- ナノ -


(12話)



「なら、普通に話さない?」

 女はそう言った。






 ミョウジナマエに初めて会ったのは入学式の日だった。


 クラス表の貼り出しを見に行くと、北川第一の『王様』が居た。

 ほかに強豪と呼ばれる学校はいくつもあるのに、なぜ今は堕ちたこの烏野なんかに居るんだろう。ここに居るということは、当然あいつもバレー部に入るだろうし、これからはチームメイトということになる。


 ……最悪。


 心の中でポツリと呟くのと同時に、王様がとある女子生徒に声をかけた。その仲良さそうに話している女が同じクラスだと知ったのは、数十分後のことだ。


 出口を塞ぐように騒がしく立ち話をする女に向かって、僕は「邪魔だ」と告げた。すると女はポカンとした顔をして僕を見上げた。何が起きているのかまるでわからないといった顔で。

 人より少し大きな瞳が印象的だった。容姿は悪くない。際立って美人ではないが、万人受けする顔だと思った。きっと生まれてこのかたこんなふうに他人からいきなり敵意を向けられたことなんか無いんだろう。


 イライラした。


 その数日後、初めて女とまともに話した。確かあの時は山口と『王様』のことについて話していた時のことだ。食い気味に会話に割り込み、心配そうな顔で王様の『問題行動』について尋ねる姿は滑稽だった。

 少し挑発したら、初めは我慢していたようだが、最終的にはムッとした顔をして言い返してきた。


 気の強い女だ。さすが『王様の女』だと思った。



***



 それから一週間ほど経ち、青葉城西高校との練習試合が決まった。

 第二セットが終わったタイミングで入ってきたイケメン風の男に、体育館内がざわめいた。黄色い歓声を上げる女子生徒に向かって、まるでアイドルのように手を振っている。

 すると、日向が「あっ!」と声をあげた。

「ナマエが来てる! なぁ影山! あれナマエだよな!?」

 日向が影山に向かって問いかけながら、二階で見学している群衆を指差す。

 つられて視線を向けると、他校の制服を身に纏った女の姿が目に入った。周りからの視線を一身に浴び、女は居心地悪そうに小さく縮こまりながら、相手のチームのメンバーに手を振っている。

「ああ、ホントに来たのか」

 影山が呆れたように呟いた。どうやら応援に来ることは知っていたらしい。なら、お目当はきっと王様なのだろう。仲が良くて結構なことだ。

 阿呆らしい。そう心の中で呟く。



 試合が終わり外に出ると、先ほどの女がキョロキョロしながら立っているのが見えた。声をかける気はさらさら無かったので、見なかったことにしようと女から視線を外した。それなのに、女はこちらに気づいたらしく、声をかけてきた。

「お疲れさま」
「……何してるの。っていうか何その格好」
「借りたの。似合う?」

 そう言いながら、首を少しだけ傾げてスカートを広げてみせる。色の白い彼女には、白い制服がよく似合っていた。

「……似合わない」

 ボソリと呟くと、女はムッとした顔で口を尖らせた。

「……あっそう!」

 ふんっと顔を背け、明らかに機嫌を損ねましたとアピールする様を見て、僕は心の中だけで小さく笑った。
 感情が素直に現れるようだ。コロコロ変わる表情は見ていて面白い。

「っていうか何で練習試合の事知って……」

 言いかけてすぐに思い当たった。

「あぁ、王様に聞いたのか」

 こいつは王様の女なのだから当たり前だ。王様も来ることを知っているようだったし。馬鹿な事を聞いた。

 すると、女はキョトンとした顔をして言った。

「えっとね、ちょっと違う。中学の先輩が青葉城西なの。この制服もその人が貸してくれた。最後にピンチサーバーで出てきた人居たでしょ? あの人」

 あぁ、あっちの主将とも知り合いなのか。確かキャーキャーと黄色い声援を浴びていたし、いかにもモテそうな優男だった。この女、大人しそうな顔して結構やり手だな。などと下世話な事を思いながら見つめていると、ふいに女が口を開いた。

「最後、よく拾えたね」
「何が?」
「あ……えっと、及川先輩のサーブ」

 言われて嫌なことが思い出される。自分でもレシーブが得意ではない自覚はあるが、ああも狙い撃ちされて『穴』扱いされるのは正直腹が立つ。

「……コース狙いで勢いなかったからデショ。結局向こうのチャンスボールになったし、あんなの拾えたうちに入らないよ」
「でも、上がるだけでもすごいと思うけどな。上がらなければ、そこで終わりでしょ? ……私にはあんなサーブ、もう取れないと思うし」
「へぇ、君もバレーやるんだ。見る専かと思ってたけど」
「今はしないよ」
「なんで?」

 何も考えずに問かけると、女は少しだけ考えるように黙り込んだ。

 あ、地雷かな。不用意に問いかけた事を後悔した。そこまで興味も無いのに、踏み込んで聞かなければよかった。

 女は少し経って、「足が、ちょっとね」と答えた。

 足、ということは怪我か何かだろう。怪我で泣く泣く引退ってとこか。それはお気の毒様。
 心の中でだけそう呟いて、僕は「ふーん」とだけ口にした。

 若干気まずい空気に包まれ、そろそろこの場を離れるかとタイミングを伺う。すると、女は再び口を開いた。


「……月島くんはレシーブ嫌い?」

 イラっとした。試合を見ていたなら、僕のレシーブミスも見ていたはずだ。なぜわざわざそんな質問をするんだろう。案外性格悪いな。今更仕返しか?

「……好きじゃないだけ」
「そっか。でも大丈夫だよ」

 言いたいことが分からず、女を見つめる。

「月島君、悔しそうだったから。だからきっと上手くなるね」

 偉そうな口ぶりに、再びイラっとした。

 お前に何が分かる。この女のバレーの実力は知らないが、出会ったばかりの他人にあれこれ言われる筋合いはない。
 無言で視線を逸らすと、女は青城の主将に呼ばれてその場を去っていった。


 腹の立つ女だ。最初からそうだった。イライラする。あの女を見ていると、いつも。


 王様が好きなら王様のことだけ考えていればいい。僕に構うな。イライラした気持ちを胸に、僕はチームメイトの元へと向かった。



***



 数日後、体育館の前でウロウロと様子を伺っている女の姿を見かけた。絶対に無視してやろうと思ったのに、隣にいる山口が「あれ? ねえツッキー、あれミョウジさんじゃない?」などと言い、女に手を振りだした。
 結果、無視するわけにもいかなくなり、仕方無しに声をかける。

「何してるの。何か用な訳?」

 声をかけると、女は困ったように目を白黒させながら、そっと僕から視線を逸らした。

「……別に何でもないです」

 気まずそうな顔をしながら小さく呟く女の態度がカンに触る。

 ああそうかよ。せっかく声をかけてやったのに。相変わらず可愛げのない女だ。そう思い、「あっそう」とだけ吐き捨てて、女の横を通り過ぎた。


 少しして、後方から山口の声が聞こえてきた。何の気なしに振り返ると、嬉しそうな顔をして山口の手を取る女の姿が目に入った。


 まるで花が咲いたような笑顔に、思わず目を見開く。あんな顔もするのか。普段自分に向けられているものは、いつだって不機嫌そうな顔ばかりだった。眉間にシワが寄り、迷惑そうにため息をつく。
 別に笑顔を向けて欲しいわけじゃない。そんなもの向けられても有難くもなんともない。ただ、驚いただけだ。


 ……やっぱりイライラする。



 着替えて体育館へと足を踏み入れると、下だけをジャージに着替えた女が二階からコートを見下ろしていた。

「ミョウジさん、見学しにきたんだって」
「……へぇ。よっぽど暇なんだね」

 だから体育館をうろついていたのか。山口の言葉に適当に相槌を打つと、もう一度女の方へ視線をやった。


 女はぼんやりとした顔をしながらコートを眺めていた。王様でも見ているのかと思ったが、どこも見ていないようにも見える。どこか遠い目をしてぼんやりとコートを眺める姿が、まるで生気のない幽霊のようで、少しだけゾッとした。

 そうか。怪我のせいでバレーを辞めたんだったな。と思い出す。色々と複雑なんだろうか。じゃあなんでわざわざ見にくるんだろう。できなくなってもバレーが好きだから、とか? そこまでバレーに入れ込んでいない自分には分からない感情だ。たとえ自分が今怪我でバレーから離れることになろうとも、特に何とも思わないだろう。

『仕方ない』

 きっとそれだけで割り切れる。バレーだけが人生じゃない。

 たかが部活。それだけだ。



***



「ああっ! 影山の彼女がまた来てる!」

 悔しそうな顔をしながら、田中さんが二階の観覧席を指差した。


 GWに入ってすぐ、烏野高校排球部は合宿を行った。休みの日まで泊まりがけで合宿とか、正直言って乗り気では無かったが、入部した以上は仕方ない。
 そしてその最終日である今日は、東京から来たチームと練習試合をするため、烏野総合運動公園に来ていた。

 ただの練習試合にもかかわらず、観覧席には疎らだが観客がいた。その中にあの女の姿もあったというわけだ。


「ああ、それ違うんだってよ。小学校からの同級生なんだって」

 三年の菅原さんが笑いながら言った。

「嘘だ! じゃあなんであんなに仲良いんスか! この間だって練習見学来てたし、自主練だってボール出ししてたし! あの24時間365日バレーのことしか考えて無さそうな影山が、小中一緒だったってだけであんな可愛い子と仲良くなれるわけないじゃないっスか!」
「そうだそうだ! それだけで仲良くなれるなら、俺たちだって潔子さんともう一年も同じ部活で同じ体育館の空気を吸ってるんですよ! もっと仲良くなって然るべきですよ!」

 なぜか西谷さんも加わり、わけわからないことを言い出した。当の王様は特に興味もないのか、それとも聞こえていないのか、体育館の隅で爪の手入れをしていた。

「なにわけ分かんないこと言ってんだ。んなこと言ったって仕方ねーべよ。幼馴染なんだってさ」
「幼馴染!!! なんてズルい響き!!!」
「不公平だ!」

 頭を抱えながらぎゃあぎゃあと喚き散らしていた二人は、主将によって一喝されようやく静かになった。


 それにしても、よく来る。さすがに感心した。そんなに王様が好きなのか。

 だが、見ると女は反対側のコート、音駒高校のアップ風景を熱心に見ていた。
 子供のように目をキラキラさせながらコートを見つめている。ああ、これは、王様ではなくバレーが好きなんだと思った。自分はもうバレーができなくても、楽しめるものなんだろうか。やっぱり自分には理解できない感情だと思った。





 長い長い試合が終わり、ようやくバレーから解放された。
 たかが練習試合で三試合もやるなんて意味が分からない。正直言って物凄く疲れたし、しかも全部負けた。

 一通り片付けをしてコートを出ると、自販機の前で佇む女の姿を見かけた。なぜ声をかけようと思ったのかは分からない。気付いたら、声をかけていた。



 そして話は冒頭へと戻る。


 『普通に話そう』。そう言った女を呆然と見つめる。コイツはいきなり何を言い出すんだろう。

「は? 友達ごっこでもしようってワケ?」
「ごっこじゃなくて、友達になろうって言ってるの。クラスメイトなんだから別にいいでしょ?」

 少しキョトンとしたような顔をしながら女が言った。

 ますます意味が分からない。入学してから今まで、まともに話したことは片手で足りるくらいだ。思い返してみても決して良い関係ではなかった。なのに、今更何を言い出すんだろう。何か裏があるんだろうか。

「月島君がどう思ってるか知らないけど、私はこの先クラスが変わるまでずっと、誰かを苦手だなって思いながら過ごしたくないの。友達じゃなくてもいいけど、せめて普通に話せるようになりたい。その……クラスメイトとして。そのくらいいいでしょ?」
 
 なんだそれ。今まで仲良くしたがっているなんてカケラも思えないような態度だったくせに。

「君だって僕のこと嫌いなんじゃないの」
「嫌いじゃないよ。……ちょっと苦手ってだけで」
「苦手なんじゃん」
「ちょっとだけね。そりゃ、あんな風に喧嘩売られたら好きにはならないでしょ。おあいこだよ」
「別に喧嘩売ってない」
「あっそ。私だって別に月島君のこと嫌ってないから。っていうかコレ断られてるワケ!? ……ならいいですけど。別に!」

 あ、怒った。相変わらずコロコロと表情が変わる。

 女はフンッと顔を背けながら、踵を返した。

 もしかしたら一応歩み寄ったつもりなのかもしれない。なら、このままではこちらが断ったことになってしまう。別に仲良くなりたいわけでは決して無いが、向こうの要求をこちらが一方的に突っぱねたと認識されるのも癪だ。

「いいよ」

 小さな声でそう言うと、聞こえたのか女は足を止めた。

「君と友達にはなりたくないけど、普通に話すくらいならしてやってもいい」
「どんだけ上から目線だこのやろう」
「嫌なの? ならいい」
「あー! 待って待って!」

 言うなり、女は僕の腕をガッチリと掴んだ。

「ちょっと!」

 いきなり距離を詰めて来られた事へ非難の声を上げると、女は負けじと言い返してきた。

「だって! 話まだ途中でしょ!?」
「だからっていきなり掴まないでよ」
「じゃあ月島君も逃げないで!」
「逃げてないから! っていうか離してくんない!?」

 掴まれた腕を振り払うと、女はキョトンとした顔をして僕を見つめた。

 あー痛い。何なんだこの女は。しかも意外と馬鹿力だったし。喧嘩腰に話しかけてきたと思えば、今度は友達になろうと言う。しかも逃げるなと腕を掴まれた。何がしたいのか全然分からない。

 このままではうまく躱すのは難しそうだ。この女はどこまでもしつこく追いかけてくる気がする。なら、適当に話を合わせてやり過ごした方が無難だろうか。

「で? 普通って、具体的には何すれば君は満足なワケ?」

 心の底から面倒だったが、とりあえず女の要求を聞く。すると、女は再びキョトンとした顔で僕を見つめた。

「えっと……なんだろう。挨拶とか?」

 首を傾げながら、なぜか質問で返された。

 僕に聞くなよ。そう思いながらとりあえずは無言で見守る。女は難しそうな顔をしながら、うーん、と唸り声を上げて考え込んでいるようだった。ブツブツと「……いや、これは違うか……」などと独り言を言いながら、しきりに首を捻っている。

 その、あまりにも真剣な様子を見ていたら、だんだんと笑いがこみ上げてきた。

「ははは。自分で言い出しておきながらノープランとかホント笑えるんだけど」

 負けだ。必要以上に苦手意識を持っていた自分が馬鹿らしくなった。良く言えば『素直』、悪く言えば『馬鹿正直』。そんな女の行動に裏なんか無かった。きっと、ただ単に『仲の悪いクラスメイト』を一人減らしたいだけなんだろう。僕と特別仲良くなりたいわけでもない。
 なら、頑なに拒否することもないのかもしれない。僕だって喧嘩越しな女の態度に一々イライラするのは本意じゃない。嫌いなものが一つ減ると考えれば、こちらにとっても悪い話ではないはずだ。


「わかった」と告げてやれば、女は嬉しそうに笑った。以前山口と話している時に見かけたのと同じものだった。

「ホント? 嫌味とか意地悪は無しだよ?」

 尚もしつこく食い下がる女に多少の面倒臭さを感じながらも、とりあえず頷いた。

「分かったってば。……しつこいな」
「ほら! その一言が……」
「ハイハイ。『分かりました』。これならいいんでしょ」

 やっぱり面倒くさい。判断を誤ったかもしれない。

「じゃあ、私も普通に話すね」

 女は嬉しそうに笑いながらそう言った。ふと、悪戯心が芽生える。

「できるかなぁ、君に」

 そう言ってやると、女はムッと口を尖らせた。やっぱり思った通りの反応が返ってきた。面白い。

「……やっぱ失礼じゃない?」
「気のせいじゃない?」

 そう言って笑うと、女も同じように笑う。


 別に仲良くなろうとしたわけじゃない。ただ、断りづらかったから。気が向いたから。ただそれだけだ。


 嫌いな人間がこの世から一人減ることは、別に悪いことじゃないデショ。
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