- ナノ -


Not a day goes by




 あの、思ってもみなかった告白の夜から、約一カ月が経った。

 あれから何度かデートをした。

 初めてのデートは、付き合い始めて一週間後のバレンタインデーの日だった。さすがに付き合ったばかりとはいえ、恋人同士のための日に何もしないというのは少し気が引けてしまって、ちょっとだけ良いお店でちょっと高いチョコを買った。
 渡した瞬間の月島の顔を思い出すと、今でも笑ってしまう。驚いたようにポカンと口を開けながら、手のひらに乗せられた小さな箱を見つめていた。ゆっくり顔を上げこちらを見た彼に「チョコだよ」と告げると、眼鏡の奥の瞳が少しだけ大きくなって、口元がうっすらと上がった。彼の全身から、私のことが好きだという気持ちが伝わってくるようで、なんとも言えない気持ちになったものだ。

 付き合っても、私達のやり取りは付き合う前とあまり代わり映えしなかった。軽口も叩くし、恋人同士のように甘い雰囲気になることも無い。手を繋ぐことはあっても、それ以上のことは月島は一切してこなかった。キスだって、付き合う前に一度したきりだ。
 ただ、様子を窺うようにそっと私の手に触れる時、月島は照れたようにほんの少しだけ頬を赤く染める。それが何度見ても可愛い。会うたびに、友達の頃は知らなかった彼の可愛い一面を知り、どんどん彼に惹かれていくのが自分でも分かった。



***



「じゃあうまくいってるんだね、月島君と」

 仁花がにんまりと笑いながら言った。大学が同じ仁花とは、こうしてよく構内のカフェでお茶することがある。

「まぁね。っていっても友達の頃とあんま変わんないけど。全然カップルって感じじゃないし、それになんか気恥ずかしいし」

 ははは、と笑いながら答えると、仁花はなお嬉しそうに頷いた。

「これからだよ。月島君、ずっとナマエのこと好きだったから」
「……そうみたいだね」

 付き合うようになってから、一つ気付いたことがある。月島はいつも私を見る時、ものすごく優しい目をする。その照れたようななんとも言えない顔で微笑むのを見るたびに、私は月島に言われたことを実感するのだ。

『僕はずっと、君のことが好きだったよ』

 あの頃も、こんなふうに私のことを見てくれていたのだろうか。


「あ、そうだ。連絡きた?」
「連絡? ああ、久々にバレー部で集まろうってやつ? 日向の壮行会兼ねて」
「そうそう。……行く、よね?」

 仁花がおずおずと様子を窺うように私を見た。仁花が何を言いたいのかは分かっている。発信者は縁下さんだった。元カレと今カレが同じ空間で鉢合わせすることになる。たしかに気まずいっちゃあ気まずい。それに、前回は別れた直後だったこともあり参加をパスしたので、私自身がまだ彼のことを気にしていると思われたのかもしれない。

「うん。行くよ。せっかくの日向の門出だし。頑張れって送り出してあげたいよね」
「そっか……よかった」

 仁花はそう言うと、ホッとしたように息を吐き出した。

 ふと時計を見ると、約束の時間まであと少しと迫っていた。

「……あ! ごめん、月島と待ち合わせしてるんだった」
「あ、私もバイトだから大丈夫だよ! じゃあまたね」






 待ち合わせ場所に着くと、すでに月島が立っていた。

「ごめん、お待たせ」
「いや、僕もさっき来たとこ」
「そ? ならよかった。仁花とちょっと話し込んじゃって」
「谷地さん? ああ、同じ大学だもんね」

 納得したように頷きながら、月島はスッと手を差し出した。手を繋ごうということだろうか。この人のこういうところが本当に可愛い。そっと手を握ると、月島はほんの少しだけ嬉しそうに口角を上げた。



「……来週、行く?」

 歩きながら、月島がポツリと呟いた。

「来週? バレー部のやつ?」

 問いかけに、月島は無言で頷いた。

「えっと……行こうと思ってるけど。……月島は行って欲しくなかったりする?」

 月島はそういうのをあまり気にしないと思っていたので深く考えていなかったが、よくよく考えてみると元恋人と会うことになるわけだし、色々と複雑なのかもしれない。そう思って問いかけるが、月島は私からは視線を外したままポツリと答えた。

「……別に、そういうのは無いけど」

 無いと言いながら、表情はやや曇っている。

「……けど?」
「…………いや、なんでもない。どうなのかなって思っただけ。……僕も行くから、一緒に行く?」
「うん。いいね。一緒に行こう」

 繋いだ手をぎゅっと握りながら背の高い彼を見上げると、月島の色素の薄い瞳がほんの少しだけ弓形に変わった。

 その後、一緒に夕食を摂り、ホワイトデームードに染まりつつある街並みを見ながら帰路に着くまでずっと、月島はどこか沈んだような表情をしていた。




 家に着いてからも、月島のあの顔が頭から離れなかった。なんだかんだ言って、やっぱり気にしているのだろうと思う。参加を見送ったほうがいいだろうか。まだ出欠は出していないし、今なら間に合うだろう。……でも、本当に月島がそれを望むのだろうか。

 うーん、と一人部屋の中で唸りながら、ため息をついた。

 ……やめた。一人で考えていても答えは出ない。

 放り出した鞄から携帯を取り出すと、私はある人物の連絡先を呼び出した。

『今忙しい?』

 シンプルにそれだけ送ると、彼からはすぐに返事が返ってきた。

『大丈夫だよ。何かあった?』

 あの月島とのやりとりを全て文字で書くとなると少々面倒くさい。思い切って発信ボタンを押すと、彼はすぐに電話に出てくれた。

「あ、もしもし山口? いきなりごめんね、今大丈夫?」
『うん、何かあったの?』
「ちょっとわかんないことがあってさ、教えてほしいんだよね」
『ツッキーのこと?』

 さすが山口。よくわかってらっしゃる。手短に今日あったことを話すと、山口が電話口の向こうで小さく笑った。

『……なるほどね』
「月島はああ言ってたんだけど、やっぱり私が行くの嫌だと思う? その……ほら、……縁下さんも来るし……」

 私の縁下さんが付き合っていたのは周知の事実で、当然付き合っていた当時は何度も一緒にいるところを見られている。でも、別れた今、元カレに会うとなったら話は別だ。正直、私だって月島が高校時代に付き合っていたあの元カノが同窓会に来るとなったら、内心穏やかでは居られないだろう。

『どうかな……まぁさすがに積極的に会って欲しいとは思ってないだろうけど、今回は日向のこともあるし、自分の都合でミョウジのことを縛ったりするのは嫌なんじゃないかな。それに、ツッキーは多分嫌だって思ってても……』
「言わないよね。わかってる。……それに、もし私がこのタイミングで行かないって言い出しても、多分月島は気にする気がする」
『ハハハ、よくわかってるね』
「山口ほどじゃないけどね。……うん、わかった。ありがとね、ちょっとスッキリした」
『ミョウジがツッキーのことよくわかってくれてて心強いよ。ツッキー、ちょっとわかりにくいとこあるから』
「私も、山口が答え合わせしてくれるから助かります。ホントありがとね」


 山口と話して、とりあえず今から不参加を表明するのは得策では無い、ということだけはわかった。月島がどの程度気にしているのかはわからないが、こればっかりは仕方ないだろう。まぁ、会の内容からして私が縁下さんと話す機会もそんなに無いだろうし、なるようになるだろう。



***



 あっという間に一週間が過ぎ、その日がやってきた。

 約束したとおり月島と一緒に待ち合わせ場所に向かう。先日のように思い詰めたような表情をすることもなく、いつもどおりの月島だった。やっぱり思い過ごしだったんだろうか。じっと横顔を眺めていると、月島の目がチラリと動いた。

「……何。ジロジロ見て」
「ううん。相変わらずカッコいいなぁと思って見てた」
「…………何それ」

 ムスッとしたような顔でそう言うと、月島は私から視線を外した。耳の端がほんの少しだけ赤く染まっている。

「場所はおすわりだって。烏養さんたちも来るんだってよ」
「へぇ」
「日向に会えるの楽しみ?」
「先月会ったじゃん。もうお腹いっぱいだよ」
「今回は影山も来るって」
「……へぇ」


 集まりには私たちの下の代も何人か来ており、久々に見る懐かしい顔ぶれに思わず頬がゆるんだ。

「あー! ナマエさーん!」
「わー! 八乙女ー!!!」

 可愛い後輩が私たちを見つけるなりブンブンと手を振った。思わず駆け寄ると、グリグリとほっぺたを撫でた。

「合格おめでとー! 頑張ったねぇー!」
「あざーす! 来年からよろしくお願いします!」

 ニッと笑いながら八乙女が言った。相変わらず子犬みたいで可愛い。そんな私たちを月島は怪訝そうな顔で見る。

「え、何。同じ大学なの?」
「そう! 来年から後輩。学部も同じ。ねー?」
「はい! 試験の時は過去問お願いします!」
「こら!」

 ちゃっかりそんなことを言う八乙女を小突くと、月島と目が合った。え、なんか怒ってる。

「……と、時田とかは?」
「もうすぐ来ると思います」
「そう! 楽しみだね、みんなに会えるの。ねー、月島?」
「…………そうだね」

 えー……なんで既に不機嫌モードなの……。まだ縁下さんに会ってないのに。むしろそこ以外に警戒なんかしてないよ……。山口ー早く来てー。答えがわかんないよー。

 心の中で山口に念を飛ばしていると、ぞろぞろとメンバーたちがやってきた。その中には山口や仁花の姿も見える。

「あ! ほら! 山口が来たよ! 良かったねぇ月島! ほら、早く行くよ!」
「ちょっ……!」

 ムスッとした顔の月島をグイグイと引っ張りながら、私はとりあえずその場を離脱した。



***



 席は未成年組と成年組で分かれることになった。澤村さんは最後まで「未成年がいるんだから酒は飲むな!」と言っていたが、今回から田中さんが成年組に加わったので仕方なく席を分けることにしたらしい。

「澤村さんだって日向と話したいだろうにね」
「悪ノリしそうな人が何人か居るから仕方ないんじゃない?」

 チラリと向こうのテーブルを見ると、烏養さんと先生の他には東峰さんと西谷さんを除いた上級生メンバーが席に着いていた。当然、縁下さんも向こう側だ。テーブルが分かれてよかった。これなら必要以上に話すこともないし、月島の機嫌がこれ以上悪くなることもないだろう。隣に座る月島を覗き見ると、先程の不機嫌はもう姿を消していた。


「それにしても、いつ見ても変わらんねぇ、影山は。美味しそうに食べるよね」

 目の前で大きな口でモグモグと食事を摂る元チームメイトを眺めながら呟くと、目の前の男は不思議そうな顔で首を傾げた。

「ミョウジは痩せたな。前はもっと丸っこかった」
「おい。ヤメロ。女子に向かってお前昔は太ってたみたいなのヤメロ」
「太ってはいねぇだろ。でも」
「でも?」
「餅みたいで旨そうだった」
「うおい! ねえ、失礼がすぎるんだけど!? なんか言ってよ山口! 元主将!」

 抗議の声を上げると、山口が小さく笑いながら会話に加わった。

「影山、今日よく来れたね。まだシーズン中じゃないの?」
「ちょうどこっちで試合があった。明日帰る」
「そっか。忙しいね」
「えっ、終わり? コイツの私に対する暴言に関しては?」
「ハハハ、許してあげなよ」

 ムッと唇を突き出すようにして不機嫌をアピールすると、八乙女が首を傾げながら言った。

「ナマエさんって太ってましたっけ? そんなイメージ無いんスけど」
「一年の頃は丸かった」

 まだ言うか影山。

「丸くはないから! ねぇ月島!?」

 いきなり会話を振られたせいか、月島は少し驚いたような顔をして、自分のスマホを取り出した。

「ハイ。一年の頃」

 そう言いながら差し出した画面の中には、高校一年の頃の私と月島が居た。月島は珍しく前髪をちょんまげのように縛られており、しかめっ面をしている。当然、縛ったのは私だ。たしかに、この頃の私は今より少しだけふっくらしているかもしれない。
 画面をみんな一斉に覗き込むと、山口が感嘆の声をあげる。

「うわぁ、懐かしいね。俺が送ったやつ?」
「そうそう! 月島が髪結ばせてくれた記念のやつだよね」
「君が無理やり結んだんじゃん」
「そうだっけ? 嫌がってなかったくせにぃー」
「嫌がったって君はやめないデショ。抵抗するだけ無駄なんだよ」
「っていうか私、顔パンパンだね。ヤバくない?」
「そんなことないよ。この頃も可愛かったよ」

 仁花が気を使ったように言ってくれた。相変わらず仁花は優しい。仁花の声に反応するように、八乙女たち後輩も月島の携帯を覗き込んだ。

「つーかナマエさん幼いっスね。全然太ってないっス! めっちゃ可愛いッス!」
「前から思ってたけど、八乙女って良い子だよねぇ。大学入学したらお昼奢ってあげるね」
「あざーす!」
「お世辞デショ」
「月島うるさい」
「ほら。餅みてえだろ」
「影山黙ってろ!」

 相変わらず失礼な影山に噛み付くようにして言うと、日向がため息をついた。

「なあ影山、お前にはデリカシーってもんが無いの?」
「お前に言われたく無い」
「いや、日向はまだデリカシーある方じゃん? っていうか日向の口からデリカシーって言葉が出てくるとは思わなかったけど!」
「俺は今ポルトガル語だけじゃなく、英語も勉強しています!」
「えらーい! 昔はよく月島に怒られたよね。テストのたびにさ。……懐かしいなぁ」

 期末のたびに三人でヒイヒイ言いながら勉強した。こうして振り返ってみると、あれはあれで楽しかったし、終わってみるといい思い出かもしれないなぁ。そんなことを考えながら青春時代に思いを馳せていると、隣で月島が小さく咳払いをした。

「勝手にいい思い出にしないでくんない」
「えー、楽しかったじゃん。月島はいつも私に勉強教えてくれてたよね」
「そこの馬鹿二人と比べたら君が一番マシだからだよ」
「「なんだと!」」
「コラ。お店では静かに。ツッキーもやめなよ。あ、ほら日向、烏養さんが呼んでるよ」

 見ると、烏養さんが日向に向かって手招きをしている。

「お、行っておいで! 今日の主役!」

 ベシッと背中を叩きながらそう言うと、日向は「痛ぇ!」と言いながら隣のテーブルへと向かっていった。


「ブラジルかぁ……すごいなぁ」

 日向の背中を見ながらポツリと呟くと、隣の月島がこちらを見た。

「なぁに? そんなに見つめちゃって」
「行きたいの? ブラジル」
「いや? 私は日本で充分幸せ」

 そっとテーブルの下で月島の手を握ると、月島はギョッとした顔でこちらを見て、そのまま無言で手を握り返した。


 その後、会が終わりに近づくまでずっと、月島は私の隣に居た。途中、隣のテーブルの酔っ払いがやってきても、私の隣は頑として譲らなかった。

「あ、ちょっと私お手洗い行ってくる」
「そういうのは言わなくていいよ」
「そう? 心配するかなー、と思っ……うわー、足痺れてる!」

 ずっと正座をしていたせいか、しっかりと足が痺れていた。ふらつきながら廊下に出ようとすると、月島が途中まで支えてくれた。

「平気? 転ばないでよ?」
「大丈夫大丈夫!」

 ひらひらと手を振ってその場を後にすると、月島も席へ戻っていった。そういえばさっきの不機嫌はもう本当に大丈夫そうだな。なんだったんだろう。……まいっか。





 用を済ませてお手洗いを出ると、意外な人物と鉢合わせた。

「久しぶり。……元気だった?」
「はい……縁下さんも……お元気そうで……」

 うわー、気まずい。ちょっと気まずい。席が離れてて油断してた。

「……八乙女が、同じ大学だって?」
「ああ……そうです。受かったって。来月から、また後輩になります」
「そっか、いいな。俺は誰とも被ってないから、こうやってみんなと会うのも久しぶりだ」
「そうなんですね。私たちはちょうど先月同じ代のみんなで集まって……」

 それがきっかけで今月島と付き合ってます。とは流石に言えず、言葉を濁す。隠しておきたいわけではないが、振られた男に聞かれてもいないのにあえて今付き合っている男のことを話すのは、なんとなく未練がましい気がして、気が引けたからだ。

「……そっか。みんな元気そうだな」
「はい」
「……ナマエも、元気そうでよかった。ほら、この間来なかったから。……どうしてるかなって思ってた」
「あー……どうしても予定が動かせなくて。ごめんなさい、余計な気使わせちゃったね」

 ははは、と笑いながら言うと、縁下さんは少し真剣な表情で言った。

「余計なんて思ってないよ。……でも、なんか安心した」
「安心?」
「今、幸せそうだから。いい顔してる。充実してるっていうか」
「そ、そうかな。……まぁでも、そうかも」

 言いながら、きっと、月島が居るからだな。と思った。
 さっき見た、月島の手を握った瞬間の顔を思い出す。あの顔は、照れてるけど嫌がってはいない時の顔。それか……ちょっと嬉しいって顔かなぁ。少しずつわかるようになってきた彼の表情を思い出しながら、心の中だけで小さく笑う。付き合うキッカケは少し強引だったけど、私は、ちゃんと彼に恋をしている。ひょっとしたら、自分で思っているよりもずっと、月島のことが好きなのかもしれない。

「ちょっと、何してんの。そろそろ会計……」

 言いかけた言葉を呑み込みながら、月島がひょっこりと廊下に顔を出した。月島からは縁下さんの姿は見えなかったのだろう。驚いたように目を見開きながら縁下さんを見つめると、立ち尽くしてしまった。

 月島の瞳が不安げに揺れる。

 そうか。この間のはやきもちとか不機嫌とかじゃないんだ。月島は不安なんだ。私の気持ちが自分に向いているのかわからずに。

 私がちゃんと伝えてこなかったからだ。

「ごめん、ちょっと立ち話しちゃった。もう終わったよ」
「……ならいいけど」

 そう言って、彼は目を伏せる。

「月島も久しぶりだな」
「……どうも」

 月島は縁下さんへ小さく頭を下げると、再び私の方へ視線を向けた。早く戻ろうと月島の目が言っている。

「うん。戻ろうか」
「二次会の話出てるけど……」
「月島は行きたい?」
「……いや」
「じゃあ私も行かない。一緒に帰ろっか」

 そう言いながら彼の手をそっと握ると、ようやく彼の目から緊張の色が消えた。

「じゃあ、また」

 彼の手を繋いだまま、縁下さんにそう言うと、縁下さんがなんとなく察したような顔をしていた。

「あ、ああ。また……」
「……失礼します」


 席に戻ると、もうみんな帰り支度をしているところで、山口が取りまとめてくれていた。会計を済ませて店を出ると、二次会へと流れていく者、そのまま帰る者に分かれていた。

「ナマエさんってどこに住んでんスか?」
「うちは隣の駅。だから駅までこのまま歩いて行くよね?」

 八乙女の質問に答えながら月島に問いかけると、月島はいつもの様子で笑った。

「この距離タクシーってどんだけセレブなの」
「だから歩くのって聞いたじゃん」
「……えっ! 一緒に住んで……?」

 八乙女は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしながら、私と月島の顔を交互に見る。月島は面倒なのか我関せずといった顔をしている。

「一緒には住んでないよ。狭いもん。でも、今日は一緒に帰るの」

 ひひひ、と笑いながら月島をチラリと見ると、月島はため息を一つついて私の手を取ると、スタスタと歩き出した。

「オツカレサマデース」
「お疲れ様でしたー。またねー」

 パタパタと手を振ってその場を後にすると、後ろの方からワッと歓声が上がった。「マジかよ月島ぁー!」という田中さんの声を背中で聞きながら、私たちは駅へと向かった。





 駅から自宅まではそんなに離れていない。とりあえず帰り道にスーパーがあるので、明日の朝ご飯はそこで何か買っていけばいいかな。そんなことを考えながら歩いていると、月島が不意に足を止めた。

「ん? どうかした?」
「……あのさ、どこまで考えてんの」
「どこまで……って?」
「だから……この時間から家にって……」

 いまいち要領を得ない言い方に首を傾げつつ、とりあえず表情から読み取ろうとするが、やっぱりよくわからない。

「んー、ごめん。月島が何が引っかかってるのかわかんない。もうちょいヒントくれない?」
「だからっ…………終電、無くなるけど」
「え、泊まって行くよね? 帰る気だった? ごめん! てっきり泊まって行くとばっかり……」

 むしろそれ以外考えていなかった。でももう付き合っているわけだし、ごく普通の流れじゃないのだろうか。

「……君はそれでいいの?」
「……逆に月島は嫌なの?」
「嫌なわけ……」
「じゃあなんでそんなこと聞くの? 好きな人と一緒に居たいって思うのはごく普通のことじゃないの?」
「……好きな人……?」

 え、なんでこの人ポカンとしてんの。

「え、私たち……付き合ってる……よね?」
「付き合ってるけど……え、君……僕のこと好きなの?」
「……好きじゃなきゃ……付き合わないけど……」

 あ、はっきり言葉にするとさすがに恥ずかしいな。顔が熱くなるのを感じる。チラリと月島を見ると月島も耳まで真っ赤だった。月島のこんな顔、初めて見るかもしれない。

「……と、とりあえず、私スーパー寄りたいんだけど……」
「……じゃあすぐそばのコンビニで着替え買ってくる」
「……はい。じゃあ……スーパーで合流ってことで……いいですか?」
「…………わかった」

 まるで付き合いたての中学生カップルのようにお互い真っ赤になりながら、待ち合わせ場所を決めて分かれた。


 頭の中で、仁花に言われた言葉がこだまする。

『これからだよー』

 これから。そうだな。これから、きっともっとたくさんの面を見て、色んな彼の顔を知って、そのたびに私は彼を好きだと再確認するんだろう。

 とりあえず、部屋に帰ったら手始めに、私がどれだけ彼のことが好きか、話して聞かせようと思う。

 彼を思わない日は無いのだと。


 彼があんな不安な顔を二度としなくて済むように。
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