理というものだろう。それでも、拒絶されてしまったという事実は、私の心に少なからず影を落とした。

「ミスラ……」

 返事の代わりに大きな大きなため息が聞こえた。なんだか寝かしつけに失敗した時のようだ。

 賢者の不思議な力でミスラを寝かしつけられるといっても、ごく稀にうまく寝かせてあげられない時がある。そんな時、ミスラは大抵こんなふうになってしまうのだ。不機嫌で、言葉に棘があって、時には『役立たず』と罵倒される。お前には心底がっかりしたと全身で表現してくる姿はまるで子供のようだが、私はいつも途方に暮れてしまう。

 こういう時どうしてあげたらいいのか、未だに分からずにいた。


「さてと、賢者様も戻ってきたことだし、俺たちはそろそろお暇しようか」

 不機嫌マックスなミスラと対峙しながら絶望と戦っている私のすぐ後ろで、フィガロはそんな薄情なことを言い出した。こんな状態で置いていくというのか。

 同じことを思っていたらしいミチルが、ひときわ大きな声を上げた。

「えっ!? フィガロ先生! 賢者様一人残して大丈夫なんですか!?」
「平気平気。ほら、ミチルもルチルも出て出て」

 フィガロに促されながら、二人が部屋を出ていく。最後に残ったフィガロは、部屋を出る直前に振り返り、ニッコリと笑った。

「ミスラ。分かってると思うけど、しばらくは激しい運動はしないようにね。傷口が開いてもいいなら別だけど。……賢者様も、ね」

 含みのある言い方に心臓が大きく脈打った。オズにミスラとのことがバレていた時点で、フィガロにもバレていることは予想していたので、これは想定内だ。だが、やっぱり恥ずかしくはあった。

「はい……」

 苦笑いで応えると、フィガロはそのまま二人を連れて部屋を出て行った。



 部屋にミスラと二人残され、とりあえず居場所のない私はミスラのベッドへと腰掛けた。

 ミスラは相変わらず向こう側を向いたまま、黙り込んでいる。どうしたものかと思案していると、ミスラはゆっくりと顔だけで振り返った。


「どこに行ってたんです?」
「えっと……オズの部屋に……」

 隠すようなことでもないので正直に打ち明けると、ミスラはベッドから身体を起こし、凄むように眉を顰めた。

「……はあ? 俺がこんな目に遭ったっていうのに、あなたよりにもよってオズの部屋に居たんですか? ……はぁ……殺すしかないな」

 言うなり、ミスラの細い指が伸びてきて、私の首に絡み付いた。片手で鷲掴みにされ、思わず声を上げる。

「ぐぇっ……ちょっと待ってください!」
「待ちません」
「オズに謝りに行ってたんです! 勢いに任せて酷い言い方をしてしまったので!」

 慌ててそう言うと、ミスラは眉間に皺を寄せながら首を傾げた。

「謝る? あなた一体オズに何を言ったんです?」
「その……やりすぎだと……言いました。ミスラが怪我したのを見て、……少しだけ……頭にきたので……」

 ミスラは、少しだけキョトンとした顔をしてから、一言「……ふうん」と興味なさげに呟くと、私を解放して再びベッドにごろんと転がった。
 ミスラに掴まれた首をさすっていると、先ほどよりも幾分柔らかくなった表情で見上げるミスラと目が合った。

「痛かったんですか?」
「あ、いえ。そんなには……ただビックリしただけです」
「……はぁ。あなたがすぐに死ぬ人間だということを、つい忘れそうになります」
「できれば忘れないでいただけると……」
「まあ、努力はしますよ」

 昨夜、ミスラとそういう関係になったというのに、ミスラの態度は以前と全くと言っていいほど変わらなかった。お互いの気持ちを確認したとはいえ恋人になったわけではないし、一度寝たくらいでは変わらないか。ミスラほど長生きならば、そういった相手が他にも居たのかもしれないなと、心のどこかで寂しく思いながら、そっとミスラの手を握る。ミスラは再びキョトンとした顔でこちらを見上げると、少しだけ満足そうに笑って、私の手を握り返した。

「ミスラ、少し眠りましょう。傷が塞がったとはいえ、酷い怪我でしたから」
「あんなの怪我したうちに入りませんよ」
「そうなんですか……?」
「はい。俺を誰だと思ってるんです?」
「……だとしても、ミスラが怪我をしているところはあまり見たくないです。心配になるので」
「あはは、俺の知ったことではないです」

 興味なさそうに笑ったかと思えば、ミスラは何かに気付いたように眉を上げた。握った手を開き、確かめるように私の手を裏に表にと、交互にひっくり返している。

「取れてますね。……フィガロか。何かされましたか?」
「フィガロ? 特には……ああ、昼間守護の魔法をかけてくれました。中庭に出る前に」

 ミスラは忌々しげに舌打ちをすると、握った手をグイッと引き寄せた。

「わっ!」

 勢いよく引っ張られ、たまらずミスラの元へと倒れ込む。そのままぐるりとベッドの奥に横向きに寝かされ、後ろから羽交い締めにするようにミスラの長い手足が私の身体に巻きついた。首元にミスラの吐息を感じて、慌てて振り返る。

「だ、だめですよ! フィガロが安静にって……」
「何もしませんよ。疲れてますし。ただ、せっかく着けたものを消されたので、もう一回着けておこうかなって思って」
「着けるって何を……」

 言いかけてすぐに思い当たる。

「ああ……マーキング……」
「俺のものだとすぐに分かった方がいいでしょう? オズや双子がうるさいので、無駄な争いは避けたいんですよね。面倒なので」
「争い……?」
「はい。手を出されたら殺すしかなくなりますから」
「手を出すって……私にですか?」
「他に居ます?」

 独占欲のようなことをさらりと言う。全く変わらないと思っていたが、そんなことはなかったようだ。

「なんです? 驚いたような顔をして」
「ミスラって案外私のこと好きなんですね……」
「は? 言いませんでしたっけ?」
「いや、実感が湧いたというか……なんというか……ん?」

 何かが引っかかっている気がして、小首を傾げる。

「どうかしました?」
「いえ……オズは知っていたみたいだったので、変だなって。オズに会ったのはフィガロに魔法をかけてもらった後でしたから。どうして分かったんだろう。オズほどの魔法使いなら、痕跡を消されても分かってしまうものなんですか?」
「ああ。それなら俺が言いました。オズにあなたとのことを聞かれたので」
「…………オズに?」
「はい、オズに。あなたに迷惑をかけるのをやめろと言われました。余計なお世話ですよね。俺とあなたのことなのに、なんであの男にとやかく言われなきゃならないんです? 本当に腹が立ちますよ」


 ――え、怖い。何を言ったんだろう。聞きたいような、聞きたくないような……。


「……ちなみに……何を、どう話したんですか?」
「俺に抱かれて、あなたが悦んでいたと」


 ――言い方……!

 なんとなく、オズがあれほど執拗にミスラを攻撃した理由が、分かったような気がした。


「……ミスラ、あまりそういったことは他の人に気軽に話さないでいただけると……」
「なぜです?」
「その……魔法舎には若い魔法使いが多いので、あまり生々しい話は……」
「はあ……よく分かりませんけど」

 面倒くさそうに言いながら、ミスラは一つため息をついた。そして、小さく笑ってからこう言った。

「まあでも、俺しか知らないあなたのああいう姿を他の者に教える気はありませんから、大丈夫なんじゃないですか」

 いつもの得意げな顔に、思わず笑みが溢れる。この人のこういうところがたまらなく可愛いと思ってしまうのだから、恋とは厄介だ。以前、フィガロが自分の言いなりにさせるなら恋をさせるのが一番手っ取り早いと言っていたが、あながち間違いではないかもしれない。


「なんか思い出したらムラムラしてきたな。このまま抱いてもいいですか?」
「いや、お腹が減ったのでご飯食べていいですか、みたいな感じで言われましても……。っていうか、ダメですよ。安静にしないと。フィガロに言われたでしょう?」
「はあ……。そういえば腹が減りませんか?」
「……相変わらず急に話題が変わりますね」

 急に話題が変わるのはいつものことだ。もうすっかり慣れてしまった。

「あなたが食事の話なんかするから、お腹空いたなって思って」
「たしかに、朝ごはん食べ損なってしまいましたね。では、ネロに何か作ってもらいましょうか」
「いいですね」

 そう言って、ミスラは笑った。


 気まぐれで、気分屋で、猫のようなミスラ。

 この気まぐれな獣に、私はこれから先も振り回され、時には死にかけるだろう。
 それでも、命の続く限りこの人と一緒に居たい。

 千年の時を共に過ごすことはできないけれど、千年分の愛情をこの人に注げるように。
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