- ナノ -


(5話)



 完璧に手入れされた指先から放たれたボールが、綺麗な弧を描いて地面へと落ちる。

 呆然と振り返るあの人の顔が、今も忘れられない。

 あれから半年以上が経った。このチームには、あの人のトスを打ってくれる人は居るんだろうか。





 翌日の火曜日。学校が終わってすぐに家に帰り、制服を着替えバスに乗った。

 途中、知り合いに会わないようにと心の中で祈った。恥ずかしいというのはもちろんのこと、他校の生徒に変装して潜入しようとしているわけだから、目立った行動を取るわけにはいかない。


 だが、そんな心配は杞憂だった。誰にも会うこと無く青葉城西高校にたどり着く。

 とりあえず下校途中の生徒に紛れるように校内へと潜り込み、目的地である体育館を探した。


「第三体育館……ここだ」

 及川先輩からもらった見取り図を頼りに進むと、すぐに練習試合の行われる第三体育館を見つけることができた。地図をもらっておいてよかった。無かったらきっと広い校内で迷子になっていただろう。


 そっと中を覗くと、もうすでに第二セットが始まろうとしていた。

 得点表を見ると、第一セットは青葉城西にとられてしまったらしい。

 体育館を見渡すと、疎らだが見学者が居た。当然青葉城西の生徒なのだろう。制服姿の男女数組が体育館二階の観覧スペースからコートを眺めている。

 とりあえず、ギャラリーに紛れるように目立たない位置を探すと、コッソリと試合の様子を覗き見る。



 青葉城西のコートの中には従兄のはじめ君や、中学時代の同級生たちがいた。見知った顔ばかりでなんだか懐かしい。中学時代に戻ったような気分だ。

 しかし、及川先輩の姿が無い。一応と思いベンチも確認するが、見当たらなかった。

 変だな。なんで出てないんだろう。確か及川先輩は青城の正セッターで主将のはずだ。試合に出ていないなんてありえない。

 不思議に思いながらも、烏野高校のコートへも目を向けた。すると、烏野のメンバーの中に、飛雄と日向君、そして見慣れた長身のクラスメイトを見つけた。

 へぇ。月島君もスタメンなんだ。背高いもんな。

 隣に並ぶ飛雄と比べても、パッと見で月島君の方が高いことが分かる。普段の飄々とした彼の姿からは、ボールを必死に追いかける姿など、とてもじゃないが想像できない。一体どんな風にプレーするんだろう。少しだけ興味が湧いた。

 あれだけの嫌味を言われたんだ。どの程度の実力か見てやる。そしてもし下手くそだったら心の中で笑ってやる。

 我ながらなんという心の狭さであろうか。でもあそこまで言われたんだ。少しくらい意地悪な感情が芽生えたって仕方ない。……私のせいじゃない。


 第二セット開始早々、月島君のレシーブしたボールが、明後日の方向へと飛んで行った。
 月島君の表情が珍しく歪む。悔しいような、なんとも言えない表情だ。

 ……なんだ。レシーブは私の方が上手いな。

 ふふん。と息を吐き出しながら、そんな事を思う。散々嫌味を言われたせいか、なにか一つでもあの男より優れているところを見つけたかったのだ。

 そんなみみっちいことを考えていると、目の前でとんでもないことが起こった。

 日向君がブロックを振り切るようにコートを横切る。そして翔んだと思った瞬間には、スパイクが相手コートに決まっていた。あまりの速さに、目の前で何が起きたのか頭の中で整理するのに少し時間がかかったほどだった。

 中学時代は誰も追いつけなかった飛雄のトス。それがやっぱり日向君なら追いつけるんだ。

 ……いや、違う。飛雄がトスを上げるより前に、日向君の足はもうすでに地面から離れていた気がする。そうだ。ボールが来るよりも前に日向君は翔んでいた。まるでそこにボールが来るのが分かっているかのように。

 ……飛雄が合わせてるんだ。日向君に。

 そのことに気づいた瞬間、ゾワっと全身の毛が逆立った。

 飛雄が上手いのは知ってる。でもこんな針の穴に糸を通すような精密なトスを上げられるなんて、信じられない。なんであんなことが出来るんだろう。

「……ホント、天才」

 そうだ。飛雄は天才。昔はそれがすごく嫌だった。凡人がいくら頑張っても天才には敵わないんだと言われているようで、すごく嫌だった。飛雄のことを遠く感じた。

 ……でも今は違う。


「ん?」

 歓声で不意に意識が現実へと引き戻された。月島君がスパイクを決めたようだ。不思議そうな顔で自分の掌を見つめている。

 後衛に居たときはレシーブミスがちらほら目についたが、前衛に上がった月島君はブロックが上手かった
 ボールの流れを良く見ているし、予想も的確だ。頭がいいのだと思った。それに背の高い彼ならたとえ速攻が来てもワンタッチは取れる。ブロックに関しては、きっと飛雄よりも上手いだろう。

 ……へぇ。やるじゃん。
 笑ってやるつもりだったのに。なんだか悔しい。

 覇気のない顔で淡々と相手の攻撃をブロックし、時にはスパイクで点を獲る。それなのに彼の表情は変わらない。それがなんだか余計に悔しく思えた。チームの誰よりも高い身長。相手の攻撃を見極める頭脳。私には無いものばかりだ。そんなに沢山のものを持っているくせに、どうして楽しそうじゃないんだろう。

 バレー、そんなに好きじゃないのかな。



 その時、キャーという黄色い声援が体育館に響いた。

 ハッとして顔を上げると、第二セットが終わっていた。どうやら烏野がこのセットを取ったらしい。これで一対一だ。

「きゃー! 及川さーん!」
「及川せんぱーい!」

 女の子達がきゃあきゃあ言いながら及川先輩の名前を呼んでいる。相変わらずの人気ぶりにため息が漏れた。及川先輩は愛想良く女の子達に手を振ると、キョロキョロと二階を見回した。

「あ、ナマエちゃーん」

 やっほー、と、ヒラヒラと手を振りながら名前を呼ばれ、ギョッとした。途端に女の子達の視線が一斉に私の元へと注がれる。痛い。視線が痛い。

 痛いくらいの周りからの視線を感じながら、引きつった笑いを浮かべる。ここで無視したらもっと大袈裟にアピールするだろう。あの人はそういう人だ。
 嫌々ながらも、とりあえず及川先輩へと手を振り返した。

 見ると、はじめ君や中学の同級生である国見や金田一が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
 一方烏野コートの方も、日向君が飛雄に向かって何かを話しかけ、飛雄は呆れたような視線を私に向けた。それに吊られたように、隣の月島君が、一瞬こちらを見た。だが、彼は特に表情を変えることなく、すぐに私から視線を外した。

 ああ……、目立ってる。ひょっとしなくてもすごく目立ってる。大人しく試合だけ見て帰るはずだったのに。及川先輩の馬鹿。心の中で悪態をつきながら、試合に出るべくアップを始めた及川先輩の背中を睨んだ。



 第三セットが始まっても、及川先輩はアップをとっているだけで、試合に出る様子はなかった。もう烏野のマッチポイントだ。及川先輩が出ないまま、試合終了を迎えてしまうかもしれない。


 ふと見ると、また月島君がレシーブミスをしていた。……やっぱり私の方がレシーブ上手い。

 そこで、青城側に動きがあった。及川先輩がピンチサーバーとして試合に出るようだ。

「キャー! 及川さーん!」
「頑張ってー!」

 女の子達の黄色い声が聞こえる。

 
 エンドラインに立った及川先輩が、スッと月島君を指差した。それが何を意味するのかは、すぐに分かった。

 予告した通り、及川先輩の打ったサーブが月島君へと一直線に飛んでいく。受け止めきれなかったボールが二階の観覧席へと飛んでいった。レシーブの不得意そうな月島君では、あの及川先輩のサーブを返すことは難しいだろう。

 一点、二点と点差が縮まっていき、月島君の顔が悔しそうに歪む。

 あんなにムカつく奴のはずなのに、その顔を見ていても気分はちっとも晴れない。それどころか、こちらまで悔しくなってくる。

 たしかに、作戦としてはアリだろう。この点差で相手のマッチポイントなら、『穴』を徹底的に狙うのがベストだ。攻撃になど繋げないようにサーブのみで潰す。及川先輩なら、それが出来る。リベロの居ない烏野のレシーブの穴は、日向君か月島君だ。狙われて当然。

 分かってはいる。分かってはいるが、それでも悔しい。このまま負けるなんて、そんなの嫌だ。ギュッと握った拳が痛い。

 月島君、頑張ってよ。

 次取られたら同点に追いつかれてしまう。烏野側もここで何とか流れを断ち切りたいと思ったのだろう。烏野は全体的にラインを後ろへ下げ、月島君はサイドライン近くまで寄った。
 なるほど。主将の先輩はレシーブがとても上手だった。その先輩の守備範囲を広げ、月島君の分までカバーするようだ。

 しかし、そんな作戦も虚しく、及川先輩は的確に月島君の真正面にボールを放った。
 先ほどよりも威力は落としているとはいえ、スパイクサーブであそこまで正確にコースをコントロール出来るのは、きっと県内でもこの人くらいだろう。

 しかし、今度はレシーブミスすることなく、月島君の上げたボールが綺麗に空を舞った。

「あ! 上がった!」

 思わずそんな言葉が口をついて出た。自分がさっきまでよりも興奮しているのが分かる。とっさに目の前の柵へと手をかける。食い入るようにコートの中を見つめながら、柵を持つ手に力が入った。


 月島君の上げたボールは青城コートへと返っていった。すかさず及川先輩がそのボールを上げた。ボールはセッターを経て金田一へと繋がれる。
 金田一はデカイ。というか長い。いや、そんなことを言っている場合じゃなくて、つまり、何が言いたいかというと、すごく背が高いのだ。月島君と同じくらいか、ひょっとしたら金田一の方が大きいかもしれない。
 今のローテーションでは、飛雄も月島君も後衛で、ブロックに高さが無い。ぱっと見ても金田一の方が烏野のブロックよりも頭一つ分くらいは大きく見える。


 ……それなのに、どうして背の高い金田一に、あのオレンジ頭が並んでいるんだろう。

 なんであんなに高く飛べるんだろう。まるで羽が生えているみたいだ。


 金田一の打ち込んだボールが日向君の指先に当たった。

 再びボールが繋がれる。

 そして、左端で金田一をブロックしたはずの日向君が、今度は右端でスパイクを決めた。



 楽しい。バレーを見るのはこんなにも楽しい。

 怪我をしてから今まで、こんな風に思うことなんて無かった。でも今日、初めて、他人のバレーを見ていて楽しいと思った。

 やっぱり私は、バレーボールが好きなんだ。それを彼らが思い出させてくれた。


 烏野高校対青葉城西高校の試合は、烏野高校の勝利で終わりを迎えた。

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