(3話)
食卓には、宮君と一緒に作った沢山のおにぎりと、お味噌汁、それから大きなお皿に野菜炒めが載っていた。
「ナマエちゃんは治の隣に座り」
「はい」
言われた通りに席に着くと、宮君が私の前に取り皿を置いた。
「ほないただきます」
「「いただきます」」
「い、いただきます……」
手を合わせてみんなが言うのに合わせて、同じように真似をした。
「ナマエちゃん、無くなる前に自分の分取らなあかんで」
「は、はい!」
「ほら、治! ボサッとせんとアンタがナマエちゃんの分取ってあげな!」
「言うてることめちゃめちゃやん」
そう言いながらも、宮君は私のお皿を持ち、野菜とお肉をバランスよく乗せてくれた。
「ありがとう」
「ナマエちゃんは大人しゅうてホンマ女の子いう感じやなぁ。うちは男二人で煩いからお母さん癒されるわぁ」
宮君のお母さんはそう言ってカラカラと笑った。
「……食わへんの?」
「あ、食べる。食べます」
慌ててお箸とお味噌汁の入った器を持つと、口元へ運んだ。
いい匂いがする。温かくて、心の奥がホッとするような、なんだか懐かしいような、なんとも言えない気持ちになった。一口含んだ瞬間、鼻の奥がツンとした。
「……美味しい」
ホッと息を吐き出しながらそう言うと、前に座った侑君が、ブッと吹き出した。
「ちょお! 侑! 汚いやろ!」
「だって泣いてんねんもん! ビックリするやん! しゃーないやろ!」
「……は?」
私を指差しながらそう言った侑君の声を受け、宮君とお母さんの視線がこちらに注がれる。
「ど、どないした……」
「あらまっ! お味噌汁熱かったんか!?」
呆然とした顔で口々にそう言われ、私は慌てて首を振った。
「ち! 違います! 大丈夫です」
「ほんならなんで……」
「……美味しかったから。……すごく、美味しいです」
なんとなく恥ずかしくて、小さな声で呟いた。
「あらやだ! 泣くほど美味しかったん? 嬉しいわあ」
「んなわけないやん。オカンは幸せもんやな」
「侑は黙っとき!」
侑君とお母さんのやりとりを見つめながら、ふと、隣の宮君をチラリと見る。宮君は少し腑に落ちないような複雑そうな顔をしながら、こちらを見つめていた。
「本当に、美味しくて……」
「……そおか。ほな、おにぎりも食べ」
そう言いながら、宮君はおにぎりを私のお皿に乗せてくれた。
「うん」
宮君の家の食卓は、温かくて幸せで。私は生まれて初めて、食べ物を食べて幸せだと感じた。
***
「お邪魔しました」
玄関まで見送ってくれたお母さんに向かって頭を下げる。
「いいえ。またおいでな? 治! ちゃんと送ってくんやで」
「わかっとるわ」
「ほなまたな。今度マリカーやる時は、もすこし上手くなっといてな? 俺下手くそ嫌いやねん」
「上から目線やめろや」
「……善処します」
なんだかんだ言いながら、侑君にも見送ってもらい、宮家を出た。
宮君の家からうちまでは、歩いて20分くらいで、それほど離れてはいない。まだ時間も遅くないのに送らせてしまって、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「今日はありがとう。すっごく楽しかった」
「そらよかったわ」
「今度、お昼ご飯におにぎり作っていけるかなぁ」
「おん。最後の方は上手くできとったやん」
「ほんと? じゃあ今度作ってみる」
「ほんなら楽しみにしとくわ」
ハハハ、と笑いながら宮君は言った。そして、ふと真剣な顔をして、宙を見つめた。
「……なあ」
「ん?」
足を止め難しい顔で黙り込んでしまった宮君を見つめる。少ししてから、宮君はゆっくり口を開いた。
「……なんで泣いとったん?」
「あー……はは……聞いても面白くないかもよ?」
小さく笑いながらそう言うと、宮君は真剣な顔でじっと私を見た。
「えっと……立ち話もなんだし、あそこのベンチでも座る?」
ちょうどすぐ先に見えた公園を指差すと、宮君はコクリと頷いて答えた。
公園のベンチに二人並んで座る。まだ薄暗い公園内には、犬の散歩をしている人が何人か見えた。
「……そうだなぁ、何から話そうかな。……私の両親ね、私が五歳の時に離婚したの。最初は母親に引き取られて暮らしてたんだけど、十歳の時に母親が事故で亡くなって。それで父親の方に引き取られたんだ」
「……そやったんか」
物心つく頃には、もう母親と一緒に暮らしていた。
母は朝から晩まで働いて、私は保育園で過ごした。それだけ働いても、やはり女手一つで育てるのは容易ではなかったようで、家はひどく貧乏だった。
私が小学校に上がったタイミングで、母は夜の店で働くようになった。私が起きる頃に仕事から帰り、私が学校から帰ると仕事に行く。すれ違いの生活が続いた。不思議と、寂しいとは思わなかった。母が恋しいという気持ちも、芽生えたりはしなかった。
「朝起きるとね、菓子パンが二つ置いてあるの。朝の分と、夜の分。お昼は学校で給食が食べられるから。……嫌いなメニューなんか無かった。家に帰ってもパンが一つあるだけだし、お昼は絶対に給食でお腹いっぱいにしなきゃいけなかったからね。……でもね、時々、学校が無い日なのに、パンが二つしかなかった時があって。忘れちゃったんだろうね。その時は辛かったなぁ。……そういう時は、少しずつ分けて食べた」
思い出しただけでも惨めで泣きたくなる。家にいる時は出来るだけ動かない。お腹が空くから。それでもお腹が空いた時は水を飲んで空腹をごまかした。女手一つで育ててくれたことには感謝してる。でも、思わずにはいられない。
なんで私を産んだの? って。
「幸い、服だけはちゃんと買ってくれたの。プライドの高い人だったからね。母子家庭だからって後ろ指差されるのが嫌だったんだろうなって思う。だから、学校でみすぼらしい格好をしなくて済んだことには感謝してる。虐められたりも、しなかったしね」
チラリと宮君を見た。終始黙って私の話を聞いていた宮君は、難しい顔をして一点を見つめていた。
「ごめんね。やっぱり引くよね、こんな話」
「……今は、食べれとるんか」
宮君がポツリと言った。
「……うん。お金置いといてくれる。好きなもの買って食べなさいって」
「は? 作ってくれへんの?」
「お母さん、お料理しない人だから。外でバリバリ働いてる人なの。でももう自分で買い物できるし、お金もらえるだけで十分だよ。お腹空かせて困ることもないし。ただ……今まで自分から何かを食べたいって思ったことなかったから、何を買っていいかわからなくて。自分が何を食べたいのかもわからないし。とりあえず栄養取れればいいかなって」
「……それでか」
おそらく、私が昼に食べていたものを思い出したんだろう。
「食べることに、興味がなかったんだよね。何かを食べて美味しいって思ったこともなかったし」
「新しいお袋さんとは……上手くいっとらんの?」
「父親に引き取られた時、父は今の母親と再婚しててね。子供も居なかったから、さぞかし戸惑っただろうなって。若かったし。いきなり十歳の子の母親やれって言われても無理だよね。最初は色々してくれようとしてたんだけど、私どうしていいかわからなくて。段々距離ができちゃった。……可愛くない子供だっただろうなって、思う」
引き取ってくれたことには感謝してる。母と暮らしていた時のように、お腹を空かせてひもじい思いをすることもない。お腹が空いたら食べ物が手に入る。学校にも行かせてもらえる。それだけでも十分ありがたい話だ。
それでも、いきなり仲良し家族のように振る舞うのは、私には難しすぎた。
「なんやわかる気するわ。最初も無愛想やったもんな」
「ふふ……話しかけてくんなって思ってた。宮君目立つんだもん」
「ツムが喧しいからや。そのせいで俺まで目立つ」
「宮君単体でも十分目立ちますけど?」
「ツムよか大人しいやろ」
「目立つっていうのは声の大きさだけじゃないんですよ。……華があるからね、二人とも」
「……よおわからん」
そう言って、宮君は頭をガシガシと掻いてため息を一つついた。
「……あの日、宮君に貰ったおにぎりを食べて、生まれてはじめて何かを食べて『美味しい』って思った。そのあともらったおにぎりも、今日のご飯も、すごく美味しかった。……本当に、……すごく美味しかったんだよ……」
言いながら、思わず涙が溢れた。あんな幸せな食事は初めてだった。
「んなもん、これからなんぼでも握ったるわ。飽きるくらいうまい飯食わせたる。もう要らんって言うても食わせんで」
「ふふ、大丈夫だよ。教えてもらったもん。もう自分で作れるよ」
「アホか。一回でマスターできるわけないやろ。マスターするまでなんぼでもやるんや。……逃さへんからな」
子供のように口を尖らせて言う宮君を見て、思わず笑った。
「ありがとう。……宮君は優しいね」
……そうだ。宮君は優しい。でもきっと、この優しさは私だけのものじゃない。そんなことはわかっている。それでも、誰かから優しくされたことの無かった私は、宮君の優しさに縋り付かずにはいられなかった。
***
翌日、私はコンビニエンスストアの棚の前で立ち尽くしていた。
……何を買えばいいのかわからない。
おにぎりは嫌。宮君のおにぎりと比べてしまうから。かといって、いつものクッキーも、もう買えない。宮君が見たらきっと気にする。菓子パンも嫌。あの日々を思い出したくないから。そう考えたら、もう買えそうなものはお菓子くらいしか残っていなかった。
デザートコーナーに行くと、いろんなものが並んでいた。シュークリーム、プリン、ゼリー……。
ゼリーか。ゼリーならささっと食べられるかも。ふと見ると、パッケージに入った携帯タイプのものが並んでいた。いつものクッキーと同じ絵柄のものもある。ゼリーもあるんだ。……これにしよう。
手に取って、ため息をついた。
……こんなはずじゃ無かったのに。本当は早起きもしたし、コンビニで買い物をする予定もなかった。
……本当なら、あのおにぎりを持ってくるはずだったのに。
手の中のパッケージを睨みつけながら再びため息をつくと、私はレジへと向かった。
昼になっても、なかなか食事に手をつけられなかった。
宮君に見られたくない。
あんな話をした後で、またこういうものを食べているところを、宮君に見られたくなかった。
それに、昼休みはいつも侑君や他のクラスのバレー部の人たちと一緒に居ることが多かったのに、おにぎりをくれたあの日から、宮君は昼休みをこの教室で過ごすようになっていた。教室にいるかぎり、宮君に見つかるのは時間の問題だった。
仕方ない。場所を変えよう。誰もいない所に行けばいい。そうすれば、見つかることもないだろう。
「なんや、飯も食わんとどこ行くん」
席を立ったと同時に声をかけられ、ギクリとしながら振り返ると、思ったとおり宮君が立っていた。
「えっ……と…………お手洗い……」
苦し紛れにそう言うと、宮君は少しポカンとした顔をして、そうか、すまん。と言った。
宮君から逃げるようにトイレへ駆け込んだはいいが、行くところなんか他に思いつかなかった。
結局、私はその日、生まれて初めてトイレで食事を摂った。
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