- ナノ -


(13話)



 ゴールデンウィークが明けてすぐ、担任が席替えをすると言い出した。

「マジかよ! いきなりだなぁオイ!」
「イェーイ! 席替えー!!」

 たかが席替えごときで色めき立つクラスメイトを尻目に、僕は一つため息をついた。


 席替えほど無意味なイベントは無い。

 背の高い自分はどの席が当たろうと、黒板の見え方に変わりはない。もし仮に前方の席が当たったとしても、後ろになった者から苦情が出て結局真ん中より後ろの席と変わることになるのだ。

 つまり、どの席を引こうが、結果はあまり変わらない。

 席替えは無意味だ。


 順番が回ってきて、心底どうでもいいと思いながらクジを引く。
 席は窓側の後ろから三番目だった。

 まぁ悪くはないか。この位置なら席を変われとも言われないだろう。


 全員がクジを引き終わり、ガタガタと机を移動し始めた。

「あれ? 月島君そこなの?」

 後ろから声をかけられ振り返ると、ミョウジナマエがすぐ後ろに立っていた。


 嫌な予感がする。


「……もしかして君、そこじゃないよね」

 すぐ後ろの席を指差しながら言うと、彼女の眉間にシワが寄った。

「そうだけど。何その嫌そうな顔」
「……別に。ただ、君うるさそうだからさ」

 素直な感想を漏らせば、ミョウジナマエは更に眉間のシワを深くした。

「……普通に話すんじゃなかったの?」
「普通に話してるじゃん」

 彼女はムッとした顔をして、小さくため息をついた。

「……あっそ。ならヘッドフォンでもしてたら?」
「授業中に? 馬鹿じゃないの」
「バッ……!?」

 悔しそうに口をパクパクと開閉させてから、再びため息をついて僕から目を逸らした。

「もういい。口で月島君に勝てないのは良く分かった」
「賢明だね」
「うるさい! 早く席動かしてよ! 邪魔なんですけどっ!」
「今やってるじゃん。うるさいなぁ」

 ぎゃあぎゃあ喚き立てる女を無視して席を動かすと、ようやく静かになった。

「おっ、ナマエそこかよ」

 ガタガタという音と共にまたうるさい声がして、うんざりした気持ちで後ろをチラリと見やると、背の高い男が彼女の後ろに机を移動してきたところだった。
 たしかバスケ部の高橋という男だ。入学してすぐに背が高いからバスケ部に入らないかと誘われたが、丁重にお断りをしたのを覚えている。

「ちょっと、高橋。あんた私の後ろ!?」
「おう、なんだよ」
「だって前月島君なんだよ!? 後ろがあんたじゃ前後壁みたいじゃないのよ!」

 たしかに、高橋は影山と同じくらいの身長はありそうだ。彼女は見たところ150センチ前半といったところだろうか。前後180オーバーはさぞ居心地が悪いだろう。
 まぁでも僕の知ったことじゃないしな。そう思い、我関せずと前を向いた。

 すると、ミョウジナマエはとんでもないことを言い出した。

「ねー先生! 月島君と席変わってもいいでしょ?」
「はぁ? ちょっと、勝手に決めないでくれる?」

 こちらの了承も無く何勝手なことを言ってるんだ。思わず振り返り、軽く睨みながら言ってやると、彼女はキョトンとした顔で僕を見上げた。

「いいじゃん。私このままじゃ黒板見えないもん。一個後ろになったところでそんなに変わらないでしょ? 前になるわけじゃないんだからさ」

 なんなんだその勝手な言い分は。
 一瞬呆気に取られていると、担任も頷きながら口を開いた。

「確かにミョウジじゃ埋もれるなー。おい、月島、お前席変わってやってくれるか」

 チェンジチェンジ、と親指と人差し指をくるりと回して担任が言う。

「……はい。分かりました」

 そう言われてしまっては仕方ない。しぶしぶ頷くと、後ろから「先生のいうことは素直に聞くんだ」という声が聞こえた。カチンとして、思わず舌打ちが出る。

「あ、舌打ちした」
「うるさいな。代わってあげるんだから文句言わないでよ」
「なら最初っから素直に代わってくれても良くない!? 『普通』はどこ行っちゃったわけ!? 『普通』はさぁ!」
「うるさいなぁ。これが僕の『普通』なんだから仕方ないデショ。そっちだって全然普通に話してないじゃん」
「そ、そんなこと……ないもん……」

 ボソリと言って、彼女は口を噤んだ。

 一応言っておくが、僕だって普通に話そうとは思ってる。でも昨日の今日で急に態度なんか変えられるわけないだろ。大体、そっちだって全っ然『普通』じゃないじゃん。被害者ぶってしょげた顔するなよ。まるで僕が悪いみたいだろ。

 言いたいことは山ほどあったが、全部飲み込んでため息をついた。

「……机、動かすから早くどけて」

 えっ、と言いながら彼女は顔を上げる。

「席、変わるんでしょ」

 そう言うと、彼女の顔がパァっと明るくなった。またあの笑顔だ。

「うん。変わる。ありがとう」

 ふふ、と笑いながら、ミョウジナマエは机を動かし始めた。

 相変わらずコロコロと表情が変わる。いそがしい女だ。


 ガタガタと机を動かし始めると、高橋が「えー!」と不満げな声をあげた。

「なんだよ、ナマエ前行くのかよ! なぁ月島、俺とも席変わってよ」
「え、嫌だけど」

 単体でもうるさそうなのに、二人揃って僕の前に居るなんて冗談じゃない。キッパリと断りを入れると席に着くが、高橋は不服そうに「いいじゃんかよー。変わってよー」といつまでも言っていた。
 っていうか本当にうるさいなコイツ。このままだと授業が始まるまで続きそうだ。あまりの煩さに辟易した僕は、ヘッドフォンを手に取り装着した。



***



 前の席に座るミョウジナマエの姿が目に入る。

 彼女は、授業中は終始真面目、というわけではなかったが、僕が想像していたよりは静かだった。ぼんやりと外の景色を眺めたり、眠そうにあくびを噛み殺したり。居眠りこそしないものの、日向ぼっこを楽しむ猫のように自由だった。しかし、当てられるときちんと受け答えをしていた。要領がいいのか頭がいいのか。どちらにしても面白くはない。


 ふと見ると、今度は真剣な顔で裏庭を見つめていた。一体何をそんなに真剣に見ているのだろうと、視線の先を追う。すると、一匹の子猫が木に登ろうと奮闘しているようだった。その子猫がずり落ちそうになるたびに、彼女も焦ったように息を呑む。

 子供か。阿保らしい。

 そう心の中で呟いて、視線を黒板へと戻す。もうすぐ授業が終わる。次はたしか移動教室だったはずだ。いちいち移動するのは面倒だが、実験自体は嫌いじゃない。あとは煩いあの人やあの人と班が一緒にならないことを祈るだけだ。




 授業が終わるとすぐに、ミョウジナマエは次の道具を持って教室を飛び出した。

「ナマエ!? ちょっとどこ行くの!」
「ごめん! 先に行ってて!」

 友人たちに呼び掛けに目もくれず、彼女は何処かへ走っていく。

「何あの子。どしたの」
「さあ。トイレじゃん?」

 うちらも行こ行こ。そう言いながら彼女の友人達も教室を出て行った。


「ツッキー! 次実験だよ!!」
「うるさい山口」
「ごめん! ツッキー!」



***



「あれ? ナマエいないじゃん」
「ほんとだ。やっぱりトイレだったんじゃん?」
「いや、猛ダッシュしてたじゃん。トイレにしては遅くない?」

 先に着いた彼女の友人達が口々に言う。確かに、自分たちよりも先に出たのに何故着いていないのだろう。

 しばらく経っても、彼女はやって来なかった。もうすぐ授業が始まってしまう。ふと、授業終了直前の彼女の様子が頭に浮かんだ。

 やたら熱心に木に登る子猫の様子を見ていた。まさか見に行ったんじゃないだろうな。いや、授業をサボってまでする事じゃないか。さすがにそこまで馬鹿ではないだろう。……だが、先日もいきなり突拍子も無いことを言い始めたし、猫と一緒に日向ぼっこをしていてもおかしくは無いかもしれない。

 あの女ならやりかねない。


「……ちょっと見てくる」
「えっ!? ツッキー、授業始まるよ!?」

 後ろから山口の声が聞こえたが、気にせず教室を後にした。



***



 裏庭に着くと、すぐにミョウジナマエの姿を見つけた。

 先程猫が一生懸命登っていた木に、今度はなぜか彼女が登っている。

「……何してるの?」

 声をかけると、彼女は目をまん丸くして僕を見つめた。

「つ、月島君!? 授業は?」
「いや、それこっちのセリフなんだけど……」

 心底呆れた気持ちで彼女の腕の中にスッポリと収まった子猫を見つめながら言う。

「えーっと……さっき教室からこの子が木に登ってるのが見えて……。上手に登るなー、小さいのにすごいなーって最初は見てたんだけど、ひょっとして降りられないんじゃないかなーって思って。で、授業の前に降りれたか見に来たんだけど……」
「じゃあ早く降りてくれば?」
「え……えーっと……」

 ミョウジナマエは気まずそうに目をそらしながら頬を掻いた。段々と自分の顔が引きつるのを感じる。

「まさか自分も木に登って降りられなくなったとか言わないよね」
「……正解」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて彼女はそう言った。そうしている間にも、子猫はニーニーと甲高い鳴き声を上げながら、彼女の腕に爪を立てていた。

「へへ……助けてくれる……?」

 ヘラっとした笑みを浮かべながら助けを求められ、冷めた目で見つめ返した。

「……やだ」
「ちょっと! 助けてよ! このままじゃ降りれない……」
「自業自得デショ」

 そう言うと、僕は踵を返した。

「えー……うそぉ……」

 数歩足を進めると、小さく呟いたのが耳に届いた。本当に立ち去ってやろうかとも思ったが、木から落ちて怪我でもされたら後味が悪い。仕方ないから助けてやるか。そんな事を思いながら足を止めようかと思った瞬間、とんでもない言葉が耳に飛び込んできた。


「仕方ない。……飛べるかな」


 『飛べるかな』!? 飛べるかなじゃないだろ馬鹿なの!? 地上何メートルから飛ぶ気だよ! 足怪我してバレー辞めたんだろ!? そうじゃ無くても普通は木の上から飛ぼうなんて思わないだろ! 馬鹿だと思ってたけどやっぱり馬鹿だった!

 ギョッとして振り返ると、もうすでに飛ぶ気満々で臨戦態勢に入っていた。

「飛ぶなよ! 馬鹿じゃないの!」
「だっ……だって! ……猫を早く下ろしてあげなきゃ可哀想じゃない」

 だからって普通飛ぶか!? 何考えてるんだコイツ。意味が分からない。

 とりあえず、まずは自分の気持ちを落ち着けるべく、大きく息を吸って、吐き出す。

「つ……月島君……? 大丈夫……?」
「……猫、早く渡して」
「あ、ありがとう!」

 不安定な体勢で子猫を受け取ると、そっと地面へ下ろしてやった。すると猫は一目散にかけていってあっという間に見えなくなった。

「よかったぁ……」

 頭上からホッとしたような呑気な声が聞こえる。この女自分がまだ木の上に居るって忘れてるんじゃないのか。

「……で? 君は降りられるんだっけ?」
「……おりれません」




「後ろ向きになって、ここに足かけて」

 足をかける幹の出っ張りを示しながら言うと、彼女は恐る恐る言われた通りに後ろ向きになった。

「えっ、ここに足かけるの!? 全然引っかからないよ! 絶対落ちるから!」
「うるさいな。降りたいなら言われた通りにやってくんない?」
「だって……」
「なら一人で降りれば? ゴチャゴチャ言うなら今すぐ戻るから」
「やめてやめて! ちゃんと言うとおりにするから……」

 慌てた様子でそう言うと、彼女は恐る恐るといった様子で足をかけた。

「次はこっちの足をここに――」

 次に足をかける場所を示そうとしたその時、強い風が吹いた。とっさに彼女は自分のスカートを押さえようとしてバランスを崩した。

「うわっ!!!」
「ちょっ――」

 最初にかけた足が外れ身体ごとずり落ちてくる彼女を、咄嗟に受け止めようと抱きかかえた。だがさすがに不安定な体勢では支えきれず、彼女を抱きかかえたまま僕は後方へ倒れ込んだ。背中を打ちつけて一瞬息が詰まる。


 あー、ホント最悪。


 心の中で呟きながら、そっと腕の中の彼女の様子を覗き見た。こちらからは表情は見えない。一応受け止めたから怪我はしてなさそうだけど……。
 すると、ゆっくりと彼女が動いた。恐る恐るといった様子で辺りの様子を伺うように首が動いている。そしてようやく僕を下敷きにしていることに気づいたのだろう。勢いよく振り返ると大きく目を見開いた。

「やだ! うそ!!! ごめんなさい! 大丈夫!?」

 飛び退くように僕の上から降りると、彼女は早口で謝罪の言葉を口にした。

「大丈夫なワケないでしょ」

 苛つきを隠さずにそう言ってやるが、気にした様子もなく僕の身体をあちこちと触り始めた。

「手は? 痛いところは? 怪我とかしてない!?」

 心なしか青白い顔をして、早口でまくし立てるようにそう言われる。

「別に平気――」
「指は!? 足とか腕は!?」
「いや、平気だって……。それよりソッチのほうが痛そうだけど」

 見ると、彼女の膝からすねの辺りにかけて大きな擦り傷ができて血が滲んでいた。おそらく落ちた時に木の幹で傷つけたのだろう。僕に言われて彼女はチラリと自分の膝に視線をやるが、すぐにまた僕へと視線を戻した。

「こんなの平気。それより、受け止めた時に突き指とかしてない? 転んだ時に捻挫とかしてない?」

 あまりにも真剣な顔で問いかけられ、思わず息を呑む。

「……僕は平気。どこも痛くない。倒れたときに背中を少し打ったけど、今はもう痛くない」
「ほんと?」
「本当だってば。大丈夫。本当に」

 そう答えると、ようやく彼女の顔から強張りが消えた。

「よかったぁ……。部活あるのに怪我させちゃったらどうしようかと思っちゃった……」

 そう呟く彼女の顔はどこか悲しげだった。


『足が、ちょっとね』


 以前バレーを辞めた理由を答えたときと同じ顔だ。

「心配しすぎ。ほら、立ちなよ。さすがにそれはもう保健室行かないとマズイんじゃないの?」

 先ほどは血が少し滲む程度だったはずの擦り傷は、今はもう傷全体から出血し始めており、流れた血で靴下が僅かに変色していた。

「え? わー! なにこれ!」

 言われるまで自覚していなかったのか、見るなり驚いたように目を丸くした。

「……ティッシュで押さえて保健室行くわ。月島君は授業戻りなね! ホントありがとう!」

 笑顔で手を振りながら、ミョウジナマエは傷を押さえてピョコピョコと歩き出した。


 その後ろ姿を眺めながら、僕は大きく息を吐き出し、彼女のそばへと足早に歩み寄った。

「ん? どうかした?」

 キョトンとした顔で僕を見上げる。

 別に深い意味があったわけじゃない。なんとなく気になったから。見捨てて知らんふりを決め込むのは夢見が悪そうだったから。ただそれだけだ。

「足、ちゃんと押さえてて」
「へ?」

 まだなおキョトンとした顔で僕を見上げる彼女を無視して、そのまま横向きに抱きかかえた。本当は荷物のように肩に担いてやろうかと思ったが、制服が汚れそうなのでそれはやめた。

「ちょ! ちょっと、いいって!! 歩けるから!」
「暴れると落とすよ。それと、制服汚れるからちゃんと足押さえて。僕のシャツに血つけないでよ」

 有無を言わせないように睨みつけると、彼女は小さく「はい……」と言って、恥ずかしそうに俯いた。




 保健室までの道のりを、無言で歩く。途中、ミョウジナマエがチラリを僕を見上げた。

「……何」
「お、重くない……?」
「重いよ」
「……ですよね」

 気まずそうに目を伏せる彼女をチラリと覗き見る。

 小柄な彼女は、思ったよりも軽かった。女子を抱きかかえるのは初めてだが、皆こんなに軽いのだろうか。まぁこれだけ身長差があれば当たり前か。

 そんなことを思いながら眺めていると、彼女の瞳がゆっくりと動いた。目が合う直前に視線を外し、再び前を向いた。




 保健室の前までたどり着き、そっと地面に下ろす。流石にそこそこの距離を、軽いとはいえ人一人抱きかかえたまま歩くと、腕に疲れを感じる。

「あ……ありがとう」

 彼女はそう言うと少し恥ずかしそうに頬を染めた。

 ふと思う。これまでに、少し優しくしただけで、勘違いして好きだと言われることが何回かあった。そういったことは心底面倒くさいので、できれば避けたいというのが本音だ。こいつは王様の女なのだからその心配は無さそうだが、一応釘を刺しておいた方がいいかもしれない。

「……君を助けたの、別に深い意味はないから。勘違いしないでね」

 そう言うと、彼女は目を丸くして僕を見ると、可笑しそうに笑った。

「あはは、大丈夫。私、イケメンなら及川先輩で慣れてるから。このくらいで好きになったりしないから安心して。月島君モテそうだもんね、大変だね」

 ああ、あの青城の主将か。たしかに仲が良さそうだった。案外そっちが本命なのかもしれないな。

 少しだけイラッとした。

「……ならいいけど。じゃあね」
「うん、本当にありがとう」




 もうそろそろ授業も終わる。なら実験室ではなく教室へ戻った方がいいだろう。

 戻りながら、なぜか胸にモヤモヤしたものを感じていた。


 完全に気まぐれだった。いつもの自分なら無視していたはずだ。でも、なぜか気になって、気が付けば授業を放り出して裏庭へと向かっていた。子猫に罪は無い。助けたのは正解だ。だが、別に彼女を保健室に運んでやる必要は無かったかもしれない。


 どうかしてる……。
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