(29話)
ようやく追いついた時には、もうすでに山口君と月島君が何やら話をしていた。珍しく、山口君が声を荒らげている。
「……日向はいつか『小さな巨人』になるのかもしれない。でも、だったら、ツッキーが日向に勝てばいいじゃないか! 日向より凄い選手だって、実力で証明すればいいじゃないか! 身長も頭脳もセンスも持ってるクセに、どうして『こっから先は無理』って線引いちゃうんだよ!」
「……例えば、凄く頑張って烏野で一番の選手になったとして、その後は? 万が一にも全国に行く事が出来たとして、その先は? 果てしなく上には上が居る。絶対に一番になんかなれない。どこかで負ける! それを分かってるのに、皆どんな原動力で動いてるんだよ!!」
初めて、彼の心の叫びを聞いた気がした。そして、この人は私と似ていると思った。
怪我をした時、手術するしかバレーを続ける道がないと言われた時、もっともらしい言い訳をして諦めた。……その方が楽だったから。
目の前にある高い壁を、あの人はぐんぐんと登っていくのに、自分には登れないような気がしたから。登ってみて、ダメだった時に無様に落ちるのが嫌だったから。そうなるくらいなら、適当なところでやめてしまった方がいいような気がした。……でもその結果、消化不良のように残ってしまった。あの時はそれが一番いいと思ったのに。今となっては何が正しかったのか分からない。
……この人は、私と似てる。だからこんなに惹かれるんだろうか。
このままでは、月島君もそうなってしまうかもしれない。それだけはダメだ。……でも、何て言ってあげたらいいのか分からない。
「そんなモンッ! プライド以外に何が要るんだ!!!」
山口君が月島君の胸ぐらを掴みながら言った。
シンプルなその言葉に、頭の中でゴチャゴチャと考えていたつまらない事たちが消える。まるで霧が晴れていくようだった。それは月島君も同じだったらしく、呆然とした顔で宙を見つめている。
そして一言二言山口君と言葉を交わすと、クルリと踵を返し、どこかへ行ってしまった。
月島君が見えなくなってから、月島君の後ろ姿を見守る山口君へと駆け寄り声をかけた。
「山口君、大丈夫? 月島君、なんて?」
「分かんない。ちょっと聞いてくるって……」
「聞くって……誰に?」
「さあ……?」
どこへ行ったんだろう。気になるけど、後を追っていいものか。でも、山口君のこともこのまま置いておけないし……。
「よし、俺たちも行こう」
「い、行くって、どこに?」
「ツッキーのとこ。ナマエちゃんも気になるよね?」
「う、うん……。でも……」
「ほら、いいから行こう!」
そう言うなり、山口君は返事も待たずに私の手を引いて月島君の後を追った。
月島君の向かった先は、昨日と同じ『第三体育館』だった。木兎さんや黒尾さんと話をしている。やはりここからでは声はよく聞こえない。
「何話してるんだろう……」
「もう少し近づいてみよう」
「み、見つからない? 私、昨日も覗き見してるから……」
近づきたいが、今日は入り口近くに月島君が居て、不用意には近づけない。流石に二日連続で覗き見をしていると思われるのは、たとえ事実だとしても避けたい。
「大丈夫だよ。背中側だからツッキーからは見えないだろうし。ナマエちゃんは俺の後ろにいれば隠れちゃうよ」
そう言って、山口君はそっと近づいていった。なんという強心臓。先程の剣幕も相まって、今日一日で『気弱そう』という山口君のイメージがすっかり覆ってしまった気分だ。
山口君の後に続いて体育館へと近づくと、ようやく月島君たちの声が聞こえてきた。
「僕は純粋に疑問なんですが、どうしてそんなに必死にやるんですか? バレーはたかが部活で、将来履歴書に『学生時代部活を頑張りました』って書けるくらいの価値じゃないんですか?」
その一言に、木兎さんと黒尾さんの顔が若干険しくなった。
「『ただの部活』って…………なんか人の名前っぽいな……!」
「おお! タダ・ノブカツ君か……! ……いや、ちげーよ! 『たかが部活』だよ!」
「ぐあぁ!? そうかー! 人名になんねー!」
惜しかったー! と言いながら、木兎さんが頭を抱えている。
「……なんの話だろう?」
「さあ……?」
「あー、眼鏡くんさ」
「月島です」
「月島君さ、バレーボール楽しい?」
そう問いかけられた月島君は、考えるようにしてから首を傾げた。
「いや、特には……?」
「それはさ、へたくそだからじゃない? 俺は三年で、全国にも行ってるし、お前より上手い。断然上手い!」
「……言われなくてもわかってます」
「でも、バレーが『楽しい』と思うようになったのは最近だ。ストレート打ちが、試合で使い物になるようになってから。元々得意だったクロスをブロックにガンガン止められて、クソ悔しくてストレート練習しまくった。んで、次の大会で同じブロックの相手に全く触らせずにストレート打ち抜いたった。その一本で、『俺の時代キタ!』くらいの気分だったね」
ウンウンと頷きながら、木兎さんが誇らしげに言った。
「『その瞬間』が、有るか無いかだ。将来がどうだとか、次の試合で勝てるかとか、一先ずどうでもいい。目の前の奴ブッ潰すことと、自分の力が120パーセント発揮された時の快感が、全て」
そう言い切ってしまう木兎さんは、目がギラギラしていて、まるで肉食獣のようだった。
「……まぁ、それはあくまで俺の話だし、お前の言う『たかが部活』ってのも、俺は分かんないけど間違っては無いと思う。
……ただ、『その瞬間』が来たら、それがお前がバレーにハマる瞬間だ」
その言葉を聞いた月島君の顔が、ほんの少しだけスッキリとしたような気がした。まるで憑き物でも落ちたような感じだ。
「ハイ。質問答えたから、ブロック跳んでね」
「ハイハイ急いで急いで」
「えっ、ちょっ……」
グイグイと引っ張られ、月島君はコート内へと連れて行かれてしまった。
「……ツッキー、もう大丈夫そうだね」
「うん。月島君、スッキリした顔してたね」
「うん。……じゃあ、俺は戻るけど、ナマエちゃんはどうする?」
月島君は大丈夫そうだった。でも……。
「もう少しだけ、見ていこうかな。……ほんの少しだけ……」
山口君は、フッと笑いながら、「じゃあまた後でね」と言って去っていった。
しばらく見ていると、一度休憩を挟むらしく、四人ともコートの外へと出てきた。月島君は黒尾さんに教わっているようで、何やら話をしている。表情は淡々としているが、どこか迷いのない顔をしていた。
もう本当に大丈夫そうだ。あまり見ていてもまたバレてしまいそうだし、そろそろ戻ろうか。
……そんな事を思った時だった。
手元にモゾモゾという感触を感じた。ゾワッと全身の毛が一気に逆立つ。恐る恐る見ると、大きな蜘蛛が壁に添えた右手に乗り上げ、モゾモゾと動いていた。
「きゃー!!! いやぁああぁあーー!!!」
ブンブンと手を振って蜘蛛を振り解くと、体育館の中へと飛び込んだ。すると間も無く鼻先へと何かがぶつかった。
「ぶっ!」
強か打ち付けた鼻をさすりながら目を開けると、目を丸くした月島君が至近距離から私を見下ろしていた。
「…………何……してんの……」
「……ちょっと……虫が…………」
飛び込んだ先は月島君だったらしい。
「おやおやおや?」
黒尾さんがニヤニヤとして笑みを浮かべ、こちらを見ている。慌てて離れると、今度は木兎さんが心なしかウキウキした顔でこちらを覗き込んだ。
「なあ! ヒマ!?」
「は、はい! ボール出し、しますか?」
「やりー!」
月島君は何か言いたげな顔をしていたけれど、途中で諦めたのか、結局何も言わなかった。
自主練が終わり、体育館を出た。そこそこ長い時間練習していたはずなのに、さすが強豪校なだけあって、みんなケロリとしている。月島君を除いて。月島君だけは、疲労困憊とまでは行かないが、疲れた顔をしている。昼間のペナルティのダッシュが効いているのかもしれない。
「メシ食い行こーぜー!」
木兎さんの掛け声と共に、食堂へと移動を開始するが、月島君だけは「先に行ってください」と離脱していた。
「……私も後から行くので、先に行ってください」
「了解。お疲れ様」
三人を見送ってから、体育館脇の階段に座る月島君の元へと向かった。
「大丈夫? 疲れた?」
「……まあね」
短い答えに、昨日拒絶された時のことが蘇る。まだ怒ってるのかもしれない。……なら、ここに居ない方がいいだろうか。そんな事を考えていると、月島君がフッと吹き出した。
「よく覗くよね」
「あ、あれは……っ! 覗いたわけじゃなくて……その……覗いたんだけど……」
「覗いたんじゃん」
「だって! ……月島君が……元気無いから…………なんとなく心配で……」
チラリと月島君を見ると、表情も無く黙り込んでいる。
「あー……ごめん。私に心配されてもって感じだよね……はは……」
更に沈黙が続き、流石に居た堪れなくなってくる。……やっぱり怒ってるのかも。
「あの……やっぱり私……先に行くね……」
立ち去ろうとした時、不意に手を掴まれた。振り返ると、月島君の大きな手が、私の手を握っていた。
「……もう少し」
「…………は、はい」
答えるのと同時に、そっと手を引かれた。導かれるままに月島君の隣に腰かけると、月島君をチラリと覗き見た。
月島君は相変わらずのポーカーフェイスで、今何を考えているのか表情から読み取るのは難しかった。でも、こうして呼び止められるということは、少なくとも嫌がられてはいないのだろうと思うことにした。
「……ボール出し」
「ん?」
「……頼まれてたんじゃないの」
「……ああ、木兎さん? 昨日ね、あの後木兎さんに呼び止められて、ボール出ししたの。だからきっと今日も――」
「違くて。……王様。ボール出し、いつも頼まれてるデショ」
「あぁ、そっちか。飛雄なら、大丈夫。私じゃなくてもボール出しはできるし。やっちゃんとか先生にも付き合ってもらってるみたいだから。それに……私はこっちの方が気になったから」
「……そう」
そう言ったきり、月島君は黙り込んでしまった。……なんとなく、沈黙が重い。
「あ、アレだね。昼間はすっごい蒸し暑かったけど、夜は結構涼しいね」
「……そうかな。暑いよ」
「…………手は、暑くないの……?」
チラリと視線をやりながら問いかけるが、月島君は一言「……平気」と言っただけだった。
また会話が終わってしまった。……なんとなく手が汗ばんでる気がする。手がベタベタしてる女だと思われてるかもしれない。何か別の話題は無いものか。もう少しだけ、話が弾むもの。そう思いそっと辺りを見渡すと、綺麗な月が出ていた。
「わぁ……ほら、見て。月が綺麗だよ。綺麗な三日月だね」
指差しながら言うと、月島君は少し驚いたような顔でこちらを見た。
「えー……何、その反応……」
「……別に。…………月が綺麗ですね」
「そうですね……? なんで敬語なの?」
「…………別に」
月島君はそう言って、小さくため息をついた。
その後、何を話したのかあまり覚えていない。当たり障りのない、バレーの話や、夏休みの課題の話をしたような気がする。ただ、最後まで手は繋いだままだった。
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