- ナノ -


(28話)



 そして迎えた二回目の東京合宿。今回も夜中のうちに宮城を出発して、明け方ようやく関東へと到着した。今回は東京ではなく、埼玉らしい。
 遠征も二回目だからか前回よりも長い時間バスの中で寝る事ができたので、あまり疲れていない。気がする。慣れって素晴らしい。

 ふと見ると、眠そうな顔で欠伸を噛み殺している月島君の姿が目に入った。

「あれ、眠そうだね、また眠れなかったの?」
「……誰かさんのイビキがうるさくてね」

 そうジト目で言われ、ハッと口元を押さえた。

「……私、イビキかいてた……?」
「さぁ、どうだろうね」

 シレッとした顔で月島君が言う。恐る恐る彼の隣にいる山口君へと視線を向けると、山口君はギクリというように肩を震わせた。

「山口君……」
「いやっ、大丈夫だと思うよ。俺は聞こえなかったし。っていうか俺も寝てたから……」
「嘘だ……」
「いや、本当に……」

 山口君の気まずそうな顔を見て、全てを悟った。

 サイアク。私、イビキかくの!? そんなの知らないしっ! 今まで誰も教えてくれなかった! 綾乃もヒナも、お泊り会した時に言ってくれなかったじゃん! ……帰りは絶対に一睡もしない。

 あまりの恥ずかしさで視界が潤んだその時、背後から大きなため息が聞こえた。

「誰も『君が』イビキかいてたなんて言ってないじゃん」
「嘘つきぃ!」
「痛いな、叩かないでくれる?」
「じゃあツマンナイ嘘つかないでよ! 本気で帰りは絶対一睡もしないって、思っちゃったじゃん!」
「別に嘘ついてないし。勝手に勘違いしたのはそっちじゃん。それに、どうせ君は帰りも寝るデショ」
「うるさいっ!」



***



「今回のペナルティは森然限定! さわやか! 裏山深緑坂道ダッシュ!! ……だそうだ」

 よーい……GO! という掛け声に合わせてみんなが一斉にダッシュで坂道を駆け上がる。見ているだけで膝が痛くなりそうだ。

 とりあえず私たちマネージャーは、ダッシュが終わったメンバーにタオルやドリンクを配ったり、練習試合中にスコアをつけたり、空いた時間に洗濯などの雑用をしたりする。選手ほどではないが、そこそこハードな仕事だ。


 今回の合宿も、烏野に関してはペナルティの嵐で、初日に至っては全敗という結果だった。みんな疲労困憊のはずなのに、澤村先輩達はシンクロ攻撃の動画確認、東峰先輩たちはサーブ練習をするようだった。

「あ、ツッキー! 今からサーブやるんだけどツッキーは――」
「僕は風呂入って寝るから」

 山口君の言葉を遮るようにして、月島君はピシャリと言い放った。その声がやけにピリピリしている気がして、思わず日誌を書く手が止まったほどだ。

「そ、そっか……あの……」
「何?」
「……ツッキーは何か……自主練とかしないのかなって……」
「練習なんて嫌って程やってるじゃん。ガムシャラにやればいいってモンじゃないでしょ」
「そ、そうだね……。……そうなん……だけどさ……」

 山口君が何か言いたげに頬を掻いた。そんな山口君を尻目に、月島君は体育館を出ていってしまった。


「……大丈夫? 何かあった……?」

 いつもの二人らしくない気がして山口君に声をかけるが、山口君には困ったように笑いながら「なんでもないよ」と言われてしまった。

 なんでもないと言われても、なんとなく気になる。このまま放っておくことも出来ず、気がつくと私は月島君の後を追っていた。





 体育館を出てすぐ、月島君の後ろ姿を見つけた。月島君はちょうど、別の体育館へと入っていくところだった。

 こっそりと後をつけるが、月島君が入っていった『第三体育館』と書かれた入り口の周りには、ものすごく大きいカブトムシやクワガタが群がっている。

 あー無理。怖い。足がすくんで動けない。……でも月島君の事も気になる。


『虫だって、虫ってだけで一緒くたにされて嫌われたくないんじゃないの』


 そうだ。虫にだって、いい虫も居るって、月島君が言ってた。私の知る限りでは、カブトムシもクワガタも、毒を持ってたりはしないはずだ。こっちが突っついたりしなければきっと何もしない……はず。
 震える手をぎゅっと両手で握ると、とりあえず虫達からはある程度距離を保ちつつ、ギリギリ見えない角度から中を覗き見た。

 そっと中を覗くと梟谷と音駒の人と一緒にスパイク練習をしているようだった。さっきは自主練なんかしないと言っていたのに。なんだか意外だ。


 しばらく見ていてため息が漏れた。やはり梟谷の人のスパイクはものすごい威力だった。東峰さんよりも強力かもしれない。月島君も上手くコースを読んでいるようだが、当たり負けしてしまうことが多いようだった。
 一方音駒の、トサカのような髪型の人のブロックは力強く、梟谷の人のスパイクを見事はたき落としていた。たしか二人とも主将だったはず。やっぱり三年生ってすごい。

 そんな事を考えながら見ていると、練習を中断してなにやら四人で話し込んでいるようだった。でもここからじゃ遠くてよく聞こえない。もう少し近づいたら聞こえるだろうか。チラリと虫たちの様子を見るが、動きそうな気配はない。

 大丈夫。カブトムシもクワガタも、悪い虫じゃない。そう自分に言い聞かせて深呼吸をすると、覚悟を決めて体育館へと一歩近づいた。


「――あのチビちゃんに良いトコ全部持ってかれんじゃねーの? 同じポジションだろ」

 チビちゃん? 同じポジションってことは日向のことかな。日向がどうしたんだろう。話が見えない。怖がってないで最初から近くにいればよかった。


 すると、月島君はややあってから、ヘラっとした笑みを浮かべた。

「それは仕方ないんじゃないですかねー。日向と僕じゃ元の才能が違いますからねー」

 そう言ったのと同時くらいに、音駒のメンバーがゾロゾロと体育館に入ってきた。

「あ! またスパイク練習ですか!? 俺ブロックやります!? やります!?」

 音駒のツンツンした髪型の人が嬉しそうに言う。

「じゃあ僕お役御免っぽいんでお先に失礼します」

 そう言って、月島君がこちらへ向かってくる。

 あ、マズイ。覗いてたのがバレる。隠れなきゃ。そう思った時にはもう月島君の目が私を捉えていた。バッチリ目が合ってしまい、月島君の眉間に一気にシワが寄る。

「あ……あの……月――」
「おつかれ」

 私の言葉を遮るように一言だけそう言うと、月島君は行ってしまった。

 怒らせてしまった。そりゃそうか。月島君は多分ああいうところは見られたくないだろうし。失敗した。
 ……でもやっぱり様子が変だった。いつもの月島君らしくない。なんだかすごくイライラしてるというか、ピリピリしてる。一体何があったんだろう。


「おっ! 烏野のマネ!」

 不意に体育館の中から声がかかる。見ると梟谷の主将の人がチョイチョイと手招きしていた。

「なぁ! 暇だったらボール出ししてくんない?」
「木兎さん。他校のマネージャーまで使おうとしないでください」
「暇だったらって言ったじゃん!」
「暇なわけないじゃないですか」
「あ、大丈夫です。仕事は全部終わってます。予定も無いです」
「そう? じゃあ頼んでもいいかな。……悪いね」

 梟谷の黒髪の人が申し訳なさそうに顔の前で手を立てた。


 結局その日はそれ以降、月島君と話をする機会は無かった。



***



 翌日も、月島君と話す事はなかなか叶わなかった。必要以上に踏み込んで来るなというオーラが月島君から出ており、練習中はドリンクやタオルを渡すのが精一杯だった。休憩時間ですら、全く目が合わず、シャットアウトされているような気がして近づけない。

 やっぱり、昨日私がコソコソと覗き見るような真似をしたから、怒ってるんだと思った。




 練習が終わり、昨日と同じくみんな自主練へとシフトしていく。

「ヘイ眼鏡君! 今日もスパイク練習付き合わない?」

 見ると、今日も梟谷の主将、木兎さんが月島君へと声をかけていた。しかし、月島君は「遠慮しときます」と言って早々に会話から離脱していた。そんな月島君を見て、日向が憤慨したような声をあげた。

「何で断わんの!? もったいない!」
「うるさいな……僕は君と違ってスタミナ馬鹿じゃないんだよ……」

 もう話しかけるなというオーラを出しながら、月島君は体育館を出ていってしまった。慌てて後を追うが、昨日みたいに拒絶されたらと思うと、どうしても声をかけることが出来なかった。
 結局何も出来ずに元の体育館へと戻ると、山口君と日向が何やら話をしているようだった。

「日向なら、ツッキーに何て言う? 影山や谷地さんの時みたいに」
「何も言わないけど? だって月島はバレーやりたいのかわかんねーもん。やりたくない奴にやろうぜって言っても仕方ないじゃん」
「……ツッキーは、バレーは嫌いじゃないはずなんだよ……じゃなきゃ烏野に来ない」

 そう言って、山口君は黙り込んでしまった。

「山口は? 山口なら、月島になんて言う?」

 日向の言葉に、山口君は少し考えるようにしてから、体育館を出ていった。


「や、山口君待って!」

 慌てて呼び止めると、山口君は足を止めてくれた。

「ナマエちゃん? どうかした……?」
「あ、あの……山口君……えっと……聞きたいことがあって……聞いちゃいけないのかもしれないけど、でも……気になって……」
「……ツッキーのこと、だよね?」

 山口君が先日と同じような顔をして言った。

「月島君、合宿来てから……なんとなく変っていうか、しんどそうっていうか……うまく言えないんだけど、なんか変で……私、心配で……。山口君なら、何か知ってるかなって……思って……。月島君は、こういうの嫌がるかもしれないけど……でも……」
「はは。ナマエちゃんなら大丈夫だと思うよ。えーっと、……そうだね、……何から話そうかな……」


 そう言って、山口君は月島君のことを教えてくれた。初めて会った時のこと、月島君のお兄さんのこと、そのお兄さんも烏野高校のバレー部だったこと。そして、そのチームに、当時『小さな巨人』と呼ばれた小柄な選手が居たこと。そんなことをポツリポツリと話してくれた。



「そっか……そんなことがあったんだね」

 なんとなく、彼のことが少しだけ分かったような気がした。いつも、線を引くように一歩外から見て、決して中に踏み込もうとしないこと。本気でやろうとしないこと。どうしてなんだろうってずっと思ってた。

 ……きっと、傷ついたからだ。

 きっと、月島君は決めてしまったんだと思った。お兄さんを見て。本気でやったら、一生懸命にやったら、自分もそうなるんだって。

 ……そんな事ないのに。

 今すぐ、小学生の頃の月島君を抱きしめてあげたい。大好きなお兄さんを傷つけてしまったことに、きっと同じ分だけ彼も傷ついたはずだから。


「……バカだね、月島君は。お兄さんと一緒じゃないのにね。月島君は、月島君なのに。月島君なら、日向にだって負けないのにね……」

 心の底からそう思う。月島君なら、日向にだって負けない。私は、本当にそう思うのに。


「……ナマエちゃん、ゴメン! ちょっと、行ってくる!」

 そう言って、山口君は駆けて行った。


 きっと山口君は月島君の所に行ったんだと思った。邪魔はしちゃいけない。昨日みたいに覗くような真似も。月島君はきっとそんなこと望んでない。分かってる。
 ……でも、気になる。力になりたいなんて偉そうなこと、思ってない。思ってないけど、放ってなんかおけない。私に出来ることは何も無いかもしれない。嫌がられるかもしれない。それでも、今、月島君のそばに居たい。


 気がつくと、先日の月島君の時と同様、今度は山口君の後を追っていた。
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