- ナノ -


(11話)



 連休最終日、日向との約束を果たすため、烏野総合体育館へと足を運んだ。


 練習試合なのに観客席には若干ながら人が居た。その中にはなんとなく見覚えのある顔もある。たしか商店街のおじちゃんたちだ。そして、おじさんと呼ぶには少し若い人達もいる。

 とりあえず見やすそうな適当な席に座ると、前方で見ていた若めの二人組のうちの一人が振り返った。

 あ、どっかで見たことあるな。そんなことを思いながら、目が合ってしまったので軽く会釈をすると、眼鏡をかけた男性も小さく頭を下げた。
 すると、隣にいた明るい髪色の男性もこちらを振り返る。

「お、女子高生だ」
「おい、その言い方やめろよ。おっさんくさいぞ」
「おっさんって言うなよ! デリケートな年頃なんだから!」
「デリケートって何だよ! 乙女か!」

 二人のやりとりが面白くてクスリと笑う。

「ほら、笑われちゃっただろ!」
「だからお前がうるさいんだって。ゴメンな、うるさくて」

 そう言って眼鏡の男性は顔の前で小さく手を立てる。なんだか良い人そうだ。

「いいえ」
「君は烏野の生徒さん?」
「はい。友達に見に来て欲しいって言われて」

 言いながら、キッカケとなった当の本人を上から見つめるが、日向はウキウキしたような顔でアップを取っており、こちらに気づく気配は無い。

「そっか。俺たちは烏野バレー部のOBでさ、あそこにいるガラの悪いコーチもそう」
「そうなんですね」

 言われてみれば、前回の青城との練習試合の時には居なかった金髪にヘアバンドのコーチが増えていた。
 リベロにエースにコーチまで増えた。これは公式戦が楽しみだ。


「おー、やってるやってる」

 言いながら、今度はエプロン姿のおじちゃん達がやってきた。

「あー、大野屋さん。こっちッス」
「なんだ、他にも結構声かけてたのかよ」
「だって久々の『ゴミ捨て場の決戦』だからな」

「ゴミ捨て場?」

 なんとも聞き慣れない単語に思わず首を傾げる。

「なんだ、お嬢ちゃん知らねーのか。ネコとカラスだからな。昔っから音駒と烏野がやるときは『ゴミ捨て場』ってんだ。因縁のライバルってやつさ」

 カラカラと笑いながら、魚マークのエプロンを付けたおじさんが笑った。

 なるほど、それで『ゴミ捨て場』か。なかなか面白い。

「皆仕事しろよなー。俺もだけどさ」

 最初に目が合った眼鏡のお兄さんが笑いながら言う。


 ふと、頭の中にブタのイラストが浮かんだ。

 あ、思い出した。この人スーパーの人だ。

 この烏野には、可愛らしい顔をしたブタさんが皿の上でなぜか輪切りにされているという、よくよく考えると衝撃的なイラストを看板に掲げた『嶋田マート』というスーパーがある。

 しかもそのブタは笑っている。

 そうだ。そこのお兄さんだ。だから見たことある気がしたんだ。こちらからは見えないけれど、きっと今着ているエプロンにもあの豚が描いてあるはずだ。
 しかし、思い出したものの、いきなり「スーパーのお兄さんですよね」とは言えない。向こうは当然私のことなんか知らないだろうし。どうしたものか。

 ……ま、いいか。とくに何も聞かれてないし。向こうももうコートの方を見ながら連れのお兄さんや商店街のおじちゃんたちと何やら話をしている。割り込むほどの話題でもない。

 この先話す機会があったら話そう。……多分無いけど。

 そう結論付けて、コートへと視線を戻すと、選手たちがそれぞれ一列に並んでいる。どうやら試合が始まるらしい。



***



 半ば成り行きで見に来た試合だったが、内容としてはとても充実していた。

 音駒高校はとにかく守備の高いチームで、リベロ以外の選手も皆レシーブが上手だった。すごく上手だった。こんなに全員のレシーブ力が高いチームを見るのは初めてだ。
 東京ってすごい! 素直にそう思った。


 二セットを三試合もやったので、すでにもう夕方だ。普段なら見ている方も疲れてしまうが、今日は興奮が勝っている。

 はぁ……。大きく息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がった。

 
 すごかった。特に音駒のリベロがすごかった。
 もう本当にとにかく凄かった。
 あぁ、日向ありがとう。誘ってくれてありがとう。

 館内の自販機の前に立ち、小銭を入れながら心の中で日向にお礼を言っていると、ふいに声をかけられた。

「また来てたんだ」

 振り返ると、月島君が呆れたような視線を向けていた。

「またそうやって迷惑そうに言……」

 言いかけて、先日山口君に言われたことが頭をよぎる。そうだ。普通に話してみようと思ってたんだった。ついつい喧嘩腰になってしまうが、それでは駄目だ。少し落ち着いて話をしてみなければ。こうやってタイミングよく会えたのはいい機会かもしれない。そう思い、無難な会話の取っ掛かりを探していると、月島君のため息が聞こえた。

「ホント、好きだよねぇ〜」

 月島君は感心したように、半ば呆れたようにつぶやく。彼の意図した事が分からず、眉を寄せて彼を見つめた。

 バレーが、ということだろうか。

 私が練習試合や普段の練習を見学しているのは月島君にも見られている。バレーが好きだと思われても不思議はない。事実、バレーは大好きだ。今日も試合を見ながら改めて思った。

 そんなことを考えていると、月島君が再び口を開いた。

「『王様』、見に来たんデショ?」

 どこがいいんだか。と、若干イラついたような口調で言われ、思わず苦笑した。

 ああ、またか。よっぽど飛雄と付き合ってるように見えるんだろうな。なんとも皮肉なものだ。

「……たぶん誤解してると思うけど、そういうんじゃないよ」
「何が?」
「私と飛雄」

 そう言うと、月島君は少し驚いたような表情をした後、意地悪そうに笑った。

「へぇ〜。じゃあ君の片思いなわけだ。告白してみれば? 案外付き合えるかもよ。ま、あの王様が恋愛に興味あるかは分かんないけどね〜」

 バレーのことしか頭に無さそうだもんね。そう、楽しそうに笑いながら言われ、私の口からは乾いた笑いが漏れる。

 月島君の言う通り、飛雄の頭の中はいつだってバレーのことでいっぱいだ。でも、私はそんな飛雄が好きだったし、別にそれが原因で別れたわけじゃない。

 ……悪いのは、私だ。


「……飛雄は好きだけど、恋愛感情じゃない」
「ふーん。ま、僕には関係ないけど」

 素っ気なく返され、小さくため息をついた。

 いつもこうだ。月島君と話すといつもこうなる。なぜほかの皆んなと話す時みたいに普通に話せないんだろう。


「あのさ、私のこと嫌い?」
「は?」
「だって、いつも嫌そうな顔されるし。嫌われてるのかなーって」
「……べつに嫌いとか思うほど君に興味無い」

 あ、早速嫌なこと言われた。なんでこの人ってこういう言い方しかしないんだろう。ホントやな感じ。やっぱコイツ嫌い。

 反射的にそんな言葉が頭に浮かんでくる。いやいやいや、それではダメだ。親切にしてくれた山口君に応えるためにも、ここで引いてはダメなんだ。

「あのさ、なら、せめて普通に話さない?」

 じっと月島君を見つめながらそう言うと、月島君は怪訝そうに眉を顰めた。

「は? 友達ごっこでもしようってワケ?」
「ごっこじゃなくて、友達になろうって言ってるの。クラスメイトなんだから別にいいでしょ?」

 月島君はポカンとしたような顔をして、私を見つめていた。いつもの拒絶の色は見えない。どうやら話は聞いてもらえそうだ。今がチャンスかもしれない。まずは思っていることを伝えなきゃ始まらない。

「月島君がどう思ってるか知らないけど、私はこの先クラスが変わるまでずっと、誰かを苦手だなって思いながら過ごしたくないの。友達じゃなくてもいいけど、せめて普通に話せるようになりたい。その……クラスメイトとして。そのくらいいいでしょ?」

 その問いかけに、今まで黙って聞いていた月島君の眉が再びググッと中心に寄った。

「君だって僕のこと嫌いなんじゃないの」
「嫌いじゃないよ。……ちょっと苦手ってだけで」
「苦手なんじゃん」
「ちょっとだけね。そりゃ、あんな風に喧嘩売られたら好きにはならないでしょ。おあいこだよ」
「別に喧嘩売ってない」
「あっそ。私だって別に月島君のこと嫌ってないから。っていうかコレ断られてるワケ!? ……ならいいですけど。別に!」

 なにさ。せっかくこっちから歩み寄ったのに。あーあ、頑張って損した。きっと私はトコトン月島君に嫌われてるんだ。山口君、ごめんなさい。やっぱり私には無理でした。いや、でもよく頑張った方だと思わない? そうよ。できる限りのことはしたし。……私は悪くない。

 心の中で言い訳をしながらクルリと踵を返しその場を離れようとすると、後ろから「いいよ」という声が聞こえた。


「君と友達にはなりたくないけど、普通に話すくらいならしてやってもいい」
「どんだけ上から目線だこのやろう」
「嫌なの? ならいい」
「あー! 待って待って!」

 そう言って立ち去ろうとする月島君の腕を咄嗟に掴むと、月島君は狼狽したような声をあげた。

「ちょっと!」
「だって! 話まだ途中でしょ!?」
「だからっていきなり掴まないでよ」
「じゃあ月島君も逃げないで!」
「逃げてないから! っていうか離してくんない!?」

 何なんだよ一体。そう言いながら月島君は私が掴んでしまった腕をさすった。心なしか月島君の頬が赤味を帯びている気がする。なんか可愛い。初めて見る彼の意外な一面に、思わず視線を奪われる。

「で? 普通って、具体的には何すれば君は満足なワケ?」

 急に話しかけられて、ハッと意識を戻す。言われてみれば具体的にどうするかなんて全然考えてなかった。いや、むしろ普通ってなんだろう。

「えっと……なんだろう。挨拶とか?」

 普通のクラスメイトがしそうなことを思い浮かべながら、とりあえず思いついたものを口に出す。

「それだけ? そのくらい今もしてるじゃん。他には?」
「えっ……他に……?」

 普通のクラスメイトでしょ? 他に……なんだろう。お昼一緒に食べるのは友達だし、世間話も別にわざわざクラスメイトとするようなものでもない。
 考えれば考えるほど、普通のクラスメイトとすることなんて皆無だ。なんだろう、なんだろう。悶々と思いを巡らせていると、すぐ上から楽しそうな笑い声が聞こえた。

「ははは。自分で言い出しておきながらノープランとかホント笑えるんだけど」

 あの月島君が、まるで少年のように笑っている。今まで散々見てきた、口元をニヤリと上げた、人を小馬鹿にしたような笑みでも、見下すような表情でもない。ごく普通の笑顔だった。ただ単に可笑しくて笑っている。それだけなのに、なぜか目が離せなかった。

「普通ね。分かったよ」

 少し諦めたような表情をしながら、月島君が言った。

「ホント? 嫌味とか意地悪は無しだよ?」
「分かったってば。……しつこいな」
「ほら! その一言が……」
「ハイハイ。『分かりました』。これならいいんでしょ」

 面倒くさそうにしながらも、月島君の口調からは今まで感じてきた刺々しさは感じなかった。

「じゃあ、私も普通に話すね」
「できるかなぁ、君に」
「……やっぱ失礼じゃない?」
「気のせいじゃない?」

 月島君が再び先ほどのように笑い、それにつられて私も笑う。


 なんだか胸のつかえが取れた気がする。自分の事を嫌いだと思っていた人と話すのはこんなに嬉しい事なんだ。


 月島君との距離が、ほんの少しだけ縮まったような気がした。……ほんの少しだけだけど。
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