- ナノ -


ツークツワンク(後編)




 月島が選んだ店はファミレスとレストランのちょうど中間くらいの、お洒落なお店だった。

「やっぱりここだった」
「やっぱり?」
「ここのショートケーキ美味しいよね。私も好き。ねぇ、ケーキ奢ってあげるから、ご機嫌直して?」
「……別に怒ってない」

 そうポツリと呟いて、視線を逸らす。だが、先程よりも表情が柔らかい気がする。

「そ? ならいいけど。じゃあ、入ろ」


 店に入ると、この時間帯にしては客で賑わっていた。まぁシンとした中で話すようなことでも無いだろうし、ある程度人がいた方がいいだろう。
 ちょうど隅の方の席に案内され、L字型のソファの奥側に座ると、その斜向かいに月島も座った。

 パラパラとメニューをめくると、ケーキと飲み物のセットがあった。なんと、五種類の中から選べるらしい。ケーキの写真を見比べながらチラリと斜め前の男を見た。

「ねぇ、月島はショートケーキと何?」
「……ショートケーキにするなんて言ってないけど」
「え、ショートケーキじゃないの?」
「……しないとも言ってない」
「あまのじゃくか。……で? 飲み物は?」
「……ミルクティー」

 相変わらず可愛い男だな。月島にバレないように心の中だけで笑うと、店員を呼んだ。

「ケーキセット二つお願いします。両方ともショートケーキとミルクティーで」
「かしこまりました」

 店員のお姉さんがニッコリと笑って去ってゆく。

「……真似しないでくれる」
「『真似しな――』」
「似てない」

 遮るように言って、月島は小さくため息をついた。どうやらこのやり取りはもう飽きたらしい。

「……で? 話って何?」

 とっとと本題に入ろうと問いかけると、月島は私からそっと視線を外して言った。

「……縁下さんとはいつ別れたの」
「おっと……いきなり直球だね。えっと……大学入るちょっと前くらいかな」
「なんで別れたの」
「なに、グイグイくるね、珍しい」
「いいから」

 まるで有無を言わさない、という感じで矢継ぎ早に問いかけてくる。こういう月島を見るのは、初めてかもしれない。

「……縁下さんが卒業して、大学入って色々忙しくなって……。私も受験生だし、部活も結局春高まで残ったからなにかと忙しかったし、だんだん連絡取るのが少なくなって……」
「自然消滅?」
「ううん、さすがにそれは嫌だったから。……ちゃんと話をしなきゃってずっと思ってたんだけど、延び延びになっちゃって。で、大学受かったよって連絡したら……」
「話があるって言われた?」
「ふふ、よく分かるね。月島ってエスパーか何かなの? ……好きな人が出来たんだってさ」

 あの日のことはよく覚えている。第一志望の大学に受かって、彼に一番初めに連絡した。『会いたい』と言われ、浮かれながら待ち合わせ場所に向かった。彼が似合うと言ってくれたワンピースを着て。……心底自分が馬鹿みたいだと思った。

「私と縁下さんの間にはさ、いつだって烏野バレー部があったんだよね。むしろ、それしか無かったのかも。……それが無くなったから、何も残らなかったのかなって。別にもう無理だろうなって思ってたし、今更やり直せるとも思ってなかったんだけどさ。あっさり終わるのもなんか寂しいよね。……でも、多分待っててくれたんだと思う」
「待ってた?」
「うん。……私の受験が終わるまで。その人と早く付き合いたかっただろうに、私の受験が終わるまで待っててくれたんだと、思う」
「……被ってたかもよ」
「そんなことしないよ。……あの人は、そういうことしない」
「……まあそうだろうね」
「ま、仕方ないよ。人の気持ちなんて変わるもんだしさ」

 仕方ない。何度も何度も自分に言い聞かせた。彼との時間を取らなかったことも、仕方なかったんだ。取りたくなくて取らなかったんじゃない。忙しかったから。部活に、受験に。だから……全部仕方なかったんだ。

「……ちゃんと泣いたの?」

 ポツリと、月島が言う。

「は? なんで泣くの。泣くわけないじゃん。元々、自然消滅寸前だったし。とっくに終わってたって話だよ?」
「好きだったんでしょ」
「……そりゃ……好きじゃなきゃ付き合わないよ。……ねえ、そろそろやめない? この話……」

 無理やり押し込んで、蓋をして、ようやく見えなくなった傷痕なのに。強引にこじ開けようとするのはやめてほしい。私はこれ以上見たくないんだから。どんな形の痕になっていても、別に構わない。見なくて済むならそれでいいじゃないか。

 それなのにコイツは、ようやく塞がったカサブタをバリバリと剥がして、更に塩を塗り込もうとしている。

 昔からSっ気はあったが、この一年で絶対に悪化してる。そう思って月島をチラリと見るが、月島は意外にも真剣な顔をしてこちらを見つめていた。


「泣いて、悲しんで、そうやって終わりにした方がスッキリ次に行けるんじゃないの。そうやって平気な顔してヘラヘラ笑ってるから、いつまでも引きずってるんデショ」
「別に引きずってなんか……」
「自分の何がいけなかったんだろうとか、どうしてこうなったんだろうとか、そう思うのは別に悪いことじゃない」
「やめてよ! もう、何なの……? つ、月島に……関係……無い……」

 そうだ。好きだった。あの人の笑った顔も、世話焼きの所も、意外とズバズバと物を言う所も。全部。全部大好きだった。思い出せば出すほど、涙が溢れてくる。もっと時間を作れば良かった。彼のために。もっとたくさん会えば良かった。彼と。彼の優しさに甘えた結果がこれだ。ちっとも仕方なくなんか無い。こうなったのは全部私のせいなのに。

 手で顔を覆うのと同時に、不意に何かに包まれた。

 いつの間にか隣に移動した月島に抱きしめられながら、どこか冷静な頭で「あーあ、店内で抱き合う頭悪いカップルだと思われてるだろうな」とか、「月島んちの柔軟剤、相変わらずいい匂いだな」とか、そんなどうでもいいことを考えた。

 規則正しく背中を撫でる大きな手が上下する。その手の感触が思いの外気持ち良くて、もういっそのこと、気持ちが落ち着くまで泣かせてもらうことにした。



***



「あー、サイアク。何これ。月島に泣かされた。慰謝料払ってよね」

 目元を手鏡で確認すると、想像していたよりは酷いことにはなっていなかった。これなら、少しよれたアイラインを直せば普通に外を歩けそうだ。マスカラまでガッツリ塗っていなくて良かった。塗っていたら悲劇だ。

 自分の今の状態を確認すると、とりあえず鏡をしまい、ジロリと月島を睨んでやった。しかし、奴はどこ吹く風で、飄々とした顔をして言った。

「よかったじゃん。ちゃんと区切りつけられて」
「区切り?」
「これで次に行けるデショ」

 その言葉に、思わず首を傾げた。

「なに、さっきから次、次って。いい男でも紹介してくれるワケ?」
「まぁそんなとこかな」
「えー、何それ。全然月島っぽくない。何企んでんの?」

 小さく笑いながら問いかけると、月島は含みを持たせた笑みを浮かべ、飲み物を一口飲んだ。

「……もう今後バレー部の集まりには来ないつもりなの」
「そんなことないよ。あの時は直後だったから、なんとなく気まずかっただけ。次は行くよ」
「そう。ならいいけど」

 なんだか心なしか嬉しそうな顔でいう月島を見て、少しだけ悪戯心が芽生えた。こんな公衆の面前で泣かされたバツの悪さを誤魔化したい、というのも少なからずあった。

「なにー? あ、寂しかったんでしょ?」
「……そうかもね」
「え……なに、どうしたの。さっきから月島変だよ。……なんかの冗談?」
「冗談とかじゃないけど」
「え……?」
「……僕はずっと、君のことが好きだったよ」
「……は?」

 あまりの展開に脳の処理がついていかない。パソコンやスマホでいうところの丸いカーソルがグルグル回ってる感じ。あれに似てる。

「……何かの罰ゲームかなんか? カメラ……回ってます?」
「馬鹿じゃないの。君のそんなの撮ってどこに需要があんのさ」
「さり気なく暴言挟むのやめてもらっていいですか」
「君が真面目に聞かないからだろ」

 とりあえず、イタズラの類では無いらしい。大きく深呼吸を一つして、今のやりとりを頭の中で整理する。
 ずっと? 今ずっとって言ったよね、この人。ずっとって何?

「えっと……ずっとって、いつから……?」
「高校一年くらいかな」
「はぁ!? 何それ聞いてない!」
「言ってないからね」

 え? 一年? 縁下さんと付き合う前? それとも後?

「……ちょっと待って! 月島、彼女居たよね? 二年の時。名前……あー、なんだっけ忘れたけど、あの目が大きくて可愛い子。そうだよ! ほら! 好きな子居たじゃん! あーびっくりした。やめてよね、こういう冗だ――」
「……忘れたかったんだよ」

 真剣な顔をして、ポツリと月島が言った。

「君を、忘れられるかと。……ダメだったけど」
「…………マジか」

 この顔を見る限り、マジだ。どうしよう。何を言ったらいいんだろう。再び頭の中で丸いカーソルがグルグルと回りだす。

 すると、月島は打って変わってニッコリと笑ってこちらを見た。

「さてと。いくら鈍くて馬鹿な君でも、さすがにもう分かるよね」

 この顔は高校時代にも何度か見たことがある。
 我が烏野排球部は、期末試験のたびに、赤点組の補習回避のため、成績優秀者がそれぞれマンツーマンでついた。日向と影山の馬鹿コンビには仁花と山口が。私には月島が。
 月島は最初こそ馬鹿二人を見ていたのだが、月島のイライラが募った結果、離脱して仁花と代わった。その結果、二人ほどでは無いが赤点が危ぶまれる私の勉強を見てくれることになったのだ。

『さすがにこの公式は覚えてるよねぇ』
『君は馬鹿なのかな?』

 うんうん。その時によく見た笑顔だ。よく覚えてる。懐かしい。この顔見ると背筋がゾッとするんだ、私は。
 そんな高校時代の思い出に現実逃避をしていると、ハッとあることに気づいた。

「……あっ! ちょ……っと待って、仁花と山口がやたら二人で居たのって……まさか……」
「ああ、別に僕が仕組んだワケじゃないよ。多分だけど、山口が気を利かせたんだろうね。谷地さんは……元から気づいてたみたいだし。僕が君を好きなこと」
「えー……うそでしょ……」

 それを聞いて、私はガックリと肩を落とす。仁花言ってよ……。いや、言えないか。


「え……っと……」

 とりあえず何を話すべきか探るも、フリーズ状態が続いている頭では何も思いつきそうに無い。すると、お店のお姉さんが気まずそうな笑みを浮かべながら、注文したケーキを持ってきた。

 ナイスタイミング! 天の助けとお姉さんをチラリと見上げると、お姉さんはキリッとした顔をして、胸の辺りで小さくガッツポーズを決めた。

『頑張ってくださいね!』

 声には出さなくても何故かはっきりとそう聞こえた。そしてお姉さんはケーキを置くとさっさと去っていった。

 応援されてしまった。ダメだ。ここに私の味方はいない。

「……月島、せっかくだからケーキ……」
「後でね」

 ピシャリと言われ、私は小さく「はい……」と答えた。
 チラリと月島を見上げると、再び月島は真剣な顔でこちらを見ていた。

「君さ、僕にしておいたら?」
「本気で言ってる!? 月島モテるじゃん! 私じゃなくても……」
「まだそれ言う? もう一回最初から話そうか?」

 また泣かされるところからスタートされては堪らない。私は小さく首を振る。

「僕と付き合ってくれる?」
「…………お、おともだ――」
「『お友達』ならもうとっくの昔に始めてるデショ。却下」
「だって……いきなり言われても……」

 ほんの数分前まで、友達としか思っていなかったのに、いきなり好きだったと言われても、正直困惑してしまう。

「僕が嫌い?」
「んなわけない」
「じゃあ好き?」
「なんで二択なの……。いきなり好きかって、わかんないよ……」
「じゃあ、キスできる? 僕と」
「は? いや、それできるかできないかって問題じゃないでしょ」
「例えばだよ。そういうの『この人とは生理的に無理』とかあるデショ」

 ああ、そういうことか。それならばと、ジッと月島の顔を見つめてみる。うわ……顔、整いすぎでしょ。

「月島には無い……かな……」
「じゃあしてみる?」
「えっ!? 今!?」
「今しなくていつすんだよ」
「ちょっ、待って待って待って! ここお店だし心の準――」

 一瞬のうちに月島の顔のドアップが迫ってきて、ほんの少し唇に柔らかいものが触れると、それはすぐにまた去っていった。

「……嫌だった?」
「信じらんない……お店なんですけど……」
「僕らのことなんか誰も見てないよ。それより、嫌だったの?」

 相変わらず真剣な顔で問いかけてくる月島に、小さな声で答える。

「……嫌ではない」
「じゃあ問題無いよね」
「いや、問題はあるでしょ!」
「ウダウダうるさいな。何が気に食わないわけ」 

 いい加減イライラしてきたのだろう。普段通りの眉間のシワに、少しだけ日常を感じ、ホッと息を吐き出す。

 ……月島のことは好きだ。いい奴だし、一緒にいて楽しい。背も高くて顔もカッコいいし、頭も良いし、大抵のことは卒なくこなす。非の打ち所がない。でも……。

「……私、月島が想ってくれるみたいに……月島のことすっごい好きとかじゃない……」
「……別にいいけど」
「良くないよ! 付き合うならすごい好きじゃなきゃ……」
「縁下さんのことも別に最初はすっごい好きとかじゃなかったデショ」
「それは……そうだけど……。いや、だからダメだったのかな、とか思うし……」

 こんな風に真剣な気持ちを向けてくれる月島に対して、お試しで付き合うような中途半端な事だけはしたくない。

「……君が縁下さんと付き合い始めた時、死ぬほど後悔した。なんでもっと早く言わなかったんだろうって。……もう二度と、あんな風に後悔したくない。君、僕のこと嫌いじゃないんデショ。なら僕のものになってよ」

 ああ、この勝負は負ける。私はこの男に勝てそうに無い。そもそも、考えてみたら、トランプだってしりとりだってチェスだって、この男に勝てたことは今まで一度だって無いのだ。

「……こんなグイグイ来る月島、初めて見たのでもうどうしたら良いか分からないんですけど……」
「分からなくてもいいんじゃない? ……で? 返事は?」

 ふと見ると、月島の瞳の奥がほんの少しだけ不安そうに揺らいでいるように見えた。

 そうか。月島だって不安なんだ。高校一年の頃から好きだったと言っていた。そんな長い時間、この人は私を見てくれていたことになる。それを今、手放す覚悟でこうして気持ちを伝えてくれているのかもしれない。

 いつも飄々として、緊張なんかしませんって顔してるくせに。こういう時だけ弱い所を見せてくるなんて、ズルイ。そんなところ見せられて、放っておけるはずがない。

 完敗だ。私の。


「……ケーキ、食べようか。その…………付き合った記念に」

 そう言って、月島の手をそっと握る。

「……会う時間、できるだけ作るようにするから……その……よろしくお願いします。……ってことです」

 すごく恥ずかしくて、小さな声でそう言うと、月島は困ったような、泣きそうな、なんとも言えないような顔をして、私の手をギュッと握り返した。

 そして、私達はそのまま隣に座ったまま、並んでケーキを食べた。


 遠くでさっきのお姉さんが再び胸の辺りでガッツポーズをしているのが見えた。
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